202205180000092-w500_0FireShot Webpage Screenshot #1498 - 'ウクライナと露の力士が対2022年5月17日、両者のしこ名と出身地がアナウンスされると、東京・両国国技館内は温かい拍手に包まれた。幕下上位で初のウクライナ出身力士・獅司(しし 25=入間川・本名セルギイ・ソコロフスキー)とロシア出身の狼雅(ろうが 23=二子山・本名アマルトゥブシン・アマルサナー)が対戦し、狼雅が下手投げで制した。勝負が決まると、二人に対し再び館内に大きな拍手が起こった。狼雅は2勝3敗、獅司は1勝4敗で負け越しが決まった。
獅司は、今も戦闘が続くウクライナ南部メリトポリMelitopolで生まれ、6歳からレスリングを始め、15歳で相撲に転向し、相撲のヨーロッパ選手権で優勝した。身長191cm、体重165kgの巨漢.。獅司は2021年9月場所で左手のケガの影響もあり負け越したが、それ以外の出場場所はすべて勝ち越している。親方衆が評価するのも当然だろう。獅司が活躍を続ければ、祖国の人々の励みになる。
202204100001382-w500_4ER00-4634_208ウクライナは、日本とは相撲で不思議な縁がある。幕内32回の優勝をはたした昭和の大横綱・大鵬の父親が、ウクライナ第2の都市ハリコフKharikov出身のウクライナ人で、コサック将校だったマルキャン・ボリシコという人物。ロシア革命時に日本へ亡命し、南樺太(現サハリン州)に移住して日本人女性と結婚、大鵬は同地で生まれた。 残念ながらボリシコは第2次世界大戦時中、旧ソ連軍に拘束され強制収容所へ送られてしまう。(大鵬は母親とともに、からくも北海道へ脱出)。大鵬は現役引退後、親方として父親の故郷ハリコフを訪れ『大鵬相撲大会』を開くなどウクライナとの友好関係強化に貢献。ハリコフには記念館が建てられている。参照記事

nappi11 at 00:03│Comments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by 甲東   2022年05月24日 06:32
コサック将校というのはかなり疑問。
19世紀末のウクライナ周辺では、農奴解放令による混乱、ユダヤ人の大虐殺も始まり、生きづらいだけで無く危険な状態だったのでは。新天地を求めて極東に行ったのでしょう。昔からウクライナ人も多く中央アジア、極東方面に移住している。戦前の日本人が満州に行く様な感じか。
もっとも、当時のハリコフ周辺の人がウクライナ人という意識を持っていたかは疑問。恐らく、気持ちはロシア人。ウクライナ西部は、俺たちはウクライナ人だ、と突っ張り始めていたが。一番の本拠地ガリチア地方は未だオーストリア領。
2. Posted by 甲東   2022年05月24日 11:25
4年前に獅司が鶴竜等の関取と撮った写真を見たが、関取達のごつさは数段上ですね。呆れる。

極東の住人は、我々が思う以上に日本に興味があるのでは無かろうか。交流がほぼ無いので、本当の意味での親日とは言えないが。政治将校的存在がいなくなれば、面白そうだが。バイカル湖以東(ほぼ極東連邦管区)も資源が一杯。
極東の人達は、ロシア正教徒と、無宗教の人とがとんとんの様な。

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