article-2064901-005E00CD00000258-346_468x286マリア・フォン・トラップ Maria von Trapp(1905 ー 1987) が書いた小説(原題:The Story of the Trapp Family Singers )を元にした映画でわからなくても、1965年の映画「サウンド・オブ・ミュージック:The Sound of Music」と言えばわかるでしょう。この映画が、今年やっと舞台となったオーストリアのザルツブルグで映画を元にした舞台上演がされたとニュースになっています。実は、オーストリアでは長年この映画は歓迎されていなかったのです。参照記事
YOUTUBEドレミの歌 YOUTUBE混声合唱エーデルワイス ジュリー・アンドリュース

映画は、第二次大戦中のオーストリア、ザルツブルグSalzburgを舞台にした話で、映画でジュリー・アンドリュースJulie Andrewsと、7人の子供たちに歌われた「ドレミの歌」とか「エーデルワイス」など日本では有名です。内容は、ジュリー・アンドリュースが扮する修道女マリア(写真:1944年39歳と今も残る当時のザルツブルグの家)が、母親
アガーテをしょうこう熱で亡くしたフォン・トラップ一家(ドイツではvon
Maria_von_Trapp_24が貴族の称号)子供7人
(長男ルーペルト、長女アガーテ、次女マリア、次男ベルナ、三女ヨハン、四女マルティナ、五女ルィータ)の家庭教師に(1926年当時21歳)に派遣され、その後当時47歳のトラップ大佐と1927年結婚(ノンベルク修道院で挙式)しますが、1938年ドイツがオーストリアを併合し、ナチスに反発する一家は、ドイツ軍で一杯のザルツブルク音楽祭から歩いて山を越えて逃げ出します。ドイツに反抗して、自由を求めてのような描き方のハリウッド映画の名作でした。

原作は映画化の際にかなり誇張されているようで、映画は実話を基にしていますが事実は以下のようです。

von-trappこの事実の舞台は映画と同じ、オーストリアの風光明媚なザルツブルク(モーツアルトの生まれ故郷)です。トラップ大佐(1947年没67歳:写真は夫婦で。年齢差は25歳有りました)という人物は、オーストリア海軍のエリートで(実際には少佐とも言われています。戦時中の功績で准男爵の爵位を受けています。)、彼は、1938年にオーストリアがナチスに併合される以前の、オーストリアで政権を握っていたドレフス=シュシュニック(Dollfuss  Schuschnig Regime )体制の支持者でした。このシュシュニック政権というのは、当時のイタリアのムッソリーニや隣国ドイツのヒトラー政権と同じ独裁政権で、ナチスと同じころの1934年に誕生し、そのファシズム体制化下、反対する民衆を弾圧していました。同じころ軍国主義になりつつあった日本もファシズム国家と分類されることもあります。

つまり、大佐の反発は、ファシズム体制に仕える身であっても、隣国ドイツのファシズムに反発したものでした。当時のオーストリア国民の多くは、シュシュニック政権の抑圧に反発してヒトラーによる併合を歓迎し、1938年3月12日にナチス・ドイツの軍隊がオーストリアの国境を越えた時、抵抗する者は一人もなく、引き続き4月10日に実施された、この「併合」の是非を問うオーストリア国民投票では、実に99.73%が賛成票を投じたのです。オーストリア国民の多くがヒトラーを歓迎する中で、反対のものは亡命するか、転向するかの選択を迫られました。

article-2064901-0EE621D600000578-786_634x487マリアの小説には出てきませんが、フォン・トラップ一家にはマリアがくる以前から長く仕えた
執事のハンスがいました。実は彼は併合前からのナチス信奉者でナチス党員でした。彼は当時すでに、ひそかに大佐の監視をナチスから依頼されていたのですが、オーストリアが併合される直前の1938年3月11日、ラジオからは突然オーストリア首相の降伏宣言が流れて来た日の夕食の後、ハンスは全てを一家に告白し、主人に対し、今後ナチス批判をしないように注意し、後にフォン・トラップ一家の亡命にも協力します。ナチス党員でありながら主人の身を案じ「アメリカに行けるチャンスがあるなら、早く逃げてください。国境がまもなく封鎖されます。早く行って下さい」と助言し、さらに、アメリカからの公演依頼があるのを知ると脱出を強く勧めました。恐らく自分の主人に近寄る危険を察していたのでしょう。そのとき一家は、結婚後に生まれた二人を含め、子供は9人、家族一行11人でした。(上の写真は舞台上演から)*結婚後には、ローズマリー、エレオノーレ、ヨーハネスと、全部で一男二女、3人が生まれ、最終的に一家は12人家族になります。
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一家は1935年のザルツブルク音楽祭で優勝後1936年から「トラップ室内聖歌隊」という名前で欧州各地でコンサートを行っていて、それがアメリカでの公演依頼につながり、一家はアメリカ公演を口実にオーストリアからスイスへ汽車で渡り英国を経て米国に亡命したのです。執事ハンスのその後は不明です。このことは映画の内容とは大きく違い、一家は訂正を求めましたが、映画では訂正されませんでした。

一家の渡米後1941年に真珠湾攻撃で第二次世界大戦が起き、敵国人としての扱いでスパイと疑われたり金銭的にも相当苦労したようです。徴兵され欧州でドイツと戦った長男、次男も戻り、1946年父親が亡くなり、1948年米国市民権を取得。一家は1956年の解散まで「トラップ・ファミリー合唱団 Trapp Family Singers」として米国内でコンサート活動を行い、記録映像 晩年マリアは数人の子供たちと米国バーモント州ストウにトラップ・ファミリー・ロッジを開き、自給自足の傍ら訪問者をもてなしながら各地で講演活動を行い、1987年3 月28日(82歳)に闘病生活article-2064901-00B8AE5D1000044C-913_468x323の末にこの世を去りました。

ヒトラーはオーストリア出身で、ユダヤ人の絶滅政策で有名なアイヒマンはオーストリア人でした。併合時のオーストリアにはドイツの次に大量のナチス党員が存在し、恐らく当時のオーストリア国民には、一家は祖国を捨てた非国民としか写らなかったでしょう。
海外亡命者や愛国者の一部はナチス抵抗運動を起こし、やがてドイツが降伏、オーストリアは1955年に永世中立国を宣言し、ようやく連合国からの占領統治を脱し独立を回復するが、その前後にオーストリアから湧き上がったのが「犠牲者論」で、オーストリアはドイツ占領政策による犠牲者だと言う主張です。その被害者意識は今のオーストリアにも引き継がれているそうです。参照記事 参照記事 参照記事 マリアの参照記事

オーストリア人のこの映画に対する思いとは裏腹に、この映画でザルツブルグは有名になり、今に至るも莫大な観光収入を地元に落としています。
2007年次女マリア92歳さんの記事 *次女のマリアさんは結婚しなかったため、継母のマリア・フォン・トラップさんと同姓同名のようです。2013年7月には来日して日本で公演を行いました。「フォン・トラップ・シンガーズ」初来日公演! 来日コンサート予告映像 来日時の映像 1947年に亡くなったトラップ大佐は、彼らのひいおじいさん(曽祖父そうそふ)になる。

keyvisualファミリー合唱団はトラップ男爵の次男ヴェルナーに引き継がれ、現在ではその息子の子どもたち、つまりマリアのひ孫の世代となって、さらに美しい歌声を響かせている。現在のメンバーは長女のソフィア(23歳)、次女メラニー(21歳)、三女のアマンダ(19歳)、それに末っ子のジャスティン(17歳)の4人。米国全土でコン サートを成功させているだけでなく、世界中で“天使の歌声”を響かせており、公演回数はすでに300回を超えている。2013年ジャパン・ツアーでは、ヴァイ オリン(2名)、チェロ(1名)、ビオラ(1名)、ピアノ(1名)の伴奏で、映画「サウンド・オブ・ミュージック」から「エーデルワイス」「マリア」「も うすぐ17歳」「ドレミの歌」など、多くの名曲を披露した。参照記事

images2014年2月18日:トラップ一家合唱団の子どもたち7人のうち唯一存命だったマリア・フランツィスカ・フォン・トラップMaria Franziska von trapp さん(ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」 のモデルとなった一家の次女)が2月18日に米バーモント VermontStoweで死去。natural causes自然死とあるので、老衰で亡くなられたようです。99歳。写真でギターを引いている。2008年スイスのザルツブルグSalzburgで。参照記事


nappi11 at 00:23│Comments(6)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

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コメント

1. Posted by 案山子   2011年11月23日 23:59
お早うございます
田舎者 判りませんが
時代 動いてます黒人 奴隷  いまわ
天皇何時まで行けねものか
2. Posted by かなじゃっぷ   2011年11月24日 01:26
そうなんや。。。
おじ様の話はいつも面白いので
学校のニュースの発表の場で使わせてもらってます。
感謝、感謝。これも拝借します!!
3. Posted by kako   2011年11月24日 23:40
 サウンド・オブ・ミュージックの題名だけは知ってましたが 映画みたことないです。ドレミの歌 とか エーデルワイスは好きなので よくカラオケで歌ってますが 映画の背景知ると 興味湧いて 映画見たくなりますw DVD借りて見ます。
 
4. Posted by よりばば   2011年11月26日 10:34
美しい草原とジュリー・アンドリュースの歌声に感動し、脱出を図ってからのハラハラドキドキ。印象深い映画でした。
しかし、実際はもっと深刻で危なかったんですね。
5. Posted by おおおおお   2015年11月20日 12:19
おおおおおお
6. Posted by げじまゆ森   2015年11月20日 12:19
まゆげ

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