ロイター通信は、ミャンマーMyanmarのアウン・サン・スー・チーAung San Suu Kyi国家顧問や与党の幹部が相次いで拘束されたと、与党の報道官の話として伝えた。ミャンマーの与党NLD=国民民主連盟の報道官はロイター通信の取材に対して2021年2月1日、事実状の指導者 アウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領President Win Myint(2018年3月30日~)のほか、同日早朝、与党中央執行委員会メンバー、Han Thar Myint氏を含む幹部ら、少なくとも45人が相次いで拘束され、アウン・サン・スー・チー氏が首都ネピドーNaypyidawの自宅に軟禁されていると明らかにした。軍事政権は1日、クーデターによる全権掌握後、前政府の閣僚ら24人を解任し、新たに11人を任命したと、国軍系テレビが報じた。また、ミャンマーの国営テレビは「技術的問題を抱えている」として放送を止めているほか、最大都市のヤンゴン市内ではインターネットが使えない状態になっている。
ミャンマー軍は1日、昨2020年11月の総選挙で不正があったとして非常事態を宣言し、軍が権力を1年間掌握するとし、国軍は政権が、国軍トップのミン・アウン・フライン(Min Aung Hlaing)最高司令官:右 に「移譲された」とし、政権を奪取したと発表した。
ミャンマーの憲法には、「国民の団結」を崩壊させかねないなど非常事態の下では軍が権力を掌握できるとの規定がある。市内は平穏で、国軍支持の市民デモも確認されている。一方、国民民主連盟(NLD)は1日、クーデターを巡り「独裁国家への逆行」と批判し国民に抵抗を呼び掛けるスー・チー氏の声明を発表した。英文記事 参照記事 参照記事ミャンマーでは、昨2020年11月、5年に1度の総選挙が行われ、NLDが改選議席の8割以上を獲得して圧勝した一方で、旧軍事政権の流れをくむ野党が大きく議席を減らした。この総選挙をめぐって、ミャンマーの国軍は、有権者名簿に数百万人に上る名前の重複が見られるなど、多くの不備や不正があったと訴え政府や選挙管理委員会に対して調査や対応を迫っていた。1日からの総選挙後初となる議会の開会を前に、31日夜も「このまま次のステップに進むべきではない」などと声明を出していた。参照記事 参照記事 英文記事 過去ブログ:2017年8月ロヒンギャが武装化し政府側を襲撃 100人以上死亡 ミャンマー
スー・チー氏は軍事政権下で民主化運動を率い、長年にわたって自宅軟禁生活を強いられた。2015年の前回総選挙でNLDが大勝し、事実上の国家指導者に就任。重要公約だった憲法改正や武装集団「アラカン・ロヒンギャ救世軍:Arakan Rohingya Salvation Army (ARSA) 旧組織名:Harakah al-Yaqin, Faith Movement 等、少数民族武装勢力との和平を実現できず、昨2020年の総選挙は苦戦が予想されたものの、前回を上回る圧勝を果たし、続投を確実にしていた。国軍は2021年1月31日、「総選挙で1050万件を超す不正があった可能性がある」と批判する声明を発表。「国軍は自由で公正な選挙、永続的な平和のため、可能なあらゆることを実行する」と警告していた。参照記事 参考:ロヒンギャ問題、国内外の認識差に苦慮 スーチー氏 過去ブログ:2019年5月一向に治安回復の兆し見えないミャンマー(ビルマ) 2018年3月ミャンマーの難民キャンプで井戸を掘る日本の難民支援 2017年12月ミャンマー国軍はロヒンギャ虐殺を否定 11月国連のロヒンギャへの武力行使非難も、中露反対でトーンダウン 8月ロヒンギャが武装化し政府側を襲撃 100人以上死亡 ミャンマー 2月ロヒンギャ虐殺、虐待が止まないミャンマー 2013年3月前途多難なミャンマー(ビルマ)>宗教対立過激化 追記 2012年10月ロヒンギャ問題 ミャンマー 10月加速するミャンマーの中国離れと日本の接近
2021年2月2日:ミャンマーでクーデターを実行した同国の軍は、総選挙を実施すると発表した。ミャンマー・タイムズが報じている。同紙によると、国軍は総選挙後に新政府に政権を譲渡するという。中国の新華社通信は、1
年間の非常事態宣言が解除された後に総選挙を実施すると報じている。国連のアントニオ・グテーレス事務総長Secretary-General of the United Nations António Guterres:左 は、ミャンマー国軍によるクーデターについて、同国で達成された民主化の進展を損なっているとの懸念を示している。外交筋によると、国連安全保障理事会は2日にミャンマー問題について協議を行う方向で調整している。 参照記事 参照記事英文記事 参考:ミャンマーの軍事クーデターに抗議するため東京に1000人以上が集結
一方で、3年前の激しい軍事弾圧で隣国バングラデシュへ逃れたミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)は1日、アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)国家顧問が国軍に拘束されたことを喜んだとされる。
国連(UN)がジェノサイド(genocide:民族大量虐殺)の可能性を指摘している2017年8月の軍事弾圧の後、約74万人のロヒンギャがミャンマーのラカイン(Rakhine)州からバングラデシュへ向かった。当時、ミャンマーの事実上の政権トップだったスー・チー氏は、2019年に行われたロヒンギャに対する強姦や殺人などの残虐行為に関する国際刑事裁判所(ICC)の公聴会で、国軍を擁護した。参照記事
過去、2012年11月にアウン・サン・スー・チー氏は、国を持たないロヒンギャ人を擁護する発言はできないと語っているが、人間の人権や生存権は、その国の国民かどうかとは無関係だろう。そうでなければ、難民や亡命者を保護する理由が見当たらなくなる。聡明な同氏がそれを理解できないとは思えず、筆者は、そう言わざるを得ない状況に同氏が在ったと理解しているのだが、、 過去ブログ:2017年12月ミャンマー国軍はロヒンギャ虐殺を否定 2月ロヒンギャ虐殺、虐待が止まないミャンマー 映像と記事:軍のロヒンギャ虐待2017年1月 2012年10月ロヒンギャ問題 ミャンマー
、、、、現実には、今後国連安保理がクーデターを理由に制裁を採決で求めても、これまでの例から見て、中露が常任理事国が持つ拒否権を行使して決定に至らない可能性が濃厚だ。実際国連は、軍最高司令官のロンヒンギャ虐殺容疑を追及できていない。また国連は過去、ミャンマーの文人指導者でノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チー氏が、民間人保護のために彼女の道徳的立場を活用しなかったことに言及したが、非難するに留(とど)まっている。今後、米国が単独で、どのような制裁を行うかが注目される。
ジョー・バイデン大統領は2月1日、ミャンマーで発生した政変で、国軍がアウン・サン・スー・チーらの要人を拘束したことを非難したが、他の諸国の指導者とは異なり、この事件を「クーデター」とは呼ばなかった。
この背景には、米国がこれをクーデターと定義した場合、ミャンマーへの援助を打ち切らねばならない事情があるとされている。米国には、クーデターで権力を握った政権への援助を禁じる法律があるからだ。参照記事
2021年2月3日:スー・チー氏はこれまで、国際社会から民主化の遅れを批判されながらも、国軍を刺激しないように政策を推進、慎重に政権運営を進めてきた。しかし、1988年に帰国後、長年にわたりスー・チー氏を自宅軟禁下に置いた国軍との距離が容易に縮まるはずもなく、緊張関係は解消できず、2期目入る直前にクーデターで身柄を拘束される最悪の事態となった。
軍台頭のきっかけは、国政議会で4分の一を占める国軍の影響力を薄めたい与党NLDが2020年に、国軍の政治参加を保障する憲法の改正に関する委員会を議会に設置し、その後の総選挙でNLDが圧勝した事が国軍の警戒感を強め、軍は選挙結果に不正が在ったと難癖をつけてクーデターに繋げたと分析できる。軍が現在設けた国家管理委員会は11人で構成され、軍の最高指令官であるミン・アウン・フライン上級将軍Myanmar senior general Min Aung Hlaing:右 が責任者となっている。軍が、一定数の国民(特に仏教徒右派)の支持を得ているのもまた事実であり、今後の外部からの政治介入は、より正常化を複雑にさせる懸念もある。 参照記事 参照記事 参照記事 過去ブログ:2012年10月ロヒンギャ問題 ミャンマー 2010年11月ミャンマー 軟化政策のウラ
2021年2月5日:ミャンマーの国営テレビは4日夜、軍のトップのミン・アウン・フライン司令官が銀行の幹部らとの会談で国の経済と国民の生活の安定のために協力を求めたと伝え、また、軍は最高裁判所の新しい判事を任命したと発表し、軍による統治が着実に進んでいることをアピールしている。
こうした軍への抗議活動は国内で拡大していて、首都ネピドーではアウン・サン・スー・チー国家顧問が率いる政党の議員およそ70人が会合を開き、軍への対抗姿勢を改めて鮮明にした。また、中部の主要都市マンダレーでは市民グループによりますと4日、抗議していた市民と軍が衝突し死傷者が出たということです。
一方、現地のシンクタンクのアナリストでミャンマー政府に提言を行ってきたキン・ゾー・ウィン氏はNHKの取材に対し、軍はスー・チー氏側との間でクーデター前の2日間にわたり交渉を行っていたことを明らかにした。交渉の中で軍は、去年の総選挙に不正があったなどとして調査を求めたものの、スー・チー氏側がこれを拒否したため軍はクーデターの実行をスー・チー氏に直接伝え、その数時間後にスー・チー氏とウィン・ミン大統領は拘束されたという。、、ミャンマー各地からクーデターへの抗議とスーチー氏の解放を求める声が起きており、市民は夕方になると通りなどで鍋やフライパン、金たらい等を叩いて抗議している。 参照記事 英文記事と写真
もう制裁という発想は古い。軍の一部を取り込もう。首を捻っている若手がいるだろう。