Luttwak3過去2014年3月14日付読売新聞4面の特集記事「日本への提言」に、CSIS(戦略国際問題研究所: Center for Strategic and International Studies, CSISは、1962年にアメリカ合衆国のワシントンD.C.に設立された超党派のシンクタンク)の大御所エドワード・ルトワック(Edward Luttwak)が登場し、中国や韓国との関係について日本に助言していた。その彼の主張を以下に箇条書きすると、、
中国の現状:中国の指導者は、内部からの圧力にさらされ、人民は共産党支配に非常に大きな怒りを抱き、中国軍は反日だけで満足せず、特に海軍は米軍を敵として必要としている。更に、中国は効力を無くした共産主義に変わる新しいイデオロギーを必要としている。習近平は「中国の夢」を提唱しているが、最も重要な政治的要素は、中国の力を世界中で行使するという民族意識だ
中国の振る舞いは、外部から大きな反発を生んでいるが、中国指導部は内部圧力に伴う内向き姿勢のため、外部からのメッセージを受け止めることが出来ない。結果、かつて中国に近かったミャンマーは、今や中国を離れた。フィリピンやインドや日本などで、似たような反発が起こっている。
対日関係:日本が尖閣を土産に差し出しても、即座に中国は沖縄を持ち出し「実は琉球がほしいのです」と言うだろう。
日本の対応:尖閣を巡る緊張を和らげることは出来ない。日本は抑止力を強めること。尖閣に20名でも守備隊を配置し、攻撃的でなく諦めない意志を示す事。平和を求めるならば、積極的に戦争を避けなければならない。もし日本が戦う姿勢を示さなければ、中国は益々圧力を強めるでしょう。抑止力強化と同時にやるべき事は、比、印、ベトナム等、中国の脅威に直面する国々を支援し、軍事も含む連携を深めること。日露の長期的な協力も、対中牽制になると見ている。
韓国の現状:韓国は中国を文化面で深く尊敬し、中国が韓国に好意的だと常に考えている。一方で、日本には憎しみを抱いている。朴大統領が中国に安重根記念碑のハルピン設置を提案したのも、感情や非理性的な憎しみからきたものです。憎しみの原因は、韓国が日本の植民地支配と戦わなかったからだろう。だから戦った安重根を顕彰する
対韓関係:日本は韓国を自らの戦略に組み込むことは出来ないと思う。韓国の日本に対する態度は、日本が何をしようと関係有りません。慰安婦問題では、日本が韓国の反応を期待して何かやっても、成果はないでしょう。日本の政策は、韓国以外の世界の反応をもとに検討されるべきでしょう。

51XWV1uYOvL._SL500_以上の事は、彼の自著「自滅する中国」(奥山真司監訳)でも書かれていることで、韓国について、「憎しみの原因は、韓国が日本の植民地支配と戦わなかったから」と分析し、書籍中の韓国部分にある「見返りを求めない施しは、受け取り側の屈辱感に容易に変化しうる」との冷徹な人間観や歴史観で説明され、彼は韓国について、日本の統治が韓国王朝より素晴らしかったため、韓国人は日本の支配と戦わなかったが、それが今になって逆恨みを招いているという見方をしている。参照記事

CSISがアメリカ陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもあることや、ヘンリー・キッシンジャーリチャード・アーミテージらが理事を勤めることから、CSISを代表するエドワード・ルトワック氏の考えは米国政府の政策の根幹にあると見てもいいだろう。日本の政治家の多くの焦点がぼけた見方と比較すると、拾い読みしただけでも、かなり辛らつに明快に分析しているように思う。
特に韓国に関し「見返りを求めない施しは、受け取り側の屈辱感に容易に変化しうる」「日本の統治が韓国王朝より素晴らしかったため、韓国人は日本の支配と戦わなかったが、それが今になって逆恨みを招いている」と言う指摘は、韓国人の深層心理を言い当てているのではないだろうか?同じ事を日本人は言わない(言えない)が、朝鮮戦争で、共に中国と戦った韓国の盟主米国だから言えることだろう。
日本がそれより40年以上も前に韓国併合したのも、実は朝鮮半島を共産主義から守り、その為に半島を近代化しようとした側面のあったことに、いい加減韓国は正面から向き合うべきではないか?当時の時代背景や半島の政治状況はそれほどに危機的であり、そのことを抜きにして被害者的主張を繰り返すのは時代錯誤、歴史への理解不足でしかない。もし当時を植民地支配というなら、いったい日本が何を搾取したと言うのか?
当時の英仏蘭の植民地主義、ソ連共産主義wintwar1939-11-30helsinkiの脅威や、アジア人を見下す状況打開に果敢に挑んだのは、アジアでは日本という小国だけで、西では1939年11月-1940年3月にソ連共産軍と「冬戦争」を戦ったフィンランド位だった。写真右は、1939年11月、ソ連の大空襲を受けるフィンランドの首都ヘルシンキ。この前の1939年8月、バルト3国はソ連に併合され、9月,独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づいてポーランドは占領され、独ソに2分割された。
ecd449f4日本はその後敗戦、米国の占領という国家消失の危機を経験したが、それを屈辱とせず、新たな出発点として正面から向き合い、工業はほとんど破壊され、食事にも事欠く逆境から飛躍的な経済発展を成し遂げ、それが、日本の、明治維新からの唯一の野心である「アジアの発展」に大いに貢献したと、筆者は思っている。写真左は、1945年の3月9日夜、米軍B29、334機による爆弾1665トン以上の空襲を受けた東京大空襲。参考記事:韓国の過剰な民族主義教育 参考記事:ノモンハン事件と日米開戦の関連 過去ブログ:2009年3月韓国教授が語る韓国の歴史歪曲

nappi11 at 01:21│Comments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by POPPO   2016年06月24日 10:11
対支那は手を出せば大火傷する抑止力を日本が持つこと。対韓は非韓三原則(教えず、関わらす、援助せず)を守れ・・・・と理解した。w

本質をついた素晴らしい助言である。w

サヨクの皆さん達が言う、「お話し合い解決が出来る」相手ではないことは確か。w
2. Posted by ん   2016年06月24日 23:23
1.
要するにそういう事だよね。
その通りだと思います。

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