Screenshot(3)金沢大学の覚張(がくはり)隆史特任助教(生命科学)らの研究グループは、コペンハーゲン大学を中心とした国際研究チームと共同で、愛知県田原市の伊川津(いかわづ)貝塚で出土した約2500年前の縄文時代晩期の成人女性の人骨1体について全ゲノム解析を行った。日本のような温暖湿潤気候の地域では、人骨のDNAは劣化しやすく調査は難しいとされてきたが、最新の研究手法で縄文人の全ゲノム配列を世界で初めて解読した。
180706-00この結果を東南アジア各国の遺跡で出土した人骨25体や現代人のデータと比較すると、東南アジアの先史時代の人々は六つのグループに分類できることが判明。 そのうちの約8千年前のラオスと、約4千年前のマレーシアの遺跡でみつかった人骨のグループのゲノム配列の一部が、伊川津貝塚の人骨と類似していた。研究成果は2018年7月11日、横浜市で開催中の国際分子生物進化学会で報告されたほか、6日付の米科学誌サイエンス電子版に発表された。参照記事 参照記事
20180209135913愛知県の渥美半島の先端に伊良湖岬灯台がある。その少し手前(東14km)にあるのが伊川津貝塚で、出土土器の主体は三河地方土着の土器であるが、東西両日本の系統の土器も混在し、とくに畿内の宮滝式、橿原式(かしはらしき)に対比される土器型式が注目される。人骨の出土も191体に及び吉胡貝塚(よしごかいづか)の人骨とともに縄文人の形質や、埋葬方法、抜歯、叉状研歯(しゃじょうけんし)のような歯牙変形の風習、利器による人骨の損傷などに関する貴重な研究資料ともなっている。参照記事 参照記事:縄文時代の遺跡、貝塚の分布 過去ブログ:2016年6月日本人の源流のひとつはバイカル湖周辺か? 2011年5月稲作の起原からみる日本人
3eef7cd9-sこれまでの研究で、シベリア・バイカル地域からの狩猟民族が2 – 3万年前に北へ流入して日本全国で後期旧石器時代を形成し、その後、約1万数千年前に、大陸から渡ってきた種族と混血して縄文時代を形成、更に数千年前にチベット、東南アジア方面から渡ってきた種族が沖縄、九州から本土に入り混血し、大陸から稲作が持ち込まれる弥生時代に移行するまでの縄文人が出来上がったと言われている。日本人は基本的に共通して、アイヌ人、本土日本人、沖縄人まで北方古モンゴロイドを基調としており、遺伝子からみると地理的に近い中国や韓国など東アジアの諸国と異なっている事を示し、世界、そしてアジアの中でも独自で、稀な存在であるとされている。参考:日本祖人もびっくり、日本列島史に「先住民」などいない! 過去ブログ:2011年5月稲作の起原からみる日本人 その後2022年5月ラオスでデニソワ人の大臼歯発見か? 2019年2月モンゴルの原人の化石の年代確定


nappi11 at 00:36│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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