


ソビエト連邦崩壊後の1991年12月、ウクライナは独立し、1994年、ウクライナはNATOの「平和のためのパートナーシップ」に加わり、ウクライナが核兵器を放棄する代わりにロシア、米国、英国がウクライナの主権を保障する内容の「ブダペスト覚書」が交わされた。 ソ連時代の民族浄化により、クリミア半島にはロシア人が大量に送り込まれ、ウクライナの中でもクリミアはロシア系住民が多くを占める為、ロシアが一方的に行った2014年の国民投票はロシア有利になり、世界中が非難する中、ロシアはクリミアを併合した。当然だが、国連を含め承認はされず、当時課された経済制裁は今も継続し、ロシア経済の6%引き下げ(主に資源輸出での減少)の効果があるとされるが、効果は薄く、この際の甘い対応がロシアを助長し、今回のウクライナ侵攻を招いたとの説があるが、個人的には、それは結果論で、根本はプーチンの飽くなきロシア(旧ソ連)の復活と権力への執着だろうと思っている。英文記事


このことで、ロシアがウクライナのクリミアタタール人の反ロシア化を警戒するような事件が起きた。


ロシア兵たちはイブラギモバの頭に鞄をかぶせて車に押し込み、しばらく運転してから、彼女を不特定の場所に連れて行って尋問した。 地元のクリミアタタール人組織であるアザド Azad, a local Crimean Tatar organisationと、地域の活動家やオピニオンリーダーの名前と住所について尋ねられたが情報提供を拒否し、彼らの行動は違法であると彼らに告げた。ここはまだウクライナであり、ロシアの法律は適用されない、と。 「拘留の目的は、イブラギモバを脅迫し、連絡先に関する情報を最大限に入手し、ロシア軍が次に標的とすべき人々や組織を特定することで、これらは、ロシアのセキュリティサービスのよく知られた方法です。」と、ワルシャワ大学のヨーロッパイスラム学部の政治学者であるNedimUseinowは、アルジャジーラに語った。英文記事


プーチンは旧ソ連圏にこだわる歴史修正主義:Historical revisionismを振り回すが、もう一歩さかのぼれば、そこには平和な農業国ウクライナが在ったのだ。この領土問題、日米欧中露、さらには北欧、東欧にも重要な将来を方向付ける問題であり、日本政府も専門部会を設けてさらに具体的な対応をすべきだ。すでに、第3者的立場で傍観できる状況ではない。 ウクライナのゼレンスキー大統領は現地時間3月12日の記者会見で、ロシアによる軍事侵攻が始まって以降「約1300人のウクライナ兵が死亡した」と明らかにした。日本にとっても、明日は我が身なのだ。参照記事
米NBCは「プーチン氏のウクライナ批判は荒唐無稽であることを前置きしておく。ウクライナのゼレンスキー大統領がユダヤ人であり、第2次大戦中に家族が迫害されたと以前に語っているし、『ナチス化』のレッテルはロシアの常とう手段だからだ。プーチンは北大西洋条約機構(NATO)をもナチス呼ばわりしたことがある」と断った上で、ウクライナとナチスとの関係について論じている。
ウクライナに民族自決運動が起こり、1917年6月23日、国際的に認められたウクライナ人民共和国が宣言され、第2次世界大戦前夜のウクライナには欧州有数のユダヤ人コミュニティーがあり、270万人のユダヤ人が住んでいた。当時のウクライナはソ連から迫害を受けており、住民の多くがソ連を憎んでいた。
1941年にナチスドイツがキエフを攻略した際には「ヒトラー万歳」の横断幕を掲げてドイツ軍を歓迎さえしたと伝えた。当時ドイツと軍事同盟を結んだ枢軸国の日本やフィンランドにも、反共、反スターリニズムの思いがあった。 Ukrainian-German Collaboration During World War II in 18 Images. Ukrainian People Greet Nazi Germans !!
その一方で、ウクライナを占領したナチスドイツは例にもれずウクライナでもほどなく反ユダヤ主義を掲げてジェノサイドを展開したと指摘。33,000 Ukrainian Jews were killed in just 48 hours in 1941
「さらに厄介なことに、もともとユダヤ人に対して特別な感情を持っていなかった反ソ連のウクライナ民族主義者たちがナチスドイツに迎合して反ユダヤ主義に傾いた」とした。
大戦後ソ連に合併されたが、その後ソビエト連邦の崩壊に伴い、1991年にウクライナは独立を果たした。現在のウクライナはすでに反ユダヤ主義の歴史に別れを告げ、現在も14万人のユダヤ人が居住し、身分上での平等が保証されていると紹介。2022年2月には反ユダヤ行為を刑事犯罪とする法律が可決されたと伝える一方で、「不幸なことに、こうした法律が制定されることは、社会に依然として反ユダヤ問題が存在することを意味する」とし、一部の過激派(右派民族派)がかつての「ウクライナの英雄」による反ユダヤ主義を模倣しようとしていると伝えた。
その上で「当然、これらの問題はウクライナの内部事情であり、プーチンがウクライナを侵攻する理由を合理化することはできない」と断じている。参照記事
最近の戦闘では、ウクライナ軍が、国内右派のアゾフ特別分遣隊(アゾフ民族主義大隊)Azov special detachmentをウクライナ南部で殲滅したとも報道された。過去ブログ:2022年3月ウクライナ軍 南部の反露ネオナチ民族派を撃破
、、、、歴史上何度も統治者が変わり、民族追放や虐殺に会い、21世紀なっても分断されかねない状況を見れば、必死に抵抗する姿に共感さえ覚える。ウクライナ問題は確かに複雑だが、それを知らずして心無い発言をする評論家諸氏は怠慢でしかない。日本も過去に、竹槍を用意し、世界で唯一核爆弾を受け、北海道は米露に分断されかねない経験をしている。ほんの少し前の話だ。その時、日ソ中立条約を無視して攻め込んできたのは今のロシアだった。日本の立場での、ウクライナ問題の見方があるはずだ。 参考:ロシアとウクライナが「こじれた」複雑すぎる経緯 歴史で紐解く「ウクライナは民族国家なのか」
コメント
元々のコサックは、時の権力者に反抗した烏合の衆の集団であり(人数的にはタタール人が一番多かったかも)、民族とは言い難い存在。タタール人の大半は後年トルコに逃げたし、コサックの主要活動範囲は東部だし。
反骨精神を受け継いだということか。反骨というと聞こえは良いが・・・
現ロシアは1億4千万人ほど。先祖がコサックだと主張する偏箇は数十万とか。
でも、EUにもNATOにも既に加入。経済が上手く行っているとは思えないが、他国に影響を及ぼす様な混乱は無い・・・何故・・・
チェコスロバキアは素人から見ると全くの同一民族。でも何か不都合があったのだろう(チェコ人がいらち過ぎか)、さっと分かれた。喧嘩はしていない。
暴れん坊のセルビアは揉めてるか・・・キーワードは暴れん坊か。
ブレジネフの出生は不明だが、パスポートにはウクライナ人と記載。少なくともウクライナ大好き。
ソ連時代の政治集団では、ウクライナ閥は大勢力だった。
歴史的にロシアを嫌っているのは西の人達。この人達はポーランドも嫌い。8年前にこの勢力が”何故か”台頭し、政治の流れが急に変わったと言う方がより正しいのでは。
今回の戦争までは、国民の大多数(60%?)は、民主主義良さそう、でも兄弟の様なロシアと喧嘩しない範囲で、という感じだったのでは。その兄弟が攻めてきた驚きは凄いはず。西の人が調子に乗らなければ良いが。
革命の初期にはこんな人も必要なのかも知れない。成就すれば、ちょいと違う人が出て来て国造りをする。しかし、成就しなかった・・・悲劇なのは、現政治屋の多くが今でもバンデラを英雄視していること。
成就していればバンデラも少し変わったか。
近隣国の経済的ダメージも大きいはず・・・
西部の人は、今突っ張らないと数十年後には東西に分裂すると感じているかも。それも一つのはずだが。
同じ頃のポーランド民族主義者が、”ウクライナ人などといった排他的な思想を持つ異民族を自国に多く抱え込むのは非常に危険である”、と言っている。主として西の人間を見ているのでしょう。
互いに殺戮を繰り返した過激な人間の発言ではあるが、結構当たっていると言わざるを得ない人間が今でもいる。
当時のポーランドは結構なウクライナ人を受け入れてもいる。主にドイツ側に移住させた。ほぼ同化。カナダ、アメリカにも多く移住した。子孫がカナダ総督になった人もいる。今回も相当数が行きっぱなしになりそう。