旅、冒険、
日本人女性の観光客2人がローマRome中心部のレストランで普通の昼食をとり、430ユーロ(€430:約5万830円:正確には、飲食代 €349,80+サービスチャージ €80の計 €429.80)の請求を受けた。これにSNSでは憤りの声が上がっている。

2019年9月上旬、日本人女性2人がローマを観光に訪れ、バチカン近くの世界的に有名なサンタンジェロ城 Castel Sant'Angeloの隣の小さなレストランAntico Caffè di Marteで控えめな食事をした。
日本人女性たちはスパゲッティ2皿、魚料理2皿、ミネラルウォーター1本を注文し、349.80ユーロ(約4万1373円)の食事代と、約80ユーロ(約9457円)の必須チップという驚愕の請求を受けた。悲しいことに日本人女性2人は、世界で最も美しい都市の一つの歴史的中心地で昼食をとったことを考慮しても、食べた食事には釣り合わないこの金額を支払わなければならなかった。オーナーは、「メニューでははっきり表示してあり、彼らは新鮮な魚も食べた」と言い訳しているという。 参照記事 英文記事 過去ブログ:2018年4月中国人のマナー違反にイタリア人も憤慨

2019年8月14日:一人の北欧の少女が今月、太陽光パネル付きのヨットに相乗りし、英国の港から大西洋横断の旅に出発する。地球温暖化対策を訴える若者の世界的運動の火付け役となったスウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(Swedish activist Greta Thunberg,16)。環境に優しい旅をすることで環境問題への国際社会の意識を高めたい考えだ。温暖化対策強化を求め議会前で座り込みを実施してから約一年。少女は、温暖化危機を説くアイコン(象徴)的存在にまで成長した。トゥンベリさんが初渡米の意向を表明したのは6月。米ニューヨークで9月に開催される国連の気候行動サミットと、南米チリ・サンティアゴでの12月の国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)への招待を応諾したとツイッターに投稿した。今回の旅で、トゥンベリさんはカナダやメキシコも訪れる予定。
だが飛行機を使わずにどうやってたどり着けるかという難題がたちはだかった。トゥンベリさんは温室効果ガス排出量の多い飛行機を利用しないと公言し、そのため活動が欧州に限られてきた。そこに手を差し伸べたのが、モナコのヨットクラブだった。クラブが所有するレース用の高速ヨットracing yacht Malizia IIは、太陽光パネルと水中タービンで発電できる為「炭素排出ゼロ船a zero-carbon vessel」での航海が実現でき、クルースタッフ2名と共に、3人の乗船者の一人としてヨットに乗り込む。約二週間の航海を経て着く米国で、温暖化対策の枠組み「パリ協定」からの脱退を表明したトランプ大統領と面会するかどうかが注目された。しかしAP通信によると、トゥンベリさんは「科学者たちの言葉に耳を貸さない人を、子どもが説得できるわけない」と指摘、面会は「時間の無駄だ」と一蹴した。参照記事 英文記事 英文記事
2019年9月24日:国連気候変動サミットにスウェーデンから乗り込んだ若き環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)は、空疎な言葉を並べたてるだけで、環境のために何の手段も講じない世界の指導者らを厳しく批判した。「あなた方は私たちを失望させている。そして私たちはあなたたちが裏切り者であることを理解し始めている。未来の世代の目はあなたたちに向けられている。そしてもしあなたたちが欺いたなら、私たちは決して許さないでしょう。世界は目覚め始めています。変化は訪れようとしています。あなたたちがそれを望もうが望むまいが」と強調した。

仏スポーツマンで発明家のフランキー・ザパタ Franky Zapata氏(40)は2019年7月25日、自身が作ったフライボードFlyboard (hoverboard) で英仏海峡を時速約140キロ、高度約15m、距離約33.8キロ(21マイル)を約20分の飛行で横断する試みに失敗した。地元メディアが報じた。記録映像 デモ飛行映像
ザパタ氏(40)は現地時間午前9時5分(日本時間14時5分)、仏パドカレー県のサンガットSangatteビーチから離陸。英ドーバー Dover港に近い聖マルガリータ湾に到着する予定だった。だが給油のため船舶に着陸しようとした際に体勢を崩して海に落ちた。これはルートの真ん中あたりで起きた。ザパタ氏のチームメンバーのステファン・デニー氏は「彼はすぐに水から引き上げられた。怪我は一切なかったが、とてもがっかりしている」と語った。
ザパタ氏はスポーツマンで、ジェットスキーの欧州・世界選手権王者。ザパタ氏は今年7月、パリ祭のパレードで手にライフルを持ってフライボードに乗り、シャンゼリゼ通り上空を飛んだことでフランスで広く知られるようになった。フライボードは5つのジェットエンジンを搭載したボードで、42リッターのケロシン燃料を背負って飛行する。最高速度は時速
約190キロを記録している。フランス国防省はフライボードの軍事利用の可能性を検討している。デモ飛行映像 デモ飛行映像 英文記事
2019年8月4日:フランス人発明家のフランキー・ザパタさん(40)は8月4日、自らが開発した「フライボード」で約35キロにわたるドーバー海峡の横断に挑んだ。先月の挑戦では途中10分後に海に落下したが、今回は、3機のヘリにエスコートされてフランスを午前8時17分に離陸、途中一度給油し時速160-170 km/hで海上をトータル約22分間飛行して見事、横断に成功した。ザパタさんは会見でうれし涙を見せながら「夢がかなった。支えてくれた家族に心から感謝している」と述べた。開発費用の一部には、昨年フランスから受け取った総額約140万ドル(約1億4800万円)の軍事補助金が使われている。記録映像 記録映像 参照記事タイは今年、同国を訪れる外国人観光客に対し、不慮の事故に備えた保険の強制加入制度を導入する。2019年7月1日付けのバンコックポスト紙の電子版がタイ国家保険委員会の発表を引用して報じた。同委員会によれば、
不慮の事故による死亡や治療に備えた保険への加入は旅行者がタイに到着後、入国審査で支払い、加入する。わずか20バーツ(およそ75円)の保険料を払い、保険へ加入することで、万一死亡した場合、1人あたりおよそ3万2千ドル、不慮の事故の場合は1万6千ドルを受け取り、支出をカバーすることができる。
タイ国家保険委員会によれば、今年タイを訪れる観光客数は400万人を超えると予測されている。観光客の数が増えれば、不慮の事故の発生件数の増加も防ぎようがない。こうした事情が強制加入の制度化の背景にある。タイ国家保険委員会の発表では、昨2018年、遊覧船の事故で47人の中国人が死亡している。旅行がブームの中国人の海外での死亡事故は非常に多く、2017年は695人が海外で命を落としている。その中でも突出して多いのが水難事故で、タイだけでも2017年半年で、70名以上が水難事故で死亡した。参照記事 日本では、旅行中に病気になり病院で治療を受けた観光客の未払いも問題化している。

2019年5月12日:有名なロシアの冒険家フョードル・コニュホフ(Федор Конюхов:Fyodor Konyukhov、1951年12月12日生まれ)さんが5月9日、世界初の手漕ぎボートによるニュージーランドからチリまで(2018年12月6日~2019年5月9日)の南太平洋横断に成功した。航海は154日13時間13分に及んだ。遠征の本部が、通信社スプートニクに伝えた。手漕ぎボートによる海洋横断の全歴史の中で、南極海(南太平洋)を横断してホーン岬(南アメリカ最南端)到達に成功した人は誰もいなかった。今回計画では所要日数120日だったたが、台風(サイクロン cyclone)等による高波と強風で34日と100キロ以上をロスした。ホーン岬付近は世界で最も難所といわれ、悪天候で有名で海難事故も多く、ヨットでも破損したりして、ここへの到達や横断を断念するケースが多い。
コニュホフさんは2018年12月から2020年にかけて手漕ぎボート「アクロス:rowboat AKROS」で南半球を東西に横断east-west crossing of the South Pacific Oceanする航路での単独世界一周航行に挑戦中で、コースは3段階に分かれている。

今回コニュホフさんは2018年12月に南太平洋South Pacificのニュージーランドを出発後、ホーン岬 Cape Horn(チリ)に向い、2019年5月9日にチリ沖のドレーク海峡に在るラミレス島 Diego Ramirez Islands in Drake Passage off Chileに到達した:写真右。この第1段階が、世界1周コースの中で最も長い。今後2019年12月には、ホーン岬から東へ進みルーウィン岬:オーストラリア:Cape Leeuwin in Western Australia まで、2020年12月にはオーストラリア・ルーウィン岬から最終目的地ニュージーランド ・ダニーデンDunedin, New Zealandへ向かう予定。各段階の平均日数は120日、総航行距離は2万7000キロとなる。

彼は有名な冒険家であると同時に、2010年12月東方正教会

パリのクレミュー通りRue Cremieux(Rue Crémieux)の住民らが増えすぎた観光客に音を上げ、市当局に夜間および休日の立ち入り規制を要請した。個人旅行客向けの情報サイト「ロンリー・プラネット」が報じている。
クレミュー通りの建物は19世紀の建築。淡いピンク、紫、黄色、青などパステルカラーで美しく彩られた家が隠れた観光スポットCute Pastel Rue Crémieuxとして人目をひき始めた。大挙するツーリストらはフォトセッションを行おうと窓の下でポーズをとり、入り口付近に腰掛けては写真の出来を大声で批評しあい、挙句の果ては音楽クリップの撮影からフラッシュモブ flash mobまで繰り広げたため、普段の生活が脅かされた市民がとうとう怒りを爆発させた。
通りの住民は入り口に門を設け、夜間と週末の立ち入り禁止をしくよう市当局に提案している。
住民の中からは「地獄と化した」、「平日は観光客がぶらぶら歩きするだけでまだいいが、週末になるとうちの窓の下で200人が騒ぎたて、朝食をとっているのに向こうはシャッターを押し続けている」と不満が挙げられている。参照記事 英文記事 英文記事

、、、最近の言い方なら「インスタ映え」を狙ったインスタグラマーInstagrammersに対する、「絵のようなパリの通りに住む住人Residents-of-picturesque-paris-street」の要求と言うことで、観光客が玄関でヨガをしたり、ドアの前でポーズを取ったりするに及んでは日常生活やプライバシーにも影響があるだろうが、通りの入り口に門を提案しているという記事には、住民には失礼だが、筆者は大戦時のユダヤ人ゲットー(Getto :ユダヤ人居住区)を思い出した。日本でも京都などの観光地で問題化している。言える事は、歴史的背景がなくても、町並みの作り方によっては観光資源になると言うことで、市町村の街づくりには参考になるだろう。よく引き合いに出されるのに、パリの町並みや河川の河岸の計画が絵描きの大臣によって作られたと言うことだ。環境や景観に配慮しない日本の行政にそんな都市計画を望んでも無理な話だろうが、地方の町村単位ならまだ間に合うのでは、、。
「論語"The Analects of Confucius"」に「有朋自遠方来。不亦楽乎。:朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。(友人が珍しくも遠方から訪ねてきてくれるのは、こんなうれしいことはない。)」と有る。一節には、子曰。 「學而時習之、不亦説乎。 有朋自遠方來、不亦樂乎。」(孔子曰く、 「学びて時に之を習ふ、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや。」:現代語訳:習ったことを機会があるごとに復習し身につけていくことは、なんと喜ばしいことでしょうか。 友人が遠方からわざわざ私のために訪ねてきてくれることは、なんと嬉しいことでしょうか。とある。
「友来たる」の前後を含む文は、漢文:子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。書き下し文:子曰(い)わく、学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有りて遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。英訳文:Confucius said, "To learn and to review those you learned are pleasure.(別訳:To learn and practice what learned time and again is preasure) To see a friend from far is a joy. Not to have a grudge even if you are not appreciated by others. It is gentlemanly."。現代語訳:孔子がおっしゃいました、「学んだことを時に復習するのはより理解が深まり楽しい事だ。友人が遠くから訪ねてくれて学問について話合うのは喜ばしい事だ。他人に理解されなくとも気にしないと言うのはとても立派な事だ。」という解釈も有る。、、孔子の言う「學」について筆者は、現代の体系的学問ではなく、互いが知り得た新たな事象や個々の考えを指していると解釈している。その中には遠い異国の文化や変化なども含んだだろう。遠くから来た友と、そんな話をするの今も昔も楽しいことだ。
一昨年フィンランドから来て数十年ぶりの再会をしたヒデさんが今年も来てくれて、ニセコ、ルスツでスキーを楽しんで2019年3月23日に我が家に到着。27日の夕方新千歳まで送り、横浜へ戻った。日本には5月まで居る予定とのこと。

我が家に滞在中は、中庭のキジを見たりキツネを見たり、市内を見物したりしたが、天気は雪で余り良くなかった。その分、家の中で昔話に花を咲かせた。昔と変わらず細身の体だが、毎日数キロを歩くのを日課しているとかで非常に元気で、滞在中も付近の散歩を欠かさなかった。写真は、新千歳飛行場で別れた際の写真で、やがてここの国際飛行場にフィンエアーの直行便が離着陸する。車で帰宅すると丁度キツネの餌の時間で、中庭の石の上で丸くなって待っていた。これも亦楽しからずや である。朝起きると中庭の木の中にキジが居るか確かめる。キジ達に中庭は仮の宿で、やがて古巣に戻るだろうが、できれば何時までも居てほしい。友とは別れたが「また会おうな」という別れだった。 過去ブログ:2019年1月追記:フィンエアー ヘルシンキが欧州のハブに?>千歳就航決定 2017年9月大型台風接近中に40年来の旧友が北欧から、、。 2008年12月儒教社会主義をめざす中国?
2018年7月29日:北欧フィンランドの首都ヘルシンキは、今や欧州有数の”空の玄関口”となっている。ここを拠点とする航空会社、フィンエアー(フィンランド航空)が今、急成長を遂げつつある。
2017年は売上高(25.7億ユーロ)、旅客数(1190万人)ともに前年比で約10%増え、過去最高の営業利益をたたき出した。成長著しいのがアジア路線だ。前年から売上高が2割伸び、今や欧州路線を超え、フィンエアーとして最大市場となった。2018年3月25日から始まった2018年夏ダイヤでは、アジア路線を最大週97便運航する。
日本は売上高や旅客数で、フィンエアーにとって本国フィンランドに次いで2番目の市場だ。5月以降は成田―ヘルシンキ線が1日2便体制に拡大。関西、名古屋、福岡の発着分も合わせると、日本とヘルシンキを結ぶ路線が週31便となり、ルフトハンザドイツ航空やエールフランス航空などを押さえ、欧州エアラインとして日本路線の最大手となる。成長の理由は何か。たしかにフィンランドへの渡航客も増えてはいるが、原動力は乗り継ぎ客の取り込みにある。
ヘルシンキ・ヴァンター国際空港は日本からの飛行時間が約9時間半で、欧州の主要空港の中で日本から最も近い。「地理的優位性はわれわれの競争力の基盤だ」。フィンエアーのペッカ・ヴァウラモCEOがそう話すとおり、アジアから欧州各都市へ飛ぶ際の乗り継ぎハブとなっている。
同社はヘルシンキから欧州の100都市以上に路線を張っている。実際、日本発着の旅客のうち、8割はヘルシンキで乗り継ぎ、他の欧州の都市へ向かう。ヘルシンキが最終目的地という客は残りの2割にすぎない。
乗り継ぎの競争力を背景に、同社は全社的な戦略としてアジア市場に重点を置く。そのために最適な航続距離を持つエアバスの最新鋭機「A350」を、欧州のローンチカスタマー(初めて導入する航空会社)として2015年秋から導入した。搭乗率は地域全体で8割を超えており、どの地域よりも高い。日本路線に限れば「90%近い」(ヴァウラモCEO)。フルサービスの航空会社としては異例の水準だ。
さらに需要の拡大に貢献したのが、提携する日本航空(JAL)だ。JALは2013年、成田―ヘルシンキ線を就航。日本国内で路線の知名度が高まったほか、JALでヘルシンキまで飛んで、そこからフィンエアーで欧州各国に行く需要も生まれた。JAL就航後の2016年には福岡線を新規開設したうえでその後増便、成田線も増便した。勢いに乗るフィンエアーは、従来掲げていた2020年までにアジア路線の輸送規模を2010年比で2倍にするという目標を、今年、2年前倒しで達成する見込みだ。2030年には年間の旅客数を現状の2倍近い2000万人に押し上げる計画を立てている。日本路線でもまだ新路線や増便の余地がありそうだ。未就航の都市でいえば、新千歳も有力とみられる。永原範昭・日本支社長は「札幌はヘルシンキから約8時間と飛行時間が短い。可能性を検討している」と話す。参照記事
、、小さな航空会社のイメージしかなかったが、いつの間にか英国の航空会社を脅かす存在になりつつある。記事には書いていないが、長年フィンエアーは、世界でも最も安全な航空会社としても有名だ。新千歳線が実現すれば日本から最短の欧州路線となるはずで、乗って見たいな。
2019年1月15日:フィンエアーFINNAIR(フィンランド航空)は、2019年12月にも週2便にて新千歳/札幌~ヘルシンキ線の直行便を開設する方針であることが明らかになったと北海道新聞が報じた。
当面は冬ダイヤでの運航を予定しており、新千歳空港:右 からの欧州便は、2002年に撤退したKLMオランダ航空のアムステルダム線以来となり約17年振りの開設となる。同路線は欧州からのスキー需要などを見込んでおり、フィンエアーの日本線として成田、関西、中部、福岡(夏ダイヤのみ)に続き5路線目。
フィンエアーは、以前のインタビューで今後配分される羽田枠について、欧州から日本へ直行便を就航した初の航空会社でもありスロット(発着枠slot)を配分して欲しいと要望していますが、日本線への路線数、貢献度などから考えても配分するに値するエアラインであるかのうように思える。新千歳空港においては国際線側の拡張工事が進んでおり、ターミナル増築、新誘導路の整備など機能強化が計画されている。
現在、ヘルシンキから札幌/千歳へは、東京/成田・名古屋/中部・大阪/関西の国内3都市などを経由する必要があり、所要時間は13時間以上となる。今後直行便の就航によって最短8時間台で結ぶことになり、ヘルシンキでは欧州各地への接続便へ最短35分で接続できる。

フランス人のジャン・ジャック・セーヴェンJean-Jacques Savin氏(71歳)は、樽形の特別なカプセルで大西洋の旅に2018年12月26日出発した。カプセルの中には、食料品の貯蔵庫や寝台、レンジ付きの小さなキッチンがある。 カプセルの構造材は木製(積層合板)に樹脂塗装だが、大波に襲われても、シャチ orca whalesの攻撃されても大丈夫なつくりになっている。全長3mX幅2.1m 居住部分は6㎡ 約750万円 €60,000 (£54,000; $68,000)の資金のほとんどはクラウドファンディングcrowdfundingによる寄付金で集められた。 記録映像
セーヴェン氏はスペインのカナリア諸島エル・イエロ島 El Hierro in Spain's Canary Islands から大西洋を漂流し4,500km (2,800 miles) 先のカリブ海 Caribbeanへ到達する予定。 セーヴェン氏の目論見では3ヶ月以内には仏領セント・マーチン島(英: Saint Martin、Sint Maarten)か、グアドループ(Guadeloupe)付近に到着予定だが、樽は運転で動くものではなく、航海は海流だけが頼り。セーヴェン氏は途中、海流を研究する海洋学者の研究 oceanographers studyを助けるために彼の航路に沿ってビーコン(発信機)を落としていく。英文記事 英文記事、、、それにしても、大しけに遭えば、この樽では波間を転がるのではと思うのだが、船酔いに弱い筆者には信じられない冒険だ。過去ブログ:2018年12月冒険者達

米国人の冒険家コリン・オブレイディー(Colin O'Brady)さん(33)が2018年12月26日、世界で初めて南極大陸を単独で支援も受けずに横断することに成功した。54日間かけて南極の北から南へ約1500キロを踏破した。米紙New York Timesは「極地の歴史で最大級の偉業」とたたえた。
オブレイディーさんと英国人の陸軍大尉ルイス・ラッド(Louis Rudd)さん(49)は11月3日、世界初の単独・無支援の南極横断成功者の座をかけて、別々にユニオン氷河(Union Glacier)を出発した。
南極の単独横断にはノルウェー人の探検家ボルゲ・オウスラント(Borge Ousland)さんが1996~97年に成功しているが、移動はたこによる風の推進力を利用していた。今回、2人はクロスカントリースキーを履き、荷物を載せた約180キロのそりを引きずりながら、凍った大地の上を南下していった。
オブレイディーさんは出発から40日目の12月12日、南極点に到達。そして26日、最終地点であるロス棚氷(Ross Ice Shelf)にたどり着いた。ラッドさんはオブレイディーさんのペースに1~2日ほど後れを取っていた。
オブレイディーさんの挑戦は全地球測位システム(GPS)で追跡され、自身のウエブサイト「colinobrady.com」上で毎日更新された。オブレイディーさんは自身のインスタグラム(Instagram)に、朝食をとっている時に、最後の行程を一気に踏破する決心をし、約120キロを32時間かけて歩き切ったと明かした。「朝食のオートミールのためにお湯を沸かしていると、あり得ないような疑問が頭に浮かんだ」「ゴールまで、休まずに一気に突き進むことはできるだろうか、とね」

、、、科学の発達で、用意周到な冒険者が行き倒れることはほとんど無くなったが、危険を顧みない偉業である事には間違いない。生きること自体が冒険と思うが、あえて危険に挑むには勇気と「何とかなる」というわずかな楽観と自信が必要だ。人間武器が無くても逞(たくま)しくなれる。武器が無ければ逞しい国になれないとは、世界のあり方が根本から間違っている。国防もいいが、同時に常に間違いを指摘し続ける国であってほしい。今日は朝から吹雪で気温も低い。今日も、何の支援も無い中、逞しく生きる尊敬すべき野生たちに手を貸そう。過去ブログ:2018年2月オーストラリアの16歳女高生がスキーで3箇所の極地走破 2017年4月日本女性、世界最年少で世界7大陸最高峰を全て制覇 2016年1月英国人、南極大陸無支援単独横断 成功目前で亡くなる

2018 年12月9日、ブラジル Rio do Sul, Brazilのアルトベール病院Hospital Regional Alto ValeにセザールCesarという名前のホームレスが入院することになった。彼が入院した際にお見舞いに来る友人は無かったが、意外な見舞客が来たと言う。それはホームレスの友だちだった野良犬たちだった。病院のドアの前に4匹の犬が立っておりホームレスのこと
を見守っている。セザール:写真左 の説明によれば、この犬は、彼が食事が取れない時も餌を与えて大事にしてきた友だちだという。犬たちは病院の中に入らずに外から彼のことを眺めていた。この病院に勤務するクリス・マンプリムCris Mamprimさんがその様子を撮影しFacebookに投稿。クリスさんは犬たちに暖かい場所に居るようにと建物の中に入れ、またセザールさんや犬たちにちょっとした食事も与えたという。この1枚の写真がFacebookで大きな反響を呼び12万人が共感、7万8000回以上シェアされた。参照記事 英文記事 参照記事 、、ヒッチハイクと書けば聞こえはいいが、異国でホームレスの経験がある筆者には昔を思い出すニュースだ。ロンドンでは、橋の下のホームレスに、1泊の宿とパンと紅茶を恵んでもらった。そのホームレスも一匹の犬を飼っていた。

2018年9月27日に撮影された動画には、バンコクのドンムアン(Don Mueang)空港で警備員が中国人男性と言い合いになった直後に男性を殴る様子が捉えられていた。これを問題視したタイ政府の最上層部は素早く反応した。タイ政府報道官は9月30日、プラユット・チャンオーチャー(Prayut Chan-O-Cha)首相が「憤慨している」と発表。「中国人男性はタイでの滞在先を示す書類を持っておらず、拘束されることを拒否し、空港職員に不適切な態度を取ったが、そのような場合でも空港職員は落ち着いて国際慣行に沿って対応しなければならない」と記者団にコメントした。記録映像
報道官は、警備員の不手際に対する責任を否定できないとして、殴られた中国人旅行者への謝罪の意を示すとともに、空港の幹部職員2人が停職処分を受けたと明らかにした。一人は空港の統括管理者で、その停職期間は30日間だという。さらに、問題を起こした警備員はいずれ解雇されると付け加えた。空港当局者によると、中国人男性はジャカルタからの便でバンコクに到着し、別の部屋で待機することを拒否したという。その際に起きた出来事は携帯電話で撮影されていた。男性は強制送還されたが、その時にはすでに動画がインターネットに投稿されていた。参照記事 英文記事
、、、中国人観光客は、世界中で揉め事を起こすイメージが定着している。殴ると言うのは論外だが、中国人の態度の悪さも度が過ぎている。以前レストランで中国人の団体と一緒になった時は、その騒がしさにあきれた記憶がある。全ては飼い主のシツケの悪さだろう。もっとも、その飼い主も行儀が悪いが、、。 参考: 中国とスウェーデンの対立、観光客トラブルが外交問題に発展、テレビ番組も「中国人侮辱」と火に油 :記録映像

スペインなど各国で今でも行われている闘牛には個人的に嫌悪感を感じるが、見世物を盛り上げるためか、牛の頭に松明(たいまつ)までつけて行われている。そんなショーの最中、スペイン・バレンシアValencia, Spainの闘牛場で、71歳の男性が牛に襲われ、頭部と体に受けた傷が原因で死亡した。残酷なアクシデントを期待していた観客は喜んだだろうが、闘牛のファンだったという、この男性にとっては不運だった。
昔、若くしてスペインを旅行して居た時、スペイン人に「エキサイティングだから見に行け」と言われたが、殺しを楽しめと言う理由が理解できないし、現実には、そんな余裕も無い、ヒッチハイク頼りの貧乏旅行だった。スペインの片田舎で、地元の子供に混じって、朝市で捨てられた果物を漁って食べていた恥ずかしい記憶を思い出した。参照記事と映像
漫画家の颯田直斗(さったなおと)さんが、台湾の旅館に残した「感謝の絵」が台湾で話題になっている。旅館の従業員がFacebookに投稿した文章によると、2018年5月13日に「普通」の日本人が友人と宿泊していた。二日後にチェックアウトした部屋を片付け
に行ったら、絵が置いてあったことに気づいたという。
絵には楽しそうに食事を頬張る女性二人が描かれている。中国語で「台灣飯好吃!!」(台湾のご飯がお いしい!!)と書かれたほか、「桃園、中壢、竹南、瑞芳、宜蘭、淡水」など観光した場所も記された。絵の右下に「颯田直斗」とのサインがあった。
従業員はこの名前をネットで検索してみたら、なんと日本の有名な漫画家だと分かった。感動した従業員はFacebookでその絵とともに、「台湾を 好きになってくれてありがとうございます。漫画に詳しくないが、宿泊先として選んでいただいて、そして素晴らしい絵を残してくれてありがとうございます」 と感謝の言葉を投稿した。参照記事

第90回アカデミー賞で日本人がメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しました。名前:辻一弘(つじかずひろ)、生年月日:1969年5月25日、年齢:48歳、独身、出身:京都府、京都市、高校:京都府立平安高等学校、職業:特殊メイクアーティスト
辻一弘氏が特殊メイクアーティストを夢見たきっかけとなたのが映画「スターウォーズ」。初めて見たとき衝撃を受けたそうです。中学生ですでに8mm映画やミニチュアを制作することに成功しており、高校3年生の時にアメリカの映画雑誌「ファンゴリアFANGORIA」で、特殊メイクの天才と呼ばれるディック・スミス氏の存在をることに。そしてこの時こう思ったそうです、『自分のやりたいことはこれだ!』ここから辻一弘氏の特殊メイクへの興味が一気に高まるのです。

独学で特殊メイクの勉強を開始しますが行き詰まりを見せてきた時、洋書で情報を集めていると、奇跡的に『ディック・スミス(Dick Smith 本名:Richard Emerson Smith 1922年6月26日 - 2014年7月30日 享年92歳)』:写真左、 の住所を知ることに!早速、特殊メイクに関する勉強方法を教えて欲しいと手紙を送ります。するとそれに対する回答があったのです。このやり取りは約7カ月間続き、辻一弘氏の特殊メイクに対する熱い思いが、ディック・スミス氏の心に届きます。そしてその後、ホラー映画「スウィートホーム」の監修で来日したディック・スミス氏の推薦でスタッフとして働くことになり、その後兄弟子のリック・ベイカーの工房“シノべーション・スタジオ”に所属し、大ヒットした作品「メン・イン・ブラック」や「猿の惑星」の特殊メイクも担当した。
その後は日本人の特殊メイクの第一人者と呼ばれている江川悦子氏が代表取締役を務める「メイクアップディメンションズ」に所属します。
独立後、黒沢明監督(七人の侍、乱、用心棒)の「8月の狂詩曲」など数々の日本映画の制作に携わり、さらに代々木アニメーション学院の特殊メイク講師を経験します。
1996年に単身27歳で渡米。渡米の理由は、特殊メイク界でアカデミー賞を7回受賞した重鎮リック・ベーカーRick" Baker氏にスポンサーされたからでした。10年以上の間、ベー
カー氏と
タッグを組んで数々のハリウッド大作に関わることになり、以下が主な作品
バットマン&ロビン、ディアボロス、悪魔の扉、猿人ジョー・ヤング、ライフ、ワイルド・ワイルド・ウェスト、ナッティー・プロフェッサー、グリンチ、猿の惑星、メン・イン・ブラック2:写真上、ザ・リング、ホーンテッドマンション、ヘルボーイ、ザ・リング2、もしも昨日が選べたら、マッド ファット ワイフ
また、日本で活躍した頃から手がけた年代別の主な作品は以下のようになります(一部上と重複します。)
スウィートホーム(1989)、八月の狂詩曲(1991)、ミンボーの女(1992)、Critical Care(1997)、エディ&マーティンの逃走人生 Life(1999)、ワイルド・ワイルド・ウエスト Wild Wild West(1999)、グリンチ How the Grinch Stole Christmas(2000)、PLANET OF THE APES/猿の惑星 Planet of the Apes(2001)、メン・イン・ブラック2 Men in Black II (2002)、ザ・リング The Ring(2002)、ホーンテッドマンション The Haunted Mansion(2003)、ヘルボーイ Hellboy(2003)、ザ・リング2 The Ring Two(2005)、もしも昨日が選べたら Click(2006)、マッド・ファット・ワイフ Norbit (2007)、チャックとラリー おかしな偽装結婚!? I Now Pronounce You Chuck & Larry(2007)、魔法にかけられて Enchanted(2007)、トロピック・サンダー/史上最低の作戦 Tropic Thunder (2008)、ベンジャミン・バトン 数奇な人生 The Curious Case of Benjamin Button (2008)、天使と悪魔 Angels & Demons (2009)、G.I.ジョー G.I. Joe: The Rise of Cobra (2009)、ソルト Salt (2010)、LOOPER/ルーパー “Looper” (2012)、ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男 “Darkest Hour” (2017)
、、そして、2017年に「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男 」で第90回アカデミー賞で賞を受けますが、辻氏はそれまでにも各種の賞に幾度かノミネートされていました。アカデミー賞を受けるまでの流れが以下です。

2007年頃に辻氏は『KTS Effects, Inc. 社』を創立します。実は「指示通りの仕事をする事」や「“金がすべて”という映画界の考え」に嫌気をさし2011年に、映画界から特殊メイク業を退き、その後は現代芸術家に転身していました。上の写真が、超リアルな辻氏の作品。

しかしある人物からのオファーで映画界に戻ってきます。その人物が2017年公開映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男 “Darkest Hour”」で主演をしたゲイリー・オールドマンで、彼が『辻一弘氏がメイクを担当しないのなら引き受けられない』と直々に指名したのです。そして特殊メイクを担当し、第90回アカデミー賞で3度目のノミネートされ、ついにメイク・ヘアスタイリング賞を受賞したのです。
ちなみにこちらのメイクに要する時間は3時間・・・。辻一弘氏は成功の秘訣についてこんなことを語っています。「人とは異なる手法で、自分なりのこだわりを追い求めること。自分は何が何でもこれがやりたい!という情熱を持続させること」 参照記事 参照記事
メイクの世界にもCGなどコンピューターが入って来ているが、電脳は感性や情緒を表現できない。そして、映画の一面が、からくりで驚きを伝える技である以上、映画もメイクも残っていくだろう。映画は何時までも、人生の風情(ふぜい)やからくりを見せ続けてほしい。
