2014年06月
ロシアのプーチン大統領は2014年5月21日、天然ガス探査と中国に続くパイプラインの建設に550億ドルを投資すると明らかにした。また、中ロ両国がこのたび締結したガス供給契約の一環として、中国がロシア側のインフラ開発などを支援するために約200億ドルを支払うと述べた。
更に内容をロシア紙では、「上海でロ中が調印したガス供給契約の総額は、30年間で4千億ドル(約40兆円)という巨大なものだった。「ガスプロム」のアレクセイ・ミルレル社長は「これは、我が社にとってこれまで最大の契約だ。これほどの額の契約をした企業は一つもない」と強調した。契約は今後30年、毎年380億立方メートルのガス(世界的な投資顧問会社アライアンス・バーンスタインAllianceBernstein によると、これは2018年の中国の需要見通しの約12%にあたる。)を供給するというもので、供給量を拡大する事もできる。単位体積当たりの直接換算では、ガスの価格は、千立方メートル当たり350ドルで、ロシアの欧州向けの販売価格(370ドル前後)よりも安いとみられている。 ミルレル社長は「原則的問題の全ては、解決された」と述べた。参照記事 参照記事
10年越しの価格交渉もまとまり、ロシアのガスプロム社は中国石油天然ガス集団(CNPC)から30年間で40兆円の商談を得た。過去の報道記事から、このガスパイプラインの設置工事はすでに着手されていたはずだが、どこのラインなのか記事には明記されていない。
あくまでも公表されている資料からの個人的推測だが(間違っていたらご指摘ください)、YKV天然ガスパイプラインではないかと推測する。これは、東シベリアのチャヤンダ(Chayanda または チャヤンディンスコエChayandinskoye)ガス田 Gas fieldからの天然ガスを、ヤクーチャ( Yakutia)センターからハバロフスク(Khabarovsk)を経由してウラジオストク(Vladivostok)へ送るパイプラインで、過去の図では、すでに途中で中国へ伸びることが予想されていた(上の2008年の図で、中国へ伸びる点線)。
このころ、着工が2012年、操業開始が2016年で、輸送能力は最終的には4 7 2 億m3/年となる可能性があるとされていたので、上記の契約の年380億立方メートルを供給する能力を持ったパイプラインと見ることができる。参照記事
中国は、石炭から天然ガスへの転換でガスの需要が増大。トルクメニスタン、ミャンマーに続きロシアともパイプラインを建設することで、資源調達先の多様化を図る狙いがあり、プーチン大統領は、ウクライナ危機による欧米との対立を背景に、中国との協調姿勢をアピールしたいとの思惑から、ロシア側が最終的に価格で中国に譲歩し たと論説されている。
最近の統計では、ロシアから欧州向けの天然ガスは、年2580億立方メートルといわれ、特にドイツ、トルコ、ウクライナ、ベラルーシのロシア産天然ガスへの依存度が高い。参照記事
供給会社ガスプロム(Gazprom)の2011年の天然ガス生産量は5096.6億立方メートルだが、2016年にはサハ共和国のチャヤンダ(Chayanda)ガス田、バレンツ海のシュトックマン(Shtokman)ガス田、2017年にはイルクーツク州のコビクタ(Kovykta)ガス田、ヤマル半島西部に位置するハラサヴェイ(Kharasavey)ガス田が生産開始になる計画で、2011年に5354億立方メートを生産した独立系第1位のノヴァテク(Novatek)と合わせ、ロシアは今後も豊富に天然ガスを供給でき、ロシアの発言力を後押しすることになるだろう。そして中露はさらに横暴になるのではと世界は危惧している。独フォークス誌は、「ウクライナとEUがエネルギー危機に陥る中、ロシアは中国と手を結んだ。ロシアが今後もEUとウクライナに大量のガスを供給するかは未知数だ。少なくとも、ロシアは今や堂々とEUとの天然ガス交渉を進められるようになった」と報じた。 参照記事 参照記事
2014年6月29日:「ガスプロム」は、中国へさらに年300億立方メートルのガスを供給する追加契約に調印する計画を発表している。この契約では、中国はガスを東方ルートの、今年建設が始まる「シベリアの力」パイプラインを通じて受け取り、供給の中心は、チャヤンディンスコエ(チャヤンダ)など東シベリアのガス田となると説明されている。恐らくウクライナとの紛争に関係した追加契約ではないかと想像できる。ウクライナに対しロシアから、支払いができなければガスを止めるとの通告がされている。 参照記事
「シベリアの力・パイプライン:Power of Siberia pipeline(Yakutia–Khabarovsk–Vladivostok pipeline」;右図の赤い点線 は、2012年12月の記事によれば、東シベリア・サハ共和国のチャヤンダ・ガス田Chayanda field(チャヤンディンスコエChayandinskoye)から極東ウラジオストクまでを結ぶ 長さ約3200キロの予定で、今後建設が始まり、2017年末までに 完成の予定。 このガスは将来的にウラジオストク郊外で液化天然ガス(LNG)に 加工された上で日本に輸出される可能性があるとされていた。2014年5月の記事の右地図では、完成は2018年となっていて、上の2008年の計画地図と見比べれば、西へ持っていく計画を東へ、特に中国向けに強化したのがわかる。 参照記事 参照記事
えさ置き場は、カラスや雨風から守るため、セイヤちゃんの後ろの暗い中にある。こぼれないように石で囲んであり、その奥は小部屋兼通り抜け通路。今は早い時間にエサを置くとハエがたかるので、夕方になってから置き、容器に入れて置くと容器ごと持っていくので、エサは板の上に直置きにしている。セイヤちゃんの背中の一部が灰色なのは、まだ冬毛が残っていると思われる。過去ブログ:2014年6月やっと写真を撮らせてくれたキツネさん。
写真にA~Eまでの記号を振ってあるが、Aは、えさを与えることにご理解いただいている蕎麦屋さんからの頂き物で、出汁(だし)を取った後のかつをの削り節。夏は頂いてから日陰干しをして水分を抜き、腐らないようにしている。量的には一番多い。Bも蕎麦屋さん提供で、てんぷらの揚げかす。これも気に入ったようで、毎回ひと粒も残さずきれいに食べている。Cは、ポケットマネーで買っている、犬用の柔らかタイプのカリカリで、毛艶を良くする成分入りで、多少野菜成分やビタミンも入っている。もちろん国産。いくら安くても中国製の安いのは買わない。犬を食べる国のドッグフードなど信用できない。Dは見づらいが、貴重なカモ肉の揚げかす。しっかり肉分が残っているもので、蕎麦屋さん提供。残りものとはいえ、相当な高級食材だ。Eは、ポケットマネーで買った生のシシャモ一匹。その時々に、安い肉や魚を探しては買っている。時には、鳥の手羽先などが安い時に買うが、キツネは飲み込むことがあるので、骨はハンマーで砕いてから与えている。肉や魚の加工場などがあれば、エサになる残飯が豊富にあると思うが、探してもこの付近には残念ながら見当たらない。
このような献立を毎日夕方用意して、食べ具合は毎日観察している。セイヤちゃんは、今は夕方7時前後に食べに来て、多少残して帰るが、朝までにはきれいになくなっている。夕暮れ時、何度かカラスに追われているのを目撃している。幾度か見た上の推論だが、カラスは、キツネが野ネズミなどを取った直後に低空飛行で襲い、口から落とすエサを狙っているようで、時には2羽で襲撃するという頭脳プレーを展開する。キツネがうす暗くなってからエサを漁るのも、カラスの襲撃を避ける為かもしれない。
自分が双眼鏡で観察する限り、最近は付近の住宅付近には徘徊していないようで、犬に追われたり、動物には合わない人間の食べ残しを食べる危険は少なくなったのではと思っている。
冬の食糧不足や病気や怪我、交通事故で、野生のキツネは3年前後の短命だと言われる。人里に孤立したキツネには厳しい環境だが、しっかり野ネズミを駆除して生き抜いてもらいたい。去年は冬の間、数匹のキツネを見かけたが、今はセイヤちゃん一匹となっている。ネズミからのエキノコックス対策では、数カ月に一度回虫駆除のエサを与えている。過去の糞便の検査では陰性で、感染していないと判明している。今年は野ネズミがかなり繁殖して、冬の間には木々がかなり食害を受けていた。キツネが猫などの小動物を襲うとも言われるが、この付近には飼い猫もよく散歩していて、この付近ではそのようなことは無いようだ。少なくても、キツネが猫などをエサにすることは無いだろうと思う。飼い猫は一般に暗くなると家路に就くので、遭遇して喧嘩することは稀だろうが、互いの縄張りを侵せば喧嘩が起きるのは当然で、我が家の猫のミーの親猫は、キツネと格闘して死んだと言われている。幸い北海道は冬の期間が長く、この付近では野良ネコを見たことは無い。我が家には、迷い猫だったフーと、農家の畑で生まれたミーの猫2匹がいるが、どちらも家の中大好きな猫ちゃんで、外に出ることもない。下2枚は、今は来なくなった人懐こい性格の冬のコンちゃん。どこかで元気に暮らしている事を祈っている。 過去ブログ:2014年4月都会に来たジャックと会う 鶏とアヒルと猫と狐 2013年12月ネコとキツネとカラス 2013年12月23日
イラク軍は数日前にバイジBaijiで激しい戦闘の末石油施設を奪還し、バグダッドの北東50キロ(NHKの記事で100キロは誤記と思われる)ほどにあるディヤラ県Diyala provinceマンスーリーヤガス田Mansuriyah gas fieldsは、過激派とイラク軍の激しい戦闘の末、イラク軍が地域を奪取したと言われる。首都西部の首都の水源地であり、バグダッドに電力を供給する水力ダムのあるハディーサ Haditha(Al- Haditha)では、27日、イラク軍がシリアから国境を越えてきた過激派組織に攻撃を加え、過激派のメンバーおよそ30人を殺害したとしている。参照記事 英文記事 参照記事 英文記事地図などは過去ブログ:2014年6月追記:日増しに複雑になるイラクの状況
ケリー米国務長官John Kerry, US secretary of stateは2014年6月23日イラクの首都バグダッドを電撃訪問し、イラクのマリキ首相らと会談。6月24日には北部のクルド人自治区のエルビルErbilを訪れ、自治政府のバルザニ議長Massoud Barzani, president of the Kurdistan Regional Government:下左 と会談した。27日には紅海に面したサウジアラビアの ジッダRed Sea city of Jeddah, Saudi Arabiaで、サウジのアブドラ国王 King Abdullah:左 と協議を行い、スンニ派を支援する国王にイラクの紛争鎮静化の仲介を頼んだと言われる。長官はジッダに滞在中、シリアでスンニ派と反アサドで共闘するシリア反体制派の統一組織「シリア国民連合(Syrian National Coalition)」のアハマド・ジャルバ(Ahmad Jarba)議長:下右 とも会談している。米国の言うシリアの「穏健派反政府組織:Moderate Rebels」の代表が彼で、米国はシリアで支援している彼らがイラクでも行動することを期待し、その為の追加経済支援も検討に入っている。 英文記事 英文記事 過去ブログ:2013年7月反政府側に新代表 ラマダン停戦は実現か?シリア
2014年6月29日:6月27日米国ペンタゴンは、すでにイラクに当初の300人より多い、支援要員500人を送り込んだと表明している。28日には、イラクがロシアから購入した5機のロシア製中古攻撃ジェットSukhoi jets:写真左 がバグダッドに到着した。米軍の無人機攻撃、偵察と合わせ、これで広範囲な攻撃が可能になる。参照記事
ISISには、ISISの呼びかけに応じて、アフリカやインドネシアからスンニ派支援の兵士がイラクに集結しているとの報道もある。一方のイラク側にも、シーア派義勇兵が多数戦線に参加しつつある。総指揮が米国国務省(ペンタゴン)の、ロシアも容認する、対イスラム過激派との新たな戦争が始まった。
米国要員がイラクに駐留することで米国無人機による攻撃が活発になるのは当然だが、ニュースでは流れてこないが、支援要員は地上任務だけではなく、攻撃ヘリの操縦に慣れた米国兵パイロットも参加しているのではないか?イラク各地のヘリによる攻撃が急に活発化している。米軍はすでに作戦司令部をバグダッドに設け、イラク北部にも設営の予定だ。ケリー国務長官が訪問したことからみて、これは恐らくクルド人地域、エルビルErbil当たりではないだろうか?英文記事
過去ブログ:2010年5月イラク 全国で記録的な連続爆破 4月2010年4月のイラクのシーア、スンニ勢力図
なんと、祖母が彼女の留守中に届いたジーンズをみて、その穴を全部丁寧に縫い直した。「縫い糸をほぐして元の状態に戻すのに、相当手間がかかった」と劉さんは苦笑いしながら語り、「これからは、もっと祖母の世代とコミュニケーションをとり、若者のことをわかってもらわないといけない」と猛省した。参照記事
写真のジーンズは記事の内容と直接関係ない参考写真です。
中国もその受け入れ国の一つで、去年のCNNの記事にその実態が紹介されていた。以下はその抜粋からと、他の記事からの内容を加筆した編集記事
使い古された電子機器の数々は、中国に行き着く。国連の報告書によれば、中国はいまや「世界最大の電子機器の投棄場」だ。そして、それが現地の人々に多大な健康被害を与える環境破壊を生み出している。テレビや冷蔵庫、エアコン、旧式のコンピューターなど、こうした電子機器の多くは中国で作られる。そして、世界経済の奇妙なところだが、こうした電子機器のごみの多くは処分のために再び中国に戻ってくる。 国際環境団体グリーンピースの北京事務所は「国連のデータによれば、世界中にある電子廃棄物の約70%が最終的に中国に行き着く」と指摘する。米国のような先進国から中国やベトナムといった国々へ電子廃棄物を移送することは国連が禁じているため、こうした廃棄物の多くは違法なルートから入ってくるという。いま、こうした電子廃棄物(E-waste)の主要な集積場となっているのが広東省の貴嶼鎮だ。参照記事 参照記事
村は、昔は貧農の村だったが、今ではE-wasteの最終処分地になり、良く言えばリサイクル・ビジネスの基地だが、適切でない方法でリサイクルが行われるため最悪の環境問題、或いは健康問題を引き起こしている。この仕事で普通の農家の5倍の収入になるが、80年代頃から始まったこのビジネスで頭痛、めまい、尿結石、慢性皮膚炎、胃潰瘍などにかかる人が増えている。調査によれば、貴嶼鎮の子どもたちの多くは血中の鉛が平均よりも高い水準を示したという。鉛は脳や中枢神経の発育阻害を引き起こす可能性がある。汚染され危険なのに止めない理由は『儲かるから』
町中いたるところで人々がハンマーやドリルを使って家電製品の中身を分解していた。道路の脇にはプラスチックやワイヤ、ケーブルといった廃棄物が束になっている。
初めて貴嶼鎮を訪れた人は、目や鼻の穴が焼け付くような感じに襲われるはずだ。毒性汚染の多くは、基盤回路やプラスチックなどを燃やすことや、銅や鉄といった価値のある金属を取り出すためにわれる塩酸での洗浄などで引き起こされる。 作業している人々や周囲の環境が、鉛やベリリウム、カドミウムといった重金属に汚染され、灰が空気中や水、土壌に飛散する。
町の外にも廃棄物の山は広がっていた。水牛が草を食べる水辺にはたくさんの電子部品が転がっている。牛が踏みつけているのはビデオモニターから外された板ガラスだ。フラットスクリーンにはたいてい非常に毒性の高い水銀が使われている。
移住してきて同地で農業を営んでいる人々はCNNの取材に対し、井戸水は飲まないと語った。さらに、衣類などを水で洗うと黄色に染まると訴える。代表者は「聞こえが良くないかもしれないが、私たちは自分たちが作った米を食べようとは思わない。ここで作られたものは全て汚染されているからだ」と語 る。では、誰が農作物を食べるのかと尋ねると、「さあ、誰かな。『貴嶼鎮産』とわざわざラベルを張ることはないし、別の場所で作られた米だと表記されるか ら」と答えた。
中国政府は電子廃棄物の流入を制限する取り組みを進めており、貴嶼鎮への流入量も減っているようだ。しかし、プラスチックを仕分ける仕事をしていた男性の言い分はこうだった。「なぜ、この町にごみが入ってくることを止めようとしているのだろう。仕事に影響が出るじゃないか」
EUとの連合協定に署名したのは、旧ソビエトから独立したウクライナ、グルジア 、モルドバUkraine、Georgia and Moldovaの3カ国。今後この3カ国は、EU加盟28カ国と関税なしで貿易が可能になる。*欧州連合(EU)との「連合協定」は相互協力、関係強化で、正確にはUE加盟国になることを意味していないが、EUが旧ソビエト連邦圏に食い込んだ意味は大きく、歴史的といえる。
ウクライナのポロシェンコ大統領(President Poroshenko Петро Олексійович Порошенко 1965年生まれ 下中央)は署名後、「ソ ビエトから独立(1991年)して以来、最も重要な日だ。協定 pactはクリミア半島を含むすべてのウクライナに適用される」と強調した。連合協定は、EUとの自由貿易 free trade deal だけ でなく、行政や司法などにも及び(このことでウクライナ国内の汚職などの減少が期待される)、3カ国の「ロシア離れ」を鮮明にするもので、この動きについてロシア大統領府の報道官は、ロシアの経済に悪影響が出る ならば「必要な措置をすべて取る」と反発を強め、また、プーチン大統領は、ウクライナに適用されている関税の減免を見直す考えを明らかにしている。現実に、ウクライナにとってロシアは最大の貿易相手国。これまでの関係悪化で、今年の第1四半期の対露輸出は昨年比で約25%減少、損失額は約8・7億ドル(約880億円)にのぼっている。露政府はすでに、ウクライナを経由したEU製品の自国への流入を防ぐため「対抗手段を取る」と強調、食料品などに科しているウクライナ製品の禁輸拡大を警告している。英文記事 英文記事 参照記事
グルジアGeorgia 、モルドバMoldovaにも問題があり、グルジア国内には、2008年のグルジア紛争でロシアが国家承認し独立を宣言しているが国際的には承認されていない南オセチアSouth OssetiaとアブハジアAbkhaziaがある。
モルドバには、1990年にロシア系住民が独立宣言した沿ドニエストルTransdniesterがあり、ここも国際的には承認されていない。現在ウクライナのロシア派地域との紛争は停戦状態だが、EUとの関係強化で、今後、ウクライナ、グルジア 、モルドバUkraine、Georgia、Moldovaの3カ国で、UE関係強化に反発する動きが活発化する可能性もある。参照記事 過去ブログ:2014年3月バルト海、黒海周辺を苛立たせるロシア
ウクライナのポロシェンコ大統領は27日に期限を迎えた親ロシア派との停戦について、今月30日夜まで72時間延長することを決定したと発表した。また、 欧州は27日、ロシアに対し、72時間以内にウクライナ国内での緊張緩和に向けて具体的な対策を講じるよう要求、対応がなければ制裁を強化するとの姿勢を 示した。米国もこれを支持した。参照記事
ここ2か月の捜索はオーストラリア・パース(Perth)北西の850キロ四方の海域に費やされたが、英国の報告では、衛星データを用いて描かれたインド洋南部へと延びる弧を描くような線が、実際のMH370便の飛行ルートに近いとの見解で、豪当局も、これに同意している。参照記事
過去ブログ:2014年3月~4月追記:370便、インド洋南部の捜索海域が変更
新たに6月26日オーストラリア政府から公表された位置は、オーストラリア西岸から西へ1,800km (1,100 miles)の位置で:右図、当初から衛星のデータ分析で言われていた飛行経路に沿った位置となっている。前回の調査は、上の図のように、漂流物(結果的にMH370便に該当するものは未だに何も見つかっていない)や、海底からの信号音とされるものを根拠に、東寄りの場所が捜索された。今回の地図(下)の黄色い帯状が重要捜索地域で、前回より西へ移動し、弓状に南北に墜落該当地域が拡大し、捜索海域は60000平方キロという広大なものになっている。参照記事(上記の地図の表示が不正確なのか、上下の衛星データの位置と、表示の距離数は合っていないようです)
オーストラリア当局は6月26日、インド洋で行っている捜索海域の変更を発表と同時に。同機は自動操縦でインド洋上空を飛行し続け、燃料を使い果たして墜落した可能性が極めて濃厚になったと述べた。衛星との定期的な交信のデータを調べた結果、同機が直進飛行を続けていたことが分かり、この推論に行き着いたという。さらに当局は報告書の中で、同機の乗員は低酸素症に起因する無反応状態に陥っていた可能性があると推定。「現時点で入手できる証拠と照らし合わせると、そう考えるのが最も妥当」とした。ただ、自動操縦に切り替わった正確な時刻は分からないとしている。進路を変更した理由は今でも分かっていない。参照記事
2016年2月26日:マレーシア航空370便墜落事故で夫を失ったマレーシア人女性がマレーシア航空とマレーシア政権を相手取り、760
万ドル(約8億5600万円)の賠償金を求める訴えを起こした。AP通信が報じた。原告のシュリ・デヴィさん(32)は、夫の死はマレーシア航空とマレー
シアの国家機関の許し難い過失が原因と主張しており、特に「職務怠慢と契約基準の違反」を挙げている。機体は未だに見つかっておらず、インド洋南方で墜落
したものと考えられている。参照記事
6月23日には、麻薬組織「アレラノ・フェリックス一派: Arellano Felix cartel」のボス、Fernando Sánchez Arellano 通称"El Ingeniero",は、地元のメキシコのバハ・カリフォルニア州ティファナ市Tijuana La Mesa地区で、仲間とメキシコのクロアチア戦をTV観戦し勝利を仲間と祝っていて逮捕された。逮捕時、10万ドルの現金を持ち、メキシコチームの緑色のジャージを着て、顔にはメキシコのマークがあった。
The Arellano Felix cartel「アレラノ・フェリックス一派」と書いたのは、この麻薬組織が最近はアレラノ・フェリックス親子、兄弟、親族で運営されていたからで、過去1980年代には有名なメキシコの麻薬組織ティファナ・カルテルだったが、その後ことごとくリーダーが逮捕されたり殺害され、規模は縮小し、今も多くが米国で服役している。彼もまた、2010年以来米国から指名手配され、顔写真入りのポスターも出回っていた。彼はカルテルを、2006年に逮捕され、禁固40年の刑に今も服している伯父の Javier Arellano Felix から引き継いでいた。現在彼らは、シナロア・カルテル;SinaloaCartelの支配下にあると言われている。長いこと生死が不明で「お化け」とまで言われた男だが、サッカーで浮かれ出てきたという、お粗末な話。 参照記事 参照記事 過去ブログ:2011年10月メキシコ麻薬カルテル勢力分布図 2010 後期~Drug Cartel in MEXICO
黄色は16日時点でISISが制圧した地域で、その後紛争地となった地域などを修正し、新しく判明した紛争地などを書き加えてある。
上の地図で行くと、イスラム系の進出、支配地域はすべて同じ黄色で表示され、イラクのISISがシリア方面の地域まで制圧しているように見えるが、シリア 内では、反政府主流FSA(自由シリア軍)と、同じイスラム原理主義でもイラク側ISISと対立しFSAと共闘するアルカイダ系イスラム原理主義ヌスラ戦線やほかのイスラム組織(サラフィー・ジハード主義武装集団:Salafist jihadism Movement)が制圧している地域もあり、イスラム系の内部で、いずれはその取り合いになる可能性がある。
*追記:6月27日の「ロシアの声」は、シリアのヌスラ戦線がISIS(ISIL)に忠誠を誓ったと書いている。資金的な問題からか、軍事的なことからかなどは不明。参照記事
6月10日のISISの侵攻以降、6月16日よりスンニ派に制圧されている北部タルアファルTal Afarでは現在、巻き返しに出たイラク軍とISISが戦闘状態にあったが、イラク軍は19日、タルアファルの一部を奪回したと報じた。
タルアファルは。米軍がイラク駐留中の2005年、スンニ派反政府組織と米軍、イラク合同軍との激しい戦闘があった地域。参照記事
ティクリート北部バイジ Baiji、その他アンバル県のシリアに近い Rawa 、Anahと国境沿いのカイムQaim(Al-Qaim)、シリア南部に抜けるal-Walid(al-Waleed)、ヨルダン(反アサド国家)東部に抜けるAr-Rutbah(Rutba,Rutbal)やTuraibil(Trebil)、 など、ISISは広範囲に戦略的に重要な地域をここ数日で制圧していると22日から23日にかけて報じられている。すでにアンバル県province of Anbarの約90~70%がISISの制圧下とも言われる。現在イラク軍は、アンバル県(Al- Anbar)のユーフラテス川Euphrates River沿いのハディーサ Haditha(Al- Haditha)にある、首都バグダッドの電力や給水に重要なダムを守るため約2000名の兵士を派遣したとされる。地図の赤い丸は、今までに当ブログ記事内に出た地名を指し、赤いラインは主要道路、緑色は石油パイプラインを指している。参照記事 参照記事
キルクークKirkukから南25kmのところにあるTaza khormatoでは、以前紹介したトルクメン人民兵組織 イラク・トルクメン戦線Iraqi Turkmen Front (ITF)が5000名の義勇兵を終結し、クルド人民兵組織「ペシュメルガ:Peshmerga;フセイン政権時代にゲリラ戦で抵抗し、その後一部はイラク軍に再編された」と共にISISと戦闘状態と言われている。写真は6月17日、Taza Khormatoでのクルド兵士;左 とトルクメン人兵士:右 この紛争でクルド自治政府はイラクと縁を切り、独立国家を目指すのではと言われている。クルド族からは、イラク・マリキ政権はスンニ派自治政権を認めるべきだとの発言がすでに出ている。 参照記事 過去ブログ:2014年6月イラク軍、シーア派義勇軍反撃 米軍空母派遣 虐殺も確認 イラク全土に戒厳令 過激派北進は石油施設狙い?
ここでは分かりやすく「イラクのISIS」と書いているが、ISISには海外からの兵員が多く、特にアフリカ北部のチュニジア人が多いとされ、外国人が多いのはシリアのヌスラ戦線も同じと思われる。
シリアで、反アサド支援の名分でスンニ派組織を経済支援しているといわれるサウジアラビアが、現在イラクのISISにも支援しているのかは不明だ。イラクのマリキ政権は支援していると断定し、サウジを非難し、サウジは、スンニ派に対しての支援を根本的に否定している。スンニ派の資金源としては、過去にシリアのデリゾールdir al zurの石油を闇でシリア政府に売りさばいたとも言われており、また、ISISはイラクでモスルMosulの銀行を襲撃したり、誘拐からの身代金、窃盗等で資金を確保し、さらに古代遺跡からの盗掘品の売買、盗掘業者への課税などで利益を得ていると言われる。参照記事 参照記事
最近、シリア政府側の傭兵だったシーア派イラク人が、イラクでスンニ派との戦闘に参加するとして大量に帰国しているが、今後彼らはシーア国家イランの傭兵になるのだろうか?リビアの紛争では、多くのチュニジア人がカダフィ側の傭兵だった。
民族、宗派の思惑が重なり、イラクの状況は限りなく複雑になっていく。米国が、イラクの内戦には加担しないと割り切るのも無理はないが、いずれ米国は自ら 戦火に飛び込むだろう。それが米国のDNAだ。その時日本にまで火の粉が及ばないことを願うしかない。日本のDNA、それは、国から出て戦えば、いずれ負 けるのである。
2014年6月23日:ケリー米国務長官は6月22日、エジプト・カイロを訪問し、同国のシシ大統領、シュクリ外相とそれぞれ会談し、会談後の記者会見で、イラクで勢力を拡大している イスラム過激派組織「イラク・シリアのイスラム国」(ISIS)について、「イラクだけでなく、(中東)地域全体への脅威だ」と指摘。中東諸国に対し、 「違法な福祉団体や裏ルート」を通じ、「避難民支援を装った資金」がISISに流れないように協力を呼びかけた。BBCが23日掲載したイラクの紛争地域の分布図では、北部でISISが制圧地点(赤)を増やし、首都周辺に戦闘(緑)が多発しているのが確認できる。英文参照記事
ISISは急ピッチでバグダッドに北と西から急進しており、バグダッドの西32キロにある、フセイン政権が残虐を繰り返したアブグレイブ刑務所Abu Ghraib prisonで有名なアブグレイブAbu Ghraibでも戦闘状態にある。首都から95キロ南の シーア派住民の多いHillahもISISからの砲撃を受けている。すでにISISに占拠されている北部のモスルMosulでは22日、ISISが市内にシャーリア法による裁判所Islamic Sharia courtsを設けると広報していると言われ、市内のキリスト教会からマリア像が撤去されたとの目撃情報がある。イラク政府は現在、300人からなる米国派遣のアドバイザーの到着を待っている。参照記事 過去ブログ:2012年3月イラク・イスラム国(ISI)の犯行 イラク連続爆破 2011年12月米軍撤収後、自爆テロ激発 宗派人口分布図 イラク 2010年8月米軍はイラクから撤退できるのか?
2014年6月24日:争奪戦が繰り返されていたバイジBaijiを完全制圧したとISIS側が宣言した。ここには、イラク最大規模の製油所があり、戦略的に重要な地域。ISISは今後、バイジの製油所の運営は、地元のスンニ派部族に移行すると発言している。バイジの制圧は、今後反政府側が、すでに制圧している北部の大都市モスルMosulへの石油供給も管理することを意味し、反政府側制圧地以外では石油不足の可能性もあり、非常に重要な出来事とBBCは書いている。イラクのガソリン40%がバイジで精製される。この地域には、イラク北部からトルコへの油送パイプも通っている。24日のBBC記事の地図の赤がISIS制圧地点、緑は戦闘中、黄色はISIS 制圧地域 グレー色は、アンバルAnbar県(県都ラマディRamadi) 水色はクルド自治政府地域 映像:23日、バイジ近くを空爆するイラク軍 映像記事 参照記事
ISISは首都への攻撃を続行すると宣言しているが、首都に近いバークバBaqubaではシーア派民兵が優勢とも言われる。 左下は、ISISの目指す領土図(緑色)とイラクの各宗派分布図 一見広大な地域へ侵攻しているISISだが、その地域のスンニ派部族民兵を吸収し、シーア派イラク政府の施設を部族へ引き渡す作業が進行しているようだ。また、現マリキ政権に反発する、かつてフセイン政権をささえた旧バース党Baath Party員もISISに参加しているといわれる。参照記事
BBCは国連の報告として、イラクで2014年6月5日から22日の間に、1000人以上が紛争で死亡し、そのほとんどが民間人だったと報じている。筆者は、未確認のISISの処刑情報も加えれば、その倍以上の死亡者ではと思っている。今後どうなるのか、世界のどのメディアも予想すらつかないと書くが、はっきりしているのは、中東全体が巻き込まれつつあるということだ。 参照記事 過去ブログ:2014年6月首都バグダッドにせまるISIL 石油施設も破壊 イラク スンニ派首都バグダッドへ侵攻か 北部は無政府状態 イラク 2014年6月イラク全土に戒厳令 過激派北進は石油施設狙い?
アメリカのケリー国務長官John Kerry, US secretary of stateは、バグダッドでマリキ首相 Iraq's prime minister, Nouri al-Malikiと会談したのに続いて2014年6月24日には北部のクルド人自治区のエルビルErbilを訪れ、自治政府のバルザニ議長Massoud Barzani, president of the Kurdistan Regional Governmentと会談した。会談でケリー長官は「統一されたイラクこそが強いイラクだ」と述べ、挙国一致の政権づくりに向けて少数民族のクルド人の協力が欠かせないという考えを伝えたという。米国はイラクでシーア派政権を支援し、シリアではFSA及びスンニ派反政府組織を支援するという、非常に複雑な立場になりつつある。 参照記事 英文記事
議長は会談に際し、「我々は、新たな現実と新国家イラク(の建国)に直面している"We are facing a new reality and a new Iraq,"」と言った発言の意味は深い。イラクの分裂を懸念する米国がどんなイラクの未来図を描こうが、クルド人が自分たちの国家を樹立したい夢は捨てないはずだ。過去のクルド人の発言から彼らの本音は、クルド人の国家に干渉さえしなければ、スンニ派国家がイラクに誕生してもいいと思っているのではと、個人的に思っている。クルド人もスンニ派教徒と分類される。しかし、スンニ派ISISの内部に、旧バース党残党がいることは容認しないだろう。ケリー長官が裏で何をクルド人に約束し、約束させたのかは、当分メディアには漏れてこないと思われる半面、いろんな事が想像できる国務長官のクルド訪問だ。長年クルドは、赤い線までの自治国拡大を主張しているが、この区域に油田地帯があるため、現イラク政府は容認していない。また彼らは、キルクークが本来歴史的にクルドの首都だと主張している。
2014年6月25日:25日に行われたテレビ演説でイラクのマリキ首相は、「“臨時救国政権”をつくれという提案は、民意と憲法を無視するものだ」と述べた。イスラム過激派などが攻勢を強めているイラクのマリキ首相が、挙国一致の臨時政権をつくるべきだとの各勢力からの呼びかけを拒否したものだが、紛争の原因は、イスラム教シーア派のマリキ首相の政権が、スンニ派や少数派クルド人を冷遇したことが背景にあると批判されていて、シーア派勢力からも辞任と臨時政権の樹立を求める声があがっている。参照記事
2014年6月26日:頑なに政権維持を表明するマリキイラク首相 the prime minister Nouri al-Maliki,;写真左 に対し、不気味な存在が浮上してきた。イラクのシーア派の聖職者サドル師Muqtada al-Sadr;写真右 で、イラク政権内で「イラク国民同盟」という政党を維持し、米国のイラク介入時には独自の民兵組織マフディ軍 Mahdi army (Jaish al-Mahdi ;JAM)で武力で反米闘争を行った過去を持っている。過去ブログ:2010年4月2010年4月のイラクのシーア、スンニ勢力図
サドル師はこのイラクの非常時に、スンニ派穏健派 moderate Sunnis (クルド人を含むスンニ派を指すと思われる)も取り込み、臨時政府で派閥を超えて勢力を結集し、イスラム過激組織ISISをイラクから排除しようと訴え、暗にマリキ首相の退陣を要求しているようだ。彼はシーア派国家イランに身を隠していた時期もあり、親イランで、イランから支援を得ていると見ていいだろう。 写真は、バグダッド近郊のサドル・シティーSadr Cityを行進するサドル師派シーア派民兵組織マフディ軍 Mahdi Army。 米国を呼び込んだマリキ政権とは一線を画する組織とみてよく、イラクは、またさらに複雑になってきた。 参照記事
26日、イラク側のシリア国境に近い QaimのISISをシリア空軍が空爆したことで、シリアとイラクの状況に国境が無くなりつつあるように見える。世界は、マリキ政権がこれを容認し、あるいは要請したと見ている。最近のBBCが、シリアとイラクを合わせた戦況図を載せているのもこのことを意識しているようだ。状況は「ISIS対シリア・イラク紛争」と書いてもいいような雰囲気になりつつある。
イラク国内の不安定化はイランにも飛び火していて、イラン西部のクルド人と武力衝突が確認されている。(上にあるクルド人居住地域図を参照)この地域では、差別されているクルド人が反イラン政府活動を長年行い、イランからの分離を主張している。この機に、クルド人がイラク側、イラン側への領土拡大、独立国家建国をもくろんだとしても不思議はないだろう。右の紛争状況図は2014年6月26日のBBC記事から この前の戦況図と比較すると、イラク軍がイラク西部などでISIS占拠地域を奪還しているようだ。北部の水色は、クルド人自治政府地域 赤がISIS占拠地、緑は戦闘中地域 英文参照記事
非常に警戒心が強いが、暗闇で何度か会っているせいか、自分とは目を合わせて向き合ってくれた。しかし、他の人の声や物音がするとすぐに逃げて隠れてしまう。だがそれも、野生で生きるには大事なことだろう。
前のコンちゃんよりは多少細身で、胸の毛の感じから、確信は無いがメスのようにも感じる。
毎日夜や朝にえさ場をチェックして、どんな好みなのか見ているが、出すものは何でも食べてくれて、コンちゃんより量を食べるようだ。
写真で座っているのは風下で、しっかり記憶したこっちの匂いを確認している。写真を撮っているのが、えさを置いている人間だと分かっていて、自分には余り警戒心は無いようだ。えさ置き場は古いコンクリートに廃材を寄せて作ってあり屋根付きで、えさが飛び散るのを防ぐのと、カラス対策でもある。この奥は通り抜けできて、万が一犬などに追われても逃げれるようになっている。それも知っていて、右から入って左から出てくることもある。
置いたえさを食べたのを毎日確認し、今日の対面までに数カ月かかったが、健康そうで何よりだ。
歩いている横顔は(メスなら)かなりの美人である。下の左はモデルポ-ズで決めている。脇腹の毛の色が違うが、まだ完全に毛変わりしていないのだろう。まだ少し前までは雪があったのだから無理もない。もうじき全身が、それこそキツネ色の奇麗な毛色になるだろう。暗くなると毎日東側の一本道を歩いてくる。多分住んでいる林からは1~2キロはあるのではと思う。しばらくしたら、検査用の糞の採取もしなくては、、。名前はまだ無い。
以前のコンちゃんと大きく違うのは、こっちのキツネはおしっこのマーキングをしているのを見たことがないことで、このことも性が違うのではという自分の判断になっているが、専門的な判断ではありません。名前は、夜来るので、スウェーデンやフィンランドに多いセイヤSeijaにしましょう。女性の名前で、日本語の聖夜にひっかけてあります。
今回の富岡製糸場の世界遺産登録ニュースは日本人にとって喜ばしいものだったが、ヨーロッパではある洞窟の世界遺産登録に沸いている。これは、パリ先史時代の壁画が残るショーヴェ洞窟(The Grotte Chauvet :2014年の第38回世界遺産委員会で世界遺産リストに登録)。描かれた時代はなんと3万6000年前なのに、1000もの絵が完璧に保存されている。
ヨーロッパで最初の人間文化であるはずだが、その絵は現代のものとかわらず、なにより躍動的。動物たちがとびはねる様子が見てわかる。どうして完璧に保存されていたのか。それは、誰も立ち入ることができないように、完全な閉鎖空間になっていたからだ。原因は、2万3000年前の落石。それ以来、湿気や、動物、人の影響を受けることなく、1994年の発見までそのままの状態で保存されてきたのだ。白い丸付近の洞窟の下には今、広い果樹園が広がっている。場所はフランス南部アルデシュ県 ワインの産地なので、おそらく ぶどう畑だろう。
描かれている動物はマンモス、野生のネコ、バイソン、クマなどそのあまりの良質の保存状態ゆえに、今後も非公開。しかし、近くに同じ大きさのレプリカ施設が建設中で、2015年にオープン予定だ。参照記事 豊富な写真で紹介しているサイト 英文参照記事
写真は展示用の複製画を制作している様子。奇跡的な偶然から、洞窟はタイムカプセルとなって最近まで眠っていた。今見ても古代人のデッサン力の優秀なのが分かる。その素描を抜き出したのが左で、暗闇の中で、わずかな明かりを頼りに描いていた動機は何なのだろうか?参照記事
聯合ニュースによると、韓国軍当局は、手りゅう弾一発と実弾75発を所持して逃げた部隊所属の兵長を追跡しているという。国防省関係者は、「逃走した兵士の身柄を確保する作戦を遂行している」と話した。22日午前現在、行方はまだ分かっていない。事件発生時。将兵たちは「攻撃した者が敵なのか味方なのか分からない状況で、混乱に陥った」と証言した。
兵長は同日午後2時から同7時55分まで警戒勤務をした後、見張り所近くで乱射した。陸軍関係者は「この兵長が、陸軍の生活環境に適応できてい
ない兵士に分類(保護関心兵士)されていたことが分かっている」と話したという。
兵士は大学1年在学中の2012年12月に入隊。昨年2月に現在の部隊に配属され、今年9月に除隊予定だった。昨年4月に実施された適正検査では
「A級関心兵士」の判定を受けたが、同11月の検査ではやや改善したと判断され、「B級関心兵士」となり、今年3月の検査では問題がないとの判定を受け
た。関心兵士は特別関心対象者の「A級」、重点管理対象の「B級」、基本管理対象の「C級」の3段階に分類される。
哨所は最前方地域であるだけにその気になれば北朝鮮側に越境できるという点から北朝鮮入りした可能性も慎重に提起されている。イム兵長が自殺する可能性と逃走した可能性も排除しないでいる。 韓国軍では2005年に北部京畿道(キョンギド)の前線部隊で兵士が手投げ弾を投げて小銃約四十発を乱射、同僚兵士8人が死亡する事件が発生。2011年にも、北西部の江華島(カンファド)の海兵隊部隊で兵士が銃を乱射し、4人が死亡する事件が起きており、いずれも部隊内のいじめが原因と指摘されてい る。特に22師団は隊内事故が多い部隊。 参照記事 参照記事 参照記事 参照記事 過去ブログ:2011年7月チンパンジーが機関銃乱射!動画
銃を乱射し逃走中の兵士が22日午後2時20分ごろ、高城郡内で見つかった。兵士が先に銃を撃ったため、軍当局との間で銃撃戦になった。この過程で兵士の行方を追っていた小隊長が負傷した。民間人の被害はないという。銃撃戦が行われた場所は部隊から10キロほど離れた地域。軍当局は現在、兵士を包囲し、兵士の両親と共に投降を呼びかけている。参照記事
軍当局は23日午前、本格的な逮捕作戦に突入しており、間もなく兵長の身柄を確保できる見通しだ。軍関係者によると、午前8時ごろに包囲網を狭めていた一部兵力が兵長と接触した。兵長は軍当局が渡した携帯電話で、父親と通話している。軍当局は、両親と共に投降を説得している。
現地時間23日午後2時55分ころ、乱射逃走兵は軍と対峙中に自身の所有していたK-2小銃で脇腹を撃って自殺を図り、現在、病院へ移送中であることを明らかにされたが、生死は不明。その後軍当局は、同日午後2時44分ごろ、自殺を図った兵長の身柄を確保したと公表した。 参照記事 参照記事
兵長は持っていた銃で自分の左胸の上部を撃ったという。現在、病院で治療を受けている。同関係者は「意識はあるが出血が多い状態」と説明した。午後6時5分から8時45分まで左肺上葉切除手術を受け、命に別条はないとの事。
軍兵力が兵長を包囲した状態が夜通し続いた後、軍当局は23日午前7時ごろ、再び検挙作戦に突入し、8時20分ごろ、一部の兵が兵長と接触した。兵長が泣きながら父親との電話通話を要求すると、軍当局は携帯電話を投げ、8時40分ごろ、父親との通話が行われた。11時25分ごろには、兵長の父親と兄が現場に到着した。その後7時間以上、兵長の家族と軍当局が投降を促し続け、両親と兄が兵長と7~8メートル離れた場所から投降をすすめると、兵長が「出て行けば死刑になるのではないか」と尋ねるなど、投降後のことを心配している
様子だったという。軍当局もパンや水、戦闘食などを渡し、「話せない事情があれば出てきて話せ。すべて解決する」などと話しかけて投降を促し、父親(64)は「(自殺は)やめろ。やり直せるかもしれないから」と説得した。兵長は自殺を図る20分ほど前、ペンと紙を要求し、遺書を書き「もう終わりだ」と言って引き金を引き、その場に倒れた。兵長が自殺を試みたことにより、膠着(こうちゃく)状態が終わった。参照記事 参照記事
現在は、西側が支援する、シリア軍離脱兵から組織された反政府主流派のFSA(自由シリア軍)と、アルカイダ系ヌスラ戦線Nusra Frontを含むイスラム組織が反アサドで共闘し、同時にイラクや海外からの兵員で組織されたイスラム系過激組織ISILとも戦闘状態にある。シリア北部はクルド人組織が、反アサド、反イスラムス過激派のスタンスで防衛線を死守している。
反アサド陣営は、ISIL: Islamic State of Iraq and the Levant イラク・レヴァント(地中海東部の諸国)・イスラム国家(ISIS; Islamic State in Iraq and Syriaイラク・シリア・イスラム国)が支配しているシリア東部からISILを排除するような行動に出ている。最近では、東部油田地帯のデリゾールDeir el-Zour に近いMuhassanに攻め込んできたISILと反アサド陣営が激しい戦闘になっている。ここはイラクから100キロほどの場所で、ISIL、及び反政府側は、デリゾールDeir el-Zourにシリア軍の拠点があることや、イラクからシリア北部への補給路確保のためにも、この地域の制圧にこだわっている。過去ブログ:2014年6月首都バグダッドにせまるISIL 石油施設も破壊 イラク スンニ派首都バグダッドへ侵攻か 北部は無政府状態 イラク
シリア内陸では、2014年6月20日、ハマー県のHorrah村で、トラックに積んだ3トンともいわれる爆弾を使った自爆テロが発生し、34~38人が死亡、50人以上が負傷したとされる。どの組織の、何が狙いなのかなどは不明だが、この村はアサド支持のアラウィー派(シーア派Shi'ite Islam) Alawiteが多いとされる。ヌスラ戦線Nusra Frontも過去数カ月ハマー付近で自爆テロを多発させたが、ISILもトラックの強奪を繰り返していることから、犯行の疑いが濃厚だとされる。付近では最近、シリア軍と反政府側の攻防が激しくなっていた。シリアの紛争はすでに4年になり、16万人が犠牲になり、その3分の一は市民だといわれる。 映像 参考映像;過去のヌスラ戦線の自爆トラックの様子 参照記事 参照記事
CNNの報道によると、逮捕されたのは旧チェコスロバキア出身のヨハン・ブライアーJohann Breyer(1925年生まれ 父親はドイツ人、母親はドイツ系米国人)容疑者で、ドイツ司法当局に指名手配していた。アウシュヴィッツなど 複数の収容所で看守をしていた同容疑者は、1944年5月~10月、21万6000人のユダヤ人の殺害に関与した容疑がもたれている。
写真は、当時'Hans'と呼ばれたヨハン・ブライアーJohann Breyerの今と昔の写真と住居、彼が看守をしていたポーランドのアウシュビッツ収容所 Auschwitz concentration camp in Poland1945年1月の写真 解放後の写真で、ほとんどの子供がガス室に送られるなか写真の子供たちは生存した。看護婦に抱かれている3歳のZinaida Grynewitschと思われる女性は、その後腕の入れ墨の番号から、30年後に赤十字の捜索で母親に再会できた。生存できた子供たちは、実験用モルモットとして生かされていた。参照記事
その母親がドイツ系米国人であるため、同容疑者は1951年にドイツで米国へのビザ申請、1952年に米国に移住、永住権を手に入れた。同容疑者は当初から、米司法当局に自分は親衛隊髑髏部隊(SS-Totenkopfverbände、SSトーテンコップSS Totenkopf:通称 どくろ師団'Death's Head', battalion または戦争末期の「親衛隊髑髏大隊」SS-Totenkopf-Sturmbannが収容所警備 彼は戦争末期の看守)に所属し、アウシュヴィッツなど複数の収容所の元看守だったことを認めており、米政府は90年代、その国籍の剥奪を検討していた。2003年、米裁判所は10代(17歳で当時のチェコでドイツ軍に入隊)でナチスに入隊したことから、その免責を認めた。一方、米司法当局によると、その多くの供述は矛盾しており、最近になって歴史記録と信憑性のある証拠に反していることも判明した。「容疑者は虚偽の証言で自分の罪を隠そうとした」と判断した当局は、今回の逮捕に踏み切った。ドイツへの身柄引渡を裁定する公聴会は2014年8月21日に開かれる予定。指輪は当時、どくろ師団隊員に配られた指輪。 戦争末期の髑髏大隊の数はおよそ3万人ほどであった。
ヒトラーがホロコースト:ユダヤ人絶滅政策を決意したのは1941年夏であるといわれ、SS長官ハインリヒ・ヒムラーHeinrich Himmlerはヒトラーのライヒスフューラー(親衛隊指導者)であり、ナチスドイツで2番目の権力を持つ男だった。彼はゲシュタポや強制収容所を監督し、ヒトラーの命令を受けて実際にホロコーストを組織したのはヒムラーと親衛隊であるとされる。ヒムラーは大戦末期にはドイツの戦況を絶望視して独断でアメリカ合衆国との講和交渉を試みたが失敗。これを知ったアドルフ・ヒトラーの逆鱗に触れて解任された。その後1945年5月、側近とともに逃亡中にイギリス軍の捕虜となり、尋問を翌日に控えた5月23日、軍医がヒムラーの身体を調べ、口の中を調べようと指を入れた時、軍医の指にかみついた。そして奥歯に隠し持っていたシアン化カリウムのカプセルを噛み砕き自殺を図り、約12分間苦しんだ後に死亡したとされる。写真はヒムラーと彼の自殺直後
当時のドイツと日本との関係で興味深いのは、戦局がドイツに次第に不利なものに傾いていった1944年夏、ヒトラーは高校(ギムナジウム)に日本語を必須科目として取り入れることを命令している。最 初はとりあえず一校だけをモデル校に選んで試験的に授業を始めることになったが、最終的には全ギムナジウムで英語のかわりに日本語を必須科目にする計画 だったという。参照記事
参照記事 英文記事 英文記事 過去ブログ:2014年2月アンネ・フランクが預けたビー玉が発見公開される 1月88歳の元ナチ親衛隊員 70年前の虐殺で起訴される ドイツ 2013年10月元ナチ戦犯、100歳で自然死で死去 イタリー
一方ドネツク義勇軍参謀本部は、19日ドネツク州アルチョモフスク Artemovsk(Artemivsk)市周辺で集中的な戦闘が始まったと伝えた。ドネツク州セヴェルスクSeversk(Siversk)市、ザコトノエ村 も、砲撃や空爆にさらされた。義勇兵 らはこれに反撃し、現在激しい戦闘が続いている。なおウクライナ軍部隊Ukraine gov't forcesは、重火器を使用している。これに先立ち19日朝、スラヴャンスクSlovianskがウクライナ軍に砲撃され、1人死亡したとの情報も入っている。参照記事 英文記事 映像:新露派が占拠したアルチョモフスクを偵察するウクライナ軍ヘリ
ドネツク州では2014年5月29日、同州スラビャンスクで、ウクライナ軍のMi-8輸送ヘリコプターが武装集団の携帯式防空ミサイルを被弾し、ウクライナ兵士13人と将官1人が死亡した事で、状況は一気に緊張した 写真右。 これより先の5月26日には、ウクライナ政府軍によるドネツク郊外の国際空港の奪回作戦で親ロシア派の数十人が死亡し、5月末から、ウクライナのドネツク州への攻撃が本格化している。過去ブログ:2014年5月ウクライナ軍ヘリ撃墜され14人死亡
6月19日のキエフ紙は、州都ドネツク市内は人影がなく、市内のビルに、自称ドネツク人民共和国
Donetsk People’s Republicを名乗る、ロシア側の支援を受けうているといわれる武装集団が立てこもっていると報じている。写真上左はドネツク市内。参照記事
これより先、ウクライナ軍は2014年6月13日、親ロシア派が占拠していたドネツク州南部の港湾都市マリウポリ(Mariupol)を奪還 した。ペトロ・ポロシェンコ(Petro Poroshenko)大統領はこれを受け、戦略的に重要なマリウポリを、親露派武装勢力との戦闘が続くドネツク(Donetsk)州の暫定州都とするこ とを宣言している。参照記事
6月20日早朝には、 Lugansk People's Republic
ルガンスク州では2014年6月14日夜 過去ブログ:2014年5月ウクライナ軍ヘリ撃墜され14人死亡 追記:東部の紛争拡大の中ウクライナ大統領選出される ウクライナのオデッサで40人以上死亡
2014年6月21日:ウクライナのポロシェンコPetro Poroshenko大統領は20日、東部で戦闘が続く親ロシア派勢力との停戦を宣言した。ポロシェンコ大統領は、ウクライナ政府軍は停戦中、攻撃された場合のみ応戦すると述べるとともに、親ロ派勢力に対し、停戦が終了する6月27日までに武器を捨てるよう促した。ポロシェンコ氏は18日に停戦計画を発表。翌19日にはロシアのプーチン大統領と電話で会談した。ポロシェンコ氏の事務所によると、プーチン大統領は、東部の緊張緩和や停戦・和平計画の実現に向けた取り組みを支持したという。しかし、北大西洋条約機構(NATO)のラスムセン事務総長は19日、ロシアがウクライナとの国境付近の兵力を増強したことが確認された、と語った。同時にウクラウナ大統領は欧米に対し、国境付近の安定化への協力を要望している。英文記事 参照記事 イタル・タス通信は義勇軍の情報として、現地時間で21日02時頃(モスクワ時間で21日03時頃)、セミョノフカSemenovkaが焼夷弾を用いた空爆にさらされたと報じた。英文記事 過去のセミョノフカでの焼夷弾使用とされる映像