コロンビアColombiaのヒットマン Sicario
英国のTelegraph紙を見ていると Ioan Grillo (右)のレポートがあった。メキシコの犯罪を調べると良くお目にかかるフリーランサーの記者で、現在ラテンアメリカの麻薬犯罪について執筆中で、その中に書かれるだろう コロンビアColombiaのヒットマン(暗殺者)とのインタビュー記事が興味を引いた。コロンビアの麻薬犯罪の内情については非常に情報が少ない。理由の一つに、メキシコと同じくジャーナリストの多くが真相を書けば暗殺されるからで、Grillo記者がメキシコで長く活躍している事さえ不思議で、こういう本を書くと作家が誘拐されて居場所を白状させるのに拷問される事がある。内容は非常に珍しい貴重な現役のヒットマンの告白で、 本は来年出版予定。毎年南米から日本への麻薬流入が増えている。もっと日本のマスコミは実情を報道すべきだろう、 以下はその記事の抄訳 文中一部加筆あり 参考記事 29 Apr 2010 Telegraph
そこは中産階級が住むコロンビアのメデジン市city of Medellin, Colombiaの一部屋で、質素な家具しかないが整頓されていた。24歳になる通称グスタボGustavoはいかに今の仕事で稼ぐのが好きか語る。お洒落なデザイナーブランドの服と日本製のオートバイ、サッカー観戦が好みでケーブルTVも契約している。彼の将来の夢は、殺人担当の刑事になることだという。
この希望は非常に奇妙で、なぜなら彼はコロンビアでも有名な麻薬密売組織で暗殺者として仕える身の上だから、。ここでは彼のような麻薬カルテルのプロの暗殺者を sicario(シカリオ=ヒットマン)と呼ぶ。彼に会うまでは男臭い人物を想像していたが、彼は細身で華奢な体つきで青年っぽい顔つきに猫背で、威圧するようなタイプとは程遠い。話すと実に親しみがあって、思わず彼が多くの殺人を犯し、現役の殺し屋だという事を忘れそうになった。(写真 本人 Gustavo)
80年代、この地では左翼共産ゲリラと右翼政権が抗争していたが、今はそのような思想的な対立は影を潜め、この国で生産される莫大な価値を産むコカイン、マリファナをめぐる対立抗争が激化している。メキシコでは過去3年に18000人が殺され、ガテマラGuatemalaでは2009年だけで6000人が殺されている。コロンビアの伝説の麻薬王パブロ・エスコバルPablo Escobarがいた90年代の人口300万人のメデジン市は当時世界で最も危険な都市といわれ、麻薬王が1993年警察に射殺され、一旦犯罪は沈静したが、最近は去年だけで2899人が殺されている。米国、欧州、特に英国へのコカインルートの争奪で、ギャングの死体は急増した。そこで活躍する暗殺者の実態とはどういうものなのか?
暗殺者の多くはすでに抗争で死亡し、あるものは多くを知っているがゆえに口封じで所属するファミリーに消される。現役の暗殺者と会うのは非常に困難で、犯罪者、警官、軍人、ギャングやこの地で長く取材するドイツ人カメラマンらの協力で現役のSicario グスタボに会うことが出来た。インタビューに当たっては一切彼についての情報を、長年麻薬組織と激闘するコロンビア国家警察や他に漏らさないことを約束した。
彼、グスタボは1985年、メデジン市の山肌に点在するスラム街に生まれた典型的な貧民層の出身で、子供の頃は、麻薬取引で巨大な富を築き貧民層に金や物をばら蒔くエスコバル(ブログ: 伝説の麻薬王 札束燃やして料理!!)(右)が憧れだった。多くの若者が組織で仕事をし、それが唯一貧民外を抜け出る手段でもあった。当時エスコバルは、警官を殺した若者に警官一人に付き2000ドルを手渡した。1993年12月、政府との4年の抗争の末にエスコバルが警察に射殺されたとき、コロンビアの麻薬組織はEnvigado郊外の地下駐車場に集結し、その後の分け前の分配やマージンの取り決め、縄張り地区(barrio)の確認を行い、これは Office of Envigado(エンビガードの集会)と呼ばれている。これを主に取り仕切ったのが Diego Murillo や alias Don Berna と言う大ボス達で、この取り決めがその後の暗殺者が暗躍する殺戮抗争の原因にもなっている。エスコバル亡き後もこの麻薬組織は米国のマフィアに倣って Mdellin Cartel(メデジンカルテル:拠点はメデジン市)と呼ばれ今に続いている。
グスタボはこの頃通りでチンピラ連中と遊ぶようになり、13歳のときマリファナを吸っているのを父親に見つかり家から放り出される。友人宅や通りで過ごす内にマフィアの世界に足を踏み入れる事になる。メデジンギャングは麻薬密輸のほかにゆすりや自動車の窃盗を行っていて、グスタボの最初の仕事はかの麻薬王の駆け出しのときと同じバイクや自動車のドロボーだった。一種の才能が在ったようで、彼はそれを楽しみながら腕を上げた。これで高額な収入を得ながら彼は自力で学校にも通い、ボスにも認められて高額な報酬をえれるコカインの配達も任されるようになる。しかし、彼は自らコカインには手を出さず、現在ももっぱらマリファナを常用している。
この頃彼は大ボスの一人Don Bernaと会う機会得て、大ボスの人柄に引かれメデジンカルテルの世界に入っていく。この頃Don Bernaは麻薬組織のボスでありながら右翼系私兵組織を持っていて、当時左翼共産ゲリラに手を焼いていたコロンビア政府の了解の下、反共産主義を名目に私兵による武力闘争も取り仕切っていた。しかし、実際の目的はコカイン生産地を拠点にする左翼共産ゲリラ:コロンビア革命軍FARCが、軍資金調達の為にコカインの直接密輸に興味を示したためで、実際はDon Bernaにとってはどこまでもコカインルート確保の為の闘争だった。その後コロンビア政府は、この組織を共産ゲリラ抗争に使いまわした後で、麻薬密輸の罪で米国にこの大ボスを引き渡してしまう。このことで、ボスを慕っていたグスタボは後に相当憤慨したようだ。
信頼を得た18歳のとき、マフィア組織は彼に暗殺者の道を用意する。当然報酬も高くなる。メデジンの暗殺者はメキシコのヒットマンのように、大型車で襲撃し自動小銃を乱射したりはせず、二人乗りオートバイにピストルを持って襲撃し、相手を妨害するための車両が止めた車にバイクで近寄り、相手の右側から頭と心臓を狙って数発で射殺する。通行人や住民に危害が及ばないための配慮だと言う。これら的確な殺し方は先輩の暗殺者に教えてもらった。
すぐに殺人は10人、20人と増え、時期に彼は人数は数えなくなった。「犠牲者の事は考えないのか」と聞いてみると「自分の仕事をすることだけに集中している。」と答え、すでに彼にとって殺人は日常的なことになっている。さらに「仕事前にはうまくいくように神に祈る。5感が鈍らないように仕事前は麻薬も酒もやらない。帰ったら少しお酒を飲んで音楽を聴いてリラックスする」「相手が誰かも知らないし聞きもしない。違うメンバーが選んで、暗殺にいいタイミングになったら暗殺者が呼ばれるんだ。」そして連絡ではこう言われるという。「あの娘(little girl)の用意が出きた。うまく殺ってくれ、、そして写真が渡される。それで仕事に出かけるんだ」
麻薬組織と密売者の関係が平和なときは、暗殺の対象は組織を妨害する者や、コカインを盗んだり横取りした連中だった。2008年、大ボス(supreme leader)のDon Bernaがコロンビア政府の陰謀でアメリカに引き渡された後は主導権争いで分裂した組織間との抗争が激化し、グスタボへの指令は他組織の暗殺者を暗殺しろ言うものに変わった。毎日処刑や銃殺が20件以上発生し、市内は大きく2~3つの縄張りに別れてしまい、今は危険すぎて街にも出れない。グスタボの固定の報酬は月に5万円ほどだが、1件の暗殺に15万から45万円ほどの別報酬がある。彼は自分は賃貸に住みながら、スラム街に住んでいた親には郊外に家を買い与えたという。彼の兄もマフィアに入っているが、兄は下の弟の学費を負担し、弟は今私学に通っている。彼には今数人のガールフレンドはいるが、寄ってくるのはギャングの金目当てだと知っているから結婚する気は今のところないようだ。ダンスが好きで踊りに出るが、本当は自宅でのダンスパーティーが安心できると言う彼。何時もどこかで自分の暗殺されるのを感じているのだろう。ダンスに出かけても麻薬はやらない、危険だから。
暗殺家業も決して楽ではない。多くを知っている彼を、ボスは手放さないだろう。つまり退職はない。対抗組織に殺される危険も常にある。唯一の回避方法は、ある日、誰にも何も言わずに消える事だ(自殺の意味か?)。彼は十分自分の身に危険が降りかかる可能性を知っているが、気に止めないようにしてるという。「殺されるかもしれないから、常に集中して気を張っている必要はあるが、何時もそんな状態ではいられないからね。誰でも最後は死ぬんだし、、。」
*スラムでの隠語:pistols ピストル(irons鉄、硬いもの), riflesライフル (guitarsギター), cocaineコカイン (parrotオーム、恐らく白いから) murder victims殺す相手 (little girls女の子).