2022年3月12日:2月24日、ロシアがウクライナに対する軍事侵攻を開始した。ウラジーミル・プーチン大統領は、侵攻の目的について「ウクライナ政権によって虐げられてきた人々を保護すること」と述べ、その言い分は、2014年のクリミア半島併合と同じだ。それでは、クリミア併合はどうして起き、何が悪が悪かったのか?参考映像:露のスパイ30年 元CIA諜報員が語るプーチン氏(2022年3月6日) 最新映像:“戦闘激化”地下室に「手りゅう弾」・・・「人道回廊」設置も“守られぬ停戦合意”(2022年3月11日)
375px-Agência_Brasil_2011_Viktor_Yanukovich2013年11月、当時のウクライナ大統領であり、親ロシア派でもあったヴィクトル・ヤヌコーヴィチViktor Yanukovych氏が、EUとの連合協定への調印を見送った。EU加盟を願っていた市民の怒りは、これをきっかけに大規模な反政府デモへと繋がり、2014年2月の騒乱では、ヤヌコーヴィチ氏がロシアへ逃亡するまでに至る(現在もロシアに亡命中)。

v4mwofog1jjrhkoo_1646737008アメリカ合衆国の映画監督であるオリバー・ストーンOliver Stone氏は、近年の国際的な緊張についての「ロシア側の見方」を明らかにするために、2015年7月2日から2017年2月10日にかけてプーチン大統領へインタビューを行った
それまでの動きに対して、自身の見方を尋ねられたプーチン氏は、「ウクライナで何が起きていたのか、1990年代初頭からさかのぼって知りたくはないかね? そこで起きていたのはウクライナ国民からの組織的略奪さ。独立直後からウクライナではロシア以上に大々的な民営化と国家資産の横領が横行し、それが生活水準の低下につながった。ウクライナの独立直後からだ。どんな勢力が政権に就こうと、一般の人々の暮らしは一向に変わらなかった」

「当然ながら国民は、上層部の身勝手な行動やとんでもない腐敗、貧困、そして一部の人間ばかりが不法に富んでいく状況にうんざりしていた。それが人々の不満の根っこにあった。そしてどんなかたちであれEU世界に出ていくことが、1990年代から始まった悲惨な状況からの解放につながると考えた。それがウクライナでの一連の出来事を引き起こした原動力だったと私は考えている

さらにプーチン氏は、ヤヌコーヴィチ氏がEUとの政治・貿易協定に調印するのを延期したのは、ウクライナがすでに、旧ソビエト連邦の構成共和国で形成された国家連合であるCIS(独立国家共同体)自由貿易協定の加盟国だったからであるとした。CIS自由貿易協定については「ウクライナが設立を主導した」と語る。

「その結果として、またロシアとウクライナの経済が一体性を強め、両国の間に特別な経済関係が生まれたことで、両国の企業の多くは互いから独立して存在することができなくなった」

「ロシア市場はウクライナからの輸入に対して完全に開放されていた。当時も今も関税障壁はゼロだ。両国は単一のエネルギーシステムと輸送システムを共有している。両国の経済を結び付けていた要素はほかにもたくさんある」 だから、ウクライナがEUとの貿易協定に調印すれば、「EUは一切の交渉もなく、あらゆる製品をわが国の領土に持ち込めることになる」ため、ルール違反だと言うのである。

「当然われわれとしては対応をとらざるをえない。そこでこう言ったんだ。ウクライナがそのような行動をとると決めたのなら、それは彼らの選択であり、ロシアは尊重する。だからといって、われわれがその代償を払ういわれはない。なぜ今日ロシアに住んでいる人々が、ウクライナ指導部の選択のツケを払わなければならないのか」

FireShot Webpage Screenshot #1194 - 'ロシア軍、d259cfb0-sヤヌコーヴィチ元大統領のロシア亡命後は、親米派のアルセニー・ヤツェニュクが暫定的にウクライナ政権を握ることになる。その直後の2014年3月3日にロシア軍はウクライナのクリミア半島にフェリーで上陸、ロシア黒海艦隊は陸上ウクライナ部隊へ海上から砲撃すると脅しをかけた。ヤツェニュク政権に対する報復措置ともとれるタイミングだった。(この侵攻に関し)プーチン氏は次のように語っている。

「新政権が早速議論しはじめたのは、ロシア語の使用を制限する法律を作ろうという話だ。ヨーロッパ諸国がやめさせたが、社会にシグナルは送られてしまった。ロシア系住民が圧倒的多数を占めるクリミアなどは、国がどこに向かおうとしているかはっきりと認識した。この地域のウクライナ国民の多くはロシア語を母語だと考えている。クリミアの人々は新たな状況に特に恐怖を抱いた。彼らに対する直接的脅しもあった」

「クリミアの人々は国民投票に参加した。ムチやマシンガンで脅したわけじゃない。そんな方法で国民を投票所に行かせることなどできない。国民は自らの意思で投票所に来て、投票率は90%を超えていた。さらに投票した人の90%以上がロシアへの再編入を支持した。人々の選択は尊重しなければならない。そして民主主義の原則にそむき、自らの政治的利益に合わせて国際法を捻じ曲げることは許されない」、、 ロシアによるクリミア侵攻の後、クリミア自治共和国とセヴァストーポリSevastopol特別市は、ロシア連邦に編入する是非を問う違法な住民投票を実施。9割以上がロシアへの編入を支持した結果を受けて、ロシアはクリミア半島を「併合」したのである。過去ブログ:2014年3月クリミヤからロシア軍は撤収か? ウクライナ 3月ウクライナ クリミヤの過去

ストーン監督による「つまるところ、結局は力のある者が勝つという話じゃないか」という指摘に対し、プーチン氏は「アメリカの武力によるイラク侵攻についてはまさにそのとおりだ。イラクでは選挙は行われなかった。一方クリミアでは、われわれは民衆が投票所に来られる状況を整えた」と譲らない。  さらに「クリミア併合に対して、国連の非難決議はあったのか」と問われても、「いや、私の知る限りなかった」と答えるのみだった。

しかし、国連総会は2014年3月に、(国を2分する様な)「住民投票」の無効や、他国によるウクライナの国境線変更を認めないことを採択しており、それでもロシアによるクリミア半島の占領は今日まで続いている。プーチン氏はクリミア侵攻の理由を「自国民保護のため」としているが、今回のウクライナ侵攻でも、「ウクライナ政権によって虐げられ、大量虐殺に遭ってきた人々を保護すること」を目的と述べている。しかし、これをプーチン氏の真意と受け取る人は少ないだろう。参照記事  

、、、、、オリバー・ストーン監督は最近、「ウクライナでのプーチンの「侵略」は不当であり、ロシアが隣国に侵入するのは間違っていた。」発言している。英文記事 

当時のインタビュをーを読むと、かなりプーチン氏独自の思い込みがある。筆者の解釈では、ウクライナは独立後もロシアの財閥系に牛耳られて経済が低迷する中、国民はEUへ参加という活路を求めた。汚職や腐敗の渦中に在り、大豪邸を構え贅沢に浸りきっていた親露派ヤヌコーヴィチ氏は、EUへ年間150億ドルという多額な援助を要求して断られ、またEU加盟審査には、汚職や腐敗に対する厳しい内容が含まれている事で、身の保全にはロシアへ逃亡するしか無く、同氏はその後プーチン氏とクリミア半島の軍事侵攻で様子を見、「うまく行った」と判断したのだろう、次には、ウクライナ全土を目標にウクライナ侵攻に着手したという流れではないか?過去ブログ:2014年4月1991年以降のウクライナ経済 2月逮捕状の出たウクライナ大統領の公邸はフィンランド製ログハウス

多くの評論が、国連、EU,米国(当時はオバマ政権)主導のNATOがクリミア侵攻の際に、ロシアに厳重な抗議と制裁をしていれば、今回の進行は起きなかっただろうと述べている。結局は今、ウクライナを保護すると言ったロシアがウクライナ全土で空爆を行い、ロシアが虐殺に近い攻撃を連日しているのは報道で示されている通りで、当時すでに北欧、バルト3国に新たな国際緊張も生み出していた。過去ブログ: 2015年3月北欧間、バルト3国で軍事同盟強化 

c6707f3c-sまた、クリミアの国民投票結果を盾にクリミアの分離独立を正当化するロシアだが、歴史を見れば、ウクライナの旧ソビエト時代、ソビエトは戦略上、軍港、造船に於いて重要なクリミアに政策的にロシア人を多数移住させ、同時にスターリンによりウクライナ人の多くが独ソ戦でドイツに協力したとして排除、追放され(クリミア・タタール人追放(Sürgün、Surgun)」:写真右)、結果的に現在ウクライナの中でもロシア系住民が多くを占める為、2014年の国民投票はロシア有利になったといわれている。当時、追放された数万人が餓死などで亡くなり、生き残っても強制労働を強いられた。 過去ブログ:2017年2月揺れ動くトランプ政権のロシア政策、、、国連では今もロシアのクリミア併合は認めておらず、今回のウクライナ侵攻は重大な国際法違反としている。ロシアの常任理事国の在り方も問われるべきだ。参考映像:オリバー・ストーン監督のインタビューRevealing Ukraine 2019(乗っ取られたウクライナ)字幕付き1時間29分(今回のウクライナ侵攻の予言的な内容を多く含む) 映像:ウクライナ・オン・ファイヤー 2015年制作日本語字幕92分( 監督 オリバー・ストーン :クリミア併合までのウクライナを巡る矛盾や歴史的経緯について掘り下げた作品。)




nappi11 at 00:01│Comments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by うっちー   2022年03月12日 08:01
「ウクライナで何が起きていたのか、1990年代初頭からさかのぼって知りたくはないか」少なくとも過去7,8年間は紛争が続いていたんでしょうが・・・私は知らないし、日本国内のマスメディアにのみ接しているほとんどの日本人は知らないと思う。プーチンさんの頭の中を整理した動画を欧米メディアが報じるとは思えないので、ロシアが「NHKスペシャル」のような特別番組を制作してYoutubeでアップしてSNSで世界に広げておけば一方的にロシアが悪という欧米の世論は形成されなかったかもしれません。ロシアはサイバー攻撃やフェイク記事は得意でも、諸外国の世論を方向付けるほど洗練されたSNS操作やマスコミ工作はできなかったんでしょうね。
2. Posted by 甲東   2022年03月12日 09:27
国民の一体感が無いまま突然4000万人の国もどきになった。その後も一体感を醸成する文化的な運動すら無し。ロシア語排除、ロシア正教会からの離脱という過激な動きばかり。また、政治屋、一部の商売人筆頭に目先の利益ばかり求めてきた。国民の多くも(あきれて?)出稼ぎに。東西の大国がそこにつけ込む。
幸か不幸か今回のことでかなり一体感が得られたのだろう。しかし、ロシア憎しだけでは一時的な動きで終わる可能性もゼロでは無い。
バルト3国にも多くのロシア人がいる。しかし、今のところ大きな不協和音は聞こえてこない。経済が順調かどうかなどは2の次ぎ。誰か賢い人が解説してくれると良いが。

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