2018年3月29日のシリア北部のトルコ軍の制圧地域には、左下の過去の3月22日の戦況図と比べて大きな変更はなく、トルコは米国との協議内容に沿って、マンビジュManbijへの攻撃は行っていないようだ。米軍は先に、マンビジュからの撤退は無いとしている。
3月29日に米英の2名の幹部兵士がマンビジュ近郊

で、道路に埋められていた爆弾で負傷し、翌30日に死亡したことで、米軍はマンビジュへの兵員や対地雷特殊装甲車を増強したとしている。依然として同地域は、トルコ軍、及びFSAからの脅威を受けていると報告されている。
これより先、トランプ大統領がアドリブで、早い時期に米軍をシリアから撤退させると発言した事は、ペンタゴンをも驚かせたと書かれている。
参照記事反政府側Bebels地域の中心地イドリブIdlib北部には、以前からシーア派住民が住む地域が孤立した状態で存在している。そこの主な街としてKefraya と al-Fouaaがあるが、シリア政権メディアSANAの3月28日の記事

では、この地域はヌスラ戦線Jabhat al-Nusra に包囲されており、ヌスラ戦線からの狙撃で、男性一人が重傷を負ったと報じている。相互に対立はしているのだが、反政府側が総攻撃するわけでもなく、この包囲された地域は存続し続けている。
参照記事 過去ブログ:2018年3月
2018年3月29日の戦況と反政府側撤退状況 シリア 3月22日
トルコと米国は相互理解に至った、、、? シリア多少意外なニュースだが、クルド軍がシリアで拘束したIS兵士の中に、スウェーデン国籍を所持する者が41人居るとの記事がある。スウェーデンンで暮らしていたシリア難民かと思うが、その内5人はIS組織内で高位な位置にあった者だとされている。彼らをスウェーデンへ強制送還するため、YPGがスウェーデンと協議中のようだ。
参照記事 スウェーデン記事
3月29日のSANAによれば、ダマスカスDamascus東部、東クータEast Ghoutaからの反政府兵士、その家族の撤退はすでに第5陣となり、これまでに同地域を赤十字Syrian Arab Red Crescent (SARC)が用意したバスで北部イドリブIdlib地域へ向かった人数は5290人、その内1374人は反政府側兵士と報告されている。シリア政府側は、残るドウマDouma(Duma)地域も含め、全東グータ地域から反政府兵士や家族らを撤退させ、その上で地域の建て直しにかかる意向を語っている。
ドウマ内部では、住民ら一部が同地域から退去し、住民から反政府側へ、兵士らが撤退し、住民を解放する事を要求するデモが起きているといわれる。
ダマスカス市南部には、パレスチナ人難民キャンプのあるヤルムーク地区があり、ここにも反政府組織とISが孤立しているが、彼らはシリア政府との撤退合意協議に参加しておらづ、今後の政府側のこの地域への対応は不透明なままだ。ここに孤立するISは、反イスラエルのシリア政府がこの地区に設けたパレスチナ人難民キャンプで育ったパレスチナ人の若者たちとの記述が過去にあった。 過去ブログ:2018年3月
東グータで反政府側撤退 北部アフリン市トルコが制圧 シリア
2018年4月3日:シリア国営テレビは2日、首都ダマスカス近郊最後の反体制派主要拠点、東グータのドウマDouma地区で抵抗を続けていた武装組織「イスラム軍」の兵士らも同地区から撤退を始めたと報じた。
記事と映像 政府軍が解放した‘Ayn Tarma, ‘Arbeen(Irbin), Zamalka.の
空撮映像 3月23日、解放された直後の
Ayn Tarma市内の様子
2018年4月5日:現地4日、東グータEastern Ghoutaのドウマ地区Doumaに残っている
反政府組織「イスラーム軍」(Jaish al-Islam
)の兵士やその家族ら209人が、第3陣のバス4台で同地区から撤退し、シリア北部ジャラブロスJarablosへ向け出発した。第1,2陣1000人ほどは、すでに4月1~2日にかけてハラスタやドウマからイドリブ、ジャラブロス方面などに発っている。
参照記事 参照記事
オマーンにシリアの大使館が出来たと。ル・モンド紙によると、シリアとイタリアの情報機関トップが、関係正常化に向けて話し合いを始めたとか。イタリアは、一人でもシリア難民を帰したいのかも。
理由は何にせよ、国ベースの話し合いが進めば良いが。後は、エルドアンか・・・最近面白い言葉を聞きました。空っぽの容器は一番大きな音をたてる、と。万国共通でしょう。