図はシリア北部、コバーネKobaneや丘の位置。図中の、ユーフラテス川の岸辺に建つ「The Tomb of Suleyman Shah」は オスマン帝国建国者オスマン1世の祖父・スレイマン・シャー Suleyman Shahの墓所で、シリア領内(トルコ国境から約37キロシリア側)にあっても、この墓所は1921年以来、当時のシリアの支配国フランスからトルコの領地として旗を揚げることが許され:写真上、シリアの内戦中もトルコ人の儀仗兵、警護兵40人が常駐していた。トルコ人には神聖な場所で、何としても破壊を避けたいトルコとしては、ISからの破壊を避けるために参戦を決めたとさえ言われている。
コバーネKobaneがISの激しい攻撃を受けていた2014年10月上旬には、図のトルコ領シュリュジュ(Suruc、Suruç)にまで、国境を越えてISの砲弾が着弾していた。過去ブログ:2014年10月クルド人女性兵士が初めてISへ自爆テロ敢行 シリア
2015年2月21日遅く、トルコ軍は、墓所を警護するトルコ兵救助のため150名からなる特殊部隊と25名の情報部員、装甲車57台や戦車39台、他車両100台を投入し、総員572名投入の大作戦は、空からは無人機の支援をうける中成功した。この作戦時、事故で1名が死亡した。記念碑や墓所は移設のために、いったんトルコ領へ引き上げられ、これまでの霊廟施設はISが利用できないように爆破され、任務を完了した部隊は22日早くにトルコへ無事引き上げた。これは実質上の、トルコ軍によるシリア侵攻だが、その後トルコが追加の支援部隊をシリアへ派遣するのかなど、詳細は不明。左は、今回破壊されたこれまでのスレイマン・シャーの霊廟の全景。一連の行動は、オスマン帝国の歴史と、その開祖に最大の敬意を払うというトルコの意志の表れでもある。
シリア政府は同国領土への「言語道断の侵攻"flagrant aggression"」だとトルコ政府を厳しく非難し、何らかの対抗措置をとると表明したと報じられているが、シリア軍はこの地域からすでに敗退して久しい。トルコは、どこからの許可を得ることなく、トルコが独断で決定した行動だと声明を出し、公然とシリア政府を無視している。もしも今回シリアが武力で反発すれば、トルコは武力行使で大規模な反撃をする用意をしていた訳で、この数日で、新たな軍事衝突の発生する可能性もあった。この視点で見れば、この出来事は非常に大きな意味を持つ。また、作戦の遂行に、クルド側YPG兵士300人ほども警護などで協力したとあるのは注目すべきことだ。クルド人居住地域に、トルコの飛び地を認めたことになるからだ。移設予定場所は地図上で確認できなかったが、歴史背景から、トルコに近いチグリス川沿いと想像する。参照記事 参照記事
後日スレイマン・シャーの霊廟はトルコ国境に近い、シリアのアシュマ地方Ashma regionに新設される予定で、すでに確保された場所にはトルコの国旗が掲揚され、このトルコの飛び地領土には警備の戦車が配備されている。写真下は、新しい墓所の場所にトルコ国旗を掲揚したトルコ軍と、22日、その場所に配備された戦車。 参照記事 参照記事
コバーネKobaneがISの激しい攻撃を受けていた2014年10月上旬には、図のトルコ領シュリュジュ(Suruc、Suruç)にまで、国境を越えてISの砲弾が着弾していた。過去ブログ:2014年10月クルド人女性兵士が初めてISへ自爆テロ敢行 シリア
2015年2月21日遅く、トルコ軍は、墓所を警護するトルコ兵救助のため150名からなる特殊部隊と25名の情報部員、装甲車57台や戦車39台、他車両100台を投入し、総員572名投入の大作戦は、空からは無人機の支援をうける中成功した。この作戦時、事故で1名が死亡した。記念碑や墓所は移設のために、いったんトルコ領へ引き上げられ、これまでの霊廟施設はISが利用できないように爆破され、任務を完了した部隊は22日早くにトルコへ無事引き上げた。これは実質上の、トルコ軍によるシリア侵攻だが、その後トルコが追加の支援部隊をシリアへ派遣するのかなど、詳細は不明。左は、今回破壊されたこれまでのスレイマン・シャーの霊廟の全景。一連の行動は、オスマン帝国の歴史と、その開祖に最大の敬意を払うというトルコの意志の表れでもある。
シリア政府は同国領土への「言語道断の侵攻"flagrant aggression"」だとトルコ政府を厳しく非難し、何らかの対抗措置をとると表明したと報じられているが、シリア軍はこの地域からすでに敗退して久しい。トルコは、どこからの許可を得ることなく、トルコが独断で決定した行動だと声明を出し、公然とシリア政府を無視している。もしも今回シリアが武力で反発すれば、トルコは武力行使で大規模な反撃をする用意をしていた訳で、この数日で、新たな軍事衝突の発生する可能性もあった。この視点で見れば、この出来事は非常に大きな意味を持つ。また、作戦の遂行に、クルド側YPG兵士300人ほども警護などで協力したとあるのは注目すべきことだ。クルド人居住地域に、トルコの飛び地を認めたことになるからだ。移設予定場所は地図上で確認できなかったが、歴史背景から、トルコに近いチグリス川沿いと想像する。参照記事 参照記事
後日スレイマン・シャーの霊廟はトルコ国境に近い、シリアのアシュマ地方Ashma regionに新設される予定で、すでに確保された場所にはトルコの国旗が掲揚され、このトルコの飛び地領土には警備の戦車が配備されている。写真下は、新しい墓所の場所にトルコ国旗を掲揚したトルコ軍と、22日、その場所に配備された戦車。 参照記事 参照記事