375px-Peter_der-Grosse_183820220610at42S_pロシアのプーチン大統領は2022年6月9日、初代ロシア皇帝*ピョートル大帝( ピョートル1世:Pyotr I Alekseevich・1672~1725)が18世紀にスウェーデンとの戦争を制し領土を拡大した歴史を引き合いに「(領土を)取り戻し強化することは、われわれの責務だ」と強調し、ウクライナ侵攻を正当化した。大帝の生誕350年を記念する展覧会を訪れた際に語った。
プーチン氏は「皆さんは彼(大帝)が、スウェーデンとの戦争で何か奪ったという印象を抱いている。だが、何も取っていない。取り戻したのだ」と主張した。また、大帝が首都としたサンクトペテルブルEa7Ol2aU0AAV3rhク(Sankt-Peterburg::英・St. Petersburg・旧レニングラード)について「欧州各国は当時、ロシア領ではなくスウェーデンの一部だと考えた。しかし、そこには太古の昔からスラブ人も住んでいた」と述べた。
 大北方戦争( Northern War1700~21年)でスウェーデンを破ったロシアは、バルト海地域での覇権を確立し、欧州で重要な地位を占めるようになったが、2022年の今、プーチン・ロシアはウクライナ侵攻で西側との関係が悪化する中、ピョートル大帝の業績として領土拡大を強調している。参照記事
*ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保。また黒海海域をロシアの影響下におくことを目標とした。これらを達成するために治世の半ばを大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、海軍創設を断行。さらに貴族に国家奉仕の義務を負わせ、正教会を国家の管理下におき、帝国における全勢力を皇帝のもとに一元化した。1721年11月2日には大北方戦争の勝利を記念し、元老院にインペラートルの称号を贈らせ、国家名称をロシア帝国(Russian Empire)に昇格させた。ロシアを東方の辺境国家から脱皮させたその功績は大きく、「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも評される。参照記事 参照記事FireShot Webpage Screenshot #1569 - '日露戦争'、、、、、すでに3万人以上のロシア兵が死んでいるとされる最中に、個人的な主観で都合よくロシア帝国を持ち出してウクライナ戦争の正当性を語るプーチンの頭にある地図が左上だとすれば、当然フィンランドもウクライナも、ポーランド、バルト3国もプーチンの頭に存在しないだろう。毛沢東に夢馳せる中国と、ロシア帝国を語るのが同時に存在する21世紀はどうなるのか?
日露戦争は1904年2月から1905年9月まで、大日本帝国と南下政策を行うロシア帝国との間で行われた戦争だった。日本は戦いを有利に進め、アメリカの仲介で講和しポーツマス条約を結んだ。その結果、南樺太は日本領となり、ロシアの租借地があった満州は日本が租借権を得た。、、、こんな事を、調べてみたくなる世界情勢だ。ウクライナは、例え停戦しても、すぐにロシアが戦闘を再開するのが目に見ているので、徹底抗戦し勝利を目指すと述べている。米国からロシアの侵攻が近いと警告されても信用せづに交渉にこだわったゼレンスキー大統領、また騙されるわけにはいかないだろう。穀物輸出が出来ないのは、黒海のウクライナの機雷が問題だとうそぶくプーチンだが、ロシア海軍が敷設(ふせつ)したものもあると言われている。過去の欧州が戦国時代の歴史を勝手な解釈で笑みを浮かべながら開陳し、多くが血を流し、路頭に迷い、世界は混乱し飢餓に直面している事など気にもしていないそぶりだ。世界の怒りはもっともなのだ。
480px-Yalta_summit_1945_with_Churchill,_Roosevelt,_Stalinただ、歴史は正しく多面的にとらえるべきで、日本で「(第二次世界大戦時)ソ連は1941年4月に『日ソ不可侵条約』を結んでいながら、侵略してきた」と今のロシアに批判的に言うのは行き過ぎとも言える。第二次世界大戦終盤の1945年2月4日から2月11日にかけて、ソビエト連邦のクリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊で、イギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領、ソ連のスターリン書記長が集まりヤルタ会談( Yalta Conference)が行われ、そこで、ソ連対日参戦と国際連合の設立について密室協議され、英米露の合意で対日戦が決定された。条約を無視したのは事実だが、この状況を掴みきれなかった日本の情報、外交戦略の失敗でもあるのだ。知っていても、当時の日本にはすでに1945年8月6日に広島で原爆投下を受けており、撃退するほどの戦力もなかったのも事実だろう。現状に、異次元の話を持ち込むのは、場合によるが、妥当ではない時もある。しかし、政治家でもない筆者の本音は、市民感情として、国際法上は相互不可侵をうたった有効期間5年の日ソ中立条約(1941年4月調印)違反で「1945年8月8日のソ連の日本への宣戦を布告は条約破りだろう」と言いたいのが本音ではある、、。それほどに、今のロシアはうぬぼれている Russia is bigheaded。当時の日ソ戦の戦死者は、ソ連側推定で日本軍8万人、ソ連軍8200人とされる。参照記事

nappi11 at 00:02│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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