2020年9月29日:古代中国の思想家、孔子(こうし)(前551ごろ~前479)と弟子との対話などをまとめた「論語(ろんご)」の注釈書の一つ「論語義疏(ぎそ)(論語疏)」について、6~7世紀初めに中国で書かれたとみられる写本が日本で確認された。
調査した慶応義塾大学を中心とする研究チームによれば、日本に伝わり、国内の寺社や家々などで大切に保管されてきた伝世品(でんせいひん)では最古の論語の写本の可能性が高いという。論語義疏は中国では12世紀ごろには失われており、仏典以外のまとまった紙の写本としては現存最古級とみられる。中国では論語は主に注釈書(解説書)を通じて伝わってきており、専門家は日中の思想史や交流史などの研究にとって貴重な史料と注目する。 確認されたのは、中国が南
北に分裂していた南北朝時代の南朝、梁(りょう)(502~557)の学者・皇侃(おうがん)(王侃):右 が執筆した論語義疏の「巻5」に相当する部分(今回の写本では表題が巻6)。20枚の紙をはりあわせ、縦27・3センチの巻子(かんす)状(巻物)に仕立てられている。慶応大が2017年に古書店から購入。学内で書誌学や中国文学、日本文学、日本史などの専門家からなる研究チームをつくって18年度から調査を進め、文字の形などから南北朝末~隋(ずい)の時代に書かれた可能性の高いことが明らかになった。研究チームは「出土品を除けば、最古の論語の写本と考えられる」としている。参照記事 「朋遠方より来たるあり。また楽しからずや」(学而)、「巧言令色鮮し仁」(学而)、故きを温めて新しきを知る。(為政)など、今も多くが伝わっている。筆者の年齢では、「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従えども、矩をこえず」(為政)、現代語訳:(15歳の時には学問で身を立てようと志を立て、30歳の時には自分の立場というものができた。40歳の時には自分の生き方に迷うことがなくなり、50歳の時には天から与えられたおのれの使命を知った。60歳の時には人の意見に耳を傾けることができるようになり、70歳の時には自分のしたいようにしても、周囲との調和が保てるようになった)が、今しみじみと理解できる。これを最後に読んだのは、17歳の時、図書館でだった。ノートに書き写した記憶がある。尊敬する山本五十六も論語にも通じる考えを持っていた。彼は「出処進退」を座右の銘とし、筆者も会社のデスクマットの下に常に忍ばせていた。その意味は「人というものは、出処進退の四文字が大切なものであり、進むと出るは人の推薦がなくてはならないが、退くことは自分で決めるものである」で、望まずして組織の責任者にあっても常にこの言葉が脳裏にあり、その時が来ての筆者の決断も早かった。 論語とは 参照記事 参照記事
古代中国の思想家、孔子(こうし)(前551ごろ~前479)と弟子との対話などをまとめた「論語(ろんご)」の注釈書の一つ「論語義疏(ぎそ)(論語疏)」について、6~7世紀初めに中国で書かれたとみられる写本が日本で確認された。調査した慶応義塾大学を中心とする研究チームによれば、日本に伝わり、国内の寺社や家々などで大切に保管されてきた伝世品(でんせいひん)では最古の論語の写本の可能性が高いという。

