2014年11月
事故の原因について、同地域を覆う濃い霧による視界不良のためとみられる。道路は一時的に深刻な渋滞に陥ったが、事故車両の残骸は撤去され、通行止めは解除された。参照記事 中国記事
記事は、原因は霧と書いているが、内陸寄りで、暖房の時期でもあり、大気汚染の影響は否定できないだろう。
APEC期間中に青空を見せた北京は11月20日、再び深刻なスモッグに見舞われ、1週間間前の「APECブルー」と呼ばれた青空と鮮明な対照を成している。期間中は、北京市を中心とする半径200キロ以内で厳しい交通規制に伴い、数百カ所の工場を一時操業停止した。北京市内すべての学校や政府機関、工場などは、6連休を義務付けられた。中国政府系シンクタンク、上海社会科学院などは今年初めに報告書を発表し、北京の大気汚染状況が「人類の居住に適さないレベル」に達したと指摘した。参照記事
以下の記事内映像には、中国での交通事故が記録されている。交通法規無視もさることながら、夜間の照明不足や視界不良からの事故も確認できる。
写真の家は相当古いのでしょう、2階天井上の断熱が不備で、室内の暖気が天井に抜け、それが屋根の雪を融かし、大きなつららになっています。そこの断熱が十分ならつららはできません。北海道でも、最近はめったに大きなつららは見ることがなくなりました。昔書いた、シベリアの忠犬ハチ公は元気だろうか? 過去ブログ:2012年2月地球は2014年から氷河期に入る ロシア 2011年12月シベリアの忠犬「ハチ公」Якутская Хатико
去年の冬、シリアでも雪が降っていた。その時ブログに載せた写真の、2012年のシリア、ホムスHomsで、初雪をたらいで集めていたあの子は元気だろうか?ホムスは、それから約2年後の今も戦闘状態にある。去年の冬は世界中が寒波に襲われ、エジプトでも100年ぶりに雪が降った。シリアは今年紛争激化後4回目の冬を迎え、シリア、イラク北部では今年、新たな難民がテントで冬を迎える可能性がある。米国東部も寒波のようだ。札幌はまだ積雪にならず、気温も高い。地球全体では、2014年の地球の平均気温は過去最高だったの報告もある。みなさんお風邪など召さぬよう、、。 過去ブログ:2013年12月シリア紛争3回目の冬
*「クッズ旅団、クドス旅団;Quds Brigade、 Quds Force、アル・ゴドス(コドス)軍 Ghods or Qods Force、エルサレム旅団Jerusalem Force」とも表記され、イランの革命防衛隊 Iran's Revolutionary Guards の特殊工作部隊として、イラン国内外の反欧米活動、反イスラエル活動、暗殺やテロに暗躍している事で有名で、司令官としてガーセム・ソレイマーニーQassem Suleimani;左 の名前が過去に浮上している。イランの大統領も手だしできない存在と言われ、2011年には、テヘランの英国大使館への学生デモを操ったとされている。2011年10月には、米国はクドス 部隊が、駐米サウジ大使の暗殺を計画したとして名指しで非難している。 参照記事 参照記事 参照記事 参照記事:民兵部隊(バスィージ)
報告書によると、イラン中央銀行は崑崙銀行に取引口座を開設しており、クドス部隊支配下のイラン企業はその口座を経由して複数の中国企業に資金を送金していた。資金はクドス部隊の海外運営・活動の軍資金に充てられているとみられる。
ロイターは複数の中国企業の一社、「中国深セン藍昊天有限公司」の名を挙げ、「ある時期、イラン国内企業Bamdad社から『金属仕入れの代金』の名目で181万ドルが振り込まれた」と伝えた。ロイターの取材班は、同社の登記簿謄本に記載の社長という男性に電話をかけたところ、男性は「この会社に勤めていない」と答えた。会社の登録住所を訪れたが、そこは個人の住宅であり、住人は「この会社も社長もまったく知らない」と説明したという。一方、Bamdad社も架空の会社で、登録住所の省都はイラン国内に存在していないという。
上記の内容は、イランの秘密組織が海外で活動するに当り、中国国営企業が貿易決済を装って、「クドス 部隊:Quds Force」への送金に協力していたという内容で、中国は欧米との握手の裏で、平気で裏切り行為をしていたことになる。事実なら、中国に正義はなく、儲かれば何でもやる下衆である。イスラムの過激組織の活動は日本でも無関係でなく、1990年に反イスラーム的とされるサルマーン・ラシュディーの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳した筑波大学助教授の五十嵐一(いがらしひとし:当時44歳)氏が、1991年7月11日、筑波大学の校内で何者かにより刺殺されており、イランの暗殺団による暗殺が有力視されている。この件では、イランの反体制派組織「ムジャヒディン・ハルク(سازمان مجاهدين خلق ايران/People's Mujahedin of Iran/イスラム人民戦士機構)」が犯行声明を発表した。写真は2011年6月、胡錦濤主席がイラン大統領と会談 参照記事 参考:犯人は特定できていた!五十嵐一氏の「悪魔の詩」殺人 参照記事
2014年11月19日の記事では、ISがRabia奪還を試み、ペシュメルガがこれを撃退したとある。それほどにここが重要な意味は、モースル付近で劣勢なISにとって、シリア側からの兵員、兵站の送りこみにはこのルートの確保が不可欠なためだ。
8人のISメンバー殺害をクルド側が公表したが、多くはがれきの下にあり、正確には不明だとされ、ISは徐々に後退していると言われる。写真下はRabia国境検問所で、兵士の手には、隣接するシリア側クルド民兵YPGの旗がある。地図下の紫色は、クルド族居住地 参照記事 参照記事
最近、Sinjar付近もペシュメルガが優勢で、ISはモースルMosulへの兵員補給に支障が出ているのだろう。モースルへは、地図上で3本のルートが確認できるが、Rabia以外はすでに、ペシュメルガの攻撃と空爆でISの補給は困難になっていると思われる。
兵員補充に関しては、ISは制圧した村落の長老を集め、ひと家族から最低1名の兵員を出すように命令し、違反した場合は罰を与えているとの記述を目にした。
クルド側の情報とはいえ、ISの兵員状況はかなり悪化していると思える。同時に、ISは自前のキャンプで、数百名の兵員に自爆テロのトレーニングをしているともいわれ、戦闘は過激さを増す可能性がある。19日、イラク・クルド自治政府領KRGの主都 Iraqi Kurdish capitalイルビルErbil(Arbil)で自爆テロが起き、少なくても6人が死亡し、20数名が負傷した。警備が厳重で、テロとも無縁だった首都での、都庁舎近くでの自爆テロに、住民の驚きは隠せないようだ。イルビルでは過去1年ほど前に、治安当局の建物が自爆テロの標的になっている。 参照記事
2014年11月19日:クルド人ペシュメルガ軍Kurdish Peshmerga forcesは19日早朝4時、バグダッド北部のディヤーラー県Diyala(県都はバアクーバ)北部で、IS掃討の作戦を開始した。戦闘にはイラク軍シーア派民兵も参加し、複数のクルド人の村落を解放したとされる。クルドメディアは、ペシュメルガは現在サーディヤSaadiyaまで数キロに迫っていると報じている。ISは撤退の際に道路に爆弾を埋め込んでいるため、爆弾処理の特殊兵員も行動を共にしている。地図からは、北からのペシュメルガと南からのイラクシーア派民兵の挟み撃ちが想像できるが、作戦の概要は報道されていない。 参照記事
イラク軍のシーア派民兵Shiite militiasについては、以前から同じイラク国籍のスンニ派部族への殺りくなどが報告されているが、上記のディヤーラー県Diyalaでも問題が指摘され、ティクリートTikritではシーア派民兵がスンニ派部族15人を殺害し、多数を負傷させ、400戸の家を焼き払ったと報告されている。地域のスンニ派部族が、ISの戦闘に協力しているからというものだろうが、イラク軍民兵の違法さ、残酷さはすでに国際的に問題となっている。このことだけ見ても、今後イラクが一つにまとまるのは非常に困難なように見える。 写真はイラク国旗を掲げるシーア派民兵 参照記事 過去ブログ:2014年11月イラクでISは空輸で武器を受ける
イラク治安当局は、今Tel Afar airportへの空爆を打診中だという。周辺のアラブ諸国には、ISを支援する国があるのであり得ることだが、次に書かれた情報は理解しがたい内容だ。
先週ロシアの大型貨物機がイラク北東部の国際線も離発着するSulaimani( Sulaymaniyah)airportへ着陸しようとしたが許可が出ないため、バクダッド近郊に違法に着陸したと報じている。イラク側は貨物を調査中としているが、約40トンの武器だとコメントし、飛行機の違法な着陸は初めてではないとしているが、荷物が荷物なだけに慎重に対応しているようだ。いずれにしても、イスラム勢力に反発するロシアから、何らかの目的でイスラム圏へ武器が空輸されているのは事実のようで、密輸なのか、横流しなのか、記事には推論さえも書かれていない。下の地図は、11月18日のIS支配と空爆の頻度(緑色の丸) 参照記事 参照記事 過去ブログ:2014年8月ISのヤジディ教徒虐殺続く イラク北西部
新華社電によると、新疆維吾爾(ウイグル)自治区烏魯木斉(ウルムチ)市と甘粛省の蘭州を結ぶ「蘭新高速鉄道」で、同自治区内の530キロが開通し、2014年11月16日に運行が始 まった。習近平政権は中国を起点とし欧州へ伸びる「シルクロード経済ベルト」構想を掲げており、高速鉄道は地域の経済活性化を図る新動脈となる。運行速度は最高200キロ。広大な土漠(どばく)と強風地帯を通り抜け、年末には蘭州までの全線1776キロ(一度の建設としては世界最長の高速鉄道)が開通する。3年後には北京とも高速鉄道で結ばれる見通しだ。
注目すべきは、平行するそれまでの路線が貨物主体となることで、このことは、南周りでの欧州への輸送や中国が積極的なアフガンの資源開発(原油や鉱物)がより活発化することを予想させ、21世紀の「ニューシルクロード」が具体性を帯びてきた。汚職や事故が問題視されるが、中国の鉄道網整備のスピードには、世界が驚嘆している。
参照記事 参照記事 過去ブログ:2013年4月中国、アフガンの原油採掘に目途 アフガン北部 2012年9月消えゆく世界遺産 中国の資源開発 2011年12月アフガンで鉄道輸送一部完成 2010年6月鉱物資源の宝庫アフガニスタン
過去ブログ:2014年10月無法地帯と化したイラク IS、首都に迫る
のんびりしすぎて約束の4時を過ぎ、打合せは明日の午前中に延期。
昨日はセイヤが約束の5時に現れず、6時を過ぎたころ、家の東側にいるのを確認した。
「どうしたの?今日は遅いね、、???」と話しかけながら、こっちにくる気配がなく、歩き出した恰好からセイヤじゃないと確信した。
毛色や大きさはそっくりだが、歩き方も違う。餌を置いてある方向へ行くと、そのキツネが警戒心満々で餌を食べだした。恐らく1週間ほど前に、セイヤと一緒にいた警戒心の強いキツネだろう。しばらく様子を見ようと、少し離れて、鼻水をすすりながら見ていた。気になるのか、食べるのを止めて建物の陰に場所を変えた。
ちょうどその時、先のキツネと同じ方向からセイヤが現れ、目の前をトコトコと餌場に向かう。当然こっちに気が付いているが、オドオドした様子は全くなく、いつものセイヤだった。
少し食べてから、セイヤは陰にいるもう一匹に気がついた。
「何が起きるのか?」と目を凝らして見ていると、セイヤがもう一匹の目の前で地面に伏せ、もう一匹が餌を食べだした。時期にセイヤは小走りで中庭の方に消え、先に現れたキツネも居なくなった。
時期にセイヤが足早に餌場に向かって来た。餌の直前で、まるで「ここはオイラの餌場だ!」とでもいうのか、腰を下げてマーキングの糞をしてから残りを食べだした。
うす暗い中笑ってしまった。同じ方向から、ほぼ同じ時間に2匹が現れたことから、セイヤは遊びすぎて時間を忘れたのかもしれない。彼女なのか彼氏なのかは分からないが、知った者同士だからか喧嘩もせず、セイヤが伏せたのは、セイヤより目上のキツネなのかもしれない。その後のウンチは、精一杯のセイヤの抗議だったのか?
日が変わって今日の3時半ころ、家の東側の道路上にキツネが一匹現れ、こっちを見ていた。すぐにやぶに消えたが、恐らく昨日の新米の狐だろう。セイヤは家の西側からやってくるが、今日は定刻の5時にセイヤ一匹で現れ、餌の用意で外に出ると、いつもの場所に、ちょこんと座って待っていた。
「昨日のは誰なの?今度教えてね」と話しかけたが、返事はなかった。どうやら内緒の仲間らしい。
写真は去年のもので、1号が今は来なくなったコンちゃんと呼んでいたキツネで、多くの思い出を残してくれたが、この写真の後、尻尾の毛が抜けて、やがて現れなくなった。2号は当時西から来て、コンちゃんに追い払われていた、おそらく今来ているセイヤで、コンちゃんから子離れさせられた子供ではないかと想像している。いまでは 貴重な、2匹が同時に写った写真です。
2014年11月24日:昨日の夕方、セイヤが定刻に現れた時、目の前を別なキツネが走った。数日前の新米キツネで、セイヤが先に餌を食べ、その新米がセイヤを追い払い餌を食べ始めた。何か識別の目印はないかと見ると、新米は尻尾が先の方までセイヤより太く、背中から尾の先にかけて濃い茶色になっている。セイヤの細めの尻尾の先が少し白いのが判別の大きな目印になる。
やがてセイヤが現れ、新米は離れた場所でこっちを観察している。セイヤが、こっちのすぐ横を歩くのを見て安心したのか、セイヤが去って、また来た新米はあまりこちらを警戒していないようだ。
キツネの学習の速さがよく分かる。恐らく、年齢的にセイヤより年上だろうが、互いに険悪な状況でもない。上下関係でセイヤが遠慮しているように見える。
相当時間を置いてから、餌箱を引き取りに行くと、新米の方だけが餌の横で座って待っている。よほど腹ペコなのかと餌を補充すると、食べてやがて居なくなった。
一人で餌を集めるには限界があるが、2匹なら2匹に餌を出そうと思う。さて、今日は何匹来るのか、、。野性を観察するには、互いに顔を合わせるのが大事で、そのことでどういう反応を見せるのかが重要だ。隠れていては相手も警戒する。危険がないと安心すれば、目の前で自然にふるまう。毎日の出会いが楽しみである。
24日の夕方、用事で家に5時半近くに着いた。セイヤが待っているだろうと思いながら車を降りると、車の音に警戒してか、垣根の下に隠れていたセイヤが出てきた。
今日は一匹だ。家に餌を取りに走る。玄関を出ると、玄関の前まで来ている。
多分「おとうさん、僕に気が付いていないのかな?」と不安になったのか、ワザと姿を見せにくる。「ほらほら、ご飯だよ」と話しかけると、自分から餌置場に走っていく。
この、ちょっとのコミュニケーションが楽しい。
少し雨が降る中、「今日は一匹だから、ゆっくり食べなよ」と言いながら家に戻った。
セイヤの毛が、日増しに密度が増して売るように見える。黄色の毛の下で、細い冬毛がびっしりと生えてきているのだろうと想像している。とにかく寒さに負けるな!
部屋に戻ると、食後の一服を、足枕で過ごしたいフーが不機嫌そうに鳴く。さっそくベッドに横になり足を投げ出す。
おもむろに位置を決めてフーは、約20分ほどの食後のひと眠りに入った。この時間帯はとにかく忙しい。
写真は、居間のソファーの上で、足を上にして大股開きで豪快に寝るもう一匹のネコ、ミー。絶対寝相を崩さないフーとは対照的で、我が家のやんちゃ坊主である。
さて、ゆっくりと「世界まる見え」でも見ようかとチャンネルを合わせば、なんとゲストがさんま!このうるさいだけの男がゲストでは見る気が失せるが、仕方ないか、、。
この警告に際し、アルカイダ系組織の上位の者からも、米国人ボランティア・カシッグ氏がシリアで人道支援に従事し、自分を含むイスラム戦士に対して献身的な奉仕活動をしていた彼の斬首を止める様にとの主張がツイッターで出されていた。写真上は、傷ついた子猫を抱くピーターさん。
この処刑の前日には、自身もイスラム教に改宗した母親から、人質になってから名前をAbdul Rahman Kassigとイスラム風に替えた息子Peter Kassigの処刑を中止してほしいとの強い懇願が出されていた。写真左は母親のPaula Kassigさんと父親のEd Kassigさん、左
息子のピーターPeterさんには、2006年から2007年に4カ月のイラクへでの従軍経験があり、その際医療知識も習得していた。退役後米国で大学に入り、その間も難民への奉仕活動へ参加していた。両親は、処刑ビデオの公開を自粛するように求めている。
また、ISとは袂(たもと)を分けたといわれるヌスラ戦線 Nusra Frontの上位者Abu Omar Aqidi;写真右 は、「残忍すぎるtoo brutal」とたびたびISを名指しで非難していたと言われ、彼自身が、昨年シリア東部で、イスラムスンニ派過激組織の人質になる前の米国人カシッグ氏から医療看護を受けた経緯をツイッターで明かしている。今回の処刑に際し、イスラム過激派内部からも、自分たちへ献身的な人間を斬首することへの異論が出ていたといわれる。しかし、各方面からの助命の呼びかけには何の反応も無いまま、カシッグ氏の処刑は行われた。ISはその残忍な戦術やイラクでの活動を容認しないアルカイダ系本部との対立で、アルカイダ系からは追放されたとされている。 参照記事 英文記事 英文記事 *一部筆者の翻訳での書き間違いがあり、訂正しました。過去4人の欧米民間人の斬首犠牲者は、American reporter James Foley, American-Israeli journalist Steven Sotloff, British aid worker David Haines and British aid worker Alan Henning 参照記事 過去ブログ:2014年10月また英国人が斬首される シリア
公式的な遺骨引渡しは11月18日、スミルヌィホフスキー地区政府で行われる。まず、ポベディノ村付近で火葬が行われ、その後、遺灰は日本へ輸送され、遺伝子鑑定作業および親類の捜索が行われる。参照記事 過去ブログ:2010年3月北千島占守島の戦いと領土 教科書に無い歴史
米軍の正式な表明は無いが、この訓練には、トルコがテロ集団とみなす、現在コバーネKobaneでの戦闘で主流の、クルド民族主義政治結社PKK:(クルド労働者党:Kurdistan Workers’ Party)の分派組織といわれるシリア領内クルド人地区における民族主義政党、民主連合党(または民主統一党 PYD:Partiya Yekitiya Demokrat,Kurdish DemocraticUnion Party、この軍事部門がYPG:人民防衛隊 Kurdish Popular Protection Unitsといわれる)への訓練は含まれていないが、彼らYPGへの米軍の訓練がイラク北部のクルド人自治区で行われている為と記事は報じているが、FSAの本部がトルコ領内ということも関係しているだろう。YPGの3分の一ほどが女性防衛部隊 YPJ(
そんな13日の午前11時半、非営利組織の動物愛護団体が運営する動物保護施設 Denver Dumb Friends Leagueに、すでに体温が30度以下に下がり、低体温症hypothermiaから瞬きもしないほどに衰弱した子猫が持ち込まれた。この生後3~4か月で体重540gほどの子猫は、雨どいか何かの排水管の中で見つかり、パイプを壊して救助されたが、かろうじて生きている状態だった。
スタッフは懸命に看護し、暖かい点滴warm IV fluidsから、ドライヤーで温め、手足を懸命にマッサージした甲斐があって元気を取り戻し、子猫は今、エルザElsaと名づけられ、新しい里親の登場を待っている。
これは米国abc Newsからの記事と映像で、何かホッとする記事だった。
日本にも多くの人が自発的に動物愛護に献身的な努力をされているが、メディアは積極的にその努力を伝えていないように感じる。
その代り、くだらない芸人同士のギャラ自慢の番組が堂々と放送され、虐待にあった動物の記事を目にしても、書き手の嘆きまでは伝わってこない。嘘やねつ造を流す暇があったら、こういう記事など探したらいかがと思う。
社会にはまだ、野良や野生は放っておけという風潮があるが、とっくの昔に犬や猫などが野生で生きれる環境ではなく、彼らにとって、人に飼われる事こそが自然な生き方だ。
すべては、独自の専制国家建国と国際通貨米国ドルへ対抗する為といわれるが、それほどの金属材料や財源を持っているのか、海外へ委託鋳造させるのかなど不明。現在のISの財源は、強制的な税金の取り立て、闇での石油販売、身代金などと記事は書いていて、一般に世界一裕福なイスラム組織と言われ、相当な量の米国ドルを保有している可能性はあるだろう。参照記事
貨幣ができたとして、シリアやイラクでは、食料の不足が言われ、シリアはすでに深刻な物資不足の状況となっている。すべては紛争の為に、作付も収穫もできなかったためだが、そんな状況での新貨幣とは、ブラックジョークにしか思えないが、鋳造される可能性は否定できない。参照記事
場所は書いていないが、アフリカで起きた、これが日常のことかもしれない。
若い像が、14頭のライオンに囲まれ、絶体絶命の危機に陥る。映像は、ライオンを振り払い、奇跡的に逃げ切ったところで終っている。映像
札幌は今日は雪で、今も少し雪が降っている。昨日の夕方、キツネのセイヤがいつもの時間に現れた。ここ最近は食欲があり、ほとんど餌を残さない。もう餌がとれない時期なのだろう。写真は11月14日16時ころの家の玄関に向かう道。正面の倉庫の左端がセイヤの餌置き場
寒さに強いキツネは、雪は全く気にしていないようで、食べた後も、まるで「遊ぼうよ」とでも言いたげな表情で目の前を行ったり来たりしていた。毛もしっかり冬毛になり、小柄なセイヤが一回り大きく見える。毎日の観察で、餌を与えだしてからキツネが付近の住宅密集地へ行かなくなったのは確実のようだ。行けば不健康なものも拾い食いしてしまう。禁止されているが、殺鼠剤が捲かれている可能性もあるし、犬からの病気もうつる可能性もある。どうかこのまま無事に冬を越してもらいたいものだ。自分にはほとんど警戒心はないようだが、知らない人や車には警戒していて身を隠す。それでいい。誤解とはいえ、ほとんどの人はキツネの習性や環境も知らないままキツネを危険視している。ここのキツネが病気など持っていないのは検査で確認済みだ。臆病で、ひっそりと目立たず暮らしているキツネに何の罪があるというのだろう。近所の、飲んベいのオヤジの方がもっと危険である。写真は以前の写真
道路の太陽電池で発電された電気は現在、国の電力網に流されているが、将来の計画では、この電力を利用して街路灯を点灯させることも検討されている。
同氏はAFPの取材に「プロジェクトの着想は、オランダ国内を走る約14万キロに及ぶ道路だった。その面積は建物の屋根をすべて合わせたよりもは るかに大きい」と語った。また「自転車専用道路は、国内に2万5000キロある」としながら、「プロジェクトの持つ本当の潜在能力が解き放たれるのは、自 転車専用道路だけでなく、自動車が利用する道路にもこれが適用される時だ」と述べている。ソーラー自転車専用道路は稼働から16日が経過した。この間の発電電力量は140キロワット時で、洗濯機の稼働約140回分に相当するとソーラロードの広報担当者は説明した。主に研究費に充てられたとされるプロジェクトの費用は、現時点で約300万ユーロ(約4億3000万円)に上っているが、ソーラロードの道路1キロ当たりでの費用については明言を避けた。
同国のヘンク・カンプ(Henk Kamp)経済相は12日、首都アムステルダム(Amsterdam) 北部にある通行量の多い自転車道に試験的に設置された約70メートルのソーラロードを自転車で走行。人口1700万人、自転車約1800万台のオランダでは、持続 可能エネルギーの使用量を2020年までに3倍に増やし、2050年までにカーボンニュートラルならぬ「エネルギーニュートラル」になることを望んでいる とした。デウィット氏は、「大規模なスケールで適用可能な製品を5年以内に提供できると強く確信している」と説明した。参照記事より抜粋 英文記事
公共施設の太陽光利用として、英国では、ロンドンのテームズ川にかかる橋のブラックフライアーズ駅Blackfriars railway stationと歩道の屋根を4400枚のソーラーパネルにした例がある。ここで使用される電力の半分を太陽光で賄う計画。参照記事 過去ブログ:2014年11月地方町村こそLED化を目指せ ドイツから 4月原発は国家ぐるみの粉飾決算=吉原・城南信金理事長 2013年6月『マグネシウム燃料電池』は未来を変えるか 2012年5月太陽エネルギー船「プラネット・ソーラー」、世界一周達成