jiji_chouyoukou戦時中、日本統治下で強制的に連行・動員された朝鮮半島出身の労働者たちは、奴隷のような扱いを受けて塗炭の苦しみに喘いだ──これが韓国社会に定着した徴用工「強制動員」のイメージだ。しかし、『韓国「反日フェイク」の病理学』の著書がある韓国人ノンフィクションライターの崔碩栄氏は、そうしたイメージとは正反対の「証言」が残されているという。韓国で2001年に出版された『私の経験した解放と分断』(趙文紀・著 韓国精神文化研究院、図書出版先人)には、次のようなやり取りが収録されている。

(インタビュアー)この話からお願いします、1942年度でしたか? 徴用で行かれたんですよね?

──徴用ではないです。ほとんどの記録が徴用でしょっぴかれたかのように書かれているものが多いですけど、徴用ではなく、徴用という話がなぜ出たかというと、行くときには軍需工場に行ったんです。募集があって行ったんですよ。会社から(募集が)あって、この国の就業紹介所で。ソウルで募集がありました。応募したら合格しました。(倍率は)12対1だったか、ものすごく厳しかったよ。

cyouyou-1 実は、私は資格という面で見たら、そこに応募する資格もなかったんですよ。年齢もそうだし、学歴もそうだし、上手く誤魔化して、その募集官という人の前で芝居をして何とか入れてもらったんですが、そこに行って、現地で行った翌年に戦争が激しくなって、軍需工場だから、そこの全従業員を、日本の人だろうが韓国人だろうが、そこはその時、韓国人が何千人もいました。

o0858047814298924162 みんなが現員徴用(一般募集により配置され働いていた人の身分だけを徴用者に転換する制度)だといって、それで現地で働いている、その状態のまま徴用ということになってしまったんです。徴用でしょっぴかれたのではなく、従業員たちは、日本が定めた法によって、まあ、身分が一日にして徴用者に変わってしまったということです。記録上、それで徴用でしょっぴかれたみたいになっているんだよ〉
 
 老人の証言によると、徴用が始まる前に学力や年齢などを偽ってまで労働者の募集に応募し、高い競争率を乗り越えて日本へ行き、仕事をしてきたのだという。そして後に徴用令が施行されると既に日本で働いていた朝鮮人の身分も徴用に変わったため、自分も書類上の身分が徴用労働者に変わっただけだという。それが、現代の韓国では「連れていかれたこと」になってしまったと主張しているのだ。

index、、上記に記事を一部抜粋した内容を転記したが、本の紹介記事では他の主な例を取り上げ、著者の趙文紀氏の言葉として「当時の朝鮮人労働者たちを弱者、同情の対象として見る見方はむしろ、貧困と差別と闘いながら苦境の時代を乗り越えた彼らの根性と気迫を過小評価する「失礼」な行為ではないだろうか。」と結んでいる。歪曲と事実の捏造を行ったのは左派労働団体や、民族主義を掲げ、反日と資金集めに利用した自称市民団体で、左派文政権になって一機に勢いづいた。何しろ、こういう歪曲した事実を掲げて選挙戦に利用した文在寅(ムン・ジェイン)が大統領になったのだから。そのころ、強制労働を題材にした虚実入り混じった映画が作られ、それを無知な市民や学生はすべて事実と思い込み騒ぎ出した。この流れは、嘘を信じて、さも「従軍慰安婦」が存plt1904030034-p1在したと思い込まされた状況と一緒だ。右は、韓国が「強制徴用の証拠写真」したものだが、写真家の斎藤康一氏により、これが日本人だったと判明している。(ふんどし姿で寝そべって採鉱している)

今では確認のしようも無いが、過去には、楽な仕事だといわれて日本に行ったら重労働で低賃金だったと言う話も読んだが、これらは韓国内の韓国人斡旋屋にだまされピンはねされた結果だった。似たような状況は慰安婦にもあったようだ。 参考:「徴用工」写真は戦後撮影、「筑豊炭田の日本人」 過去ブログ:2019年5月元慰安婦の支援金を家族が流用、、支援金を盗む窃盗犯も、韓国 5月慰安婦問題をいまだに反日、政権批判に利用する日韓の左派 2018年12月ジャパンタイムズの編集方針変更と、その後の釈明 11月慰安婦問題に反論した教授へ有罪判決と反日煽る鳩山 韓国 11月札幌地裁が植村隆元朝日新聞記者敗訴の決定 10月韓日共同宣言から20年の記事に思う 2014年8月遅すぎる朝日新聞「従軍慰安婦問題」への謝罪記事 2011年9月従軍は無かった、小野田記録と米軍調査にそれを見る。 2007年5月慰安婦問題の強制性(保存投稿記事)



nappi11 at 05:54│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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