ドイツのトレジャーハンターが東部ブランデンブルク州オラニエンブルクOranienburg in Brandenburg郊外の町で、ナチスが研究を進めていた核爆弾の素材である可能性がある物質を発見した。英紙インデペンデントが報じた。同紙によると、2017年9月22日、ベルンド・タールマン(Bernd Thälmann)さん(64)は金属探知機を用いて変わった音の信号を出していた物質を見つけ、見つけた物
について調べた上、警察に伝えた。専門家の調査の結果、放射能を出す放射能物質 の固まりa lump of radioactive materialと明らかになり、近隣に住む15人が避難した。当局によるとタールマンさんは、オラニエンブルクに位置する、兵器級プルトニウム製造のためのナチスの秘密研究所から残った痕跡を見つけ出そうとしていた。この研究所は、ナチの原爆作成計画 Nazi atom bomb projectを実現しようと取り組んでいた。
1939年頃、ドイツ国防軍は非ユダヤ人のドイツ人物理学者が招集し、第一回研究会議で、原爆製造の可能性について討論した。理論では原子炉の製造は可能でも、爆撃機に搭載できるような小型軽量
な原子爆弾の開発は不可能だと見ていたが、1940年春、ナチス・ドイツは科学者達の要請によってノルウェー作戦を実行し、ノルウェーのヴェモルクVemork, Norwayにある、原爆製造に必要な重水の世界最大の製造工場:左 を占領することができた。アドルフ・ヒトラー総統を始め、ナチス・ドイツ指導者層からは、研究はほとんど理解されず、戦況
の悪化から、開発には2年ほど掛かるとされた提案にも難色を示される中、開発は行なわれた。しかし、連合国側の数度の破壊工作失敗の末、ついに1943年2月27~28日、ノルウェーのノルスク・ハイドロ社Norsk Hydro ASAの重水工場が、イギリス特殊作戦執行部のより訓練された6人のノルウェー人の決死隊により爆破されてしまった。この6人と他の協力者:写真右 による英雄的なガンナーサイド作戦 Operation Gunnersideは、その後映画にもなった。映像 参照記事 参照記事その後の連合軍の施設への空爆や、その後の破壊工作で、ドイツは良質な重水が入手困難になり原子爆弾の開発は完全に中止となった。

1944年11月15日、ドイツに侵攻した連合軍は、原子爆弾開発の重要人物フォン・ヴァイツゼッカー博士(Carl Friedrich Freiherr von Weizsäcker、1912年 - 2007年4月28日):右(1993年撮影と若い頃)を捕らえ、原爆開発の全貌を知るためシュトラスブルクStrasbourgに侵攻しシュトラスブルク病院の一角にあった原子物理研究所を発見して、数名の物理学者を捕虜にした。その結果、ヒトラーは1944年後半には原爆製造の考えを放棄していたと確認され、アメリカがドイツの脅威を理由に原子爆弾開発(マンハッタン計画Manhattan Project)を急ぎ、1945年7月16日に原爆実験を行い、8月6日には広島、7日には長崎への、史上初の大量破壊兵器、原爆の投下にまで踏み切ったことの根拠は全く無かったと言われ、結果は米ソ対立と長い冷戦を招いた。参照記事 参照記事当時のナチの記録やノルウェーのレジスタンスの流れを読みながら、ふっと今の国際状況が頭をよぎった。それほどに、破壊を躊躇しない者が核兵器を手に入れることは最悪の事態で、そんな国が日本の近くにある。上記の物質発見は小さな出来事だが、数十万人の犠牲を蒙った日本は、当時の流れを再検証すべきだろう。

