
Libya has turned a new page on its history.. We hope Libya will establish an inclusive political transition process as early as possible to safeguard Libyan national solidarity and unity, 右写真は、リビア情勢を読む中国人
中国は、国連の常任理事国五カ国の中で最後にリビア新政権を承認した。カダフィ政権崩壊により、利権獲得レースで欧州に出遅れた中国は物量作戦を展開。10月15日までに、コメや食用油、医薬品など130トン以上の支援物資がトリポリに届けられた。今月上旬、リビア産の原油95万バレルを積んで出港したタンカーが中国に向かう可能性が報じられた。ただ、反カダフィ派の新政府が、カダフィ政権の結んだ契約について改めて精査することを示唆しており、中国政府は今後、石油利権確保に向け、さらに反カダフィ派への接近を画策するとみられる。
紛争中の7月、中国はカダフィ側と武器密輸について協議した疑惑もあり、リビア国民から信頼を得るのは簡単ではないだろう。中国の焦りとリビアの中国外し(24) リビアと英国、日本、中国の関係(28)
日本は、リビアが新たな国造りをする際に、自国の知見や技術を活用しながらリビアを支援する用意がある。日本の玄葉光一郎外相は2011年10月21日、このような考えを表明した。リビア政府は、負傷者のための義肢支援を日本側に求めた。
ロシアは、リビアの国営石油企業(NOC)とカダフィ政権時代に締結されたロシアのガス大手「ガスプロム」社との契約についてリビアと討議する構えだ。リビア側が語ったところによると、すでにガスプロム社へは協議への招待状が送られ、ロシア側が中断している作業の見直しなどが協議される。
2011年10月23日;リビアに関して紛争を予感し、最初に書いた記事は2011年2月20日だった。2011年2月~アフリカ、中近東、反体制運動と シーア派スンニ派➀
その時はまだカダフィ軍の空軍も生きていてカダフィ政府軍のほうが優勢だった。しかし、驚く程の速さで国民の蜂起は拡大した。これはインターネット時代ならではで、兵士は携帯電話のツイッターなどを多用した。これが何よりも特徴的な出来事だった。
これを全土的な蜂起と捕らえた米軍の動きは早く、まるで待機していたかのように大型母艦が3月はじめには地中海に姿を見せ、すぐにリビア空軍の殲滅に乗り出し、英仏空軍もこれを支援した。同時に、米英仏の諜報員が相当乗り込み、これがリビア空軍、地上軍の動きを現地から発信し、リビアは制空権を早い時期に失った。その時は国連の地上軍投入も視野に入っていたが、反政府軍支援の方向でプログラムは書き換えられ、アフガン、イランからの撤退を決めていた米軍はリビアへの派兵はしなかった。当初の欧米の迷いから、武器や支援が遅れ、反政府軍には相当な被害が出ると同時に、カダフィ軍が民衆弾圧、インフラの遮断、虐殺を断行、これが反政府行動をより強固にしたといえるだろう。カダフィの誤算は、自国軍の内部からも多くの転向軍人、部隊の出たことで、これが紛争初期の大きな反政府行動の原動力になった。紛争は国連、NATO軍、米国の支援参入で「リビア戦争」になった。フランス、英国 リビアに攻撃ヘリ投入⑫ 米国オバマ大統領、リビアでの無人機爆撃を承認 リビア➈ リビア 国際軍空爆続行 英軍はカダフィ殺害を容認④ 戦争へ突入! 欧米対リビア 2011年3月20日未明(日本時間)➂
形勢が逆転してからはカダフィ軍には多くのアフリカ系傭兵が投入された。彼らの残虐行為がさらに民衆の怒りを買い、リビアにいたアフリカ系労働者が虐待され、国外逃避する事態も起きた。同時にカダフィ政権にどっぷりつかっていた中国人(多くは労働者)、中国企業が国外退避した。これもリビア戦争の特徴だ。中国のリビアでの損害5兆円超!利権も失う?⑱ カダフィの終焉近い⑭
1969年、若いカダフィが無血クーデターを起こし、アフリカでイスラム主義による社会主義国家を目指した。現在のキューバのような国家をめざし、同盟の主流は当時のソビエト、中国だった。その後の資源開発で、現EU諸国にも石油、天然ガスを供給し国家は順調に発展したが、独裁政権は次第にその欠点である権力の集中に傾き、国民の不満は募っていく。反政府的民衆にカダフィは国家警察、秘密警察を多用し、これが国民の不満を増大させた。国は富んでも自由が無い。これが戦争直前のリビアで、民衆の自由への蜂起だったとも言える。また、この戦争では多くのジャーナリストが命を落としているのも特徴的だ。英国人ジャーナリスト、ミスラタで死亡 リビア➇ 2011年2月~アフリカ、中近東、反体制運動➁ 2011年2月~アフリカ、中近東、反体制運動と シーア派スンニ派➀
一方、欧米の支援は豊富な資源と開発利権の保護獲得だったと言っていいだろう。今は、親欧米のNTC新政権が立ち上がり、結果的にその目的は達成できたと言える。ただしこの「資源戦争」の先行きは不透明だ。今後起きる国内問題があまりにも多いからだが、恐らく国連が多くの場面で介入していくだろう。これがうまくいけば、歴史的に国連が一国を自由解放に導いた最初の例になるだろう。この意味でもリビア戦争は歴史に残る戦争だ。新政権は2011年10月23日全土開放を宣言した。生前カダフィは、自分が死んでも、民衆の心の中に自分は生きると言っていた。またこの戦争で、多くの武器がアフリカのアルカイーダ系イスラム過激派に流れたと言われ、これが新たな脅威になる可能性がある。 死を覚悟したカダフィ大佐⑪ 「裸の王様」カダフィ大佐と新たな脅威⑬ リビアでの石油事業建て直し始まる(29) リビアと英国、日本、中国の関係(28)
この戦争の8ヶ月の記録は➀から、これを含め(34)にまでのブログ記事になった。過去記事は カテゴリ 「アフリカ オセアニア」から検索できます。直前の記事;カダフィ、息子の死に疑惑、再調査 リビア(33)
2011年10月24日:カダフィ氏に忠実なインターネット・サイト「セヴン・デイズ・ニュース」によれば、カダフィ氏が10月17日に自ら遺言をしたためたとされており、その後、3人の息子に送付されたという。遺言状のなかでは、殺害された時のままの服装(捕獲時は上下金色の軍服だったが上着は剥ぎ取られた)でシルトに埋葬するよう書かれているほか、NATOおよび暫定国民評議会に対して抵抗を続けるよう求めているという。現在彼の妻 Saifaと娘Aishaはアルジェリアに亡命中で、彼の死亡直後娘はカダフィに衛星電話で電話したが、出たのは新政権の兵士だった。兵士は娘に「今歳食ったチリチリ頭を殺したところだ。"We have killed old Bushufshufa (Frizzy Head).」と答えたと伝わっている。参照記事

10月23日時点で遺体はミスラタのスーパーの保冷室の床に置かれ、一部では、イスラム教は土葬だが、水葬の議論もされていて、リビアの新政府は遺体を身内に引き渡すつもりはないという。最近の調査で、カダフィの世界中の銀行に分散された財産は20兆円 $200 billionとも言われ、国際的な調査のあと、リビア復興資金に当てられる予定 参照記事
2011年10月26日:カダフィの遺体は10月25日未明、新政権側2名によってサハラ砂漠のどこかにシルトで死亡した息子と共に非公開の秘密の場所に埋葬された。検死解剖もされず、サハラの狂犬の最後は、

埋葬以降もNTC新政権はカダフィの死は交戦中の銃弾によると主張しているが、新たな問題として、制圧後のシルト市内の廃墟のマハリホテルMahari Hotel から、カダフィ支持者と見られる53人の処刑遺体が見つかっている。国際人権機関はこれの正当性に疑問を呈している。左下は、ホテルの中庭の遺体。参照記事
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コメント
2. Posted by 案山子 2011年10月23日 07:25
油無かったら殺されなかったかもねー
後旨く行かない思いますよ
後旨く行かない思いますよ
3. Posted by よりばば 2011年10月23日 09:44
リビア人は、自由とはどんなものなのか知らない・・・
そうなんですよね、40年以上もカダフィ独裁政権だったから、まずどこの国と仲良くなるかで、今後が決まるわけで、石油目当てで擦り寄る国でなく、真実自由の国をモデルにして再建して欲しいと思います。
日本がまずやる事は、希望が出ている義肢装具の支援など医療関係は勿論ですが、優秀な人材の留学を受け入れて日本に来てもらい、日本の良さを体感して、リビアの再建に役立つ人材の育成だと思います。
そうなんですよね、40年以上もカダフィ独裁政権だったから、まずどこの国と仲良くなるかで、今後が決まるわけで、石油目当てで擦り寄る国でなく、真実自由の国をモデルにして再建して欲しいと思います。
日本がまずやる事は、希望が出ている義肢装具の支援など医療関係は勿論ですが、優秀な人材の留学を受け入れて日本に来てもらい、日本の良さを体感して、リビアの再建に役立つ人材の育成だと思います。
困っているらしい。。。と
イラン人が言ってた。