2011年2月20日;反政府デモが続くリビア第2の都市ベンガジBenghaziで19日、治安部隊がデモ隊に発砲し、20日付の英インデペンデント紙は、死者が200人に上る可能性があると伝えている。モロッコでもデモが発生している。主に経済改革を求めている。2011年2月20日;中国の一党独裁終結などを求める「ジャスミン革命」集会の呼び掛けを19日に詳しく報道した米国の中国反体制派系ニュースサイト・博訊新聞網がハッカー攻撃を受け、閉鎖に追い込まれた。インターネッ
ト上では「中国当局が攻撃を仕掛けた」との見方も出ている。2011年2月20日:バーレーンではイランと同じ多数派のシーア派がスンニ派王政に反発しているようだ。他の国と違い宗教が前面に出ている。
イエメンではデモで一人死亡
サウジアラビアはスンニ派国家だが、少数派シーア派のデモが起きている。いずれも宗教上の不満であり、民主運動とは温度差がある。この辺を区別してみる必要がある。スンニ派シーア派分布図はクリックで拡大します。
関連過去ブログ:何か歴史が戻っているような、、。エジプト、中近東

2011年2月21日;リビアのカダフィ大佐の息子は、首都トリポリにまで迫った市民のデモに対し、「最後の弾を撃ちつくすまで戦う」と市民に挑戦状を出した。一部の戦車は市民の手に落ち、市民はカダフィ体制がすでに崩壊したかのような興奮ぶりだ。彼は、死者は誇張されているとして「トリポリで14人、ベンガジで84人だ」と言っているが、すでに200名以上が犠牲なったと言われている。カダフィが軍人上がり、反欧米なのは知られた事で、そんな国へ武器を売っていた英国の責任は重いだろう。23日の報道では、空軍が市民に空爆をしたそうで、アルジャジーラの報道では死者は500人を超えているといわれ、造
反した軍人が処刑されている。この後は、軍隊が分裂して市民戦争になるのか、、。:シーア派、スンニ派 今度はイランが、、。また複雑に、、分布図25日、平和な国から見れば、とてもまともじゃない男の言動を追うのもつらいものがあるが、カダフィColonel Qadhafiは造反した国民をドブネズミといい、中国の天安門事件のように、デモ隊を叩きつぶすと言った。それを聞いた側近の秘書が拳銃で暗殺を試みるが失敗。攻撃司令を受けたパイロット2名がジェットから脱出、ジェットは墜落。命令違反した軍人が焼き殺されているが、地方
で将校クラスが寝返っている。その隙に乗じて、自称アルカイーダ(一般的にスンニ派といわれる)という集団がリビア東部に「イスラム首長国」樹立を宣言。女性にブルガ着用を命じ、違反者を処刑した。西部トリポリでは政府軍が武力で優勢とか、、。カダフィの「リビアは俺が作った。壊すのも俺の勝手だ」は迷文句だ。冷遇されていた東部方面軍隊と、西部首都防衛の、装備が豊富なカダフィ直轄の治安軍が衝突するか、、。映画なら「帝国の逆襲」とか「帝国の崩壊」とか題名が付きそうな、、。しかし、現実だ。
2011年2月26日:もともとカダフィも、1969年、腐敗した王政をクーデターで打破し改革開放を行ったヒーローだった。オイルマネーで国民には社会主義的な福祉を行い、650万人の国で100万人も公務員がいる。物価も安く安定し、識字率も88%と高く、貧困層もアフリカでは少ないほうだ。世界の2.1%の原油を算出する。
奇妙でラジカルな言動が西側の反発を招くが、この国にはこれで良いのではないかと思っている。未だに部族、王族のナゴリが残るこの国で、すべてのタガが外れればスーダンのような、慢性的騒乱の国になるだろう。今20代のリビアの若者が、本当の民主主義や資本主義、自由競争社会を分かっているとは思えない。それにしても、国民を撃てというのはやりすぎに見えるが、これが彼流のアラブ人の抑え方なのだろう。もしカダフィが消える事があれば、国民にはもっと厳しく残酷な未来があるような気がする。アラブ社会を、西側の尺度で理解するのだけは避けたほうが良い。それほどに、国情も気質も違う。右図は2月23日の読売新聞からのもの。
2011年2月28日:リビアのほとんどの都市が反政府側に掌握され、カダフィは首都トリポ
リに追い詰められた。造反した軍は、トリポリに数万の私服兵士を送り込み、密かに武器弾薬を供給できる体制を作っているという。情報では、現在
トリポリでは全体の3割ほどの兵士でカダフィを守っている。カダフィの脳裏にはすでに、尊敬する1931年にイタリーとの植民地闘争で絞首刑にされた独立の父 オマル・アル・ムクタル:写真左右(オマル・ムフタール)Omar al mukhtar があるのだろう。(彼のことは多くの映画になっている Lion of Desert 主演アンソニー・クイン)カダフィも彼と同じく「最後まで戦って殉教する」という言葉を吐いている。しかし、当時と大きく違うのは、ムクタルはイタリアの独裁者ムッソリーニと戦った。今、カダフィの敵はリビアの大衆だ。過去ブログ、ムッソリーニ、ベルルスコーニ:イタリー人のマネ好きにはこっちが脱帽!カダフィに引導を渡すのはアメリカか?最近のリビアは決して反米ではなく、米国とは協調路線に変化しつつあった。米国が動き出した。ヒラリークリントンは各国外相と調整に入った。リビア国内のアフリカンが脱出を始めた。カダフィ側が雇った傭兵に間違われるのを避けるためだ。恐らく傭兵は、戦闘に慣れた地続きのスーダン当たりからだろう。 この後の経過:「こりゃ ラクダ!」これはジョークだが、毒ガスはジョークではないような。リビア


イラクもフセイン当時、それなりに平穏、背かなければなんとか生きていけた・・・のでは?