来年5月10日に州知事選挙が行われるフィリピン南部southern PhilippinesミンダナオMindanao島マギンダナオ州Maguindanaor regionで 23日月曜午前、知事選候補者の妻と親族、その他政治家、ジャーナリスト20人前後を含む、合計40人ほどが武装集団に高速道路で拉致され、そのうち少な くとも21人が殺害され拉致現場から
はなれた場所で遺体で発見された。更に火曜日に埋められたのも含め25遺体が見つかり、これまでに、月曜から発見され た首を切られたり銃殺された遺体数は少なくても46人となった。(以上が事件の第一報で25日、遺体は57遺体に)一部の遺体は拷問や性的暴行も受けていた。かろうじて車列に遅れを取った4人が銃声を聞いて車ごとこの惨劇から脱出し、現在身柄は保護されている。彼らは現場で対立陣営の息子Datu Ampatuan Jrを見たと証言し、その父親Ampatuan Sr、年長の息子Zaldy Ampatuanの関与を証言している。
選挙と殺人がつき物のフィリピンでも、最近では例の無い集団虐殺に、アロヨArroyo大統領は同州とその隣のスルタンクダラット州、コタバト市に非常事態宣言を発令した。
(右下地図の赤い部分) 月曜日に知事候補のイスマエル・マングダダトゥ候補 Ismael Mangudadatuの妻たち一行は6台の車両で立候補届けに向かっていたが、出馬しないようにとの脅迫も受けていた。現在在任10年の現職アンダル・アンパトゥアン知事Andal Ampatuanに疑惑がもたれている。現職知事はアロヨ大統領の支持者でもあり、私兵もかかえる現地の有力者であり、フィリピン政府から莫大な経済支援を受け、次期知事選では息子に後を継がせる予定だった(息子は二人で容疑者は弟)。写真はいずれも事件のあったフィリッピン南部マギンダナオ州アムパツアン郊外 outskirts of Ampatuan, Maguindanao in southern Philippinesの虐殺現場と、埋葬して隠されていた別な場所。
「地域の政治背景」:ミンダナオMindanao島は以前からイスラム教系の支配地域で、政府とイスラム系は1996年に平和協定を結んでいるが、部族対立は頻発していた。その中のマギンダナオ州は イスラム自治区で、中央政府の統治外。(地図上の赤いところ) イスラム教徒ミンダナオ自治地域(Autonomous Region in Muslim Mindanao, ARMM):は、フィリピンのミンダナオ島西部にあるムスリムの自治区域。旧西ミンダナオ地方(Western Mindanao, Region IX)のバシラン島と旧中部ミンダナオ地方(Central Mindanao, Region XII)の一部から1990年11月6日に設立された地方である。中心都市はコタバト市(Cotabato City)で、図の赤い部分ようにミンダナオ島の一部分を支配している。この地域に拠点を持つイスラム系分離独立派「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」(Moro Islamic Liberation Front 、メンバーは1万2000人に達するといわれ、穏健派でマギンダナオ族のムラド議長のもと、12年におよぶ政府との和平交渉に取り組んできた。、さらにその中のイスラム過激派グループ「アブ・サヤフ」(Abu Sayyaf:ASG、拠点はマレーシヤに近いスルー諸島)は分離独立を求め爆弾テロなどを起し、MILFのフィリピン政府との平和協定を無視、妨害している。フィリピン国軍は長年この集団と交戦を繰り返し、軍事支援のために米軍がミンダナオ島西部に駐留している。さらにミンダナオ島にはイスラムゲリラのロスト・コマンド(Lost Command)と呼ばれる複数の犯罪者集団も存在し、金目当ての誘拐や殺人を行い、さらに凶暴さで知られる共産ゲリラも存在し、現在もたびたび軍事衝突を起している。フィリッピンンの首都があるのは北部のルソンLuson島。
ニュースの多くが選挙がらみと言うが、実情はもっと複雑で、この 虐殺に加担した100名ほどの集団が、一体どこの反政府集団なのかは特定されていない。フィリピン国軍は随分早くからアンパトゥアン一族の私兵で、息子が リーダーだというが、この国の国軍情報は余り信用できないのが常で、政治とは無関係な集団が、金をもらって行った可能性もあるし、軍や警察がイスラム過激 派の犯行に見せかけるために関与した可能性も排除できないだろう。もっと疑えば、国軍が現職大統領の強力な支持一派を犯行実行犯と名指しするのも胡散臭 い。大体、当然疑われる対立陣営がここまで残虐をするだろうか?個人的には、国軍、または州軍の中に一部イスラム系と宥和政策を取るアロヨ大統領への反感 があるのではと思うのだが、あくまでも想像です。今後、1990年代のような、フィリッピン国軍の激しい掃討作戦が予想され、すでに3000人の軍隊を送 り込んだとのローカルな情報もある。以下時系列で書き足し
2009年11月25日:フィリピンの警察は25日、23日にマギンダナオ州で知事選に絡み政治家一家とジャーナリストら少なくとも46人が殺害された事件の主要容疑者としてグロリア・アロヨ(Gloria Arroyo)大統領の政治的支援者の1人、同州ダトゥ・ウンサイ(Datu Unsay)の首長で現職知事の息子、アンダル・アンパチュアン・ジュニア(Andal Ampatuan Jr)氏を容疑者として名指しした。更に地元の警察幹部数人が関与して居たとの情報があり、その一人は地元の警察署長、さらに本部長も身柄を拘束されたとの情報がある。この現職知事Ampatuan Srも今年5月に車で移動中に地雷攻撃を 受け、からくも生還しているが、2002年に長男が射殺され、2003年12月23日にはDatu Piang の市長だった息子Datu Saudiが仕掛けられた爆弾で死亡している。どうやらマングダダトゥMangudadatu一族とアンパトゥアンAmpatuan一族というこの地域の 2大勢力の血みどろの抗争劇という筋書きが作られつつあるが、かつては互いに政治的に協力関係にもあったようだ。アンパトゥアン一族には、長い事スペイン、アメリカ、日本の侵略者と戦った歴史があり、その家長は神と言われる一方で、対立する者を恐怖と暴力で押さえつけてきた事実がある。フィリピン全土にこのような政治権力を持つ一族が250ほどもあるという。右下は2007年の選挙ポスターの左アンパトゥアン父親(市長候補)、右が手配された息子(議員候補)、
2009年11月26日:すでに数人の容疑者が逮捕され、関係筋にはAndal Ampatuan Jrが投降するとの情報が入っているようだが、暗殺を恐れて日時や場所は伏せられ、またすでにヘリによる移動の為空軍基地で身柄を保護されているとの情報もある。収容された遺体は57遺体となっているが、まだ増える可能性があり、非常に残酷な殺し方に非難が集まっている。この虐殺で犠牲になったマスコミ関係者は20人と言われ世界中から非難を受ける大事件に発展している。

(続報)重要容疑者のアンダル・アンパトゥアンAndal Ampatuan Jrが身内との協議後の26日、自ら警察に出頭した。彼は事件との一切の関係を否定している。ミンダナオ島の地方都市の市長でもあり、この地域の有力政治家一族の出身で、父親は現職の州知事で、現大統領の支持者でも在る。出頭した息子(写真左中央、右上)は聴取の為首都マニラに送還される予定で、現在警察はすでに20人の関係者を拘束している。 襲撃した100人ほどの中から、自称「Boy」少年(写真右下:覆面で顔を隠している)という証言者が現れ、彼はAndal Ampatuan Jr(Datu
Andal)が襲撃前に「(敵対する)Mangudadatu一族の女も子供も証拠が残らないように全員殺せ!」と言うのを聞いたと言う。皆それになぜと聞く事も無く従ったと語り、多くは後ろ手に縛られ至近距離で撃たれ多数が岡の斜面に埋められ、更に、殺す前に女性は全員強姦されたと供述し、彼は報復を恐れて現在隠れているという。(なんかうそ臭い話で、彼が首謀者だとしても、顔の知られた市長がそんな現場に出向いて指示を出すだろうか?)
出頭してきたAndal Ampatuan Jrは「真実が何も無い。自分は無実で、それを証明するために出てきた」と語っている。彼を国軍がヘリに収容して飛び立つとき、ヘリに向けて銃撃があった というが誰が撃ったかは不明。現在57遺体が発見され、警察はこれ以上の遺体は無いだろうと発言している。(出頭に当たり、恐らく暗殺を警戒してだろう、信用できる中央政府の政治家の保障を取り付けている。写真はVillamor Airbaseにて、非常に周りを警戒しているのが分かる。この後、ミンダナオ島南部のジェネラル・サントスGeneral Santos)空港から首都マニラに向かう。)
助かったイスマエル・マングダダトゥ候補 Eshmael Mangudadatuは、 以前から選挙出馬で脅迫されており、候補者登録には女性のほうが安全と判断した結果虐殺を免れた。彼が目撃者から聞いた情報では、犯行は非常に計画的で、 付近は数日前から兵士によって通行が止められ、遺体を埋める大きな穴が掘られていたと言う。容疑者一族と親密だったアロヨ大統領は、地域に非常事態宣言を 出し、数百の特殊部隊を派遣したと言われている。何か陰謀があるような、、。何せ事件前か ら国軍が事件の起きるのを知っていたと言うウワサがあり、事件直後から国軍がアンダル・アンパトゥアンが容疑者だと言いすぎる。幾ら彼が政敵を脅威に感じ ようが、現状でアンパトゥアン一族はこの貧しい自治区の経済支援という十分な利権を現アロヨ政権からもらっていて、その政権が困るようなあからさまな凶悪 犯罪を犯すとは想像し難く、100人に待ち伏せされて1台の車が難を逃れたとか、正体不明の「少年」が市長である息子を現場で見たとか、不思議な話ばかり である。安っぽい推理小説なら、逃げ帰った4人が犯人たちに情報を送ったスパイと言う事になるのだが、、。真実がどうであれ、起きた事実を見れば、ミンダ ナオ島には想像を超えた現実があるようだ。
2009年11月27日:マニラに着いたアンダル・アンパトゥアンは改めて「自分の良心には全く陰りは無い」と無実を主張。。「真犯人」として、反政府武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)の武闘派指導者アメリル・ウンブラ・カトAmeril Umbra Kato指揮官(政府とのミンダナオに於ける和平交渉に反対で、国軍と衝突や爆弾テロを指揮している。和平派のアンパトゥアン一族とは対立関係にある)の名を挙げた。彼の発言に対しMILFは、「明らかに問題をすり替えようとしている」と、強い反発を示した。MILFは、去年9月の和平交渉決裂以来、特にモロの「先祖伝来の土地」であるイスラム教徒ミンダナオ自治地域の自治権拡大を強く要求 し、この指揮官には去年から逮捕状がでている。(写真右:MILFは関与を否定している)
この事件で妻と親族を殺されたイスマエル・マングダダトゥ氏は 事件後入手した候補証書を手に「自分を止めるのは死だけだ。」「今から我々の解放が始まる」と来年の州知事選挙に向けての活動を宣言した。今回の殺戮では 歴史上類の無い、一度に22人のジャーナリストが殺され、遺体の中には10人の高速道路での通りがかりに拉致された運転手も含まれて居るようだ。
証言①:(司法当局への証言で、6台のうち、 逃げた最後尾の1台、( )内は筆者補足、いずれも非公式)・・自分たちは一行の最後尾より25mほど離れていた。一団は道路上(高速道路)でパトカー数 台で前もって用意された様なチェックポイントで止められた。(1台の4人のうち)一人は先頭車にアンダル・アンパトゥアンが近づくのを見ている。武装した男が窓を開けるように銃を撃って強制し、一行を拉致した。パニックになった我々は急いでUターンしてその場から逃げた。(彼らは現在身を隠している。)
証言②:(マスコミの取材に対して)アンパトゥアン一族の 私兵(民兵)347人は当局によって武装解除されているが、事件後殺戮に使った銃器はすぐに隠された。この証言者は自分と家族の安全保障があれば正式に証 言するという。殺戮に使用された銃器はマンションにあり、武装解除で押収された銃器は違う古いものだ。更に悪い事に、殺戮に使用された(隠された)銃器は 州の国家警察軍から別に購入されたものである。さらに犯行時に使われたパトカーもマンションに隠されている。、、23日月曜の惨劇の前、木曜には穴が掘ら れて用意され、ある証人は19日には殺戮についての情報を得ていたと言う。州の調べでは、数名の警察官が関係しており、19~22日には警官の指示で武装 した100名ほどが国道付近に集結していた。23日11時頃拉致された一団が分かれ道に入るのが目撃され、その後10分ほどして銃声が聞こえた。これを目 撃した州軍(?)の人間は状況を上司に報告し、そこに待機するように指示を受けた。状況から、警察が関与しているのは明白だと言う。現在4人の警察官が拘 束されている。また事件を阻止できなかった事で責任は(州の?)軍幹部にも及んでいる。司法当局はアンダル・アンパトゥアンのいうMILFの関与については証拠も何もないという見解だ。現在アンパトゥアン側(一族)の人間9人が監視と調査の対象で出国禁止になった。。
2009年11月28日:木曜日に出頭したアンダル・アンパトゥアンは金曜日から、弁護士の言う呼吸器系の問題から、狭く暑い収容先では無理だとして病院への収容を求めているが、司法当局は、彼にはそのような問題はなく、特別扱いする必要もないと反発している。殺人罪7件で起訴されている。
2009年11月29日:ムスリムの自治区域ARMMで要職に付く兄のZaldy Ampatuan は、数千人の支援者を前に、改めて出頭した弟の無罪と強力な弁護活動を表明し、事件当時マニラにいたと言う彼は、政府、司法に対し「我々に対し早まった判断をしている」として弟の身柄拘束に対し抗議を表明した。
2009年11月30日:ルソン島首都マニラ では、ジャーナリスト、一般人が犯罪を軽視する政府へ対し抗議デモを起した。午前7時20分、警察と軍隊はCotabato Cityにある 事件に関係した思われるSaudi Mokamad(警察関係、肩書きはInspector監督官?)の自宅などを急襲し、隠してあった重火器、手榴弾など事件に関係あると思われる武器や軍 の制服、バイクを押収した。本人は事件以来行方不明だという。証拠品の弾道検査が行われる。急襲は日曜日に令状が発行され行われたといいながら、すでに重火器は事件に使われたと断定している。
2019年12月20日:フィリピン南部ミンダナオ(Mindanao)島で2009年、知事選をめぐって政治家の親族やジャーナリストら57人が殺害された事件で、首都マニラの裁判所は19日、地元の有力な政治家一族アンパトゥアン(Ampatuan)家の長(おさ)ら43人に対し、殺人罪などで有罪判決を下した。裁判所は、起訴された被告約100人のうち、州知事選に出馬予定だったアンパトゥアン・ジュニア被告と一族7人を含む計28人に殺人罪で禁錮30年の有罪判決を下した。仮釈放は認めていない。また、殺人ほう助罪でアンパトゥアン一族傘下の私兵や警察官ら14人に禁錮8~10年の判決が下った。写真は、マニラの法廷に出廷したアンダル・アンパトゥアン・ジュニア被告(左)と他の被告ら
政治絡みの抗争が絶えないフィリピンでも史上最悪の政敵襲撃事件は、ミンダナオ島のマギンダナオ(Maguindanao)州で2009年11月23日に起きた。検察は、翌年の州知事選への立候補を予定していた地元政治家の妻と親族、顧問弁護士、記者たちが乗った車列を、対立するアンパトゥアン一族らが白昼堂々襲撃し、銃弾で蜂の巣にしたとしている。
事件は対立する一族出身の政治家の出馬を阻止するため画策されたとみられている。殺害された57人のうち32人は記者で、報道関係者に対する襲撃としても史上最悪規模の犠牲者を出した事件となった。
アンパトゥアン家は、イスラム過激派への緩衝材としての役割を期待するグロリア・アロヨ(Gloria Arroyo)大統領政権から私兵の武装を許可され、貧困にあえぐマギンダナオ州を支配してきた一族。裁判の遅れにより、アンパトゥアン・シニア被告ら8人が判決言い渡し前に死亡した。参照記事