2022年10月26日  環境 自然 
『長年、「生産至上主義:production supremacy」のもと、経済成長が豊かさの実感、さらには幸福をもたらすとFireShot Webpage Screenshot #2196 -言う通念に支配されてきたが、ようやく現実がその通念を乗り越える時期に差し掛かってきたのである。』と指摘する2020年3月の論文がある。
社会に広範に存在した通念(conventioal wisdom)では無くても、一部の人がその様な通念を持ち、必要とは無関係に購買し、空腹とは無関係においしいものを求め、企業も、その媒体メディアも、その欲望を駆り立てるような手段を駆使してきたし、今も、まるでそれが幸福の分配かの様に行われ、欲望の追求は正しく、人間的だとさえ啓蒙してくる。過去にはそれが、国家による領土拡張に転嫁され、植民地主義が台頭した。
しかし、世界の領土と資源には限界があり、生産による資源の枯渇と消費は地球環境の悪化を引き起こし、多くの分野で見直しが求められている。
全てに於いて欲望を抑え、我慢すれば、企業も、そのうるおいで成り立つ国家も困窮する。しかし、ある程度はしなければならない時期に来ている。そんな相対する思惑の中で何ができるか?
企業や一人一人が、自然再生に手間や利益の還元を惜しまず、地球を人や動植物全てが少しでも住みやすくする努力が必要ではないのか?そのために、大気、河川、地下水の汚染に対策をし、樹木を増やし、それを助ける昆虫や野鳥、魚や水生動物、野生動物にまで目を向けるべきだろう。企業においては、労働組合がこの方向へ目を向けるべきだろう。そこが左翼の牙城であること自体、時代遅れである。日本の政治も、画期的には良くはならないだろう。なぜなら国政には、政界が機能集団であることを忘れた、余りにも身勝手な欲深い人間が集まり、国会が、そこに居続ける事、自身の損得にしか関心が無い人間の集団と化したからだ。日本の民主主義は底を打った。何時までも釜の底をかき回しても濁るばかりだ。焦げ付きを取り去るのが先だろう。、、さてと、嘆いていないで、目の前の排水溝の掃除と川のごみさらいに出かけるとしよう。



nappi11 at 00:01│Comments(1) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by 甲東   2022年10月26日 06:26
今朝の朝日に、処罰恐れ“役人が合理性に欠ける行為”、独裁的な中ロに共通の弊害、という記事がある。“行為”まで見た時に日本のことかと思った。
山ちゃん、頑張ったが、野党の言うことなど聞く耳持たん、は“カチコチ頭の独裁”では。まあー、次の選挙は統一自民の比例トップ。次元低いのー。知らんけど。

コメントする

名前
メール
URL
絵文字