ロシアがウクライナに侵攻して1カ月が過ぎた。当初予想と異なりウクライナが善戦し、ロシアが苦戦して戦闘は続いている。ウクライナとロシアの戦争で再び注目を浴びる戦争がある。
「冬戦争: Winter War(フィン:Talvisota)」だ。1939年11月30日から翌1940年3月13日まで続いたフィンランドとソ連の戦争を意味する。領土の割譲を求めるソ連に弱小国であるフィンランドが拒否して起き、フィンランド軍の粘り強い抵抗にソ連軍が苦戦したという点でウクライナとロシアの戦争と非常に似ている。
戦争前に当時のソ連外相であるモロトフは「言うことを聞かなければちょっと大声を出せば良く、大声で叫んでもだめなら銃を何発か撃てば良い」と壮語した。しかし実際の戦争でソ連軍はフィンランド軍によって30万人を超える死傷者を出した。フィンランド軍の死傷者は7万人だった。
ソ連軍は戦車と戦闘機、野砲を備えた45万人を動員したが、フィンランド軍は小銃でどうにか武装した30万人がすべてだったのにだ。フィンランド軍はすばやくソ連軍部隊を粉砕し撃破した。さらにフィンランド軍はスキーと射撃に長けた戦士だった。
ソ連軍で有能な将校団は大粛清:Great Purges(フィン:Suuren Puhdistuksen)で消え、話にならない上部の指示に機械的に従う指揮官だけが残った。その上圧倒的な戦力差で戦争は早期に片が付くと考えた末に補給品は10日分も準備しなかった。(スターリンの大粛清による迫害で2000万人が死亡したと言われ、そのうちフィンランド人の死亡犠牲者、または行方不明者は8000~25000人と推定され、フィンランドでは今も負の文化遺産として調査が行われている。参照記事:Stalinin vainoihin joutuneiden suomalaisten kokemuksia tallennetaan osaksi suomalaista kulttuuriperintöä スターリンによって迫害されたフィン人の経験は、フィン人の文化遺産として記録(収集)され続けている)
フィンランド国民の抵抗の意志も強かった。ソ連軍の爆撃機がフィンランドの都市に無差別で爆弾を浴びせているのに対してモロトフ外相:ヴャチェスラフ・モロトフ Vyacheslav Molotov はラジオで「われわれはフィンランド人民にパンを空輸している」と嘘をついた。するとフィンランド国民はソ連軍の爆弾を「モロトフのパンかご」と皮肉り、ソ連軍の戦車に投げる火炎瓶を「パン代金の代わりのカクテル」と呼んだ。
こうして出てきたのが「モロトフカクテル:Molotov Cocktail(フィン: polttopullo)」だ。今回のロシア侵攻の際、ウクライナ政府も国民にロシア軍の戦車に対抗できるモロトフカクテルを作るよう促している。写真は、火炎瓶を身に着けた、当時のフィンランド兵。
ソ連軍は後に心機一転しフィンランド軍に消耗戦を仕掛けた。手に余ったフィンランドは休戦条約に署名した。当時フィンランドは現在のウクライナとは違い外部からの支援をほとんど受けられなかったためだった。
国境沿いの領土を明け渡した(左赤い部分)が、ほとんどはソ連に吸収されたりソ連の衛星国にもならずに独立を維持した。
その後フィンランドは中立国の地位を選択し、資本主義市場経済を発展させ、ソ連(ロシア)との関係を(意図的に)深めた。また、フィンランド軍はソ連製兵器で武装し、ソ連に反対する放送・図書・映画を独自に検閲するなどソ連の顔色をうかがった。いわゆる「フィンランド化:Finlandization(フィン語;Suomalaistaminen)」だ(今は兵器を他国からも輸入している。 過去ブログ:2021年1月フィンランドで予備役兵用に韓国製自動ライフル採用と日本 2017年3月フィンランドが自走砲48台を韓国から購入)。
フランスのマクロン大統領がウクライナ戦争開始前にロシアのプーチン大統領にウクライナのフィンランド化を代案として提示したことがある。ところが今、フィンランドもウクライナとロシアの戦争後に北大西洋条約機構(NATO)に加盟しようという世論が激しいという。
フィンランドとソ連の戦争とウクライナとロシアの戦争の類似性は*「歴史は繰り返す:History will repeat itself」という格言を思い出させる。参照記事 *マルクス(Karl Heinrich Marx)の「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は茶番劇として。History repeats itself, first as tragedy, second as farce」からとされる。参考映像(日本語):ロシアが恐れた“白い死神” 「ロシアに屈しなかった国の論理」
、、、世界の大きな問題は、戦争、麻薬、環境問題で、それらが経済に大きな影響を及ぼしている。それが筆者の追うテーマでもあるが、残念なことに、G7先進7カ国だけ見ても、それらから、かろうじて距離を取れているのは日本くらいで、この3つの問題を抱える大国が米、中、露である。混迷する世界の状況を解くためにも、若い人にはもっと、近代史や現状だけでも知ってもらいたい気がする。過去ブログ:2022年3月プーチンには良い出口がない。それが本当に怖い・ニューヨーク・タイムズ紙
フィンランドと日本との関係には、日本が送り込んだ福岡出身の明石元次郎大佐というスパイが関係し、フィンランドの独立運動家カストレンやシリヤクス、マンネルヘイムらと交流があり、資金支援したのも事実だ。筆者はフィンランドに住んでいた当時に知ったが、最初は嘘かと思ったほど意外な事実だった。明石大佐の活動は広範囲で、ロシアの反政府組織ともつながり、当時帝国のロシアに、人民政府樹立も画策していたと記録されている。 参照記事 参照記事 参照記事
ロシアの支配からのフィンランドの独立運動は日本が1904年日露戦争でロシアを破ったことなどから高まりを見せ、1917年にロシア革命によりロシア帝政が倒されると、内戦を経て1917年12月6日に、フィンランドの立憲君主制国家としてのロシア帝国からの独立と、完全自治を宣言した。
「カストレンの個室に入った明石は驚いた。明治天皇の肖像が 掲げられている。明石が理由を聞くと、こう答えた。われわれフィンランド人は、この皇帝を尊敬しています。東洋の一島国日本をして、巨大な清国を圧倒せしめ、日本 の近代化を実現し、世界の一流国に仕立て上げました。かつわれわれの宿敵であるロシアと戦うまでに国力をつけてきたのです。」という話も伝わっている。参照記事
「冬戦争: Winter War(フィン:Talvisota)」だ。1939年11月30日から翌1940年3月13日まで続いたフィンランドとソ連の戦争を意味する。領土の割譲を求めるソ連に弱小国であるフィンランドが拒否して起き、フィンランド軍の粘り強い抵抗にソ連軍が苦戦したという点でウクライナとロシアの戦争と非常に似ている。
戦争前に当時のソ連外相であるモロトフは「言うことを聞かなければちょっと大声を出せば良く、大声で叫んでもだめなら銃を何発か撃てば良い」と壮語した。しかし実際の戦争でソ連軍はフィンランド軍によって30万人を超える死傷者を出した。フィンランド軍の死傷者は7万人だった。
ソ連軍は戦車と戦闘機、野砲を備えた45万人を動員したが、フィンランド軍は小銃でどうにか武装した30万人がすべてだったのにだ。フィンランド軍はすばやくソ連軍部隊を粉砕し撃破した。さらにフィンランド軍はスキーと射撃に長けた戦士だった。
ソ連軍で有能な将校団は大粛清:Great Purges(フィン:Suuren Puhdistuksen)で消え、話にならない上部の指示に機械的に従う指揮官だけが残った。その上圧倒的な戦力差で戦争は早期に片が付くと考えた末に補給品は10日分も準備しなかった。(スターリンの大粛清による迫害で2000万人が死亡したと言われ、そのうちフィンランド人の死亡犠牲者、または行方不明者は8000~25000人と推定され、フィンランドでは今も負の文化遺産として調査が行われている。参照記事:Stalinin vainoihin joutuneiden suomalaisten kokemuksia tallennetaan osaksi suomalaista kulttuuriperintöä スターリンによって迫害されたフィン人の経験は、フィン人の文化遺産として記録(収集)され続けている)
フィンランド国民の抵抗の意志も強かった。ソ連軍の爆撃機がフィンランドの都市に無差別で爆弾を浴びせているのに対してモロトフ外相:ヴャチェスラフ・モロトフ Vyacheslav Molotov はラジオで「われわれはフィンランド人民にパンを空輸している」と嘘をついた。するとフィンランド国民はソ連軍の爆弾を「モロトフのパンかご」と皮肉り、ソ連軍の戦車に投げる火炎瓶を「パン代金の代わりのカクテル」と呼んだ。
こうして出てきたのが「モロトフカクテル:Molotov Cocktail(フィン: polttopullo)」だ。今回のロシア侵攻の際、ウクライナ政府も国民にロシア軍の戦車に対抗できるモロトフカクテルを作るよう促している。写真は、火炎瓶を身に着けた、当時のフィンランド兵。
ソ連軍は後に心機一転しフィンランド軍に消耗戦を仕掛けた。手に余ったフィンランドは休戦条約に署名した。当時フィンランドは現在のウクライナとは違い外部からの支援をほとんど受けられなかったためだった。
国境沿いの領土を明け渡した(左赤い部分)が、ほとんどはソ連に吸収されたりソ連の衛星国にもならずに独立を維持した。
その後フィンランドは中立国の地位を選択し、資本主義市場経済を発展させ、ソ連(ロシア)との関係を(意図的に)深めた。また、フィンランド軍はソ連製兵器で武装し、ソ連に反対する放送・図書・映画を独自に検閲するなどソ連の顔色をうかがった。いわゆる「フィンランド化:Finlandization(フィン語;Suomalaistaminen)」だ(今は兵器を他国からも輸入している。 過去ブログ:2021年1月フィンランドで予備役兵用に韓国製自動ライフル採用と日本 2017年3月フィンランドが自走砲48台を韓国から購入)。
フランスのマクロン大統領がウクライナ戦争開始前にロシアのプーチン大統領にウクライナのフィンランド化を代案として提示したことがある。ところが今、フィンランドもウクライナとロシアの戦争後に北大西洋条約機構(NATO)に加盟しようという世論が激しいという。
フィンランドとソ連の戦争とウクライナとロシアの戦争の類似性は*「歴史は繰り返す:History will repeat itself」という格言を思い出させる。参照記事 *マルクス(Karl Heinrich Marx)の「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は茶番劇として。History repeats itself, first as tragedy, second as farce」からとされる。参考映像(日本語):ロシアが恐れた“白い死神” 「ロシアに屈しなかった国の論理」
、、、世界の大きな問題は、戦争、麻薬、環境問題で、それらが経済に大きな影響を及ぼしている。それが筆者の追うテーマでもあるが、残念なことに、G7先進7カ国だけ見ても、それらから、かろうじて距離を取れているのは日本くらいで、この3つの問題を抱える大国が米、中、露である。混迷する世界の状況を解くためにも、若い人にはもっと、近代史や現状だけでも知ってもらいたい気がする。過去ブログ:2022年3月プーチンには良い出口がない。それが本当に怖い・ニューヨーク・タイムズ紙
フィンランドと日本との関係には、日本が送り込んだ福岡出身の明石元次郎大佐というスパイが関係し、フィンランドの独立運動家カストレンやシリヤクス、マンネルヘイムらと交流があり、資金支援したのも事実だ。筆者はフィンランドに住んでいた当時に知ったが、最初は嘘かと思ったほど意外な事実だった。明石大佐の活動は広範囲で、ロシアの反政府組織ともつながり、当時帝国のロシアに、人民政府樹立も画策していたと記録されている。 参照記事 参照記事 参照記事
ロシアの支配からのフィンランドの独立運動は日本が1904年日露戦争でロシアを破ったことなどから高まりを見せ、1917年にロシア革命によりロシア帝政が倒されると、内戦を経て1917年12月6日に、フィンランドの立憲君主制国家としてのロシア帝国からの独立と、完全自治を宣言した。
「カストレンの個室に入った明石は驚いた。明治天皇の肖像が 掲げられている。明石が理由を聞くと、こう答えた。われわれフィンランド人は、この皇帝を尊敬しています。東洋の一島国日本をして、巨大な清国を圧倒せしめ、日本 の近代化を実現し、世界の一流国に仕立て上げました。かつわれわれの宿敵であるロシアと戦うまでに国力をつけてきたのです。」という話も伝わっている。参照記事
コメント
1. Posted by 甲東 2022年04月05日 19:49
明石元次郎大佐というスパイ・・・それは余りにあまりな。
2. Posted by POPPO 2022年04月06日 01:37
フィンランドが露助に奪われたカレリアは、フィンランド民族と国家発祥の地とされている。
日本ならば邪馬台国(奈良とか九州)が奪われたようなものだ。
露助は不凍港がある北海道を1853年のプチャーチン艦隊長崎来航のあたりから露骨に狙っていた。
更にさかのぼること1702年にピョートル大帝が日本人漂流民「伝兵衛」を接見し臣下に「日本語学校」設立を指示。
曰く「東の海では不凍港を手に入れて、東洋と大平洋への進出を計りたいのだ。その鍵となるのが日本であり、鎖された国日本を開国させる事なのだ。」
で、日本語学校はロシアの地に約百十年もの間存続して、日本の研究が行われた。
露助はとにかく領土に関してはしつこい!w
露助がいつ御挨拶に来ても対応出来るように、日本も抑止力の強化が緊急の課題であると,私は断定したい。
有事にメリケンが頼りになりそうもない今日この頃、ウクライナのように他国の侵攻に単独で立ち向かわなければ誰も助けてはくれそうもないと、私は確信している。
日本ならば邪馬台国(奈良とか九州)が奪われたようなものだ。
露助は不凍港がある北海道を1853年のプチャーチン艦隊長崎来航のあたりから露骨に狙っていた。
更にさかのぼること1702年にピョートル大帝が日本人漂流民「伝兵衛」を接見し臣下に「日本語学校」設立を指示。
曰く「東の海では不凍港を手に入れて、東洋と大平洋への進出を計りたいのだ。その鍵となるのが日本であり、鎖された国日本を開国させる事なのだ。」
で、日本語学校はロシアの地に約百十年もの間存続して、日本の研究が行われた。
露助はとにかく領土に関してはしつこい!w
露助がいつ御挨拶に来ても対応出来るように、日本も抑止力の強化が緊急の課題であると,私は断定したい。
有事にメリケンが頼りになりそうもない今日この頃、ウクライナのように他国の侵攻に単独で立ち向かわなければ誰も助けてはくれそうもないと、私は確信している。