
2017年2月23日:22日、イラク側は空爆支援の中、モースルMosul西部の南側、Ghizlani
camp付近や空港周辺のIS排除に成功し、ISは、この戦闘で戦線離脱や撤退した仲間リーダーに対し死刑令状death
warrantを交付したと報じられた。23日の記事では、シーア派民兵Al-Hashd al-Shaabiが、モースル西部から西のTal
Afar方面への退路となる幹線道路を寸断したと発表している。現在モースル郊外全体がほぼ包囲された状態にある。映像:
TalAfarでの接近戦 記録映像 記録映像 参照記事このモースル西部での戦闘中、英国国籍のIS兵士Jamal Al-Harith(本名
Ronald Fiddler、英国マンチェスターManchester生まれ 50歳)が2月20日、Tal Kisumで爆弾搭載車輌により自爆攻撃し死亡したと確認されている。


彼は2001年にパキスタンでアルカイダに関与していたとして米軍に逮捕され、
グアンタナモ刑務所Guantanamo
に収容され自白を強要されたが、彼は単に宗教的休日を過ごしていただけだとして2年間拘留後の2004年に釈放され、その際英国政府は、拘留期間中の虐待
などに対し100万ポンド(約1億4千万円)の補償金 £1m in
compensationを払っている。2014年にトルコ経由でシリアへ侵入してISに参加し、彼に払われた補償金もISに渡った可能性が言われている。写真下右は自爆決行直前。
ニュース映像 参照記事 参照記事 IS自爆攻撃まとめ映像 過去モースル東部でのISの車輌自爆攻撃の空撮映像記録
2017年2月24日:モースル西部の戦闘から離脱、脱走したIS兵士143名のリストがISにより作成され、18名が東部でISポリスに
拘束されたと報じられている。すでにイラク軍に奪還された東部だが、市内には隠れISが潜んでおり、攻撃を受ける脅威は無くなっていないとイラク軍が語っ
ている。写真右は、イラク側が制圧したモースル飛行場での、捕らえられたIS側兵員と思われる兵士
参照記事 参照記事

数日間の戦闘でモースル西部南にある飛行場一帯を制圧したイラク軍だが、これに先立つモスル東部の制圧では、東部制圧作戦完了までに100日間を要し、多く
の犠牲を伴った。23日にバグダッドに到着したアメリカ中央軍トップのゲン・ジョセフ・ボータル氏が、500人の死者を出し、3000人が負傷したことを
明らかにしたと、ニューヨークタイムズが
伝えている。写真右下は、2月23日、モースル飛行場奪還のイラク兵士。西部全域の制圧には相当な期間と犠牲が予想されている。

2017年2月27日:モースル西部のISの拠点Tal-AfarのISは、2014年から維持していた本部から撤退したと26日報道されている。ここはこれまでも、イラク軍とISで幾度も奪還と制圧が繰り返された地域。右下は27日付のシリア~イラクの戦況図とモースル西側の拡大図で、イラク軍はシリア国境側のISをTal-Afar付近で分断したのが確認できる。
地図参照記事 参照記事
2017年3月1日;現地28日のイランのメディアは、イラク軍がモースルの州知事庁舎Provincial goverment buildings に約1キロにまで到達したと報じている。
参照記事市内での市街戦が激化する中、市民は逃げ惑い、市民の一部は、わずかでも水や食料のあるIS支配地域の奥まで逃げる状況だと報告されている。下右は、市内西部で、負傷した少女を運ぶイラク兵士。
飛行場の北側にあるチグリス川第4橋は27日に解放され、東部への通行が可能になったようだ。警察部隊が飛行場方面から北上、米軍の訓練を受けた対テロ精鋭部隊は、重武装の第14師団と連携して西側から進撃、米仏両国は空爆で作戦を支援している。東部で3500人の死傷者を出した教訓から、今回は3方面から攻撃を仕掛けて敵の混乱を誘い、1つの前線に戦力を集中できないようにしていると説明されている。モスル西部には、今も75万人の民間人がいると言われる。市内に残るISIS戦闘員は4000~6000人ともいわれ、大量の簡易爆弾が設置されている。
記事と記録映像 参照記事 参照記事 参照記事