2008/09/23

なぜか今、福沢諭吉を想う

yukiti 食生活に旺盛な中国人が悲鳴を上げている。「何を信じて食べればいいのか!」と、、。中国の自然環境は経済優先で劣悪になり、土地の値上がりもひどい、、。こんな不満が共産党は国民を守れないという大きな政治的不満につながっていく。とうとう日本から牛乳を輸出するという。前に米が輸出されていたが、これは中国では高級贈答品の色合いが強かったが、今回の牛乳は高くても安全なものという要望からだろう。極端なモラルの低下は、国の発展にバランスを欠いた結果といえる。中国ではいまだにまともに義務教育も浸透していない。その原因のひとつが教育予算を地方の役人が交際費などに流用するからだというからあきれてしまう。

韓国も経済優先で、国民のモラルの低下がひどい状態で、国内では犯罪の増加、国外では政府が国のブランドをつくり直そうと号令をかけるほど劣等民族扱いされている。これもバランスを欠いた発展の結果だろう。

日本が優秀などという気は無い。政治を見ればまったくの劣等国と個人的には思っている。麻生氏あたりが首相になれる国であることが悲しい。彼の言っていることの何一つでさえ胸を打たない。言葉も中身も薄っぺらい、人間性までそう見えてしまう。

100年以上も前に福沢諭吉が「脱亜論」という、一見かなり極端な意見を述べている。彼いわく、当時の中国も韓国も政府や民衆は古い因習にとらわれ、無能で劣悪だから仲間にはしないで、日本は独自に欧米化し、先進国を目指そうというものだった。非常に差別的な言い方だが、福沢諭吉なりに研究した結果行き着いた考えだったのだろう。こんな考えが、無知な彼らを放っておくと攻撃的な植民地主義の欧米に取り込まれてすべてを失うから、アジアを守るためには日本が占領してやったほうがいいという「征韓論」につながっていった。そして日清戦争に突入していった。

最近の中国や韓国を見ていると、極端と思っていた福沢諭吉の言い方が理解できるような気がする。中国あたりが評判を落とせば、同じアジアの日本まで低く見られてしまう。アジアの工業製品のレベルを押しあげたのは日本だと言ってもいいだろう。それに相乗りして韓国あたりものし上がってきた。ここにきて日本の足をひぱってもらっても困るのだ。別に「脱亜論」を言うつもりは無い。ここは日本が多少おせっかいでも指導的な立場で引っ張って行かねばならないと思うのだ。そう思いながら昨今の日本の政治家を見ると、この程度の政治家ではだめなのだ。欧米は経済的にも軍事的にもがっちりとスクラムを組んでいる。アジアだけがいまだにばらばらで100年前と大して変わらない。

牧師であり東洋学者だったウィリアム・グリフィス(William Elliot Griffis, 1843~1928) が『隠者の国・朝鮮』の中で、朝鮮にはサムライがいない。日本にあって朝鮮に欠けているものは、心身ともによく鍛えられ、兵士であると同時に学者であり、忠誠心と愛国心と自己犠牲の高い理想をかかげる文化的集団である。、、。と書いたが、今の日本にもサムライがいない。アジアや世界の将来を見据えた政治家が必要だ。

  写真は福沢諭吉:ふくざわ-ゆきち (1834-1901) 思想家・教育家。慶応義塾の創立者。豊前中津藩士。大坂の緒方塾で蘭学を学んだのち、江戸に蘭学塾を開き、また英学を独習。幕府の使節に随行し三度欧米に渡り、1860年(万延1年)サンフランシスコでアイスクリームを食べ、1870年(明治3年)には日本人に牛乳の飲用を啓もうしている。1868年(明治1年)塾を慶応義塾と命名。1873年(明治6年)明六社の創立に参加。1882年(明治15年)「時事新報」を創刊。個人および国家の独立自尊、社会の実利実益の尊重を主張した。著「西洋事情:1866年(慶応2年)この中でチーズのことを乾牛酪と訳す」「学問ノススメ」「文明論之概略」など。

 



nappi11 at 03:55│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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