2012年3月15日;考古学の分類では、現代人の祖先、現生人類:ホモサピエンス の前に旧人(原始人類、時代は旧石器時代)と呼ばれる人類の祖先がいる。有名なのは20万年から2万数千年~3~4万年ほど前まで欧州、中央アジアに存在したネアンデルタール人 Neanderthals、デニソワ人で、彼らのDNAは現生人類にまで残ったと2010年に論文が出ているので混じりあった時期があり、ネアンデルタール人の兄弟種と言われ、彼らの直接の系統は3~4万年ほど前に歴史から消えたとされたが、最近の遺伝子研究で、デニソワ人の遺伝子が現在のアジア人、特にポリネシア人やメラネシア人、オーストラリアのアボリジニらから発見されている。彼らはコーカソイド(白人種系)に近い体系で、顔の堀が深かった。過去ブログ:2011年7月悲しきネアンデルタール
その後の氷河期を生き抜いた現代人の祖先が現生人類:ホモサピエンスといわれる人類だが、ここで学者を困らせる化石が出てきた。
中国の雲南省(Yunnan Province」発見1989年:3体)の赤鹿洞窟Red Deer Cave、広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region:発見1979年1体)から見つかった人骨化石を再調査したところ、1万1千年前の氷河期末期を生き抜いた1万1500年から1万4千年前のもので、現代人につながる、今まで知られていない、小柄で解剖学的にも独特な未知の人類 a previously unknown species の可能性があることがオーストラリアのUniversity of New South Walesの研究で分かってきたからだ。(写真は赤鹿人 Red Deer Cave people=馬鹿洞人:ばろくどうじん」と命名された骨格の復元想像イラスト、頭骨は赤鹿人のもの 推定生存年代にそぐわない、原始的な特徴を持っている)
このことは、今ま
での、現代人の祖先はアフリカを起源として欧州大陸から渡ってきた現生人類ホモサピエンスが世界に拡散したとする説に疑問のあることになり、アジアに、独自の現生人類がいた可能性につながる。発見場所から鹿を食べていた痕跡がある事から「赤鹿人 red-deer people」と呼ばれる人類の化石は、考古学に新しいページを設けるのかもしれない。
ひとつの推論として、彼らがデニソワ人(Denisovan)の可能性があり、ロシア南部アルタイ山脈の「デニソワ洞穴」で見つかった5万~3万年前の人類の 指の骨(5歳から7歳のもの)について、細胞核DNAを抽出して全遺伝情報(ゲノム)を解読した結果、現代の南太平洋メラネシア
人Melanesiansに遺伝情報の一部(4~6%)が受け継がれている可能性が高い ことが分かり、国際研究チームはこの「デニソワ人」がアジアにも広く分布していた とみられると、2010年12月23日付の英科学誌ネイチャーに発表している。彼らの末裔が中国南部に移り住んでいた可能性もある。DMA解読から、デニソワ人は23万~3万年前にユーラシア大陸西部に生息したネアンデルタール人に近い兄弟種と判明している。進化史上、人類とチンパンジーの分岐が650万年前とすると、ネアンデルタール人や デニソワ人が現生人類との共通祖先から分かれたのは80万4000年前、ネアンデルタール人とデニソワ人の祖先は64万年前に分かれたと推定されている。 参照記事 参照記事 参照記事 デニソワ2012年2月参照英国記事
インドネシアや、今回の中国にアジア起源の人類が、ネアンデルタールNeanderthalsや、そのDNAをもつホモサピエンスと混血し、彼らが南洋や日本にまで来ていたとするのは理解しやすいし、アジア人のホモサピエンスとの骨格の違いも説明がつく。想像は膨らむが、今後の科学的研究成果が待ち遠しい。考古学的新発見 日本の旧石器人 石垣島の人骨24000年前と確認 人類は4万2千年前から海洋漁業をしていたようだ 東ティモール 稲作の起原からみる日本人
日本で確認されている旧石器時代の遺跡としては、岩手県にある宮守村金取遺跡の12万年前が現在最古といわれ、化石で確認された人類の起源は440万年前のアフリカで、ジャワ原人が100万年前、北京原人で78万年前に出現したと推定されています。。参照記事 参照記事 過去ブログ:Missing Link(ミッシング・リンク)の発見
2012年8月30日:ロシア南部アルタイ山脈のデニソワ洞窟:写真 で見つかり、5万~3万年前と推定された「デニソワ人(Denisovan)」の小指の骨について、ドイツ・マックスプランク研究所(MPI-EVA)などの国際研究チームが改めて細胞核DNAを抽出し、高い精度で解読し直し、30日付の米科学誌サイエンス電子版で発表した。デニソワ人は、23万~3万年前にユーラシア大陸西部に分布して絶滅したネアンデルタール人に非常に近いと考えられている。
小指の骨は少女の物とみられ、2008年に石器とともに発見された。2010年には同じ場所で若い成人の臼歯も見つかっている:右下。 DNAの解読成果を世界11カ所の現代人と比較すると、メラネシアのパプ
アニューギニア人Papua New Guinea(HLA-A 11、4.8%) が最も近く、2010年に発表した最初の解読結果と同様だった。この事は、現代人の祖先、現生人類とデニソワ人の交配があったことを示している。遺伝子解析では、デニソワと近い遺伝子を中国南部の現代人も持っているとされるが、アルタイからの南下ではなく、パプア方面に南下した末裔と判断されているようだ。 参照記事 参照英文記事 MHCクラスI分子分析による DNA解析2011年11月英文参考資料
2012年9月1日:ラオス北部northern Laosで東南アジア最古とみられる現生人類の頭骨化石は2009年、ラオス北部のアンナン山脈(Annamite Mountains)にある洞窟
内の深さ2メートル以上の地中から 発掘され、複数の年代測定方法を用いて4万6000~6万3000年前のものと特定された。 この発見により、アフリカからオーストラリアへと移住した初期の人類が、一部の研究者が主張するようにアジアの 海岸沿いを移動しただけではなく、不慣れなアジア内陸へも進出していたことが明らかになった。 参照記事 英文記事
2013年12月5日;スペイン北部の洞窟caves in the Sierra de Atapuerca in northern Spainで発見された古い人骨からDNAを取り出し、遺伝情報を解読することに成功したと、独マックスプランク研究所などのチームが5日の英科学誌ネイチャー電子版に発表する。分析の結果、約40万年前の人類とわかった。DNA分析はこれまで、猿人から原人、旧人、現代人へという進化段階のうち、旧人の段階に
とどまっていたが、今回は原人の時代(200万~30万年前)までさかのぼり、最古の例になるという。 洞窟からは28体分の骨が見つかった。欧州最古の人類で原人と旧人の中間にあたるハイデルベルク人(ホモ・ハイデルベルゲンシスHomo heidelbergensis:1907年ドイツで発見)とみられる。研究チームは、保存状態のよい大腿骨
から、細胞内の小器官「ミトコンドリア」のDNAを取り出して解読した。これを、旧人である欧州のネアンデルタール人(20万~3万年前)とシベリアのデ
ニソワ人(5万~3万年前)のDNAと比較。長い年月の間に生じた変化の量などから、洞窟の人類は約40万年前のものと断定した。この人類が、デニソワ人
の祖先と70万年前に枝分かれしたこともわかった。参照記事 英文記事(2013年12月5日07時10分 読売新聞)
2013年は、DNA鑑定の発達で新しい発見があいつだが、同時に今までの人類の系統樹を塗り替えるような説も言われ、考古学的には大きなターニングポイントになるかもしれないが、まだまとめ切れていない状態だ。参照記事:歴史が変わるかも? 40万年前の人類DNA解読で、定説見直しか
2015年12月18日:1989年に中国・雲南(Yunnan)省の馬鹿洞:ばろくどう(Maludong、Red Deer Cave):写真右 で発見された大腿骨thighboneの一部の化石は、約1万4000年前の「赤鹿人
Red Deer Cave people=
馬鹿洞人:
ばろくどうじん」などと呼ばれている。大腿骨は比較的小さく骨幹部が細い。150万~280万年前に存在した
ホモ・ハビリスHomo habilis(ホモ・ハビリスはホモ・エレクトスとは共通の祖先から枝分かれし、現生人類へと繋がる事無く絶滅した種であるとされ、分析では
猿人と次の
原人の中間的な段階と考えられている。)のものと非常によく似ている。骨の主は体重が約50キロほどと思われ、有史以前と氷河時代の人類の基準からすると極めて小柄だ。大腿骨は年代的には比較的新しいが、150万年以上前に存在したホモ・ハビリス(Homo habilis)やホモ・エレクトス(Homo erectus)などのはるかに古いヒト属の骨と特徴が似ていることから、この原始人類「赤鹿人」はネアンデルタール人とデニソワ人よりもかなり長い間生き延び、最終氷期の終わり頃まで東アジアの大陸で原始人類の一種が現生人類と同時期に存在していた可能性を示唆しているとされる。雲南省文物考古研究院(Yunnan Institute of Cultural Relics and Archaeology)の吉教授は「チベット高原(Tibetan Plateau)の隆起によって生じた中国南西部特有の環境と気候が、人類の多様性に貢献する保護区を形成していたのだろう。それによって、原始人類の集団がかなり後の時代まで生き延びられたのかもしれない」と語り、現世人類と交わることなく、特定地域で絶滅した種であると推定している。
参照記事 参照記事 英文参照記事 参照記事
2015年11月19日:5年前の2010年に報告されたばかりの謎多き“第3の人類”デニソワ人。その歯の化石を分析したところ、彼らは現生人類やネアンデルタール人と数万年も
の間共存していたことが、11月16日付けの科学誌「Proceedings of the National Academy of
Sciences」の論文で明らかになった。我々ホモ・サピエンスの祖先が、かつて他のヒト科ヒト属(ホモ属)とユーラシア大陸を共有していたことを裏付ける研究結果である。約4万年前に姿を消した
ネアンデルタール人は、現生人類と数十万年もの間すぐそばで暮らしていたが、ある期間そこにはデニソワ人の姿もあったことになる。
過去に行われた指の骨と歯の分析では、現生人類にデニソワ人の痕跡が残されていることが判明した。パプアニューギニアをはじめ太平洋の島々に住むメラネシア人のゲノムの5%に、デニソワ人が貢献しているという。
その後2本目のデニソワ人の歯が見つかり、ミトコンドリアDNAの分析から、先に見つかっていた指の骨の持ち主たちよりも約6万年も前に生きていたとされ、デニソワ人は単一の種として、少なくとも現生人類と同じくらいの期間アルタイ地域に断続的に、またはネアンデルタール人より先に存在していた可能性すらあり、後に交配があったとしても、デニソワ人は元々独立した種で、新たな歯の年代や分析から、これまで考えられていたほどネアンデルタール人とは近縁ではないかもしれないことが示唆された。
参照記事2016年2月22日: これまでの解析で、ネアンデルタール人と現生人類が交配していたことと、さらに同時代に第3の人類デニソワ人も存在していたことが判明している。この3種は50万年前にアフリカの共通祖先から分かれたと考えられ、ネアンデルタール人はアフリカを出る前すでに現生人類と交配があり、現生人類(ヒト)に遺伝子を残し、ヒトより数十万年前にアフリカを出て主にヨーロッパに広がった。
新たなTLRの遺伝子の解析から、ヨーロッパ人と東アジア人、アフリカ人など現代人の14集団のこの領域を調べると7つのタイプに分類された。このうち2つがネンデルタール人由来、ひとつがデニソワ人由来だと判明する。理論的には現生人類(ヒト)より数十万年先にアフリカを出て、中東を経由してヨーロッパに広がったネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカに残った祖先由来のアフリカ人には存在しない。調べると、確かにアフリカ人にはネアンデルタール人由来のTLRを含む領域がほとんどみられなかった。このように、現代人のTLRを含む領域のゲノム配列を詳細に調べ比較してネンデルタール人と

デニソワ人由来だと突き止めた。実はこのネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を最も多く持つのが日本人。どの集団よりも高く、約51%が持っていた。右図の黄色い部分
このことは、世界の中で「最もネアンデルタールに近いのは日本人?
」という推論を浮上させた。言い換えれば、他の民族もネアンデルタール人の遺伝子を持ってはいるが、日本人が一番他の人種と交配せずに今に至った、つまり、縄文人がネアンデルタールに最も近い現生人類の末裔と言えるのでは、、。早い時期から島だったことも、他の人種から隔離される結果になったのかもしれない。 参照記事

2018年8月23日:2012年8月に、シベリアのデニソワ洞窟Denisova cave in Siberiaの骨のDNA解析の結果を発表していたドイツ・マックスプランク研究所(MPI-EVA)は、この洞窟で発見された骨から検出された遺伝子の分析によって、この骨の持ち主の少女は約5万年前、ネアンデルタール人の母Neanderthal mother とデニソワ人 の父 Denisovan fatherを持っていたことが分かったと発表した。さらにカナダ・トロント大学のベンス・バイオラ氏は、「このかけらは長い骨の一部で、この人物が少なくとも13歳に達していたと推測できた」と説明する。
研究者らはDNA解析により、この少女の母親はそれまでデニソワ洞窟に住んでいたネアンデルタール人より、西欧のクロアチアCroatiaで生活していた地域に住んでいたネアンデルタール人に遺伝的に近いと推測している。つまり、ネアンデルタール人は絶滅する数万年前から、欧州東西とアジアの間で移住を繰り返したことになる。遺伝子分析ではさらに、デニソワ人の少女の父親には少なくとも1人、以前は関係が薄いといわれたネアンデルタール人の祖先がいたことも明らかになった。この発見は、2018年8月22日に科学誌「ネイチャー」に発表され、2種のヒト族の交雑によって生まれた子どもの初の決定的な証拠であり、古代のヒト族同士の関係の理解を進めるヒントとなる。
デニソワ人とネアンデルタール人両方の化石が見つかっているのは、シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟だけで、その少ない資料の中から、両者が混血していた事が研究者の努力と最新科学で判明された。
これまで解明された事実を組み合わせた筆者の推理では、欧州のネアンデルタール人の血を引くデニソワ人が、シベリアから渡ったといわれる日本人の祖先にも繋がる可能性があると考えるのが自然ではないだろうか?世界の中で「最もネアンデルタールに近いのは日本人? 」という推論も現実味を帯びてくる。ネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を最も多く持つのが日本人。世界のどの集団よりも高く、約51%が持っていて、その経路が大きな謎とされてきた。この事を指摘したのもドイツ・マックスプランク研究所(MPI-EVA)で、2016年2月に発表している。 参照記事 参照記事:少女の両親は、ネアンデルタール人とデニソワ人 参照記事 参照記事 英文記事