d0007923_22149351991年、末期のソ連で、樺太北部東岸での「サハリン1」に続き、「サハリン2:この開発でロシアで初めて天然ガス液化プラントが建設」というプロジェクトが起こった。右図は2008年の記事より
樺太(サハリン)は石油と天然ガスが豊富であるので、これに注目した日本は1994年、日本の三井物産と三菱商事がロイヤル・ダッチ・シェルとともに、「サハリン・エナジー」という会社を設立した。株式保有比率は、ダッチ・シェルが55%、三井物産が25%、三菱商事が20%であった。ソ連に変わったロシア政府と、「生産分与協440e871d定」を結んだが、この「生産分与協定」というのは、極めてロシアにとっては「つまらない」契約で、投資企業が投資金額を利益によって回収するまでは、生産物は投資企業のもの、つまりイギリス・オランダ・日本のもので、ロシア政府には6%しか入らなかった。
1994年当時のロシア大統領はエリツィンで、彼はプーチンほど資源ナショナリズム意識は強くないので、このような協定を結んだといえよう。プーチンはエリツィンの辞任で1999年12月大統領代行に指名され、その後の選挙で2000年5月正式に大統領になり、そんな異変の中の1999年、サハリン2事業は、やっと原油の生産が始められた。写真左は、サハリン2のダッチ・シェル海上リグ。
プーチンは、「我が国の豊富な資源を国家管理下に置き、内外の駆け引きに利用すべきだ」という論文を書いて経済化学博士号をとっている男で、ロシア国内の石油・天然ガス田を外資主導で開発などさせるわけがない。しかし、プーチンが政治の実権を握ってから、このサハリン2にロシアの半国営会社を使って横やりを入れるまで、実に7年の年月を要した。
index実は、プーチンと、後にプーチンがテコ入れするロシアの半国営資源開発会社ガスプロムは、関係が深かったわけではない。プーチンが、エリツィンに大統領代行を指名される直前の1999年12月、、ロシア下院議員選挙が行われた。この選挙によって、プーチンの事実上の与党「統一」は、「祖国・全ロシア」を議席数で上回り、ロシア共産党に次ぐ第二党になったが、当時のガスプロムは、プーチンの政敵「祖国・全ロシア」を支持していたのだ。プーチンはガスプロム取り込むためガスプロムに対するテコ入れを画策し、半国営の弱みを突いて腹心のメドヴェージェフを2000年から、このガスプロムの会長に送り込む。

その後2006~7年の「サハリン2事件」が起きるが、流れは以下のようだ。
プーチンの腹心メドヴェージェフ(現ロシア首相)が会長として送られたロシアの半国営ガス会社「ガスプロム」は、プーチンの標榜する資源ナショナリズムの先兵と豹変し、2005年、ロシアからパイプラインで天然ガスの供給を受けているウクライナと、ロシアのガスプロムが、その値段の交渉で紛糾した。ウクライナでは前年の2004年にオレンジ革命が起こり、革命の結果成立した政権が、親ロ派だった元ウクライナ大統領ヤヌコビッチを追い出し、親米路線を表明していた。ロシアは大幅な値上げと滞納文の支払いを要求し、さもなければ「ガスを止めるぞ」というガスプロムの強硬なおどしは、この親米新政権の追い落としを目論んだ結果とも言われ、一部のメディアからプーチン・ロシアは、「エネルギー帝国主義」というレッテルまで貼られた。プーチンは否定しimg_0、彼は議長を務める2006年7月の主要国首脳会議(G8サミット)での記者会見で「天然ガスの価格はクレムリンが決めるのではない。市場が決めるのだ」と嘯(うそぶ)いた。効果は敵面で、この供給停止の脅しでウクライナで危機感が蔓延し、2007年3月の総選挙で親ロシア派が議席を伸ばす結果を招くが、この事が今も続く、クリミヤの分離独立、ウクライナを東西に分ける独立派と親ロ派の深刻な対立を引き9eafbb08起こした。西側からロシアは、ウクライナ政権が気に入らないから不当に高い金額をふっかけて、その政権を窮地に陥れたと言われたが、プーチンは、ガスプロムを使った資源ナショナリズム政策に自信を持ったに違いない。ウクライナは今もEUからの支援を期待しているが、最近の動向では、ウクライナのEU加盟は、トルコと並び、具体化の可能性はほとんどない。過去ブログ:2017年3月ウクライナで大規模な爆発、ロシアの破壊工作?暗殺も 2017年2月トランプ政権国連大使がウクライナ問題でロシア非難

プーチンの資源ナショナリズムは更に火を噴く。2006年9月、ロシア政府は突然、(ロシアから見れば)外資主導のロイヤル・ダッチ・シェルと、三井物産と三菱商事が進めていた「サハリン2」プロジェクトの中止命令を出した。理由は環境問題だった。三者が共同で出資して設立した会社「サハリン・エナジー」とロシア政府が契約を結んだのは1994年で、それから12年もたってから言い出した環境問題は口実で、プーチンの資源ナショナリズムとウクライナ問題での西側の反発が大きく影響していると想像できる。プーチンがロイヤル・ダッチ・シェルや三井・三菱に圧力をかけ、共同出資会社「サハリン・エナジー」の株を強引に売らせ、結果として、ロシア国営ガスプロムが「サハリン・エナジー」の株の過半数を得て、筆頭株主になった。以上が、多国籍企業に難しい工程をやらせておいて、ロシアがおいしいところだけを取ったと言われる「サハリン2事件」の一つの解説である。ソ連崩壊後の経済危機で、一旦は西側に門戸を開放したロシアだが、プーチンの登場と同時にロシアに民族主義が台頭したと言っても過言ではないだろう。現在ロシアからは、経済交流拡大の意向が日本に寄せられているが、上記のような経過を踏まえ、日本政府は両国間の「平和条約」締結が優先との見解である。極東の州と北海道の経済交流は前向きに進んでいるが、自治政府の権限内の交流と筆者は理解している。 参照記事からの抜粋と加筆、編集 過去ブログ:2017年9月ロシア提案の稚内~サハリンの『歴史の架け橋』構想 2016年12月追記:ロシアとの民間経済交流 ツンドラ地域で野菜栽培 6月日本人の源流のひとつはバイカル湖周辺か? 6月アジア経済への依存度を高めざるを得ないロシア 5月ロシアからの農産品輸入と資本提携拡大方向 安倍首相会談 3月北海道の原発の将来とロシア産天然ガス 3月天然ガスからみたシリア紛争と湾岸諸国、ロシア  3月日本をパートナーとするロシアの経済戦略 2015年10月ロシア極東経済を押し上げる日本 9月ロシア極東で深まる日本との経済関係 2011年10月プーチンは日本を視野に入れた サハリン産天然ガス

nappi11 at 00:06│Comments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by 迷心   2017年12月28日 01:06
5 いつも勉強させていただいてます。
ありがとうございます
2. Posted by くすのきのこ   2017年12月28日 20:33
こんにちは。
ロシア極東のGDPは香港レベル・・エネルギー関係のみの状態からどうやって
次の段階に登るかが次の課題だろうと・・wロシアの国民が強い指導者を欲す
るのはいつもの事。ロシア帝国が最大版図だった時代のエカテリーナ2世はド
イツ出身の皇后だったがクーデターで女帝に。ついでにエリザヴェータもクー
デターで女帝に。エカテリーナ1世は農民の娘だが皇后になり勢力争いに勝利
して女帝にw要は強烈な個性がロシアを纏めるのに必要。そしてロシアは一度
流血をもって手にいれた土地は流血をもってしてしか手放さない。よってプー
チンが北方領土を返すはずはない。大統領候補に出馬表明の女性に注目wロシ
アは女性もなかなかに活躍する歴史の国w

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