2011年05月28日  ネコ 歴史、史実、記録

2011052621350142-2-2562011052621350142-1-256岡山大埋蔵文化財調査研究センターは2011年5月26日、医学部構内にある鹿田遺跡(岡山市)で、ネコの頭部をかたどった木製の操り人形が出土していた。平安時代後期にあたる11世紀中ごろのものとみられ、これまでに確認された動物の操り人形では最古という。ネコの頭部は長さ、幅とも約6センチ。加工された目や鼻の跡が残っていた。これまでは同遺跡で見つかった14世紀のサルが最古だった。、、「傀儡(くぐつ)」と呼ばれた芸能集団が使っていた可能性が高いという。獅子舞のようにネコの頭に布や毛皮をつけ、空洞に通した棒を手で持って操ったらしい。(記事元:共同)上の右の出土品にg1r201分かりやすく目鼻耳のラインを書き込んだのが左。右のカラーの絵は、江戸時代の「山猫まわし」の図。山猫廻しの語源は、毛皮でこしらえた鼬(イタチ)の人形を操ったのが猫に間違われたからとか、道端の子供らに「ヤンマンネッコ(山猫)にカンマンショ(噛ましょ:噛ませよう、噛ませてやろ)」と歌って戯れたからだといわれている。参照記事参照記事

ネコは昔から人気者だったんですね。上の共同の記事には「傀儡(くぐつ)」と在りますが、探した江戸後期の下の絵には「くわいらい=かいらい}とルビが振って在りますから、どちらも正しいのでしょう。右は、江戸時代初期の「洛中洛外図屏風/部分」(16世紀の狩野 永徳の作品)に出てくる、当時村々を廻り、首から提げた箱の上で人形を遣い、即興的な劇を演じたりした傀儡子(くぐつまわし)の絵。

img3d52bdb3zikezj兵庫県西宮市産所町10には、史跡傀儡師故阯(かいらいし・または、くぐつしこせき)が在り、この附近は昔産所といわれた所で1690年頃には40軒程の傀儡師が住んでい た。傀儡師は遠く平安末期に現われ傀儡子・木偶まわし・人形まわしなどと呼ばれ諸地方を巡回興行していたが、室町時代にはいると、その一部がこの産所に住 みつき、西宮神社の雑役奉仕のかたわら神社のお札を持って諸国をめぐりお得意の人形を踊らせながらご神徳をひろめた。1590年頃にはその人形芸が「えびすかき」又は「えびすまわし」といわれて全国的に知られるとうになり、たびたび京都のbba296宮廷で天覧を受けるまでにもなった。さらにその後発展して淡路の人形座や文楽人形浄瑠璃芝居へと成長していった。しかし1850年頃から彼らはおいおいこの地からなぜか姿を消してしまった。、、。

という記述があります。この歴史記述で使っているのが左の図で、『摂津名所図会』西宮傀儡師(かいらいし)の図(18世紀)とあり、江戸時代のもののようですが、拡大して、よく見ればズバリ猫を操っているようです。箱の中も猫の人形のようで、尻尾も出ていますから間違い無いでしょう。という事で、資料を追っていたら、この右下の絵にたどり着きました。ここのブログの調べでは、何とこの猫の操り人形は、
「傀儡師」(かいらいし)や「山猫まわし」の手によって、少なくても11世紀から18世紀まで活躍したという事になります。

nappi11 at 03:19│Comments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

1. Posted by kako   2011年05月29日 03:08
詳しい歴史散歩を楽しみました♪
 やはり 身近な動物ほど 親しみやすいです。

  マンカンショ?
    北陸の方言ではありません
2. Posted by 西宮市民   2020年05月18日 00:22
やんまんねっこにかんまんしょ ですね
マンカンショは誤植?です
山猫に噛ませよう、噛ませてやろ のような意味です
観客の子供に猫のぬいぐるみをけしかけてキャーキャー言わせてたのでしょうね
西宮えびすの近くに傀儡子像がありますよ、小さく地味ですが…

コメントする

名前
メール
URL
絵文字