
状況が不明だったが、事件は2011年11月26日の未明2時頃深夜、パキスタン北西部のアフガンから2.5キロの国境付近の モフマンド県バイザイ地区Baizai area of Mohmandの監視所付近で起きた。後日パキスタン軍は付近にはタリバンはいなかったと言っているが、深夜アフガン側から越境したNato/Isaf 国際支援軍ヘリがタリバン攻撃で誤爆

オサマビン・ラディン殺害のときも米軍特殊部隊が越境襲撃し、パキスタン国内の保守層が主権侵害だと声を上げた。今回これを確認したパキスタン政府は、安全上の理由で即時に国内を通過するアフガンNATO軍への生活物資補給車両の通行を禁止し、40数台の運搬車両がパキスタン国内で待機している。通常は、アフガン駐留NATO軍への49%の物資がパキスタン経由で輸送されている。この前日には、米、パキスタンの軍首脳が国境

右は、2011年11月26日、パキスタン・ラホール Lahore, Pakistanでの抗議デモの様子。パキスタンのムフタル国防相は、米国に対してパキスタン南西部バルチスタン(Baluchistan)州のシャムシ空軍基地から15日以内に退去、閉鎖するよう要請したと述べた。この基地は、米中央情報局(CIA)による無人機攻撃の秘密基地のようだ。米国はパキスタン内の職員の一部を本国に呼び戻し、米国人への危害を憂慮しながらも関係修復に動いている。
2011年11月29日:パキスタン側の怒りは収まらず、永久的に物資補給路を通行禁止にするとも言っている。当時の様子は、ヘリの攻撃は2時間以上に及び、パキスタン側からの攻撃中止の要請も無視されたと言われている。足止めされている車両は2500台と報道された。

2011年12月2日:パキスタン側の米国に対する怒りは収まらない。2日のパキスタン軍の声明では、攻撃は明らかな国境侵犯であり、パキスタン側は自国空軍でNato側に反撃すべきだったと強い調子で述べている。参照記事