a687f91ecached2012年10月22日「リビアの独裁者」カダフィ大佐がシルト Sirteで死亡して1年目になる2012年10月20日、カダフィ親衛部隊で悪名が高かった「32旅団」を率いた7男の末息子のハミス・カダフィ Khamis Gaddafi氏 (29)がカダフィ守備隊pro-Gaddafi garrisonと現政権支持の民兵との戦闘で死亡したことが明らかになった。英ガーディアン紙は同日、「リビア制憲議会のオマル・ハムダン報道官が、ハミス氏がバニワリードBani Walidで戦闘中に死亡 し66247_384591708278495_711042040_nたと発表した」と報じた。別報道では、逮捕直後に死亡したとも報じられている。リビア政府側は遺体を未確認ともコメントしている。英文記事 参照記事 参照記事 ベレー帽姿が最近の写真 彼は過去にロシアで軍事教育を受け、兄弟の中で最も戦闘的だった。左のハミス氏の横たわる写真も流れたが、真偽は不明。

 首都トリポリから南東に約200キロ離れたバニワリードは、旧政権支持派の拠点。2012年10月17日から起こった現リビア政府軍との激しい戦闘で、両者で13人が死 亡し、約121人 が負傷した。22日の別報道では、死者は26人、200人以上が負傷とある。参照記事 過去に何度か死亡説の流れたハミス氏もこの戦闘で死亡したという。
攻撃は主にミスラタ民兵により、まずバニワリドへの食糧、燃料、医薬品の供給が止められ、一方的にガス弾を含む砲撃が行われたと住民が証言している。数百のバニワリド出身住民が首都トリポリの国会前で座り込みデモを行い、攻撃はバニワリドに多いアラブ・ベルベル系民族ワルファラ族Warfalla tribeに対する部族攻撃だとして、約2週間続く攻撃を止め、平和的解決をするよう求めた。ワルファラ族は、カダフィ時代に優遇された部族だ。過去ブログ:カダフィ残党の反乱を部族対立で見る リビア(42)

時事週刊誌タイムは同日、「カダフィ大佐が死亡して1年が経ったが、依然としてリビアは『カダフィの亡 霊』に苦しんでいる」と伝えた。カダフィ派がかなり残っているためだ。タイムは、「残党の処理問題とともに、カダフィ大佐の莫大な隠匿財産と大量破壊兵器 が依然として悩みの種だ」と指摘した。

長男のムハンマド氏と5男のハンニバル氏、娘のアイシャ氏は、サフィア夫人とともにアルジェリアに逃走した。3男のサーディ氏はニジェールに亡命した。第 1の後継者とされた次男のセイフ・アル・イスラムSaif al-Islam Gaddafi氏は2011年11月バニワリドから車で脱出後に爆撃を受け負傷し拘束され、裁判を受けている。4男のムタシム氏と6男のサイフ・アル・アラブ氏は昨年死亡した。過去ブログ:スパイだらけだった反政府軍内部と息子たち リビア (22)  カダフィ発見者撃たれて死亡 リビア  交渉期限切れ 最終攻撃に突入か リビア(26) カダフィの側近が語る独裁者の最後(36)

2012年10月23日:リビア政府は、最後のカダフィ民兵の拠点バニワリドを制圧したと公表した。市民50人程が死亡し、数100人が負傷。数1,000人の住民が避難していた。今回の政府側の攻撃は、先月住民から、カダフィ民兵が市内で誘拐、拷問、殺人を行っているとの報告を受けての事だった。今後も小規模な報復攻撃が予想される。参照記事

hannibal-kadhafi-300x2215c5f8f552013年3月25日:アラビア半島のオマーンの政府当局者は2013年3月25日、リビアの最高指導者だった故カダ フィ大佐のサフィヤ夫人、長男ムハンマドMohammed Gaddafi氏;左の右、五男ハンニバルHannibal Kadhafi氏:写真左の左、長女アイシャ氏の亡命を受け入れたことを明らかにした。 サフィヤ夫人らは2011年8月 のカダフィ政権崩壊に伴いリビアの隣国アルジェリアに逃亡していた。オマーン当局者によると、一行は2012年10月に同国に入国し、政治活動をしない 条件で政治亡命political asylumが認められた。

24112011-saif-al-islam-gaddafi2013年6月21日:現在リビアのジンタンZintanで拘留中の2011年11月19日リビア南部で拘束された次男のセイフ・アル・イスラムSaif al-Islam Gaddafi氏の弁護士は、リビア当局が公判を8月まで延期したことで、リビアはICC国際刑事裁判所を無視しているとして非難している。今の状況では、意見を述べる機会もないままに死刑判決が下される可能性があると指摘している。リビアは自国で彼に判決を出す意向で、ICCへの引き渡しを拒んでいる。昨年6月には、ICCメンバーが刑務所でセイフ・アル・イスラムに面会したが、彼の脱獄を計画したとしてICCメンバーはリビアのジンタンZintanで民兵に拘束され、その後26日間拘留された。参照記事 写真は2011年末 写真では、2011年に「リビア革命派"Libya revolutionaries"」を名乗る集団がリビア人を脅した報復として彼の右手から3本の指を切り落とした様子が映っている。

nappi11 at 10:38│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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