index国連はまだ、シリアの停戦協定成立に期待を持っているようだが、反政府側はすでに離脱をほのめかし、正式成立は難航している。原因は、余りに複雑な反政府側の組織体系と、アサド政権のシリア政府側は、停戦協定協議中もISやヌスラ戦線などイスラム過激派への空爆は続行するとし、それに対し穏健派が、自分たちや市民が攻撃対象になっているとして不満を高めていることだ。
そんな中、国連のシリア問題特使Staffan de Mistura氏:右 が、2年前に国連が報告したシリア内戦の犠牲者数25万人をはるかに上回る、これまで5年間でシリアで40万人が犠牲になったと表明した。
国連は、集計が困難として最近までの犠牲者数の見直しはしておらず、氏は、あくまでも独自の集計によるとしているが、メディアではこの数値は、今年に入り既成事実化している。過去の2012月2月、内戦開始11ヵ月後の当ブログ記事を読み返すと、11ヶ月で犠牲者は6000人近いと書いてある。如何にその後の紛争が熾烈かが分かる。
asad2016年現在、シリア紛争5年目と一般に書かれるが、現バッシャール・アル=アサドBashshār al-Asad大統領の父親のハーフィズ・アル=アサドHāfiz al-Asad前大統領(2000年6月心筋梗塞で69歳で死亡:右)は1982年に中部都市ハマーで反政府イスラム系市民デモ隊数万人を虐殺し、スンニ派イスラム組織:ムスリム同胞団Muslim Brotherhood(復古主義、サラフィー主義を壊滅させた前歴があり、シリアの市民虐殺は1982年には起きており、シリアの混乱と独裁はすでに、少なくても32年続いているともいえる。和平協議中の現在、アサド政権は激しい空爆で市民を無差別に殺害しているとも言われるが、アサドは過去2012年2月にも同じことをしている。この頃になってやっと世界は、シリアでの大量虐殺を懸念しだし、国連での制裁決議も幾度か検討されたが、中露の拒否権で成立に達しなかった。 結果的に、欧州全土を巻き込む難民問題が発生した。 参照記事 過去ブログ: 2015年6月米、有志国連合は、アサド抜きのシリアを模索 シリア 2012年2月和平協議翌日からの猛攻撃 非常事態のシリア 2012年2月同盟は血よりも濃いのか>世界60カ国が中露非難  2012年1月大統領の私兵シャビハの市民狩りの実態 シリア 2011年12月緊張高まる中近東 シリア孤立>内戦か? 12月シリアにいらだつアラブ諸国、トルコ 

nappi11 at 01:10│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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