7b3e68c2237389eba9a84cac0d2f137d_XLomran-ben-saban-gadafijev-ubica022012年9月27日:昨年2011年10月20日、リビア中部シルト付近で最高指導者だったカダフィGaddafi大佐を発見、拘束した 当時の反体制派民兵の一人、シャアバーンOmran Ben Shaabanさん(22)が武装集団に拉致、銃撃され.、フランスで治療を受けていたが 24日に死亡し、飛行機で出身地のミスラタMisrataに空輸された。治療中とカダフィを見つけた当時、カダフィGaddafiの拳銃を持っている本人。彼の遺体からは、拘束中、カダフィ支持派からかなりな拷問を受けていた痕跡が確認されている。

_63120110_63120105シャアバーンさんは2012年7月、カダフィ大佐支持派最後の拠点だった首都トリポリ南部バニワリードBani Walidで 他3人と共に拉致され50日ほど拘束されていたが、先週逃亡した際に腹などを撃たれ再び捕らえられていた。 新議会General National Congress (GNC).の仲介で先週解放され、フランスで治療を受けていたが回復せず、25日、遺体が出身地の 中部ミスラタに運ばれた。リビアでは依然としてカダフィ指示勢力と現体制派との小競り合いが多発していて、各都市の元民兵らが内戦中に出回った武器を保持。シャアバーンさんの 死亡を受け、ミスラタのグループはバニワリードを報復攻撃する構えを見せているといい、緊張が高まっている。遺体の着いた空港では数百人の市民が出迎えていた。写真は、26日彼の棺を担ぐ市民 参照記事 参照記事 過去ブログ:カダフィ残党の反乱を部族対立で見る リビア(42)

article-2207382-1528D337000005DC-186_468x286カダフィが絶対君主の当時の事実も最近公表されている。タレントスカウトで選ばれた15歳の少女がカダフィへの贈り物として砂漠のハーレムに送り込まれ、そこで性的な奴隷の扱いを受けた事実をフランスの記者が暴露している。おびえる少女の前に裸で現れたカダフィは「怖がるな、私はお前の父親であり、兄で愛人である、、」と言ったと証言した写真の女性には、それから約5年、カダフィの性の奴隷という過酷な運命が待っていた。 参照記事

8309cd4c2013年3月25日:生き残ったカダフィ一家surviving family of Colonel Gaddafiが、湾岸諸国の英国と関係の深いオマーンOmanに在住していることが公開された。未亡人のカダフィの妻 Safia、長男の Mohammadと五男Hannibal、娘のAisha、以上4人が確認されている。参照記事 

カダフィ残存兵は、バニワリドBani Walidを拠点に、現在も反政府テロ組織を形勢しており、2013年2月25日、そのメンバーが爆発物の扱い中に爆発事故を起こし、グループのリーダーが死亡、メンバー二人が負傷する事故が起きている。リビアの首都トリポリなどで、現政府側に爆弾テロを計画していると見られ、十分危険な組織のようだ。現在のリビア国軍とは関係がないと言われているが、残存カダフィ近衛兵Kadhafi loyalistsによるクーデター計画や暗殺、反乱を起こす可能性は十分あるだろう。地図は、戦争末期のカダフィ一家の逃走経路 過去ブログ:2012年1月カダフィ残党の反乱を部族対立で見る リビア(42) 2011年9月バニワリード降伏?、カダフィ、国外脱出か? リビア(25)  参照記事

nappi11 at 07:58│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

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