



シャッケルフォード氏らは2022年5月17日付けで学術誌「Nature
Communications」に論文を発表し、この歯はデニソワ人と呼ばれる古人類の少女のものだった可能性が高いと報告した。この報告が正しいと証明されれば、謎に包まれたデニソワ人の化石としては、これまでで最南端に位置することになる。この研究はナショナル
ジオグラフィックの資金援助を受けている。
約40万年前、デニソワ人はネアンデルタール人 Neanderthalsから分岐した。ネアンデルタール人はヨーロッパに散らばり、デニソワ人は東のアジアに移動した。ネアンデルタール人の遺物はいくつも見つかっているが、デニソワ人の化石はなかなか発見されない。これまでにデニソワ人のものと確認された骨と歯はわずかしかなく、すべてシベリアとチベットの2カ所で発掘されたものだ。 しかし、科学者たちの間では長年、デニソワ人はもっと南に到達したのではないかと考えられていた。デニソワ人は初期の現生人類と出会うたびに交雑したようで、その遺伝的な痕跡がアジア系の現代人のほとんどに見られる。
このたびのラオスでの発見は、極寒の山地や高原から蒸し暑い東南アジアの低地まで、デニソワ人が驚くほど多彩な環境に暮らしていたことを明らかにし、デニソワ人がかつてアジア全域で暮らし、
最近の遺伝子研究は、デニソワ人が、ホモサピエンス到来のはるか前にフィリピンに住んでいた可能性も指摘している。特にフィリピンの民族「アイタ・マグブコン」左 は、デニソワ人由来のDNAの割合が確認されている中で最も高いという。
右の系譜図では、デニソワ人、ホモサピエンス(現生人類)、ホモエレクトス(原人)の存在が重なった時期が在り、その内、デニソワ人、ネアンデルタール人、現生人類、それら全てが住んでいた痕跡が確認された唯一の場所が、シベリア南部の山中にある洞窟である。参照記事 参照記事
コブラ洞窟で発見された大臼歯の咬合面の溝は現代人よりはるかに多く、ネアンデルタール人の歯によく見られる隆起がある。しかし、歯の全体的な形や内部構造は夏河の下顎と類似している。(参考記事:「ネアンデルタール人の暮らし、なんと週単位で判明」)
ラオスの歯は歯根や表面の摩耗がないことから、永久歯が生えそろう前に死んだ子どものもので、死亡時の年齢は3歳半〜8歳半だったと推測されている。古代のサイ、ブタ、サル、ウシなど、ほかの動物の遺物と一緒に洞窟に流れ込んだものと思われる。動物たちの遺物の年代などを根拠に、この大臼歯は13万1000〜16万4000年前のものと推定された。
研究チームは化石をX線でスキャンして形状を調べた後、歯のエナメル質を採取し、保存されているタンパク質を探した。繊細なDNA鎖と異なり、タンパク質はラオスの高温多湿な気候を生き抜く可能性が高い。そして、タンパク質を構成するアミノ酸が、その遺伝暗号を読み解く手がかりとなり、科学者たちが標本の身元を特定する助けになる。分析の結果、この歯はオランウータンなどの類人猿ではなく、ヒト属のものであることが判明した。また、タンパク質は女性の歯であることを示唆していた。ただし、人類の系統樹の枝を特定するのに必要なタンパク質は見つかっていない。
現在のところ、コブラ洞窟の歯がデニソワ人と結び付けられた最大の根拠は、発見場所と夏河の下顎:右 との類似性だ。ネアンデルタール人の大臼歯ともいくらか似ているが、ネアンデルタール人がラオスほど東で発見された例はない。また、これまでの遺伝子データは、デニソワ人がおそらく東南アジアに暮らしていたことを示唆し、遺伝子上の痕跡はオーストラリアのアボリジニやパプア人にまで及んでいるとされる。また、日本人はネアンデルタール人とデニソワ人両方に由来するDNAを持っている。参照記事 中国語記事 過去ブログ:2019年2月モンゴルの原人の化石の年代確定 2018年7月縄文晩期の人骨の全ゲノム解析でラオス、タイの古代人に類似と判明
しかし、今回発見された歯が下の大臼歯であるという事実は、立証をさらに難しくしている。デニソワ人とはっきり確認されている下の大臼歯は、夏河の下顎しか存在しないためだが、科学者の鼻先、あるいは、頭上にある洞窟の天井に、さらにデニソワ人が隠れている可能性がある。アジア各地で次々と発見されているヒト属の化石は、その多くが「旧人類」という曖昧なグループにひとまとめにされている。近年、これらの一部がデニソワ人、あるいは、少なくとも近縁種である可能性が研究によって指摘されている。参照記事より抜粋、編集 英文記事 英文記事