2015年01月


エジプト軍は1月29日、シナイ半島北部で、容疑者2名を殺害し、半島中部al-Jadeyで容疑者3人を逮捕し、自白から武器多数を押収している。参照記事 *イスラエルの首都エルサレルムはイスラム教の聖地でもある。過去ブログ:2014年6月イスラム教とバグダッド シーア派 スンニ派 そして日本への影響

シナイ半島はこれまでになく緊張が高まったとされるが、中東のメディア・アルジャ・ジーラは、シナイ半島に広く分布いするベドウィン族badawī(Bedouin)に焦点を当て、エジプトが30年以上彼らの存在を無視し、何の権利も与えなかったことに言及している。彼らはサハラ砂漠、シナイ半島、アラビア半島、北はシリア、イラクにまで分布する典型的なアラブ民族で、アラブ諸国の王族のほとんどがこの系列だ。戒律に厳しい彼らと、イスラム原理主義で、武器の密輸などでシナイ半島で活動する武装組織との利害関係が一致し、共にこの地域でのカリフ国家成立を目指していると言われる。さらにシナイ半島北部では2013年にイスラム・スンニ派原理主義のモルシ前大統領が追放されて以降、イスラム主義過激派やムルシ支持派と世俗派エジプト軍との戦闘が続いている。参照記事 過去ブログ:2013年8月モルシ支持派有力者拘束続く エジプト 7月軍部が仕切るエジプト これがアラブ式統治か? 先が読めない国 エジプト
エジプトは現在、急速な25歳以下の人口の増大から深刻な就職難になっており、13%とともいわれる失業率から多くが周辺国へ労働力として流失し、一部がテロ組織に参加する結果を招いているといわれる。2015年1月25日の「革命記念日」では、2013年のクーデターで追放されたモルシ元大統領の支持者らが各地で一斉に抗議デモを行い、治安当局との衝突などでデモ隊の9人が死亡した。モルシ支持派は、イスラム原理主義支持派でもある。 参照記事




この件で地元警察の署長が免職処分になったが、オオサンショウオは養殖だったと主張している。誰がそんなこと信じられるか!例えそうであっても、彼らが食い意地の汚い中国人に変わりはない。参照記事
2015年2月27日:中国人民解放軍は新たな兵員募集要項や幹部の昇格規定を発表し、「今後は厳格な体重の基準の設ける」などとして、肥満が新兵採用や昇進に影響があることを明確化した。軍機関紙「解放軍報」(電子版)によると、この規定は軍の四総部(総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部)が昨年(2014年)末、2020年までの中国軍5か年計画として、合同で立案、発表したもので、もともとは軍事訓練の注意事項として提案されていた。採用や昇進の基準となったのは、最近の大卒などの新兵の肥満度が高いことが原因。また、幹部も兵士の先頭に立って軍事作戦を指揮しなければならず、肥満体だと兵士の士気にも影響すると判断したという。規定では明確な体重制限などは記載されていないが、「2020年までに95パーセントの兵士たちが標準体重であることが望ましい」としている。軍では標準体重の基準として、身長からみた体重の割合を示す体格指数(BMI)を重視するという。参照記事




ヨルダン国会の外務委員会議長The chairman of the foreign affairs committee of Jordan's parliament, Bassam Al-Manasseerの発言として伝えられる内容では、ヨルダンも日本もISとの直接対話は無く、交渉はイラクの宗教指導者や部族長らと行われている。イラクは女性死刑囚を日本人人質のためだけでは交換しない意向で、同盟国米国は過激派との交渉には反対している。ヨルダンには、ヨルダン人殺害で2008年に死刑判決を受けて服役中のアルカイダ協力者のイラク人テロリストZiad al-Karboliがいるが、彼の母親が過激組織に、人質交換に加えるように要望しているとも言われるが詳細は不明。人質交換を2対2にするための、ヨルダン側の策謀とも取れる。 参照記事 参照記事




国境付近の夕暮れが、あと1時間と迫った時点でヨルダン側は、女性死刑囚との交換に応じるとしながらも、ヨルダン人パイロットの無事の確認が必要だと語っている。参照記事
別なヨルダンの未確認の報道では、ヨルダンはISと交換の協議が成立し、女性死刑囚は刑務所から出され、乗せた車列が国内を移動中とも言われている。参照記事



内容は半狂乱と言ってもよく、攻撃のためなら「爆弾、ナイフ、銃弾、車、石、さらに、靴でもこぶしでも使え!」と呼びかけている。実際2014年10月、カナダで国会議事堂が襲撃され一人が死亡、別な場所で兵士2名が車ではねられ一人が死亡している。その後フランスでの出来事は、まだ記憶に新しい。この狂人はまた、神の許しの元、今までにないような痛い目にあわせるとも発言している。過去ブログ:2014年10月議事堂のテロリストを倒した守衛官 カナダ


リビアでは、独裁支配を続けたカダフィ大佐が殺害され、全土が解放されてから3年余りとなるが、世俗勢力とイスラム原理主義勢力の対立を背景とした戦闘に部族対立も加わり、国家機能が崩壊しているとも言われる。2014年12月、アメリカ軍は、リビア東部にはすでに「イスラム国」の訓練施設が作られ、戦闘員の育成が行われていると懸念を表明し、実際リビアから多くの兵員がシリア、イラクのISに参加している。日本の外務省はリビア全土を対象に退避勧告を出していて、トリポリにある日本大使館は2014年7月から一時的に閉鎖されている。 参照記事 英文記事 参照記事 過去ブログ:2014年5月リビアでクーデター失敗? 2012年9月米国大使ら4人死亡 原因はイエメンの報復とイスラム冒涜 2012年3月リビア東部、半独立を要求 リビア(45)
*1998年8月7日にケニアのナイロビ(Nairobi)とタンザニアのダルエスサラーム(Dar es Salaam)で発生し、合わせて200人以上の死者を出した米大使館爆破事件


一番は、正式な国家ではないイラク北部、クルド自治国KRGのぺシュメルガ特殊部隊Peshmergaと、シリア北部のクルド防衛隊YPG、自由シリア軍FSAが、欧米の空爆支援のもとで「イスラム国IS」と戦い勝利したこと。
このことで、トルコ経済圏で親トルコと言われていたKRGと、トルコがトルコ内の左翼民族組織であり、テロリストと名指しするPKKと同列と言われる、シリアのクルド人地域の民主統一党(PYD)傘下のYPG、および女性部隊YPJが共同戦線で合同し、その存在を世界に知らしめたことだ。
右の写真は2013年4月当時、シリア軍、そしてイスラム国が送り込んだヌスラ戦線など、反シリア政府組織の

過去ブログ:2014年9月シリア北部でのIS侵攻にクルド側攻撃激化する シリア 2013年4月シリアの新たな局面 クルド人蜂起か? シリア 6月クルド人組織PKK、イラク北部に集結進む シリア

その後、ISの脅威は急速に拡大し、欧米はシリア紛争に加え、シリアとイラクに拡大した対IS攻略に乗り出さざるを得なくなった。
トルコはシリア北部に安全地帯、飛行禁止区域を確保し、シリア政府軍、およびISからの攻撃から国境ライン、クルド、および反アサド組織を守る構想に固執したが、コバーネKobaneに限定すれば、相手はシリア政府軍ではなく、国際規約も無視するISであり、彼らは空軍を持っていない。トルコとすれば、飛行禁止区域を設け、無視されたら一気に越境空爆で反撃に出ようと考えたのかもしれない。
ISの住民虐殺が聞こえるなか、コバーネ奪還が国際的な問題になり、欧米、支援国軍は、2014年8月以来のイラクへの空爆支援を2014年9月下旬、シリアへ拡大せざるを得なくなり、これにはシリア、アサド政権も渋々認める結果となった。
それでもオバマ政権は米国内法の規制で、いずれの正式な国家にも属さないクルド武装組織(YPG、ぺシュメルガ Peshmerga)への直接的な武器支援はできないと渋り、イラク軍経由での武器支援でお茶を濁した。結果は、イラク内クルド自治国家KRGの勢力拡大、軍備強化を警戒するシーア派イラク・マリキ前政権は米国製武器を渡さず、クルド側が米国へ直接要求し、オバマ政権へ不満を述べる事態になった。


こんな流れが、2013年夏ころから2015年1月27日までの大きな流れだろうか。ISとの戦闘は、今後3年間は続くとの米軍の観測もある。最近の原油安も、スンニ派国家サウジの、シーア派産油国イランのイラクへの覇権を警戒する策謀との読みもある。

クルドのトルコ東部への勢力拡大を懸念するトルコは1月27日、シリア北部での「クルド人自治国家Kurdish-controlled autonomous government」樹立の流れには明確に反対の立場を表明している。

シリアだけに限っても、コバーネの解放はほんの小さな地域に過ぎず、米国、支援国軍の空爆以降も、ISはシリアで支配地を拡大したとさえ言われ、シリア全体ではまだ多くの地域でシリア軍の空爆や

時には、住民がいる中でIS兵員が、正体不明な犯人に暗殺され、死を恐れないISもそれに恐怖し、取り締まりを強化し、時には歩いているだけの住民が尋問されることもある。疑いをもたれた家族は突然家宅捜索を受け、時には退去させられる。ISの管理下での行き苦しさなどが原因だといわれ、例えば、礼拝の時間には商店はすべて閉鎖しなければならず、あるものは、ISが強制的に徴収するzakatと呼ばれる寄付などにも不満があるようだ。シャーリア法の厳守で、女性は服装の乱れだけで鞭打ちの刑にさらされる。参照記事 過去ブログ:2014年10月毒ガス使用疑惑のISを恐怖させる暗殺集団「白いシュラウド 」シリア


実はこれ、本物の警官が面白い投稿ビデオを狙ってつくった作品で、4日間で800万回の視聴記録を作ったとか。英文記事 映像:Dover Police DashCam Confessional (Shake it Off) Dover Police DashCam Confessional (Shake it Off) #GEINIG Hip Hop Cops

クリス・カイルChris Kyle氏については、過去ブログ:2012年1月255人殺害、米国戦史最高の狙撃手「クリス・カイル」 と2013年2月米国で英雄と言われた狙撃手 射殺される 米国 に書いてあるのでここでは省略する。
監督のクリント・イーストウッド(84)は、イラク戦争には反対の立場だが、この映画には政治的な意味はないと発言しているといわれる。しかしこの映画は、最近の中東、イスラム情勢の緊張を反映して、米国内では、反イスラム、そして、イラクなどの中東諸国の多数を占めるアラブ人への反感をあおるきっかけになりつつあると報道された。イランの国営メディア、プレスTV:PRESS TVによると、映画「アメリカン・スナイパー」の一般公開が始まったことで、アメリカではイスラム教徒に対する嫌がらせが急増し、反イスラム感情が高まっており、アメリカ・アラブ反差別委員会の報告によると、この映画が一般公開されてから、この委員会やイスラム教徒に対する脅迫が3倍に増えたという。この委員会はまた、「これらの脅迫の捜査のため、FBI・アメリカ連邦捜査局と協力する」と述べた。さらに、この映画の監督を務めたクリント・イーストウッド氏と、主役を演じたブラッドリー・クーパー氏に書簡を送り、立場や見解を表明し、イスラム教徒に対するこの映画の悪影響や過敏な反応を緩和するよう求めている。日本での公開は2015年2月の予定 英文記事 参照記事
個人的には、北欧に住んでいた時のフィンランド人のアラブ人へのイメージは、無教養で乱暴、平気でうそをつき信用できず、まじめに働かない人種だったと記憶している。浅黒い彼らを、白人とは見なさないという風潮もあったように思う。英語圏には、アラブ人がターバンなどの「かぶり物」を着用することから、彼らをスラングでragheadsとも言うが、これには「愚か者」など、かなり軽蔑した意味がある。(Ragには本来ぼろきれの意味があり、このスラングはインドのヒンズー教徒なども意味する) さらに最近の「イスラム国」に代表される残虐性も重なり、欧米社会に反感感情が高まったとしても不思議はないが、イーストウッド監督がそれを狙ったとは到底思えず、キリスト教社会の欧米での反イスラムの感情と、映画の公開が偶然重なった結果だろう。映画は、一人の狙撃手の苦悩と人生を描いているとされ、本人は帰国後、映画製作の準備中、米海兵隊帰還兵に殺害された。

インターネットで公開されたビデオでは、「イスラム国」の黒い旗などは映っていないが、送信したSITE( SITE Intelligence Group)は過去にもISのビデオを公開しており、後藤さんの家族にもEメールでビデオが送信されたといわれる。映像は、日本時間24日午後11時過ぎに公開された。「後藤健二の家族と日本政府が受け取ったメッセージ」と題する2分52秒の内容だ。上の写真は、SITE側の公表で、ぼかしも彼らが入れたようだ。記録映像:残酷な画像を含みます。
現在検証中とされるビデオの中では、後藤さんとは別人と思われる声で、後藤さんからの英語によるメッセージの形式で、同じく人質だった湯川遥菜(はるな)さんが処刑されたことや、自分の解放には身代金ではなく、アルカイダ系で、現在ヨルダンの刑務所に拘束されているイラク人女性サジダ・リシャウィSajida Rishwai(Sajida Mubarak Atrous al-Rishawi )の解放が条件と



2014年12月24日、ヨルダン空軍のF-16パイロット・モアズ・カサスベ中尉 Muath al-Kassasbeh, 26(赤丸内)がシリアのラッカraqqaでISに捕獲され人質になった際、ヨルダン側からヨルダン国内のアルカイダ系囚人との交換が提案され、その際に、上記のイラク人女性Sajida Rishwaiの名前もあがっていたが実現はしていない。 英文記事


2015年1月23日:日本人人質解放には、表面上進展のないまま1月23日が過ぎた。
メディアでは、説得を各国へ打診し、トルコが有力ではとの報道が目につく。
トルコとシリア紛争、ISとの関係を過去の自分のブログから掘り起こし、簡単にまとめてみる。過去ブログ:2011年12月シリアにいらだつアラブ諸国、トルコ ほか



イラクからシリアへ拡大した「イスラム国」は、当然スンニ派を弾圧するアサド政権打倒に動く。シリアのクルド人居住地を支配しイスラム国の領土にしようと、トルコ国境まで迫ったISに対し、今でも何の攻撃もしないトルコの理由がこの辺にある。つまり、両方とも敵が同じなのである。
そして、トルコとISの関係はさらに深くなっていく。ISの物資の調達は最近までほとんどトルコ経由だった。また、多くのIS志願兵はトルコ経由でシリアに入り、トルコは、ほとんどそれを黙認していた。
さらに関係を深めたのは、ISが資金源とする、シリア、イラクで略奪した石油が、闇でトルコに売られているという事実(トルコは否定)で、これをトルコ政府が知らないわけがない。それで得た資金でISは、シリア軍やイラク軍、最近ではクルド人全てと戦っているのである。
これらのことでトルコとISの関係は緊密で、日本政府が親日国トルコに、IS説得の期待をする所以であると思われる。はたしてトルコが、期待に沿ってくれるのかは全く分からないが、今は朗報を期待するしかない。個人的には、トルコが、関係を否定するISとの交渉で表舞台に名前を出すとは思えず、進展があったとしても第3者、または第3国が浮上するのではないだろうか?以上2015年1月23日記述



記事の中にある橋とは、想像ではモースル市内中心を流れるチグリス川の橋を意味している可能性があり、モースルを2分する作戦だろうか。モースルへはすでに、攻撃を開始する警告のビラがイラク軍によって散布されていた。
付近の幹線道路は左の地図の赤いラインで、緑色は石油パイプライン。 シンジャルShingalへの大掛かりな掃討攻撃はすでに1週間ほど前から始まっている。シンジャルは、イラク北部のISがシリア側から補給を受ける上で重要な拠点であり、シリア側へのISの退路でもある。
バグダッド近郊では、サマッラSamarra、ファルージャFallujahでISの攻撃が確認されているが、イラク軍が撃退したとの報道もある。キルクークKirkukは現在クルド側の制圧下にあり、周辺での軍事衝突はあるが、市への経路をすべて制圧したと1月4日クルド側が報じ、西部からの難民もキルクークの難民キャンプへ収容されている。すでにキルクークからの石油パイプでのトルコ側への送油が開始されているので、経路上の地域、及びタルアファルTal AfarからはISは敗退していると推測でき、空爆ではモー




モースルにはアラブ系住民も多数混在することから、クルド側は、アラブ対クルドの対立への発展を懸念し、イラク軍(アラブ系)の積極的な支援、地上戦参加を要望している。現在イラク軍は、周辺への空爆で参加している。ぺシュメルガ Peshmergaによる21日からの攻撃で、ISの軍高官2名が死亡したといわれ、ここ数日で激しい衝突が起きるとIS側が発言しているが、ぺシュメルガ Peshmergaは、しばらくは陣地の構築と、補給態勢の準備に時間をかけるだろう。参照記事 参照記事
現在、クルド人には自治国内で英国とドイツの派遣兵員が訓練を行っているが、1月24日の記事では、スウェーデンも特殊訓練要因の派遣を検討し、議会内の承認を待っている。スウェーデン国内には、すでに10万人規模のクルド人が移住、居住していることで、彼らの母国の危機に、クルド自治国側からの要望があったようだ。クルド人の当局者は、ISは特殊で残忍な相手で、彼らは体や車に爆弾を装着して自爆する潜在的危険性をもち、また、地雷敷設なども行うため、クルド人兵員には特殊な訓練が必要だと語っている。筆者は、クルド語を理解できない若い層の存在もあるのではと想像する。8月からの戦闘で、ぺシュメルガ Peshmerga兵750人が戦死し、4000人以上が負傷した。スウェーデンは、300万人のイラクとシリアの難民支援にも積極的だが、最近の状況から、隣国フィンランドなどと協力して、ドイツ軍の管理下での軍事面での支援も必要だと判断した。現在のスウェーデン議会には、5人のクルド系議員も参加している。参照記事


男の子の赤ちゃんが置き去りにされていた階段の下には、野良猫のマーシャMashaが寝床にしている箱が置かれている。マーシャが他のオス猫にいじめられていると思った住民の女性が部屋を出て階段を降りると、箱の中に泣いている生後約12週間の赤ちゃんに寄り添い、温めているかのようなマーシャがいたという。マーシャは赤ちゃんから離れようとはせず、病院まで救急車に飛び乗って付き添い、男の子が出てくるまで数時間待っていたと書かれている。
誰かが置き捨てたようで、そばには食べの物とオムツの入ったバッグがあった。赤ちゃんは健康に異常




丘は市を見渡せる位置にあり、ISはここから砲撃を繰り返していたが、YPGの夜を徹しての攻撃でISは、11人の遺体と武器を残して敗退した。この結果、ISの支配地域は市の東部15%ほどで、東部に集中していると思われる。
上の図右は、2014年9月末から10月半ばのIS(黒旗)の侵攻で、クルド側はピンクの市の西部から攻撃


シリアの中でも、空爆はコバーネKobaneへ集中して行われ、地上軍との連携がうまくいっている例で、合同作戦が成功している。丘の上に見えるのは、女性部隊YPJの旗で、若い女性兵士の活躍の裏で、多くの将来ある兵士が亡くなったであろうことに胸が痛む。シリア全体では、ISは支配地域を拡大しているともいわれる。 参照記事 記録映像 過去ブログ:2015年1月シリア空爆強化は困難に直面か? コバーネにPKKの旗はひるがえるのか?シリア イラク 2014年10月クルド人女性兵士が初めてISへ自爆テロ敢行 シリア
コバーネKobaneから帰還したペシュメルガ兵士の証言では、コバーネはまるで第2次大戦のスターリングラードの様な瓦礫と破壊の街と化し、クルド人の最も古い街の復興には半世紀はかかるだろうと語っている。兵士は、ISのコバーネからの完全撃退は時間の問題だと言い、4か月に及ぶ激しい戦闘は、ペシュメルガが後方から砲撃し、YPG、YPJが果敢に地上で攻撃する態勢で、この連携も非常にうまくいったとされる。






イエメン政府は今回の戦闘について、イスラム教シーア派の武装組織「ホーシ」が権力の奪取、または権利の拡大を狙っているとの見方を示し、一部報道では「クーデター」とも書いている。ホーシは多数派のイスラム教スンニ派、特にアルカイダ系に対して反発を強め、また、イエメン国内の経済的不安定や治安の悪化、政党の汚職発覚などの政治的混乱に反発し、8月から蜂起し国内の緊張が高まっていた。停戦合意への署名は20日にも行われる見通しで、それまでは双方とも現在の場所にとどまる。イエメンは米国と組んで国際テロ組織アルカイダの掃討に協力してきた。政府が内紛で機能しなくなれば、同国を拠点とする「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」を利することにもなりかねず、欧米諸国は警戒を強めている。同組織はパリの風刺週刊紙が襲撃された事件でも犯行声明を出していた。
*ホーシ:Houthis」は、ホーシ一家を指導者とするイスラム・シーア派ザイド宗派Shia-Zaidi sectsの復興運動を支持する集団を指す。ザイドとは、シーア派に分類されるイスラム教の一宗派。教義はスンニ派に近いが、預言者家系(アリーの子孫)の血縁を重視と説明されている。写真右下は、リーダーのAbd al-Malek al-Houthi 集団は長年、政府側民兵として戦闘などに参加し、また時には政権に反発し2010年にも停戦に合意した経緯がある。現政権に対し野党右派的な存在にも見え、国内での社会的地位や待遇には不満があるようだ。 参照記事 参照記事 参照記事 過去ブログ:2012年9月AQAPのNo2の指揮官死亡か?イエメン
2015年2月6日:中東イエメンの反体制派であるイスラム教シーア派の武装勢力「フーシ(ホーシ)派」the Shiite Huthi movementは6日、政権掌握を宣言、議会に代わる組織や大統領評議会を樹立すると発表した。同派は今年に入り武装闘争を先鋭化させ、首都サヌアで大統領官邸や政府庁舎などを制圧。ハディ暫定大統領や高官らは辞任を表明していた。政情の一層の混乱を回避するため国連主導による協議が約2週間続いていたが、フーシ派の今回の行動は話し合いの決裂を意味する。米政府はこれを非難し、イエメン国内でもフーシの政権掌握は「クーデター」だとして抗議の声が上がっている。フーシは2014年9月、国政への影響力拡大を狙って地盤のイエメン北部からサヌアに入っていた。参照記事 英文記事


拘束されたとみられる日本人の性別や年齢、職業などについては「事案の性質上、コメントを差し控える」として明らかにしていない。だが、インターネット上 では「湯川遥菜(ゆかわ・はるな)」と名乗る日本人男性が、イスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国IS(ISIS)」のメンバーとみられる男らに拘束されている映像が 流れている。この男性は反体制派武装組織、自由シリア軍と行動をともにしていたとみられ、シリア北部アレッポで過激派に拘束されたという。参照記事
映像の中では、写真家、医者と尋問に答えているとされる。英文記事では、彼は髪が乱れ、多少の怪我があるようだが、大したことはないようだと報じ、彼を捕獲した「イスラム国」側は「彼は写真家らしくない格好で、なぜ銃を持っていたのか問い詰めている」と書いている。この日本人は「自分は半分写真家で、半分医者だ。銃は死んだ兵士から調達した」と答えていると紹介し、彼の名前は「Haruna Yukawa ハルナ・ユカワ」と聞こえるとされている。地図は、アレッポAleppoの位置と、最近のISIS の制圧地域(赤い斜線)彼が何をしていた人物かは、次の自己紹介や写真から判断するしかないが、かなりまずい立場にあるのは確かなようだ。 記録映像 尋問の様子映像 英文記事 彼の自己紹介や写真など
「男性は、国際的な軍備会社・PMC(private military company プライベート・ミリタリー・カンパニー)の社長を務める湯川遥菜(Haruna Yukawa)さんだと思われる。身の安全のために彼は身分を「写真家であり医者」と答えているようだが、軍備に携わっていると発覚したら危うい。」と書いている記事もある。民間軍事会社は、1990年前後に南アフリカで誕生したビジネスで、国家から依頼されて軍事力を提供する。
特殊部隊などを経験した高い戦闘技術を持つ軍人が退役後に所属することが多く、高い報酬を得ると説明され、要人警護や船舶会社や国際運送企業の特殊警備、ハイジャック防止なども行う場合もあるようだ。どうやら、そのような会社を軌道に乗せるための活動中に起きた事件のようだ。 参照記事 過去ブログ:2014年7月シリアの戦火は収まる気配なし シリア 2012年8月日本人青年「自由シリア軍」に入隊?シリア
2014年8月19日:18日付のInternational Business Times (IBTimes)紙は、「イスラム過激組織イスラム国 Islamic State:IS」に拘束された日本人Haruna Yukawaは、シリアの反政府組織FSA(自シリア軍)に個人で参加している傭兵 a Japanese private mercenaryだと書き、彼は「仕事になるから」として、今年初めにシリアに渡ったと知人の言葉を引用して紹介している。合わせて、今年7月に彼が投稿したビデオを載せ、映像には彼が、シリアのアレッポAleppoで小銃の試し撃ちをする姿が記録されている。写真は、今年5月、シリアのアレッポで。 映像;シリア内戦 PMC JAPAN 2014 AK47試射 PMC訓練 (民間軍事会社:日本) SYRIA WAR 2014
この映像へのコメントで彼は、日本の会社に所属し、活動は海外だけで、武器は現地調達「僕の本業なんです。命がけになりますが。現在本も書いております。」「元自衛隊員ではありません。8月ぐらいからジャーナリストの方と講演会などを始めて行く予定です。講演会では未公開映像や写真など含めて紹介できればと思っております。」と自己紹介している事から、8月には帰国の予定だった。英文参照記事
過去のリビアの紛争では、カダフィ側の、金儲けで戦闘に参加した傭兵はかなり憎まれ、多くが悲惨な運命をたどったことは記憶に新しい。過去ブログ:2012年3月戦後処理の終わらないリビア(44)
内戦中のシリア北部アレッポで日本人男性が拘束されたとされる事件で、男性は千葉市在住の湯 川遥菜さん(42)とみられることが18日、分かった。湯川さんは反体制派武装組織「イスラム戦線」に 同行していたとみられ、同幹部は湯川さんが過激派「イスラム国」との戦闘を15日に取材に行き、拘 束されたと証言した。湯川さんは「ノウハウを得るため現場を見たい」と話す一方、家族を病気で亡 くしており「死んでもいい」と漏らすこともあったという。写真は、反体制派拠点に残された湯川遥菜さんの所持品=18日(反体制派幹部提供・共同) 参照記事 彼の最近のブログ 別な最近のブログ 彼自身の過去のブログ 過去ブログ:2009年5月東洋のマタハリ 川島芳子 旧ブログ(2008.11.16記)へ加筆 2008年11月東洋のマタ・ハリ また生存説。
2014年8月21日: 20日、、湯川さんが拘束直前まで行動を共にしていたシリアの反体制派武装組織 「イスラム戦線」の幹部:右 は、湯川さんを拘束したイスラム過激派組織「イスラム国」の メンバーを捕虜にとっているとした上で 「捕虜の交換交渉をしています。湯川さんが交換リストの最優先です」と語った。幹部は「イスラム国側から交渉に応じると返答があり、これから交渉に入る」 と述べ、解放に向けて動きがあったことを明らかにしたと報じられた。参照記事
2015年1月20日:イスラム国が殺害を警告する様子を写した動画より。左が後藤健二さん、右が湯川遥菜さん過激派組織「イスラム国」を称するグループが日本人2人を人質に取り、身代金2億ドル(約240億円 $200 million)を72時間以内に支払わなければ殺害すると警告するビデオメッセージを1月20日に公開し、同日外務省当局者が明らかにした。外務省は信ぴょう性を確認しているという。
YouTubeにアップされた動画には、オレンジ色の服に身を包んだ人質として、2014年8月下旬にイスラム国に拘束された湯川遥菜さんと、国際ジャーナリストの後藤健二(宮城県仙台市出身)さんと見られる人物が映し出されている。動画の中で聖戦士ジョン 'Jihadi John' と名乗る、これまでに何人もの処刑をしてきた人物と同一と思われる兵士は英語で、以下のようなことを話しているという。
「日本の総理大臣へ。日本はイスラム国から8500キロ以上も離れた
ところにあるが、この聖戦に進んで参加した。我々の女性と子供を殺害し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルの支援を拠出した。だから、この日本人
の男の解放には1億ドルかかる。それから、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した。だから、この別の男の解放にはさらに1億ドルかかる」
中東を訪問中の安倍首相は1月17日、イスラム国対策としてイラクやレバノンなどに2億ドル(約240億円)の支援を行うとエジプトの首都カイロで発表していた。今回の動画での要求は、これと同額になる。すでに日本政府は、テロには服従しない意向を発表している。映像の聖戦士ジョン 'Jihadi John' と名乗る英国出身と思われる男は、昨年8月以来5人の首を切って処刑し、米国人3人、英国人2人が亡くなっている。US journalists James Foley and Steven Sotloff, American aid worker Peter Kassig and British aid workers Alan Henning and David Haines were all beheaded。右は、過去に「john」と言われる男性が見せた横顔。彼の身元は2014年9月、FBIにより判明しているとされるが、本名は好評されていない。 参照記事 英文記事 英文記事 映像 予備映像 過去ブログ:2015年1月日本の首相中東歴訪と中国のインチキ商法 2014年11月母親のイスラムへの改宗もむなしく米国人処刑される
2012年11月にシリア北部で拉致された米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリーUS journalists James Foleyさんの例では、フォーリーさんが契約していた米ニュースサイト「グローバルポスト」によると、ISは1億ユーロ(約137億円)の身代金を要求していた。グローバルポストもフォーリーさんの家族も、米政府も要求には応じなかった。たとえ身代金を支払ったとしても、ISISが約束通りフォーリーさんを解放していたかどうかは分からない。ISISはフォーリーさんの首をはねて殺害し、その映像を世界に公開した。
後藤健二さん(47)は番組制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インデペンデント・プレス」(東京都港区)を設立し、90年代半ばから小型ビデオカメラを持って戦場や紛争地帯を取材していた。近年はシリアで果敢な取材をしていたといわれ、日
本国内でも、紛争地の現状などについて自ら講演したりするなどの活動をしていた。2014年4月、シリアで取材中に湯川遥菜さんと知り合う。その後、いったん帰国。2014年10月シリアへ出国、同月24日、現地関係者にシリア北部で「イスラム国」の首都ラッカRaqqaへ行くと言った翌日の10月25日以降消息不明になっていた。トークライブ映像 参照記事 参照記事
米国はすでに、救出に協力を惜しまない意向を示しているが、以前の自国民救出で、すでに幾度か特殊部隊を潜入させたが、ことごとく失敗したといわれている。同じく英国も救出には失敗している。
2015年1月21日:21日の中東の衛星テレビ局「アルアラビーヤ(Al-
個人的には、イラク政界からはフセインの影は消えたにしても、現在のイラク治安部隊にはその亡霊が生きているのではと感じている。治安部隊は、親ISスンニ派部族に対し過激な拷問などを行なっていると言われ、そのやり口はフセイン時代の治安部隊、国家警察と酷似している。また、イラク内のシーア派民兵には、フセイン時代にクルドを敵対視した退役兵が多く存在していると筆者はみている。世俗的スンニ派クルド側はすでにこのことを警戒し、シーア派民兵がISを追ってクルド領内に居座った際に不快感を露わにしている。
すでにISが求めるカリフ制国家「イスラム国」樹立の目標は一人歩きしており、例えバグダディ師が死亡しても組織は存続するだろう。その根拠は、シリアもイラクも、現政権組織には現状をまとめるだけの政治力も財源も無いからで、このチャンスに、ISが簡単にカリフ国家の野望を放棄すると見るほうが難しい。イラク、シリアの近未来は、内紛以降、国家としていまだに機能せづ、混乱が続くリビアを見れば想像がつく。過去ブログ:2014年5月リビアでクーデター失敗? この後の経過2015年1月追記:湯川さん殺害か?後藤さん解放は自爆犯との交換?

ヨルダンと日本は18日、アンマンで投資総額が1億6千万ドルに上る太陽光発電プロジェクト構築協定に調印した。ヨルダンのヌスール首相と同国を訪問中の日本の安倍晋三首相が協定調印式に出席した。ヨルダンの政府関係者の説明によると、 同プロジェクトは、中東地域最大の太陽光発電プロジェクトとなる。ヨルダンのアブドラ国王は同日、安倍首相と会見し、双方は両国の協力、特に経済及び投資分野における協
力をより一層、強化する意向などについて意見を交換した。声明は、アブドラ国王が昨年11月に東京を訪れた後、日本はヨルダンに1億ドル(約120億円)
の円借款の供与することを承諾した。英文記事
インド紙「ザ・タイムズ・オブ・インディア」は2015年1月3日、中国製のソーラーパネルをけなす記事を掲載した。中国製品は、電力へのアクセスをもたない3億人のインド農民の生活改変に役立つどころか、価格はインド製の半分にも及ばず市場をかく乱させているという。
インド産業筋によると、中国製のソーラーパネルは利用数ヵ月後故障し、ソーラーライト(左は参考写真)は一ヶ月ぐらいしか利用できない。「ザ・タイムズ・オブ・インディア」によると、多くの中国製品はインド地元ブランド偽装で消費者を詐欺する。インド政府関係者によると、インドは悪質なソーラーパネルの輸入を把握しており、輸入抑制策に知恵を絞っている。インド新・再生可能エネルギー省当局者は
「中国からの太陽熱温水器輸入規制を厳しくするよう、輸出入規制当局に求めている。続いて、ソーラーパネルを対象に措置を導入する」と語った。参照記事 英文記事
インフラ整備の遅れているインド北東部ビハール州Biharなどでは、過去に送電が行われたが、毛派などテロ集団に破壊されたり、電線が盗まれる事態が発生している。州政府は代わりに太陽光発電を設置しているが、住民の評判は悪く、「偽物ではなく本物の電気をよこせ」とのデモも起きている。参照記事
習近平国家主席がインドとの経済関係の強化を図るとインド訪問をしたのは2014年9月で、同月開かれた日印首脳会談で、新幹線の輸出を含め、日本がインドに今後5年間で350億ドルを投融資するとの目標が共同声明に明記されたこととは無関係ではないだろう。参照記事
中印の雪解けに付け込んで商売する中国商人は、これ幸いと偽物商売を展開し、インドが規制に乗り出す方向のようだ。商品は粗悪で、インドのタタなどのブランドを語る悪質さで、品質保証も保証期間さえもない。全く、中国外交と同じといっていいだろう。過去ブログ:2014年11月中国政府専用機でタンザニアの象牙密輸


とにかく悪天候と気温が低く、内部の乾きや材料の遅れ、工事人の到着遅れ、その他経験したことのないような悪条件の中、できただけでも上出来だろう。
まだ外部の照明など、追加工事は残っているが、2015年1月18日の写真が上 すでに営業を開始しており、引きも切らずにお客さんが入っている。
もとはコンビニの跡で、独特なタイル貼りの外部タイル目地を埋める外壁工事もあり、さすがの自分も期


手がける前の状態が左で、電気も来ていない、つまり、暖房も発電機でなければ作動しない状態で、建物への電気の引き込み工事申請まで必要だった。結果からいえば、保健所(大事な営業許可に絡む)、北電(電気の引き込み)、消防(火災報知機の店内移動のため検査が必要)、すべての仕事納めが12月26日までで、何が何でもその前までに終わらなければならならなかった。
工事開始直後から連日の大雪と吹雪で、札幌から山を抜ける道では何度か立ち往生した。


工事でも店舗工事は一般的な内外装工事のほかに、厨房機器設置、給排水、空調、電気工事、防水工事と、工事量は少ないが工事種別が多く、これらを順序良く段取りするのは経験しかない。後先を間違うとそこで工事はストップする。さらに検査のための完了日が決まっているので、無理やりにでも決めたその日の工事は終えなければならづ、精神的にも非常に負担が大きい。
現場では、予測していなかった事態も起きた。壁を解体していると天井が落ちた。材料が悪天候で届か


すべてについての指示が自分に集中する。考えている暇はないので、その場で、できる方法で作業指示をする。上の2枚は、ほぼ同じ方向を写したもので、最初の出来上がった写真のカウンターの左側付近。ここの壁を撤去すると(写真左)、天井が下がってきた。予想はしていたが、完全に修復するには無理と判断し、下がった部分を吊り直し、他で使う材料を転用し、その下全体に新たな天井を作り足した。ちなみに上の左、壁がむき出しの写真は、2014年12月6日の状況。その右の11月の写真では、左奥の壁はまだ壊されていない。置いてあるソファーなどは、オーナーからの支給品で古いもの。これの修繕も手伝うことになった。持ち込まれるソファーの色を考慮して店内を配色したが、うまくまとまった方だろう。


インド料理に欠かせないナンは、カウンター越しに見える窯で焼いている。窯の中には炭が入っていて、着火時は煙がでる。このための排気が難しい。排熱のカロリー計算だけでは、炭火が安定した場合の排気量が多すぎて、店内が寒くなる。結果的に焼いたナンが冷めてしまう。
排気が不十分だと、今度は客席側に煙が流れる。排気には、また、十分な入気(外気)が必要で、多く

1月18日、頼まれた音響を設置し、壁の傷跡などを修理し、札幌に帰ろうと外に出るとまた雪が降り始めた。写真下 雪道の山中を駆け抜け、なんとか夜の7時過ぎに自宅に着くと札幌は晴れていた。前日の猛吹雪で昨日は晩御飯にありつけなかったキツネが雪山で待っていた。
いつもより早く来ているので、さぞかし腹ペコだろうと2日分を用意するとぺろりと平らげた。
実は店から帰る際、コックさんから調理で捨てられる鳥皮をいただいていたので、それを追加し、店の完成の恩恵を我が家に通うキツネも頂くことになり、さぞかしキツネも感謝しているだろう。

