1024px-Spread_and_evolution_of_Denisovansこれまで、図の赤いラインがアフリカを出た後の、現代人類につながる ホモ・ハイデルベルゲンシス:Homo heidelbergensis(ホモ・サピエンスの前)の移動した流れだとされている。一方、その後出現したネアンデルタール人(黄色)は欧州から東に向かったとされ、その痕跡をデニ0a64e58aソワ人(Denisovan日本人のDNAに残しており、それを研究、解析したペーボ博士はノーベル賞を受賞した。以前から、東へ向かった一団には、日本を経由して北米へ行き着いたと集団が居たと石器の形状などから推測されていた。過去ブログ:2022年10月ノーベル生理学・医学賞のスバンテ・ペーボ博士と日本人の起源:5月ラオスでデニソワ人の大臼歯発見か?
最近のDNAの研究で、中国北部の沿岸部で暮らしていた人たちは、氷期と退氷期の少なくとも2度、アメリカ大陸へ移住し、どちらの場合も、内陸の無氷回廊(最終氷期に形成された氷のない地域)ではなく、太平洋沿岸を経由してアメリカ大陸に渡ったと考えられるという。最初の移住は、2万6000年~1万9500年前の最終氷期極大期だ。この時期は氷の面積がもっとも大きかったときで、中国北部は人類にとってかなり過酷な環境だった可能性が高い。そして2回目の移住は1万9000年~1万1500年前のことだ。この時期はだんだんと暖かくなり氷の縮小が進んだとき(退氷期)で、そのためか人口が増加し、それまでの地域から別の場所へと進出するようになった可能性がある。退氷期には、同じ系統の別のグループが中国の北部沿岸から日本へと移動し、また、中国とアメリカ先住民と日本に、意外な遺伝的つながりがあることも判明している。
2392e839今回、ロシアの有名なデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、約2万年前の鹿の歯で作られたペンダントに、汗や皮膚の細胞とともに吸収された遺伝子から、この女性が旧石器時代から北ユーラシアにいた集団に属していたのではないかと考古学者たちは推測している。同じ時代の人々の記録と照合すると、およそ1万7000年前から2万4000年前にシベリアのさらに東に住んでいたふたつの集団にシーケンス(sequence:経緯)がもっとも似ており、現代の人々と比べると、遺伝物質は、アメリカ先住民ともっとも近かった。参照記事、、、、個人的に要約すると、比較的シベリアの内陸に居た行き着いたデニソワ人は、東からのネアンデルタール人と混じり、一部は現在の中国東部、沿海州へ移動。日本へ渡った彼らの一部が日本人の遺伝子にネアンデルタールの痕跡を残し、さらに一部は北米大陸まで行き着いて北米先住民のDNAに痕跡を残した。年代的にも大体符合する。これで、アジア圏から北米への人類の移動が、仮説では無く、遺伝子学的に確認された事になる。筆者が、小学生のころ、縄文土器を拾い集めながら、指紋の付いた土器や石器を手に寝ながら思っていたことが立証された。すごいことだ。この事はまた、大陸由来の石器の作り方が、東へ、東へと移動した事の説明にもなる。映像記事:定説を覆す!謎多き初期人類はデニソワ人なのか?日本人とデニソワ人
 

nappi11 at 00:01│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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