NHKがイスラエルとパレスチナの紛争の歴史をまとめて記事にしている。参考:イスラエルとパレスチナ 対立の歴史 保存記事としては有難いのだが、NHKの図の使い方や文章の流れ、また、ニュース記事で、です、ます体は嫌いなので、以下に加筆し編集し直した。

11日間にわたって続いた、イスラエルとパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスによる軍事衝突は停戦に向かっているが「パレスチナ問題」は何ら解決しないままだ。パレスチナ問題は、世界で最も解決が難しい紛争とも言われ、70年以上、対立が続いている。

kikan現在のイスラエルとパレスチナの地には古くから、アラブ系のパレスチナ人とユダヤ人が暮らしていたが、大きな問題に発展したのは1948年5月、ユダヤ人がイスラエルを建国してからだ。ユダヤ人はもともと、国家を持たず世界各地に離散して暮らしていたが、第2次世界大戦中の「ホロコースト」の悲劇などを経て、大勢の人が安寧を求め、自分たちの祖先の土地だとする現在のイスラエルに移り住んだ。この新建国は、この地にユダヤ人とアラブ人の国家を創るという国連の「パレスチナ分割決議(1947年採択)」に基づいたものだが、これが長い対立の歴史のきっかけになった。
content_bd473197c461193ea9b6d317f4c236910d065887イスラエルの建国に対し、エジプトやヨルダンなどアラブ諸国は「アラブ人が人口の過半数を占めていることを無視した不当な決議だ」として激しく反発して攻撃を仕掛け、パレスチナのアラブ人を中心に1948年に第1次中東戦争が勃発、しかし、この戦争はイスラエルの勝利に終わり、70万人のパレスチナ人は土地を追われることになった。パレスチナ難民が生まれた日、5月15日は、アラビア語で大惨事を意味する「ナクバの日」と呼ばれ、現在もパレスチナの人々の記憶に刻まれている。
d37d5063その後も、イスラエルとアラブ諸国の戦争が繰り返されたが、イスラエルは周辺国を圧倒する軍事力を備え、多くの土地を戦争で占領していった。特に、1967年の第3次中東戦争では、ヨルダン川西岸とガザ地区、東エルサレムなどを占領し、支配地域を4倍以上に広げた。(当時イスラエルは、右図の黄色いエルサレム市全域を占領した)

国連ではたびたび、イスラエルが戦争によって占領した土地からの撤退を求める決議が採択されたが、実行に移されることは無く、この間、パレスチナ人による民衆蜂起も起こり、特に、1987年の「第1次インティファーダ」と2000年の「第2次インティファーダ」では双方に大勢の犠牲者を出した。
アメリカや日本など国際社会は、ユダヤ人とアラブ人による「二国家共存」を支持し、和平交渉を仲介し、1993年には、アメリカとノルウェーによる仲介のもと「オスロ合意」が結ばれ、この合意によって、パレスチナ側に一定の自治が認められ、PLO=パレスチナ解放機構が暫定自治政府を設立。イスラエルが戦争によって占領していた、ヨルダン川西岸地区とガザ地区の2つの離れた地区で、暫定自治政府による段階的な自治が始まった。
2148e2222c794483アメリカの首都ワシントンで行われた調印式では、クリントン大統領が見守る中、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が握手を交わし、和平は大きく前進するかと見られたが、オスロ合意でもユダヤ教とイスラム教の双方が聖地とするエルサレムをどう扱うかや1948年の戦争で住む場所を追われたパレスチナ難民が以前の土地に戻る権利をどうするかなどは、解決すべき課題として残された。(左図の、アラブ人が多く住むイスラム地区にある神殿の丘はイスラム教徒の聖地。) 東エルサレムはイスラエルが建国したあと、パレスチナを支援する立場の隣国ヨルダンが一時的に統治していた。

5995a9e4しかし、イスラエルは第3次中東戦争で勝利したあとこの地域を占領し、東エルサレムを含めたエルサレムを「永遠で不可分の首都」と、併合を一方的に宣言し、一方、パレスチナは、今でも多くのパレスチナ人が暮らす東エルサレムを「パレスチナ国家」が誕生した際の、首都と位置づけていて、対立が続いている。また、イスラエルが70年代以降、ヨルダン川西岸や東エルサレムなどで国際法に違反して進めている入植活動も、和平に向けた障害となっている。特に、東エルサレムの扱いをどうするかは、現在でも最大の対立点となっている。
イスラエルによる東エルサレム地区へのユダヤ人の入植活動は、イスラエル主張の占領地にユダヤ人のための住宅を建設し占領を既成事実化していく動きで、パレスチナ自治区ユダヤ人を移住させる入植活動は、イスラエルのネタニヤフ政権で右派勢力が伸張する中、積極的に進められており、オスロ合意のあと、2000年にはアメリカの仲介によって、キャンプデービッド会議が開かれ、イスラエルとパレスチナは残された課題について協議したが交渉は決裂に終わり、和平交渉は、2014年を最後に開かれていない。今回の紛争は、右上図にあるシェイクジャラ地区のアラブ人へイスラエルが強制退去を決定し、ユダヤ人を入植させようとした事が紛争のきっかけとなった。国連安全保障理事会国際法違反と指摘している。過去ブログ:2021年5月イスラエルが14日未明ガザ地区へロケット1800発>21日停戦
その後、イスラエル国内で人口の20%を占めるアラブ系住民と、ユダヤ系住民で衝突も起こり、事態はいよいよ収拾がつかなくなり、停戦後もデモが発生した。過去ブログ:2021年5月半日で壊れたエルサレム停戦とアラブ人の聖地の位置 イスラエル

Jerusalem_map_Green_Line2128a8e92ガザ地区は、オスロ合意でパレスチナ側の自治が認められた地区の一つだが、パレスチナ内部の抗争を経て、2007年からここを実効支配しているのが、イスラム原理主義組織「ハマス」で、パレスチナは、アッバス議長やアラファト前議長の出身母体でもある穏健派の政治勢力「ファタハ」によって統治されてきたが、2006年のパレスチナ自治評議会の選挙でハマスが躍進し、ガザ地区ではハマスが実効支配し今に至っている。このためパレスチナは現在、ヨルダン川西岸地区をファタハなどが、ガザ地区をハマスが統治する分断された状態にあり、ハマスは以前、国家としてのイスラエルを一切認めない強硬な立場をとっていたが、現在は、1967年以前の境界線を元にパレスチナ国家を建設すべきだという方針に転換し、間接的にではあるが、イスラエルの存在を認めている。
ただ、その軍事部門は、イスラエルの宿敵イランとつながりがあり、武器の提供などを受けていると指摘され、このため、イスラエルやアメリカに加えて、EU=ヨーロッパ連合も、ハマスをテロ組織に指定している。
K10013049711_2105251121_2105251133_01_08当然イスラエルはハマスを敵視し、たびたび空爆を行ってきたほか、ハマスもイスラエル側にロケット弾を撃ち込み、攻撃の応酬が繰り返されてきた。2008年と2014年には攻撃の応酬が、イスラエル軍によるガザ地区への地上侵攻に発展。このうち、2014年の戦闘では、市民を含む2200人以上が死亡する事態となった。
_109775369_mediaitem109775368今回イスラエル軍はガザ地区での空爆について、ハマスの幹部や拠点を標的にしていると説明したが、東京23区のおよそ6割の土地に200万人ほどが暮らす、人口密度の高いガザ地区では、今回も大勢の市民が亡くなる事態となった。ネタニヤフ首相:右にとっては強硬姿勢を示し、自身の支持基盤である右派保守層をつなぎとめる狙いもあったと言われている。参照記事
images2021年6月14日:イスラエルの国会は6月13日、右派国家主義者のナフタリ・ベネット Naftali Bennett氏(49):左 が率いる新たな連立政権を承認した。これにより、12年間首相の座にあったベンヤミン・ネタニヤフ Benjamin Netanyahu氏(71)は退陣した。イスラエル首相として歴代最長で、同国政界で圧倒的な力を誇ってきたネタニヤフ氏は、右派政党リクードの党首にとどまり、野党勢力のリーダーとなる。ベネット氏は新首相に就任。連立合意により、任期は2023年9月までとなる。その後2年間は、中道派政党イエシュ・アティドのヤイル・ラピド党首が首相を務める予定。参照記事
ネタニヤフ氏は新政権を「危険な左派政権 」と呼び、新政権打倒を繰り返し宣言していた。 新たな連立政権は、ネタニヤフ氏のかつての盟友や愛弟子が率いる政党や、小規模なリベラル政党、イスラム主義政党など、8つの政党で構成されている。参照記事

nappi11 at 00:30│Comments(6) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by 甲東   2021年05月26日 13:45
NHKは副大臣ちゃんのために番組を組んだのだろうか。

主としてユダヤの中でもシオニストと呼ばれる連中が先導して移住した。宗教によりかぶれていた連中だろう。現イスラエルの支配層となり、リトアニアと黒海に挟まれた地域の出身者が多い(ロシア含)。少数ながら、そんな所に行ったら揉めるのが分かりきっている、他に土地を探そうと動いた連中もいた。ケニアのナイロビ西部が候補になったこともある。
以上、難しいことは一切関係なし、逃げられる所に逃げようと19世紀末から新天地アメリカに行った連中も多い。先に移住していた、主としてドイツ系金持ちユダヤ達が必死に支援したとか。今ではイスラエルとほぼ同数のユダヤがいる。時代が下ると当然ながらイスラエルと連携した。ユダヤは実質、1.5国持っていると言っても過言では無い・・・
2. Posted by 甲東   2021年05月26日 19:24
ユダヤはヨーロッパで酷い目に遭った。ヒットラー以前は、一般民衆(農民主体)にやられた人が多いのだろう。どんなイメージを持たれていたのだろう。
不遜な態度、ずる賢い、閉鎖的な生活を送る怪しげな連中、理解不能の言葉を喋る、支配者の手先となって税を搾取する連中、奇妙な踊りをする、だろうか・・・昔のウクライナ周辺では、現地人が奴隷とされ中東に売り飛ばされていた時代があるが、実務担当はユダヤが多かった。
逃げられるなら逃げたいだろう。でも、2000年前の話(神話を含む)を持ち出し、現在住んでいる人間を力で追い出す様な不遜な連中ではある。2000年以上前には別の人間が住んでいたのだが・・・後押ししたのは金に目がくらんだイギリス。しかも、早々と調停をギブアップ。以降、アメリカが武器援助。
20世紀初頭のアメリカには既に数百万のユダヤがいたとか。脳天気なアメリカももう嫌だった可能性はある。
3. Posted by 甲東   2021年05月27日 06:04
何故、東欧、ロシアに異常に多くのユダヤがいたか分からない。ドイツ、チェコ等々、西から来たという説があるがピンと来ない。余りに異質。
リトアニアも本場の一つだった。昔、リトアニア命の日本人とやり取りをしたことがある。ユダヤを真剣に調べたことは無いが、感触で言うなら主に南東から来たのでは無いかと。
離散したユダヤは、今のトルコ、イラク、ペルシャ辺りにも多くいた。11世紀にテュルクが中東に雪崩れ込むが、彼らが北に逃げたとしても不思議では無い。勿論(?)、現地採用のなんちゃってユダヤも多くいただろう。知らんけど。
ソ連崩壊時、ドイツにも多くのソ連系ユダヤが逃げて来た。ドイツ在住ユダヤは総力を挙げて身元チェックを行ったが、それをすり抜けた連中が結構いたらしい。当時のソ連側には、真性ユダヤも驚く偽造能力を持った業者がいたと。ユダヤだろう。
4. Posted by 甲東   2021年05月27日 08:24
第1次中東戦争は引き分けに近いイスラエルの勝利でした。ヨルダンにはイギリス退役将校からなる部隊が有り、それなりに強かった様な。ヨルダンが西岸を、エジプトがガザを死守した。それにより、パレスチナが2分された感じになった。
しかし、この時既に、少なくともヨルダンとエジプトは主導権争いで仲が悪かった。その後、ヨルダンはずっと財政再建団体の様なもの。つい最近は、クーデターもどきもあった。エジプトもあの通り。最近はアッバスもしら~。

最近、あるパキスタン人が言っていた。何?パレスチナが可哀想?いろんな経済指標を見るとパキの方が酷いぞ、と。援助に浸りきっている連中もいそう。
5. Posted by 甲東   2021年05月28日 10:00
現在のハマスの親分はカタールに亡命しているそうです。カタールは同胞団大好き。トルコも同様。ハマスの母体は同胞団だった。周辺国を見れば分かるが、揉めてる間は同胞団は潰れない。

いつまで経っても解決しないが、ほぼアメリカ次第と思う。一番の問題は、多くのアメリカの政治屋が古い考えのユダヤに取り込まれていること。
6. Posted by 甲東   2021年05月28日 18:00
アメリカには過激な主張をするキリスト教徒がいる。キリスト教右派、原理主義者等々と呼ばれ、福音派の一部ともダブルとか。軽く1000万人を超えるかも。
素人から見ると、ユダヤ教に近いキリスト教。彼らにとって、エルサレムはユダヤのもの、らしい。きっとこんな連中も、イスラム出て行け。大きな票田であることは間違いない。

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