Screenshot(4)dcb3e2ed259feafffd9b85a96ec3284833bb2a8b2019年7月28日:国立科学博物館などの研究チームは2019年5月13日、北海道・礼文島の船泊(ふなどまり)遺跡から発掘された約3500~3800年前の縄文時代後期の女性人骨から全遺伝子情報(ゲノム)を高精度に解析したと発表し、論文は近く、日本人類学会の英文誌に掲載されると報道されていた。参照記事
index7月23日、縄文人が核に持っていた全ての遺伝情報(ゲノム)が、国立科学博物館など国内7機関の共同研究で初めて現代人並みの高精度で解読され、その結果が日本人類学会の英文誌Anthropological Scienceで公表されたと報道された。DNAの採取に際し、船泊は日本列島にある遺跡の中で最も寒く、DNAが残りやすいと目を付け、3年前に研究に着手。2000年代後半、遺伝子を高速で読み取る装置「次世代シーケンサー」が普及し、ごく微量のDNAも解析可能になった。下あごの骨から抜いた臼歯の中を丁寧に削った試料を使って、試行錯誤を重ねながら解析した。その結果、現代人とほぼ同じ高い精度で、全遺伝情報(ゲノム)の99%を解読することに成功した。世界でもトップクラスの成果だった。
2019071500005_4解読の対象となったのは、北海道礼文島にある船泊遺跡から1998年の発掘で出土した、約3500~3800年前(縄文時代後期)の23号人骨(女性)だ。データの解析に当たり、複顔に携わった国立科学博物館人類研究部の神澤秀明研究員と篠田謙一部長によれば、茶色い目。シミの目立つ、濃い色の肌。細く縮れた髪の毛。このほか、前歯がシャベル型になる程度は弱い、耳あかは湿ったタイプ、血液型はA型でRh+、などという特徴もつかめた。分かった身体特徴はすべて、昨年解読された縄文人女性の遺伝子データを基にしたもので、右の国内初の復顔に再現された。
Screenshot(3)解析の結果、現代日本人が縄文人から受け継いだDNAの割合が分り、東京在住者に代表される本土日本人のゲノムの約10%が縄文人に由来すると推定できた。また北海道のアイヌ民族の人々は7割くらい、琉球の人々は3割くらいを受け継いでいると考えられた。これらの割合について、神澤さんは「従来、形態的な特徴などの研究から言われていたこととほぼ一致した」と話す。別の研究でも、現代の日本列島人3集団と縄文人との関係を見たところ、アイヌ、琉球、本土日本人の順に縄文人の遺伝要素が強いとされている。
縄文人は漢民族に代表される大陸のアジア人集団と比較的古い時期に分かれ、それは約3万8000年前から約1万8000年前までの間とみなすことができた。少し幅があるが、最近は縄文時代を約1万6000年前~約3000年前の間と考えるようになっており、それより前だということに意味がある。
5ae5eeaaつまり縄文人の祖先集団(ホモ・サピエンス:Homo sapiens 現生人類、新人)は、縄文時代に入る前の旧石器時代末には集団として確立していたことになる。「旧石器時代人と縄文人は日本列島の中でつながっており、列島内にいた人たちが縄文土器を作り始めて縄文時代が始まった」と篠田さんは考えてい64b6a3beる。ロシア極東部から朝鮮半島、台湾の先住民など東アジアの沿岸部の集団と遺伝的に近く、比較的少ない人口集団で狩猟採集生活を続けていたことも分かった。 参照記事 参照記事 参照記事 参考:海部陽介(人類学):人類はどのように日本列島にやって来たのか? 過去ブログ:2019年2月モンゴルの原人の化石の年代確定 2018年11月DNAの最新研究がダーウィンの進化論を覆す?  7月縄文晩期の人骨の全ゲノム解析でラオス、タイの古代人に類似と判明 2017年5月石垣島で旧石器時代2万7千年前の全身骨格と埋葬を確認 2016年6月日本人の源流のひとつはバイカル湖周辺か? 2013年10月考古学で、日露共同調査 2011年11月石垣島の人骨24000年前と確認 5月稲作の起原からみる日本人 2008年2月縄文の不思議。

nappi11 at 07:15│Comments(1) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by 熊五郎   2019年08月02日 08:53
長浜浩明氏のY染色体分析が明かす真実が足りないと思いますが。

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