
戦争の構図はそれほど単純ではないにしても、紛争の初期、まるで熱病にかかったかのように、どちらの陣営もこぶしを振り上げ「戦おう!」と国中で叫んだのは事実だ。その時国民も、父親のハーフィズ・アル=アサドHāfiz al-Asad前大統領が1982年に数万人の犠牲で内紛を鎮圧した記憶のあるアサドも、まさか10万人近くの犠牲と、これほどの国土の荒廃を招いても解決に至らないとは想像もしていなかっただろう。紛争の初期、被害の甚大さと長期化を言っていたのは米国で、ロシアもイランも楽観視していた。中国は何の策も見出せず雲隠れした。個人的にはこんな印象がある。参照記事 過去ブログ:2012年2月同盟は血よりも濃いのか>世界60カ国が中露非難 戦況悪化のシリア、米国はすでに退陣後に焦点 2011年10月世界知らずのメドヴェージェフ 2011年10月中露の反対は「武器を売りたいだけ!」米国 シリア情勢