
『確 定された歴史的な証拠と連続的な領有をもって、ベトナムは東ベトナム海、国際的には南シナ海とよばれるところにあるチュオンサ諸島(南沙諸島:スプラトリー諸島Spratly Islands)に主権を実施してきた。 しかし、天然資源と海運交通を支配しようとする野心のもとに、中国はベトナムを凶暴に、非人間的に攻撃し、ベトナム主権と国際ルールを踏みにじった。この ドキュメンタリーは1988年3月14日にチュオンサ諸島への侵入の間、中国海軍によって撮影された。中国海軍の反論できない犯罪の証明である。

1988年の初めの頃、中国海軍はチュオンサ諸島の5つの岩礁と環礁を占領しようとした。このうちの 3つはベトナムが領有している大きな島に非常に近い所にある。ベトナム海軍は急遽物資と機材を6つの岩礁と環礁に運んだ。ベトナム海軍は成功裏にことを進 め、中国海軍が他の島を占領するのを食い止めた。3月の初め、ベトナム海軍の最高司令官は他の3つの

3月13日の午後ベトナムの輸送船3艘は予定通り岩礁に行き、主権を主張して旗を掲げた。し かしその数時間後、4隻の中国の武装戦艦が近づいてきて、拡声器で声高に警告を発した。中国の軍艦からの挑発と威嚇にも拘らず、ベトナムの輸送船は根気よ く岩礁のそばに錨をおろし続けた。ベトナムの輸送船は軽装備でとても中国の武装戦艦と戦う力は無く戦意は無かったが、中国兵はベトナム人を挑発して重装備 の海兵隊員とモーターボートを海に浮かべた。中国兵はチュオンサ諸島200の島とその周辺の岩礁、環礁は全て中国のものであると教え込まれていた。
緊 張関係は海兵隊員が上陸用舟艇に乗り、ミサイル装備の駆逐艦を集結し続けた翌朝まで続いた。彼らはベトナム兵を挑発し続けた。ハノイ時間の朝6時、彼らは 50人の武装海兵隊員を乗せた3隻のアルミボートを出して、岩礁に向かって突進してきた。彼らはベトナム兵の面前で軍隊を上陸させ、昨晩から岩礁のプラッ トフォームに掲げられたベトナムの旗を引き降ろそうとした。
ベトナム人海兵は水位が体の半分まで浸かった岩礁に立って、防衛の帯を作って 敵の侵入を防ごうとした。中国兵は狂ったようにベトナム兵が旗を降ろして岩礁から退くよう脅かした。ベトナム兵は岩礁にしがみついて、国旗をいかなる犠牲 を払っても翻らせ続けると決心した。ベトナム兵に岩礁から撤退させることができなくて、中国の海兵隊員は戦艦に戻らざるをえなかった。そしてつい に・・・。

2008 年夏、ベトナム海軍の代表派遣団は、20年前の中国の侵略からベトナムの神聖な海と土地を守った英雄たちに心からの敬意を捧げるために式典を行った。犠 牲になった水兵と士官を思い出すために、タバコ、チューインガム、水兵の過去の日用品と花輪を海に流した。式典は1988年の中国の侵略以来、毎年実施さ れてきた。犠牲になった人たちを思い出す中で、彼らが祖国防衛のために手をつないで壁を作ったあの時の戦友のイメージが甦ってくる。
今 日、中国の脅迫と挑発の中で生きていかなければならないが、ベトナムはチュオンサ諸島に主権を再確認して、断固として地域の平和な状況を維持し続けること を主張する。歴史の過程において、中国からの度重なる侵略からベトナム海兵たちは、中国の攻撃と占領を画策する陰謀に対して高度な警戒を喚起させてい る。
毎日繰り返される緊張にもかかわらず、ベトナムの海兵と民間の人々は楽しい生活を送り、彼らの生活も改善されてきている。海兵と住 民のそれぞれの世代がベトナムの祖国の海と島の主権を守っている。本土から400km離れた広い海と空の中で、祖国の領海を守る砲台のように断固として団 結している。』過去ブログ:領土問題に明確な戦略を フィリピンが日本、米国にSOS。南沙(なんさ)諸島問題

2012年8月29日:丹羽宇一郎・駐中国日本大使の公用車が襲撃され、車についていた日本国旗が奪われたことを伝える29日の人民日報は、中日友好協会会長の唐家璇(トウカセン)氏の言葉として「釣魚島とその島嶼は古来より中国の領土であり、歴史的、法的に反論の余地は無い。日本側のいかなる勝手な行動も違法、無効であり、徒労に終わる。、、世界の外交史を見ても、領土問題は衝突では解決はしない。冷静に、理性的な態度で対話をするのが問題解決の根本的な手段だ。、、」と書いている。参照記事
上の映像と経過を知った上でこれを読むと苦笑するしかない。
わずか24年前、領土問題の解決に、中国がベトナムに一体何をしたか思い出してもらいたい。威嚇することもなく、武器も持たない人間の大量虐殺がはたして理性的だったか?冷静だったか?周辺国は、中国はまた同じことをするのではないかと危惧している。「歴史的、法的に反論の余地は無い。」と言うが、そうだろうか?歴史などは記録と伝承の集積で、その読み方、事実の集め方でどのようにもなる。自国に有利な記録を有利に書き直せば、そこには作られた事実が発現する。南京大虐殺などいい例だろう。
法的が普遍なのか?過去にどんな法的取り決めをしても、その国家主体が消滅すれば無効だろう。宋や清朝などすでに消滅した古来の国家でしかない。法的根拠を過去の歴史のなかに探しても、それが消滅した国家主体との取り決めであれば今は意味をなさない。日本は敗戦を経験し、同時に日本帝国は消滅し主権を失った。すべてが仕切り直しになったが、領土権に関しては戦勝国側が取り仕切り、その結果の領土権は今も国際的有効性を継続し、これは現在の尖閣を日本国領土と画定している。これを古来の歴史で否定することなど出来ない事だ。その、戦勝国による法的内容の検証なら意味もあろうが、それより過去の法的取り決めや、歴史の掘り起こしをすること自体が無意味であり、せいぜい現在までの経過や歴史の検証材料でしかなく、今現在の状況を否定する何の材料にもならないだろう。聡明な唐家璇(トウカセン)氏なら理解できると思うが?

日本にとって敗戦は不幸だったが、その結果、すべての国がそれまでの植民地主義を精算し、すべての事、それまでの取り決めが国際的なテーブル上で見直され、新しい世界の秩序の中で竹島や尖閣の領有権は削除される事も無く、国際的な協議で再決定された領土範囲の中で日本は今も息をしている。世界が植民地主義を反省し、すべて仕切りなおされた今、それをさかのぼって何の意味があろう。歴史は残っているが、現実ではない。現実は、その歴史に区切りをつけながら進んできた。過去の歴史を今に照らしてもの言うなら、それは時代錯誤というしかない。どんな国際協約も、発行され実施されるまでには再審議の時間が設けられる。いうべきことがあれば、チャンスはその時しかない。ある国がそれを逸したのであれば、その当時の国家のミスでしかない。それでも言いたいことがあれば、司法に問うのが筋道である。受理されればの話だが。
1951年サンフランシス条約で領土が最終確定するが、その前から米軍は、1950年の朝鮮戦争での必要から竹島付近を海上爆撃演習場として使用し、サンフランシスコ条約後の1952年には、竹島の演習場としての継続使用を日本政府に公式に求め、政府はこれを日米行政協定に基づき承認もしている。 竹島の歴史:日本語版(PDF)
北方4島もしかりで、敗戦時、戦勝国が千島列島は返還しろというから放棄したが、北海道寄りの4島に関しては、日本に政治的な正当性もある上に、本来、4島は戦前から千島列島には含まれていないというのが日本の地理学的主張であり、故に過去そこには寺もあり墓地もあった。過去ブログ:ロシア製原子力潜水艦ネルパ>チャクラ2012年1月末インドへリース どこが 日中平和だ!中国海軍増強
チャイニーズは陸続と私の周囲に増えています。
一度、チャイニーズの運転する自動車に轢き逃げされそうになりました。
日本語が出来ずとも、チャイニーズ経営の自動車学校で日本の自動車免許は取れます。
勿論、交通ルール及び歩行者弱者優先は無視でごり押し
自分勝手な暴走運転です。
日本が、日本人が甘過ぎお人好し過ぎたのです余りにも。
話題変わって、
中共や韓国をきちんと批判している。
楽天ブログ
蘇る金狼さんが突然
楽天ブログから削除されてしまいました。
同じく楽天ブログ
コガ・コーラさんが移転先を表示して呉れてました。
コガ・コーラさんのサイトをご覧頂けると幸いであります。
中共韓国への反論反撃の一環として。
宣伝、ご容赦下さい。
付記URLより
「 外国人犯罪の増加からわかること 」
元通訳捜査官 坂東忠信氏サイト更新中です。
坂東忠信氏の
「 新 通訳捜査官 」経済界
「 日本が中国人の国になる 」 徳間書店
異色の軍学者
兵頭二十八氏の
「 日本人が知らない軍事学の常識 」草思社
「 極東日本のサバイバル武略
中共が仕掛ける石油戦争 」
河添恵子氏の
ブログ
ユウチューブで
「 兵頭二十八 」「坂東忠信 」
「 河添恵子 」
「 奥山雅司 」で検索して下さいチャイニーズとチャイナの著しい危険を
無理無体な無法ぶりが出て来ます。
ご高覧下さい。
勝手にこの場を借りる失礼をご容赦下さい。
m(_ _)m乱文にて 敬具