石器群集合2023年年6月27日の官報号外第134号の告示により、遠軽町所蔵の重要文化財「北海道白滝遺跡群出土品」が国宝に指定された。国宝に指定されたのは、遠軽町の北海道白滝遺跡群から出土した、後期旧石器時代(約3万年~1万5千年前)の石器など1965点。日本の旧石器時代の石器製作の変遷や各種石器の組み合わせを良く示す資料として、歴史的価値が改めて評価された。旧石器時代の資料としては初の国宝で、北海道では函館市の「中空土偶」に次ぐ二例目

FireShot Webpage Screenshot #876 - '白滝遺跡群・黒曜石の石器類、旧石器日本最大級の黒曜石原産地・赤石山の山麓に位置する白滝遺跡群からの出土品で、1995年から2011年まで行われた発掘調査で旧石器時代を主体とするおよそ700万点、重量13トンもの遺物が出土した。このうち主要な遺跡(奥白滝1・服部台2・上白滝2・上白滝5・上白滝7・上白滝8遺跡)から出土したものは、2011年に重要文化財に指定された。これらは国内の旧石器時代遺跡出土遺物の中でも内容・質量ともに群を抜いており、世界的にも貴重な出土品。遠軽町内では7月3日から世界19か国から研究者が集まる国際黒曜石会議も開催予定。参照記事 記録映像
06bb5eef、、、、この加工技術はシベリアを経由してきたと判明している。北海道の旧石器文化のはじめごろは、本州とほぼ同じ石器が使われていた。2万年〜1万2千年前になると、シベリアからサハリンを通って、大陸の影響を受けた細石刃(さいせきじん)という石器が広がる。細石刃は、石を細く打ち砕き、カミソリの刃のように鋭く尖らせた石器で、この細石刃が大量につくられた加工場の跡が、北海道北東部にある遠軽町白滝遺跡群。この細石刃技法は、東北アジア一帯に分布し、白滝産の黒曜石は遠く離れた大陸からも発見されている。参考記事:中国からアメリカと日本へ、氷河期時代の人類移動の証拠を発見

wakaba.sekki_-340x227他に北海道では、2001・02年に道道改良工事の際、帯広市西16条南6丁目周辺で旧石器時代の石器約9700点と、縄文時代前期〜中期の土器など約56000点、住居跡などが見つかっている。黒曜石で作られた石器は放射性炭素年代測定から約3万年前のものとわかり、今のところ北海道で最古のものとされている。

旧石器時代に続く縄文文化の最大の特徴は、「土器」が発明されたことで、土器を使うことで食べものの調理や食料の貯蔵をし、生活が大きく安定した。青森県の大平山元Ⅰ遺跡で出土した土器が、日本で最も古いもので、この時期は1万6千年前ころで縄文文化草創期と呼び、旧石器文化から縄文文化への移行期にあたる。
7-009-695x46320134111551420_sum240また、北海道で最古の土器は、帯広市にある「大正3遺跡」から出土している。これは1万3千年前ころのもので、縄文時代草創期の特徴をもち、本州から渡ってきた人々がもたらしたと考えられている。 帯広市の大正遺跡群「大正3」遺跡で発掘された約1万4000年前の縄文土器片から、海産物を煮炊きした焦げかすが見つかったと、日欧研究チームが2013年4月10日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。土器を煮炊きに使った証拠としては世界最古で、海産物は川をさかのぼったサケ・マス類の可能性があるという。世界最古の2万~1万9000年前の土器片は、中国江西省の洞窟遺跡で見つかっている。参照記事 

FireShot Webpage Screen、、、小学生のころ十勝の浦幌で過ごし、そのころ山を越えた先の畑で縄文土器を見つけ、日曜日は自転車で山を越えて稲穂の農家の許可を得て地面を掘り土器を採取する毎日だった。その中に指紋の付いた物が在り、筆者の宝物だった。意外と知らない人が多いが、北海道には弥生時代は無く、筆者が拾い集めていた土器は続縄文時代後期~擦文時代の物だったろう。比較的浅い所から見つかっていた記憶がある。 札幌では今日初めて30度を超えたが、湿度が低いので暑いとは感じなかった。明日は雨の様で、草むらのカエルもほっとするだろう。牧草地の草も全て刈り取られ、次回は秋となる。映像記事:国立科学博物館館長・篠田謙一/ノーベル賞受賞研究が明らかにした人類の起源/「日本人」の起源



nappi11 at 00:01│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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