0ebfc352503154c0d99a45cbb5d902735622be54_182019年6月6日:スーダンの首都ハルツームKhartoumの軍本部前で行われていた座り込みデモの強制排除に始まった治安部隊によるデモ隊弾圧で、これまでに少なくとも101人が死亡したことが分かった。デモ隊に近い医師委員会が明らかにした。スーダン医師中央委員会(Central Committee for Sudanese Doctors)は「現在までに医師らが確認した死者数は計101人だ」と述べた。同委員会は先の発表で、ナイル川(Nile River)から40人の遺体を収容したと述べていたが、それ以上の詳細については明らかにしていない。毎日新聞6日の記事では、3日以降の死者数が108人に達したと発表され、死者数はさらに増える恐れがあると報じられた。

Janjaweed-2-275x275AIS-Musa-Hilal-Portrait 3日に座り込みデモをガス弾と実弾で強制排除した治安部隊には、政府が支援する民兵組織「ジャンジャウィードJanjaweed)」の元構成員が含まれているとされている。同組織はダルフール(Darfur)地方での残虐行為で世界を震撼(しんかん)させた。当時スーダン政府はジャンジャウィードとの関係を否定しているが、政府軍の航空機と連携して集落を攻撃する行為が確認されている。2008年1月には、当時のバシル大統領が、当時ジャンジャウィードの指導者だったムーサー・ヒラールw:Musa Hilal):写真上右 を大統領特別顧問に任命している。

 スーダンでは、独裁支配を続けていたオマル・ハッサン・アハメド・バシル(Omar Hassan Ahmed al-Bashir)大統領の退陣を求める抗議デモを受け、4月に軍事評議会(スーダン暫定軍事評議会:Sudan’s ruling Transitional Military Council (TMC).または、Sudan’s ruling interim military council)がバシル大統領を失脚させて以降、同評議会による統治が続いている。デモ隊の労働者団体1597056-541824917代表指導者と軍事評議会は3年間の民政移管期間を設けることで同意したが、同評議会のアブデル・ファタハ・ブルハン(Abdel Fattah al-Burhan)議長:右 はデモ隊の強制排除後、合意は破棄されたとして、9か月以内に選挙を行うと発表。だがデモ隊はこの計画を拒否した。 ブルハン議長は5日、「軍事評議会は条件なしの交渉に喜んで応じる」と述べたが、この申し出もデモ隊の指導者らによって直ちに拒絶された。参照記事 英文記事 過去ブログ:2019年4月中国寄りだったスーダンでクーデター 首謀者は国防大臣の軍人

hemedti-mこの紛争に急に出現したかに見える民兵組織「ジャンジャウィードJanjaweed)」の出現だが、軍事評議会TMC内で現在No2、バシル政権時に副大統領の地位に居たのが、元ジャンジャウィードの指揮官だったMohamed Hamdan Dagalo(nickname “Hemedti”)だとの記事がある。今回デモ隊のキャンプを急襲し武力鎮圧したのもDagaloが指揮するRapid Support 665003303001_5650147448001_5650127131001-vsForces (RSF:緊急支援部隊)と言われる情報部傘下の治安特殊部隊で、このRSFのメンバーは 民兵組織「ジャンジャウィード」の兵士で構成されているといわれる。デモ隊を襲った彼らの一部は、デモ隊の女性をレイプしたり、市民の頭髪を刈り上げるなどの狼藉をした証言されている。スーダン市民の一部では、現在の軍事評議会を実際に操っているのはRSFを掌握するMohamed Hamdan Dagaloではないかと噂されている。参照記事 参照記事 やらせ臭い軍のクーデターでバシル退陣後のスーダンでは、民政移行を巡り、暫定的に国を統治する軍事評議会と抵抗勢力の対立が続いている。スーダンの医師らは6月4日、同国の治安部隊が各地で病院や医療従事者を襲撃していると非難し、首都ハルツームの軍本部周辺では複数の女性がレイプされたと主張した。 国連は6月5日、スーダンの治安情勢が悪化しているとして、文民職員を一時的に移動させる方針を明らかにした。参照記事、、、また過去の様なカオスが繰り返されるのでは、

2019年6月6日アフリカ55の国・地域が加盟する世界最大級の地域機関((注)我が国未承認の「サハラ・アラブ民主共和国」を含む。)アフリカ連合(The African Union:AU)平和・安全保障理事会は、スーダンで治安部隊が6月3日に首都でデモ者たちに行った介入で死亡者数が100人を超えたことを受けて、同国の加盟資格を停止した。

同国で2018年12月19日に経済危機によって始まったデモが急速に反体制派デモになってから、軍は4月11日に政権を掌握したと発表し、30年間にわたるオマル・アル・バシール時代は終えんしている。軍が政権を掌握したことを受けて民間政権への移行に向けて抗議した抗議者たちは、移行政府がどのように構築されるべきかに関して軍事当局と交渉を進めていた。参照記事 英文記事

2019年6月9日:政府による軍事制圧の被害者は、デモに参加した医師らによれば最終的に113人と公表された。政府の保健省は61人が死亡し、その内52人は実弾によるものだと発表した。 9日、バシル退陣を実現した労働者団体Sudanese Professionals Association (SPA)は、9日?より、「市民による不服従"civil Screenshot(1)disobedience"」のキャンペーンに参加するようにTVを通じて市民に呼びかけた。軍事評議会から、市民政府が相応の権利(あるいは権力、記事では力Power)を委譲されるまで行うとしている。民政移管要求の座り込みデモの市民でにぎわったハルツームの通りや公園は現在閑散としており、このキャンペーの具体的な方法は指示されていない。エチオピアの首相の仲介で話し合いの流れが作られているが、市民代表団メンバー3人が8日に理由もなく逮捕されるなど、状況は混沌としている。 参照記事

images2019年6月17日:4月に起きた軍事クーデターで失脚したスーダンのオマル・ハッサン・アハメド・バシル(Omar Hassan Ahmed al-Bashir)前大統領:右 の身柄が16日、検察当局に送致された。バシル前大統領が公衆の面前に姿を現したのは、クーデター後初めて。伝統的な白い式服とターバンを身に着けた前大統領は、首都ハルツームのコベル(Kober)刑務所から武装した軍用車列で検察局へ送られた。検察当局者は報道陣に対し、前大統領には失脚後、「外貨保持、汚職、贈答品の違法な受け取り」などの罪に問われていることを通告してあると述べた。英文記事

一方、クーデター後に統治に乗り出した暫定軍事評議会のモハメド・ハムダン・ダガロ(Mohamed Hamdan Dagalo)副議長は国営テレビで放映された演説で、今月、軍本部前で多数の死者を出した座り込みデモの強制排除をめぐり、暴力を行使した者には死刑が言い渡されるだろうと宣言した。抗議運動に近い医師らは、この0c0bc0beda9144d3867aa7bffd9c5899_18弾圧による死者は少なくとも128人に上ったと主張している。一方保健省は、3日の死者数は全国で61人だったと発表している。参照記事 過去ブログ:2014年4月虐殺の止まない南スーダン

現地17日夜、首都ハルツームでは、デモの主導者は市民に全土での夜間での革命的拡大"revolutionary escalation"デモの実行を促し、こう着状態の軍事評議会に対し市民への自治権の移行を訴え、同時に、残酷なデモ鎮圧をしたRSF:緊急支援部隊を非難した。英文記事




nappi11 at 18:02│Comments(1) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by 甲東   2019年06月07日 07:30
ある意味、そんなもんだろうなー、ですね。でも、一昔前と違い、あること無いこと(?)逐一SNS等で全世界に広まる。顔写真まで付いて。過激な連中もやりにくい。
ふっと思いました。海外と仕事をしている人は、頻繁に目の前のPCに客(の顔)が現れるのでしょうね。あれどうなった、いつ答えをくれるの・・・たまらん。

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