2022年09月14日  個人 環境 自然
YemefUZl.png写真右は筆者の好きなネットに在った写真で、ネコたちの寝姿が、人工的に人が寄せ集めた結果にしろ、この写真を見ているだで好きなだけ哲学的な思考にふけることができる。
PC220606P5150042キツネの写真では、2015年の雪の中を我が家に向かってやってくる姿と、2018年5月の、少し逆光の中の春の写真が気に入っている。彼らとは慣れているので、いづれも家の周りで数メートルの距離で撮っている。
今毎日来ているキツネは、暗くなってから、人気のないときに来るタイプなので、ほとんど写真が撮れず、撮ったものも不鮮明なものしかない。以前来ていたダンディから縄張りを引き継いだキツネと思われるが、対面までは気長に慣れてくれるのを待つしかない。
PC170534PC190580もうすぐ重い一眼レフカメラ一式を担いで森に向かう。野性たちの迷惑にならないよう、なるべく遠くから観察するには、大型双眼鏡、300㎜の望遠レンズは欠かせない。探しているのはフクロウや、全く手つかずの自然の中にいる野生や昆虫たちだが、3時間歩き回って1枚もシャッターを切る事もなく帰ることもある。それでも、人工物や全く人影のない場所に居ることで、古代人が野山を歩き回っていた時代に戻ったような、自分も一匹の動物なんだという錯覚が楽しい。幾度か森の中で迷って野宿を覚悟した事もあったが、何とか無事に戻れているのはラッキーだった。過去ブログ:2017年5月キツネとの付き合いも4年目になった
9月6日から7日は旧知の知人や帰国した友人らと箱根で宿を共にし、彼らの元気な姿を見届けて深夜に北海道へ帰った。どんなにメディアが発達しても、同じ空間で過ごす事ほど貴重なことはない。森に行くのも、野性たちとそんなひと時を過ごしたいからだろう。キツネのいる場所へ行くときは、研究機関から頂いた条虫駆虫薬の入った疑似餌を持参し与えている。微力ながら「生物多様性(Biological Diversity)」に向け、何ができるか模索する毎日だ。筆者のブログは、それを壊す紛争や環境の変化やその原因、そして、それを守る人類の英知やイノベーションが大きな課題となっている。この視点から見れば、人間は何と多くの無意味な論争や紛争、無駄なものへ時間や資金を浪費している事だろう。

65a0db1fcad98e1dそんな日常を見ながら振り向けば、自分も友人らも絶滅危惧種に入りつつある今日この頃。
今は、雪が積もると中庭の餌場にやってくるキジが待ち遠しい。昨年は毎日、オス1羽、メス2羽の3羽で、連日の大雪の為よく食べた。餌代も毎年少しずつ値上がりしているのが痛い。
野生生物には餌を与えるなとの言い分もあるが、よく観察したうえで必要な場合は、それも有りであろう。根釧原野のタンチョウヅルがいい例で、湿原の開発で餌が不足してタンチョウヅルが激減した。一人の農夫が細々と続けた給餌で今は数が増え、立派な観光資源にもなっている。この事にも最初は反対もあったが、湿原を復活させることで、鳥だけでなく、多くの生態系が維持される結果を招いた。自然は放置しておくだけでは再生できないところまで破壊されている。以前在った樹木を植林し、時には野性の餌になるものを増やす努力が必要になっている。また、この分野での日本の行政は、非常に立ち遅れていると筆者は経験上感じている。過去ブログ:2018年1月雪の東京で旧友と会う

nappi11 at 00:02│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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