2012年10月26日 :ミャンマーMyanmar西部ラカイン (ラカインRakhine)州 で仏教徒の住民とイスラム教徒のロヒンギャ(Rohingya)人との衝突が再燃している問題で、同州では死者数は少なくとも67人、家屋3000戸が放火されたと報じられている。衝突は同州の4地域でこの数日間続いており、死者は仏教徒とロヒンギャ人の双方に出ている。ラカイン州では今年6月、仏教徒とロヒンギャ人の大規模な衝突が起き、非常事態宣言が出された。ミャンマー国内には約80万のロヒンギャ人が暮らしているが、ミャンマー政府や多くのミャンマー人は隣国バングラデシュからの不法移民とみなしている。以上参照記事からの抜粋 過去ブログ:加速するミャンマーの中国離れと日本の接近
90%が仏教徒のミャンマーで不法移民の扱いを受けるベンガル系ムスリム集団ロヒンギャ人だが、彼らは、少なくても15世紀にはバングラデシュからミャンマーにかけてイスラム王国が存在したころから居住していたようだ。その後第二次大戦時、ミャンマー(当時ビルマ)に進駐した日本軍とも戦い、その際には、連合国で旧宗主英国側についたといわれ、そのこともあってか、その後ビルマ(現ミャンマー)が英国から独立後の1962年のネ・ウィン将軍政権以降は不法移民とされ、現在に至るもミャンマー国籍は与えられていない。その後も最近までの軍政時代に多くの弾圧で殺戮され、1988年の選挙の際、ロヒンギャはアウンサン・スーチー率いる国民民主連盟(NLD)を支持し、そのことによってまた弾圧を受け、1991年の弾圧では25万人以上の難民が発生し、バングラデシュに逃げ粗末な難民キャンプで生活するという歴史を繰り返し、現在もバングラデシュBangladeshのチッタゴンChittagongからミャンマー側シットウェーSittweに、無国籍のまま多くが暮らすという状態となっている。写真は「ロヒンギャ:Rohingya」NO!」をアピールするミャンマー側仏教徒と「ムスリムを殺すな!」とアピールするミャンマー側ロヒンギャ。人口が多く、発展途上の隣国バングラデシュとしても支えきれる問題ではないだろう。救いは、アウンサン・スーチーAung San Suu Kyi氏がロヒンギャの地位に一定の理解を示している事だ。参照記事 過去ブログ:「中国の勝手は許さない!」とミャンマー国民が中国に反発
2012年11月1日:バングラデ シュ沖のアンダマン海で2012年10月29日頃、イスラム系少数民族のロヒンギャ族Rohingyaが乗った船が沈没し、130人以上が行方不明となっている。船は、バ ングラデシュとミャンマーの国境付近から出発しロヒンギャ避難民Rohingya refugees135人を乗せ 、違法にマレーシアMalaysiaに向かっていたという。漁船に救助された13人の証言から沈没が判明した。ロヒンギャ族は、ミャ ンマーで「不法移民」とみなされており、10月末に仏教系住民と衝突して以降、隣国バングラデシュなどへの避難民が増加。しかし、既に10万~20万人が 難民生活を送るバングラデシュは、新たな避難民の受け入れを拒んでいる。 写真はボートで避難するロヒンギャの2012年6月の写真 参照記事 参照記事 参照記事
2012年11月5日 :ミャンマー西部で仏教徒とイスラム教徒が衝突している問題をめぐり、
アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)氏は3日BBC(英国放送協会)に出演し、自分の「道徳的指導力」を行使していずれかの側を支持することはしないと語った。スー・チー氏は 「私は寛容を呼びかけている。だが、問題の原因を見ずして モラルリーダーシップ(道徳的指導力)なるもの─あなたたちが仮にそのように呼ぶとして─を発揮するべきではないと考えている」 と述べ、国を持たないロヒンギャ人を擁護する発言はできないと語った。参照記事 英文参照記事
2012年11月17日:ミャンマーのテイン・セイン大統領は国連の潘基文(バン・キムン)事務総長に書簡を送り、強い差別を受け不法入国者として扱われているイスラム教徒の少数 民族ロヒンギャの問題解決に向け、市民権の付与や労働許可など権利の拡大を検討する姿勢を明らかにした。国連事務総長報道官が16日発表した。テイン・セイン氏は16日に仏教徒とイスラム教徒、双方のグループの幹部に会い、調和と協力を形作るよう求めた。参照記事
2013年1月28日:タイ政府は28日、ミャンマーを逃れ不法にタイ国内に流入するイスラム系少数民族 ロヒンギャの人々に対し、さらに厳格な措置をとると表明。タイ国家安全保障会議によると、今後は一切、海上からのロヒンギャ人の入国は 認めず、水や食料などの必需品を与えて他国へ向かわせるという。
2012年6月、ミャンマー西部ラカイン州 で仏教系住民とロヒンギャ人の衝突が 勃発して以来、大量のロヒンギャ人がミャンマーを脱出。その多くはマレーシアに向かっているとされるが、これまでにタイで身柄を拘束されたロヒンギャ人は1000人を超える。国連によると2012年、ロヒンギャ人1万3000人がミャンマーおよび バングラデシュから脱出した。航海中に海上で命を落とす者も少なくないという。 現在拘束中のロヒンギャ人たちについて、タイ当局は国内の入国管理所や 警察施設での6か月間の滞在を認め、その間にタイ政府と国連難民高等弁務官事務所が 協力して受け入れ国を探すとしている。参照記事 その後の経過:2013年3月追記前途多難なミャンマー(ビルマ)>宗教対立化激化 追記
90%が仏教徒のミャンマーで不法移民の扱いを受けるベンガル系ムスリム集団ロヒンギャ人だが、彼らは、少なくても15世紀にはバングラデシュからミャンマーにかけてイスラム王国が存在したころから居住していたようだ。その後第二次大戦時、ミャンマー(当時ビルマ)に進駐した日本軍とも戦い、その際には、連合国で旧宗主英国側についたといわれ、そのこともあってか、その後ビルマ(現ミャンマー)が英国から独立後の1962年のネ・ウィン将軍政権以降は不法移民とされ、現在に至るもミャンマー国籍は与えられていない。その後も最近までの軍政時代に多くの弾圧で殺戮され、1988年の選挙の際、ロヒンギャはアウンサン・スーチー率いる国民民主連盟(NLD)を支持し、そのことによってまた弾圧を受け、1991年の弾圧では25万人以上の難民が発生し、バングラデシュに逃げ粗末な難民キャンプで生活するという歴史を繰り返し、現在もバングラデシュBangladeshのチッタゴンChittagongからミャンマー側シットウェーSittweに、無国籍のまま多くが暮らすという状態となっている。写真は「ロヒンギャ:Rohingya」NO!」をアピールするミャンマー側仏教徒と「ムスリムを殺すな!」とアピールするミャンマー側ロヒンギャ。人口が多く、発展途上の隣国バングラデシュとしても支えきれる問題ではないだろう。救いは、アウンサン・スーチーAung San Suu Kyi氏がロヒンギャの地位に一定の理解を示している事だ。参照記事 過去ブログ:「中国の勝手は許さない!」とミャンマー国民が中国に反発
2012年11月1日:バングラデ シュ沖のアンダマン海で2012年10月29日頃、イスラム系少数民族のロヒンギャ族Rohingyaが乗った船が沈没し、130人以上が行方不明となっている。船は、バ ングラデシュとミャンマーの国境付近から出発しロヒンギャ避難民Rohingya refugees135人を乗せ 、違法にマレーシアMalaysiaに向かっていたという。漁船に救助された13人の証言から沈没が判明した。ロヒンギャ族は、ミャ ンマーで「不法移民」とみなされており、10月末に仏教系住民と衝突して以降、隣国バングラデシュなどへの避難民が増加。しかし、既に10万~20万人が 難民生活を送るバングラデシュは、新たな避難民の受け入れを拒んでいる。 写真はボートで避難するロヒンギャの2012年6月の写真 参照記事 参照記事 参照記事
2012年11月5日 :ミャンマー西部で仏教徒とイスラム教徒が衝突している問題をめぐり、
アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)氏は3日BBC(英国放送協会)に出演し、自分の「道徳的指導力」を行使していずれかの側を支持することはしないと語った。スー・チー氏は 「私は寛容を呼びかけている。だが、問題の原因を見ずして モラルリーダーシップ(道徳的指導力)なるもの─あなたたちが仮にそのように呼ぶとして─を発揮するべきではないと考えている」 と述べ、国を持たないロヒンギャ人を擁護する発言はできないと語った。参照記事 英文参照記事
2012年11月17日:ミャンマーのテイン・セイン大統領は国連の潘基文(バン・キムン)事務総長に書簡を送り、強い差別を受け不法入国者として扱われているイスラム教徒の少数 民族ロヒンギャの問題解決に向け、市民権の付与や労働許可など権利の拡大を検討する姿勢を明らかにした。国連事務総長報道官が16日発表した。テイン・セイン氏は16日に仏教徒とイスラム教徒、双方のグループの幹部に会い、調和と協力を形作るよう求めた。参照記事
2013年1月28日:タイ政府は28日、ミャンマーを逃れ不法にタイ国内に流入するイスラム系少数民族 ロヒンギャの人々に対し、さらに厳格な措置をとると表明。タイ国家安全保障会議によると、今後は一切、海上からのロヒンギャ人の入国は 認めず、水や食料などの必需品を与えて他国へ向かわせるという。
2012年6月、ミャンマー西部ラカイン州 で仏教系住民とロヒンギャ人の衝突が 勃発して以来、大量のロヒンギャ人がミャンマーを脱出。その多くはマレーシアに向かっているとされるが、これまでにタイで身柄を拘束されたロヒンギャ人は1000人を超える。国連によると2012年、ロヒンギャ人1万3000人がミャンマーおよび バングラデシュから脱出した。航海中に海上で命を落とす者も少なくないという。 現在拘束中のロヒンギャ人たちについて、タイ当局は国内の入国管理所や 警察施設での6か月間の滞在を認め、その間にタイ政府と国連難民高等弁務官事務所が 協力して受け入れ国を探すとしている。参照記事 その後の経過:2013年3月追記前途多難なミャンマー(ビルマ)>宗教対立化激化 追記
コメント
1. Posted by 松本 栄美 2012年12月19日 12:13
良いサイト、ありがとうございました。