2013年05月
過去ブログ:アサドは戦況を把握しているか?クサイルで戦闘激化シリアからの延長記事
2013年5月26日:シリア政府軍は、クサイル地区郊外のDabaa(aldhabah)飛行場方面に北西部から侵入し、現在銃撃戦が戦わされているが、目的に到達したと25日公表した。ここは元軍用飛行場だった場所 があるformer military airport of Dabaa.。
右は細かな記事から追った、クサイル付近の戦闘状況。西側(レバノン側)からの黄色い矢印がヒズボラ、東からの矢印がシリア政府軍と想定している。地図の太いオレンジは、ベースにした地図に在ったもので不明だが、ごく最近の最前線の意味にも取れる。黄色い旗がヒズボラ、☆二つがシリア政府側、☆3つが反政府、自由シリア軍の旗。 反政府側は、クサイル、ダバー、飛行場の3つに分断された可能性がある。(戦況図は、両陣営についての報道内容、映像記録から筆者が推測して作ったもので、公式報道されたものではありません) 参照記事 5月24日爆撃を受ける飛行場付近 4月18日投稿の飛行場の映像
アルジャジーラは26日、目撃証言から、政府軍はヒズボラの支援で、戦闘7日目で反政府側をクサイルから撃退したと報じている。戦術的撤退か敗北なのかは不明だが、ヒズボラの総合司令官シーク ハッサン ナスララ.Hezbollah chief Sheikh Hassan Nasrallah;写真 は勝利宣言を出し、アサド政権のために、勝利の日まで犠牲的な戦闘を継続すると宣言した。この方、若い時の演説で、全てのイスラム国はイランの支配下になるべきだ(つまり、全てシーア派に)と唱えた方である、記録映像
進 行中の、トルコでの反政府側と米ロなどとのシリアの今後についての協議は、26日時点でも合意を見ていない。明らかに外国勢力のヒズボラが、多少なりともシリアの戦局でイニシアチブ(主導権)を得たことで、状況はさらに複雑になったように見える。注目は、ヒズボラの拡大を嫌うイスラエルの動向だろう。今後イランが、駐留 ヒズボラへ兵器物資を補給するのは明白で、これに対しイスラエルが空爆などで対抗する可能性もあるだろう。また、数日前から、反政府側がクサイル方面に集結しているという情報もある。 参照記事
5月26日、レバノンの首都ベイルートBeirut南部の郊外に2発のロケットが撃ち込まれ、数人が負傷したと報じられたが、どこからのものか詳細は不明。ベイルートにはヒズボラの拠点があり、それに対しての威嚇なのは間違いないだろう。ヒズボラへの、シリア紛争後初めてのロケット攻撃といわれ、ヒズボラの勝利声明の数時間後に発射された。撃ったのは自由シリア軍で、レバノン内のシリア難民キャンプからという記事もある。 参照記事 参照記事 ベイルートへのロケット攻撃による被害の映像
2013年5月26日:シリアの同盟国ロシアは、シリアへ長距離地対空ミサイル・システムS-300ミサイルを売る契約をキャンセルしたと報じた。ロシアにもイスラエル人が多く居住し、シリアへ売却したミサイルが、イスラエルの敵(ヒズボラ)に渡ることを懸念したものだと説明された。参照記事
個人的には、26日の一番のニュースがこれで、アサドには一番効いたパンチではないだろうか、、。ロシアは、2012年の1月、イランにもS-300ミサイルを渡さないと決定している。ただしこれは、米国のイラン危機に絡んでのことだったが、当然手持ちがあっても、イランがロシア製ミサイルを他国へ移動することは禁止されているはずだ。 過去ブログ:2013年5月シリアの難民急増 2013年5月24日時点、3月との比較 2012年1月イランへの危機は、脅迫と話し合いで回避された?
2013年5月27日:イスラエルは、27日早朝、レバノン南部に近い国境のイスラエル領内に、爆発物が落下し爆発したとして調査を始めている。具体的な場所は特定されてなく、被害も出ていないようだが、轟音が確認されたとしている。おそらく、迫撃砲mortarではないかと推測されている。写真は参考写真 地図は、レバノン南部から、イスラエルの首都テルアビブまで75キロしかないことを示している。 参照記事 過去ブログ:2013年5月レバノン侵攻はまた起きるのか?レバノン 映像記録1982年イスラエル、最初のレバノン侵攻
2013年5月26日:シリア政府軍は、クサイル地区郊外のDabaa(aldhabah)飛行場方面に北西部から侵入し、現在銃撃戦が戦わされているが、目的に到達したと25日公表した。ここは元軍用飛行場だった場所 があるformer military airport of Dabaa.。
右は細かな記事から追った、クサイル付近の戦闘状況。西側(レバノン側)からの黄色い矢印がヒズボラ、東からの矢印がシリア政府軍と想定している。地図の太いオレンジは、ベースにした地図に在ったもので不明だが、ごく最近の最前線の意味にも取れる。黄色い旗がヒズボラ、☆二つがシリア政府側、☆3つが反政府、自由シリア軍の旗。 反政府側は、クサイル、ダバー、飛行場の3つに分断された可能性がある。(戦況図は、両陣営についての報道内容、映像記録から筆者が推測して作ったもので、公式報道されたものではありません) 参照記事 5月24日爆撃を受ける飛行場付近 4月18日投稿の飛行場の映像
アルジャジーラは26日、目撃証言から、政府軍はヒズボラの支援で、戦闘7日目で反政府側をクサイルから撃退したと報じている。戦術的撤退か敗北なのかは不明だが、ヒズボラの総合司令官シーク ハッサン ナスララ.Hezbollah chief Sheikh Hassan Nasrallah;写真 は勝利宣言を出し、アサド政権のために、勝利の日まで犠牲的な戦闘を継続すると宣言した。この方、若い時の演説で、全てのイスラム国はイランの支配下になるべきだ(つまり、全てシーア派に)と唱えた方である、記録映像
進 行中の、トルコでの反政府側と米ロなどとのシリアの今後についての協議は、26日時点でも合意を見ていない。明らかに外国勢力のヒズボラが、多少なりともシリアの戦局でイニシアチブ(主導権)を得たことで、状況はさらに複雑になったように見える。注目は、ヒズボラの拡大を嫌うイスラエルの動向だろう。今後イランが、駐留 ヒズボラへ兵器物資を補給するのは明白で、これに対しイスラエルが空爆などで対抗する可能性もあるだろう。また、数日前から、反政府側がクサイル方面に集結しているという情報もある。 参照記事
5月26日、レバノンの首都ベイルートBeirut南部の郊外に2発のロケットが撃ち込まれ、数人が負傷したと報じられたが、どこからのものか詳細は不明。ベイルートにはヒズボラの拠点があり、それに対しての威嚇なのは間違いないだろう。ヒズボラへの、シリア紛争後初めてのロケット攻撃といわれ、ヒズボラの勝利声明の数時間後に発射された。撃ったのは自由シリア軍で、レバノン内のシリア難民キャンプからという記事もある。 参照記事 参照記事 ベイルートへのロケット攻撃による被害の映像
2013年5月26日:シリアの同盟国ロシアは、シリアへ長距離地対空ミサイル・システムS-300ミサイルを売る契約をキャンセルしたと報じた。ロシアにもイスラエル人が多く居住し、シリアへ売却したミサイルが、イスラエルの敵(ヒズボラ)に渡ることを懸念したものだと説明された。参照記事
個人的には、26日の一番のニュースがこれで、アサドには一番効いたパンチではないだろうか、、。ロシアは、2012年の1月、イランにもS-300ミサイルを渡さないと決定している。ただしこれは、米国のイラン危機に絡んでのことだったが、当然手持ちがあっても、イランがロシア製ミサイルを他国へ移動することは禁止されているはずだ。 過去ブログ:2013年5月シリアの難民急増 2013年5月24日時点、3月との比較 2012年1月イランへの危機は、脅迫と話し合いで回避された?
2013年5月27日:イスラエルは、27日早朝、レバノン南部に近い国境のイスラエル領内に、爆発物が落下し爆発したとして調査を始めている。具体的な場所は特定されてなく、被害も出ていないようだが、轟音が確認されたとしている。おそらく、迫撃砲mortarではないかと推測されている。写真は参考写真 地図は、レバノン南部から、イスラエルの首都テルアビブまで75キロしかないことを示している。 参照記事 過去ブログ:2013年5月レバノン侵攻はまた起きるのか?レバノン 映像記録1982年イスラエル、最初のレバノン侵攻
2012年2月18日のブログで、イタリー人2名がインド毛派(毛沢東主義派 Maoist )に誘拐された事を書いたが、彼らのテロ活動は活発化している。先に誘拐事件は、地図(11)のオリッサ州だったが、ほかにテロ事件の多い地域は、チャッティースガル州(35)、ジャールカンド州(34)、マハーラーシュトラ州(12)が上げられ、それぞれを黄色で示すと、インドの中央部を東西に毛派が活動しているのが分かる。過去ブログ:インド毛派、外国人誘拐 旅行者の無用心も。
2012年3月27日、インド西部のマハーラーシュトラ州 state of Maharashtra(12)東部Gadhchiroli で27日12時半ころ、警察車両が地雷を踏み爆発し、少なくても15名の警察官が死亡し、13人が負傷した。2012年1月にはジャールカンド州Jharkhand(34)で、毛派の待ち伏せに遭い、地雷により警官13人が死亡している。参照記事
毛派武装グループによる犯行である可能性が言われ、毛派武装グループは、40年近くに渡ってインド国内の治安を乱す脅威の一つで、2011年度には、約1500回にのぼる銃撃および襲撃を兵士と民間人に行い、500人以上が殺害された。2011年度で、警察は約2千人の毛派を逮捕し、500以上の銃器を押収している。インドの毛派は、ナクサルNaxal党員とも呼ばれており、「資本家の重圧による貧困からの農村の解放」を目的に掲げている。毛派は、密林に隠れ、農村を略奪し、公務員や公安機関の職員を襲撃していると報道されている。写真は地雷攻撃の跡 参照記事 過去ブログ:インド極左翼組織、毛派 ,Naxalite ,Naxal,Maoist(マオイストCPIーM) インド 2009年~ 国境問題まとめ
2013年5月26日:25日夜、インドのチャッティースガル州State of Chhattisgarhで武装集団(300人とも)が州議員らを乗せた20台の車列を攻撃し、道路に仕掛けてあった爆弾を爆発させた後、車列を攻撃した。犠牲者の数は19名(当初は27名だった)とされており、多くは議員、ほかには警官が含まれ、そのほか、少なくとも32名が負傷した。ここはインドでもマオイストの活動が盛んな州で、マオイストMaoistらは貧困層および農民層の権利擁護の闘争を行っている。参照記事
地図は、赤いほどマオイストの影響の強いところで、チャッティースガル州State of Chhattisgarhにも赤い旗が立っている。インド国内の記事では「ナクサル」の仕業と断定している。*インドのマオイストMaoist(毛派)たちは、ナクサル(Naxal)とも呼ばれる。 YOUTUBE映像
2012年3月27日、インド西部のマハーラーシュトラ州 state of Maharashtra(12)東部Gadhchiroli で27日12時半ころ、警察車両が地雷を踏み爆発し、少なくても15名の警察官が死亡し、13人が負傷した。2012年1月にはジャールカンド州Jharkhand(34)で、毛派の待ち伏せに遭い、地雷により警官13人が死亡している。参照記事
毛派武装グループによる犯行である可能性が言われ、毛派武装グループは、40年近くに渡ってインド国内の治安を乱す脅威の一つで、2011年度には、約1500回にのぼる銃撃および襲撃を兵士と民間人に行い、500人以上が殺害された。2011年度で、警察は約2千人の毛派を逮捕し、500以上の銃器を押収している。インドの毛派は、ナクサルNaxal党員とも呼ばれており、「資本家の重圧による貧困からの農村の解放」を目的に掲げている。毛派は、密林に隠れ、農村を略奪し、公務員や公安機関の職員を襲撃していると報道されている。写真は地雷攻撃の跡 参照記事 過去ブログ:インド極左翼組織、毛派 ,Naxalite ,Naxal,Maoist(マオイストCPIーM) インド 2009年~ 国境問題まとめ
2013年5月26日:25日夜、インドのチャッティースガル州State of Chhattisgarhで武装集団(300人とも)が州議員らを乗せた20台の車列を攻撃し、道路に仕掛けてあった爆弾を爆発させた後、車列を攻撃した。犠牲者の数は19名(当初は27名だった)とされており、多くは議員、ほかには警官が含まれ、そのほか、少なくとも32名が負傷した。ここはインドでもマオイストの活動が盛んな州で、マオイストMaoistらは貧困層および農民層の権利擁護の闘争を行っている。参照記事
地図は、赤いほどマオイストの影響の強いところで、チャッティースガル州State of Chhattisgarhにも赤い旗が立っている。インド国内の記事では「ナクサル」の仕業と断定している。*インドのマオイストMaoist(毛派)たちは、ナクサル(Naxal)とも呼ばれる。 YOUTUBE映像
2013年5月26日:アラブ首長国連邦は名前の通り連邦で、産油国として潤っている。その中にドバイ首長国があり、独自の法律で運営されている。古くからの有力首長が支配し、その多くの企業もまた血縁関係で結ばれている。アラビアの王様の国が今に至っている。ドバイ Dubaiでは豊富な資産を活用して、近代建築が競い合い、今も世界有数の摩天楼 skyscrapersが建築されている。
人口が少ないから労働力は海外からで、多くは低所得のアフリカやバングラデシュBangladeshi などから集めれらている。
最近ここで賃上げを要求するデモ(仕事に就かない抗議)が起き、組合もデモも禁止されているドバイでは警官の出動で5月20日には鎮圧された。その後、一方的に国外追放の通知deportation ordersを受ける外国人労働者が続出して問題になっているが、その背景には豊かな国とは思えない実情があるようだ。
デモでの労働者の要求は、月平均200ドルに対して、100~135ドルの割り増しで、約束の無料の食事も要求していた。労働環境は厳しく、毎日40度の気温の中での作業で、大手企業Arabtec傘下だけで毎日数千人がさまざまな場所で働いている。Arabtecは、追放については検討すると答え、賃金については仕事に見合って払われているとだけ回答している。
全体では約20万人の労働者が寝泊まりする場所は労働キャンプlabour campsと呼ばれ、郊外にあり、そこでは道路や、バラックの一部屋に4~5人が寝起きし、トイレ、浴室は50人にひとつしかなく、常に監視が付いている。あるバングラデシュからの労働者の月の収入は102ドルで、自国と変わらないと嘆くが、それでも、自国では仕事が続かず、仕事が安定しているドバイのほうが、まだましだという。デモが鎮静化した背景がこの辺にあるようだ。解雇されては、すぐに生活に困るようだ。
ある労働者は、政府は労働者の権利を守る対応をするべきで、ドバイの労働者は劣悪な環境で危険な作業を強いられ、虐待まで受けていると発言する。ケファラシステム kefala systemと呼ばれる仕組みでは、労働者の地位は企業によって拘束され、許可なく仕事先を変えることもできない。こういう状況が、彼らが「21世紀の奴隷」といわれる所以だが、少数派の裕福なこの国の国民は、デモは、投資や旅行熱に不安を与える治安の悪化としか理解していないようだ。実際、一部を追放しても、海外からの働き手には全く困らないと言われている。
労働者には環境が劣悪でも止めれない事情が他にもあり、それにはインドやバングラデシュで違法に金を取るあっせん業者が関係している。このため多くの労働者が先に金を払わされたり、ビザの取得などで借金をしてドバイに入国してくるという。また、労働者の中にも階級が存在し、古くからの者は給与も高いが、彼らは何もしないと不満を述べている。この国の平均給与は4万8千ドルといわれるが、単純に給与の格差だけではない、色々な問題が複雑に絡んでいるようだ。 参照記事から抜粋抄訳
人口が少ないから労働力は海外からで、多くは低所得のアフリカやバングラデシュBangladeshi などから集めれらている。
最近ここで賃上げを要求するデモ(仕事に就かない抗議)が起き、組合もデモも禁止されているドバイでは警官の出動で5月20日には鎮圧された。その後、一方的に国外追放の通知deportation ordersを受ける外国人労働者が続出して問題になっているが、その背景には豊かな国とは思えない実情があるようだ。
デモでの労働者の要求は、月平均200ドルに対して、100~135ドルの割り増しで、約束の無料の食事も要求していた。労働環境は厳しく、毎日40度の気温の中での作業で、大手企業Arabtec傘下だけで毎日数千人がさまざまな場所で働いている。Arabtecは、追放については検討すると答え、賃金については仕事に見合って払われているとだけ回答している。
全体では約20万人の労働者が寝泊まりする場所は労働キャンプlabour campsと呼ばれ、郊外にあり、そこでは道路や、バラックの一部屋に4~5人が寝起きし、トイレ、浴室は50人にひとつしかなく、常に監視が付いている。あるバングラデシュからの労働者の月の収入は102ドルで、自国と変わらないと嘆くが、それでも、自国では仕事が続かず、仕事が安定しているドバイのほうが、まだましだという。デモが鎮静化した背景がこの辺にあるようだ。解雇されては、すぐに生活に困るようだ。
ある労働者は、政府は労働者の権利を守る対応をするべきで、ドバイの労働者は劣悪な環境で危険な作業を強いられ、虐待まで受けていると発言する。ケファラシステム kefala systemと呼ばれる仕組みでは、労働者の地位は企業によって拘束され、許可なく仕事先を変えることもできない。こういう状況が、彼らが「21世紀の奴隷」といわれる所以だが、少数派の裕福なこの国の国民は、デモは、投資や旅行熱に不安を与える治安の悪化としか理解していないようだ。実際、一部を追放しても、海外からの働き手には全く困らないと言われている。
労働者には環境が劣悪でも止めれない事情が他にもあり、それにはインドやバングラデシュで違法に金を取るあっせん業者が関係している。このため多くの労働者が先に金を払わされたり、ビザの取得などで借金をしてドバイに入国してくるという。また、労働者の中にも階級が存在し、古くからの者は給与も高いが、彼らは何もしないと不満を述べている。この国の平均給与は4万8千ドルといわれるが、単純に給与の格差だけではない、色々な問題が複雑に絡んでいるようだ。 参照記事から抜粋抄訳
2013年5月26:内戦が続くシリアから近隣諸国などに逃れた難民の数が150万人を超えたと国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が2013年5月17日に明らかにしていたが、トルコなどがその急増ぶりに困惑し始めていることで集計を取ってみた。5月24日時点で、各国の登録シリア難民、登録待ち難民の合計は1.560.919人となっている。実際にはこのほかの地域へ脱出した人も多く、さらに多いだろう。
国連総会のイェレミッチ議長によると、シリア国内避難民の数も400万人以上に上るというので、国内外のシリア難民は650万人強になり、米中央情報局(CIA)がまとめた「ザ・ワールド・ファクトブック」によると、シリアの人口はわずか2200万人強であることから、総人口の3割近くがシリア内戦で自宅を追われたことになる。図の中の2013年3月と5月24日時点での比較では、トルコとレバノンへの難民が急増している。(5月の数字は集計値を4捨5入しています)国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)オフィシャルサイト
イェレミッチ議長によると、2年以上前に始まったシリア内戦による死者数は少なくとも8万人に上るとされるが、別な集計ではすでに10万人を超えているといわれ、その急増ぶりは戦況の悪化に伴い急増し、毎日110人以上が死亡している。参照記事
トルコでは、治安の悪化を理由にデモが起き、難民が迫害を受ける事態も起きている。過去ブログ:2013年5月アサドは戦況を把握しているか?クサイルで戦闘激化シリア シリアとの国境近くトルコ領内で爆破テロ
国連総会のイェレミッチ議長によると、シリア国内避難民の数も400万人以上に上るというので、国内外のシリア難民は650万人強になり、米中央情報局(CIA)がまとめた「ザ・ワールド・ファクトブック」によると、シリアの人口はわずか2200万人強であることから、総人口の3割近くがシリア内戦で自宅を追われたことになる。図の中の2013年3月と5月24日時点での比較では、トルコとレバノンへの難民が急増している。(5月の数字は集計値を4捨5入しています)国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)オフィシャルサイト
イェレミッチ議長によると、2年以上前に始まったシリア内戦による死者数は少なくとも8万人に上るとされるが、別な集計ではすでに10万人を超えているといわれ、その急増ぶりは戦況の悪化に伴い急増し、毎日110人以上が死亡している。参照記事
トルコでは、治安の悪化を理由にデモが起き、難民が迫害を受ける事態も起きている。過去ブログ:2013年5月アサドは戦況を把握しているか?クサイルで戦闘激化シリア シリアとの国境近くトルコ領内で爆破テロ
2013年5月26日:ロシア紙の日本語版が「日本、ミャンマーをめぐる地政学的争いで加熱」というタイトルで、まるで日本が戦略的にミャンマーに接近しているかのような記事を掲載している。「日本がミャンマーをめぐる中国・米国との戦いを加熱させている」と極東研究所日本研究センターのワレーリイ・キスタノフ氏は見ている。「5月24日現在、三日間の日程で、安倍晋三首相がミャンマーを訪れている。、、」と書き出し、まとめで「 日本の大資本による強力な政治的支援がミャンマーに流入しようとしている。どうやらミャンマーは深刻な地政学的「戦場」になりつつあるようだ。莫大な利
益をめぐる闘争である。巨大な天然資源、巨大な消費市場、そしてアジアの地図の中にミャンマーが占める、そのユニークな位置。」と締めくくっている。
なんともロシア風な、軍事戦略的、階級闘争的な分析で、プーチン大統領の経済戦略もこれに似たところがあるので、ロシア風と言っていいだろう。
まず、日本とミャンマーとの関係は急に成りあがったものではなく、軍政時代も経済援助も含め地道に関係を維持してきた。中ロのような、物だけの無機質な付き合いではなく、日本は今後もより有機的に、人材交流、ハードだけでなく社会整備のソフトも支援していこうという姿勢で、中ロの経済進出とは異質である。
ロシアの分析のような、大手資本を投入してという国策先行ではなく、国の支援を受けた企業が自主的な判断で、自らのマーケティングを基に進出し、自動車を例に取れば、それに必要な無数の中小企業が合わせて進出するというのが日本的海外進出であり、大手と中小も責任者を介した有機的な関係である。さらに中小は、現地企業の自立を目指し、現地国の人材育成にも力を入れ、海外での企業の質的成長に期待を賭ける。企業や製品の質の向上は人材だというのは、日本では普遍なことであり、これは世界中で実践されている。
中国が、肉体労働者の果てまで自国から投資国へ投入する図式とは大きく違う。当然だが、進出先での進出企業の環境整備には十分な配慮がされる。もし進出企業が海外で不信を買えば、それはすぐにその会社の株価に影響する。ここが中ロの企業とは大きく違う。つまり、如何に大手企業であっても、常に株主という日本国民から監視されている状況を無視できず、企業や製品の質の低下や、反社会的、利己的な経済活動などは許されない仕組みが出来上がっている。この事からも、派遣された人間はより襟を正して仕事をする。
こういうことに言及しない、または気がつかない、先のロシアの極東研究者の見方などは、実に時代がかった硬直した、過去の定義を押し付けた見方でしかなく、あまりに平面的な解釈ではないだろうか?過去ブログ:2012年10月加速するミャンマーの中国離れと日本の接近
なんともロシア風な、軍事戦略的、階級闘争的な分析で、プーチン大統領の経済戦略もこれに似たところがあるので、ロシア風と言っていいだろう。
まず、日本とミャンマーとの関係は急に成りあがったものではなく、軍政時代も経済援助も含め地道に関係を維持してきた。中ロのような、物だけの無機質な付き合いではなく、日本は今後もより有機的に、人材交流、ハードだけでなく社会整備のソフトも支援していこうという姿勢で、中ロの経済進出とは異質である。
ロシアの分析のような、大手資本を投入してという国策先行ではなく、国の支援を受けた企業が自主的な判断で、自らのマーケティングを基に進出し、自動車を例に取れば、それに必要な無数の中小企業が合わせて進出するというのが日本的海外進出であり、大手と中小も責任者を介した有機的な関係である。さらに中小は、現地企業の自立を目指し、現地国の人材育成にも力を入れ、海外での企業の質的成長に期待を賭ける。企業や製品の質の向上は人材だというのは、日本では普遍なことであり、これは世界中で実践されている。
中国が、肉体労働者の果てまで自国から投資国へ投入する図式とは大きく違う。当然だが、進出先での進出企業の環境整備には十分な配慮がされる。もし進出企業が海外で不信を買えば、それはすぐにその会社の株価に影響する。ここが中ロの企業とは大きく違う。つまり、如何に大手企業であっても、常に株主という日本国民から監視されている状況を無視できず、企業や製品の質の低下や、反社会的、利己的な経済活動などは許されない仕組みが出来上がっている。この事からも、派遣された人間はより襟を正して仕事をする。
こういうことに言及しない、または気がつかない、先のロシアの極東研究者の見方などは、実に時代がかった硬直した、過去の定義を押し付けた見方でしかなく、あまりに平面的な解釈ではないだろうか?過去ブログ:2012年10月加速するミャンマーの中国離れと日本の接近
2013年5月23日の英国紙に、韓国で「従軍慰安婦」に対する日本の見解に反発する抗議デモがあり、日本の国旗が焼かれたと報道されている。内容はいつもの通り、慰安婦の存在と軍の強制徴用があったかのような、事実と想像がごちゃ混ぜに報道され、なぜか韓国の軍服姿は「ベトナム戦争帰還兵」らしい。
記事内に登場する旧日本兵も「ひどい状況で、兵士はズボンも下さず性処理をした」と発言し、彼らに都合のいい部分だけ引用されている。そのような残念な事実があったことは日本は否定していないし、謝罪もしている。さらに戦後、そのことに関係した女性を調査し、韓国内での差別から厳しい生活を強いられていることに対し、人道的見地からの経済支援も行っている。
最近は「英語での反論」なども出ているが、日本側の焦点は「軍の強制」の有無で、例外はあったにせよ、軍の直接関与などはなかったとしている点だ。当時は公娼制度が存在し、国であっても民間の経営を圧迫することはできなかった。その娼婦の多くは機密保持のため日本人で、軍がその施設を警護した事実もあったと確認されているが、この辺が軍の関与と取られる点だろう。これについては、当時の小野田少尉が、兵士が無防備になる場所なので、戦地では治安上、軍の警備は当然あったと書かれている。英国やオランダがこの点について再三言及するのは、日本が行った南方での捕虜の扱いとも関係し、両国の中に、過去の忌まわしい経験を忘れるなという意見があることと関係があるだろう。参照記事:米側資料の慰安婦は「大金稼ぎ欲しいもの買えた」 韓国主張の性奴隷とは異なる風景 基地村の女性たちに名誉回復と被害補償を~米軍相手に売春させられた百万人以上の女性たちの実態調査求める★3[12/16] 韓国語記事 過去ブログ:2013年3月2013年3月8日衆議院予算委員会 質疑の動画 2012年9月バタンカリ村の虐殺 英国 2012年6月従軍慰安婦問題 傍観していていいのか? 2011年9月従軍は無かった、小野田記録と米軍調査にそれを見る。 2010年12月嘘つき日本軍捕虜,刑務所でクリスマス オーストラリア 2007年5月慰安婦問題の強制性(保存投稿記事)
記事内に登場する旧日本兵も「ひどい状況で、兵士はズボンも下さず性処理をした」と発言し、彼らに都合のいい部分だけ引用されている。そのような残念な事実があったことは日本は否定していないし、謝罪もしている。さらに戦後、そのことに関係した女性を調査し、韓国内での差別から厳しい生活を強いられていることに対し、人道的見地からの経済支援も行っている。
最近は「英語での反論」なども出ているが、日本側の焦点は「軍の強制」の有無で、例外はあったにせよ、軍の直接関与などはなかったとしている点だ。当時は公娼制度が存在し、国であっても民間の経営を圧迫することはできなかった。その娼婦の多くは機密保持のため日本人で、軍がその施設を警護した事実もあったと確認されているが、この辺が軍の関与と取られる点だろう。これについては、当時の小野田少尉が、兵士が無防備になる場所なので、戦地では治安上、軍の警備は当然あったと書かれている。英国やオランダがこの点について再三言及するのは、日本が行った南方での捕虜の扱いとも関係し、両国の中に、過去の忌まわしい経験を忘れるなという意見があることと関係があるだろう。参照記事:米側資料の慰安婦は「大金稼ぎ欲しいもの買えた」 韓国主張の性奴隷とは異なる風景 基地村の女性たちに名誉回復と被害補償を~米軍相手に売春させられた百万人以上の女性たちの実態調査求める★3[12/16] 韓国語記事 過去ブログ:2013年3月2013年3月8日衆議院予算委員会 質疑の動画 2012年9月バタンカリ村の虐殺 英国 2012年6月従軍慰安婦問題 傍観していていいのか? 2011年9月従軍は無かった、小野田記録と米軍調査にそれを見る。 2010年12月嘘つき日本軍捕虜,刑務所でクリスマス オーストラリア 2007年5月慰安婦問題の強制性(保存投稿記事)
2013年5月24日:大相撲夏場所で、幕下東7枚目の大砂嵐(21)(エジプト Egypt 出身、大嶽部屋)が7戦全勝で幕下優勝を果たし、初土俵から所要8場所での十両昇進が有力となった。昇進が決まれば、外国出身では小錦、把瑠都と並ぶスピード出世。十両の明瀬山との一番で快勝した大砂嵐は、「小錦さんも把瑠都関も大関になったので、もっともっと頑張りたい。夢は横綱」と力強く語った。;本名アブデル
ラフマン・シャーラン "Abd el rahman Shaalan"1992年、エジプト・カイロ市に生まれる。知人の影響で16歳から相撲を始め、2008年に国内の無差別級王者、および世界ジュニア選手権で無差別級3位となり、2011年の世界ジュニア選手権でも重量級で3位。 大学で会計学を学んでいたものの相撲への情熱を捨て切れず、2011年8月に来日。体重154Kg、身長189cm。YOUTUBE映像 YOUTUBE映像 YOUTUBE映像
7月の名古屋場所での新十両昇進を濃厚としたのはエジプト出身の「大砂嵐;Oosunaarashi大砂嵐金太郎」。エジプトだから大砂嵐とはわかりやすい。初のアフリカ大陸出身、イスラム教徒の幕内入幕も夢でない。ジムで体を鍛えていて力には絶対の自信があった彼が、相撲で、自分より小柄で太っている相手に全敗し、力だけではない相撲のすごさを知ったのがきっかけだそうです。大砂嵐の名古屋場所が7月8日~22日。イスラム教徒の断食時期、ラマダンのスタートが7月20日と、さて、どう乗り切るのか?2012年の7月場所では、実際に場所中にラマダンを迎えたが、日没後に豚肉抜きのちゃんこ鍋を食べるなどの工夫で乗り切り、勝ち越したとある。
2013年5月29日:番付編成会議が29日、東京・国技館であり、初のアフリカ大陸出身力士の大砂嵐(21)=本名・アブデルラフマン・シャーラン、エジプト出身、大嶽部屋=ら4人の新十両昇進が決まった。
ラフマン・シャーラン "Abd el rahman Shaalan"1992年、エジプト・カイロ市に生まれる。知人の影響で16歳から相撲を始め、2008年に国内の無差別級王者、および世界ジュニア選手権で無差別級3位となり、2011年の世界ジュニア選手権でも重量級で3位。 大学で会計学を学んでいたものの相撲への情熱を捨て切れず、2011年8月に来日。体重154Kg、身長189cm。YOUTUBE映像 YOUTUBE映像 YOUTUBE映像
7月の名古屋場所での新十両昇進を濃厚としたのはエジプト出身の「大砂嵐;Oosunaarashi大砂嵐金太郎」。エジプトだから大砂嵐とはわかりやすい。初のアフリカ大陸出身、イスラム教徒の幕内入幕も夢でない。ジムで体を鍛えていて力には絶対の自信があった彼が、相撲で、自分より小柄で太っている相手に全敗し、力だけではない相撲のすごさを知ったのがきっかけだそうです。大砂嵐の名古屋場所が7月8日~22日。イスラム教徒の断食時期、ラマダンのスタートが7月20日と、さて、どう乗り切るのか?2012年の7月場所では、実際に場所中にラマダンを迎えたが、日没後に豚肉抜きのちゃんこ鍋を食べるなどの工夫で乗り切り、勝ち越したとある。
2013年5月29日:番付編成会議が29日、東京・国技館であり、初のアフリカ大陸出身力士の大砂嵐(21)=本名・アブデルラフマン・シャーラン、エジプト出身、大嶽部屋=ら4人の新十両昇進が決まった。
2013年5月24日:フランスのカンヌCannesで開かれている映画祭の祝賀会に「江南スタイル」のPSYのナリスマシが登場し、見事にみんな騙され、本人はタダのドリンクやら食事を食いまくっていなくなったようだ。写真の右の右が本物で、左が成りすまし、、。
英国の女優で「パイレーツ オブ カリビアンPirates of the Caribbean:」にも出演したNaomie Harrisさんもまんまとだまされ、記念写真を撮って満足のようです。写真左
ばれたきっかけは、米国にいる本物のPSYがTVの生番組に出たことで、本物は「会ったらハイ!と言ってやるよ」と余裕らしい。それにしても似ているというか、この手の顔は結構いるような気もしますが、、。目的は何だったのか??参照記事
過去ブログ:2013年4月PSYの新曲「ジェントルマン」 GENTLEMAN 韓国
英国の女優で「パイレーツ オブ カリビアンPirates of the Caribbean:」にも出演したNaomie Harrisさんもまんまとだまされ、記念写真を撮って満足のようです。写真左
ばれたきっかけは、米国にいる本物のPSYがTVの生番組に出たことで、本物は「会ったらハイ!と言ってやるよ」と余裕らしい。それにしても似ているというか、この手の顔は結構いるような気もしますが、、。目的は何だったのか??参照記事
過去ブログ:2013年4月PSYの新曲「ジェントルマン」 GENTLEMAN 韓国
2013年5月24日; 米国ケンタッキー州グラスゴー高校での出来事Glasgow High School in Kentucky。科学の時間に、どうやら可燃性の気体の発生を実験しているようで、先生は気体におもむろに点火します。気体は天井近くで見事燃焼、、さらにもう一度。実は筆者は、仕事が建築にも絡むので、この映像を見はじめてすぐに消火スプリンクラーが心配になった。案の定、天井の消火用スプリンクラーが熱に反応し、天井から水が噴き出した。映像はその一部始終ですが、実験は失敗だった?
いえ、大成功でした。クラス全員、大拍手を送ったそうですから。5月19日投稿の記録映像
( )こちらも実験の失敗 Classroom Experiment Gone Wrong!
いえ、大成功でした。クラス全員、大拍手を送ったそうですから。5月19日投稿の記録映像
( )こちらも実験の失敗 Classroom Experiment Gone Wrong!
2013年5月22日:ロンドン市の東、ウールリッチWoolwich, South East Londonという、比較的閑静な場所でテロ事件が起きた。午後2時20分頃、アフリカン風の二人組が最初に自分たちの車を歩いていた兵士にぶつけ、あるいは車で追いまわし、その後ナイフとナタ(ナタmachetesとあるが、映像では大型包丁のようなもの)で頭部を切り付け、首が切断されたとある。さらに二人が負傷している。事件は白昼のロンドン郊外で、多数の目撃者や、映像を記録していた人もいた。犯人の一人は、血だらけの手にナイフを持ったまま撮影者に語っている。どちらかはピストルも持っていたようだ。YOUTUBE映像
目撃者のカメラに向かって「全知全能のアラーに誓って戦いは止めない、、お前ら(英国人)だけが平和ではいられない"We swear by almighty Allah we will never stop fighting you...Your people will never be safe.」とか、「女性達ががこれを目撃したことにはお詫びするが、俺の国ではこんなことがいつも起きている。」と語ったとあるので、紛争国出身の狂信的なイスラム教徒のようだとされている。犯行後、容疑者二人は逃げようともせず、約20分後に駆け付けた警官に撃たれ病院に搬送され、一人は死亡した?という。 殺害された兵士は、「戦傷した復員兵に寄付を」とプリントされたTシャツを着ていたと言われ、襲撃の際に容疑者らが「アッラー・アクバルAllahu Akbar」と叫んだとも言われている。 参照記事 参照記事 参照記事
バスから事件を目撃したカブスカウト(ボーイスカウト)の女性リーダーであるイングリット・ロヤウ・ケネットIngrid Loyau-Kennettさん、48歳(写真で黒いベストを着ている)は、被害者の脈を診たあと、ナイフを持った男と立ったまま会話をした。彼女は冷静に犯人の一人に「今、あなた一人で大勢と戦えば、あなたは負けてしまうわ。あなたは何がしたいの?:Right now it is only you versus many people, you are going to lose, what would you like to do?」と語りかけた。彼の返事は「ここにとどまり、戦いたい」と答え、テレビ局には、「全能のアッラーに誓う。あなたの戦いを決して止めない」と叫んだ。彼はその問いに対して、ここにとどまり、戦いたいと語った。参照記事
英国はイスラム系テロの多い、アフリカ、アフガンに治安部隊や情報機関を派遣している。 写真は別な場所のデモでのプラカードだが、タイトルには「英国兵を地獄へ」と書いている。その横には「アフガン。。」の文字も見える。英国イスラム協会 Muslim Council of Britainは、犯行は蛮行以外の何物でも無いと非難し、関係を否定している。過去ブログ:2013年5月ストックホルム郊外で移民住民が放火や投石スウェーデン 2011年12月英国の憂鬱 2009年4月多民族国家になった移民国家英国の憂鬱
英国軍は志願制を基盤としており、16歳から入隊が認められているが、軍事作戦への参加は18歳以上とされている。しかし、国防次官の情報によると、2007-2010年に17歳の兵士7人が軍事作戦に参加したと議会で追及されたと22日報道された。4人はイラク、3人はアフガニスタンで実施された作戦に参加していた。国防次官は、英国防省は速やかに改善対策を講じると指摘した。参照記事
2013年5月23日;容疑者の取調べから、容疑者は西アフリカのナイジェリアNigeriaと関係していると報じられた。たんに国籍なのかなどは不明 過去には海岸線が「奴隷海岸」と呼ばれ英国の植民地だった。今も英国連邦加盟国である。公用語が英語でもあり、英国への移民が多い。容疑者の一人は死亡したと報じられたが、二人とも別な病院に隔離されているようだ。 参照記事 過去ブログ;2013年4月ナイジェリアの宗教対立再燃拡大か アフリカ
ビデオに写っていた容疑者一人の名前は、英国紙サンがナイジェリア系英国人アデボラジョMichael Adebolajo(イスラム名:Mujahid);写真上 と、もう一人はMichael Oluwatobi Adebowale, 22歳と確認したようだ。犯行の理由として「この男を殺した理由は、多くのイスラム教徒が英国兵士に殺されているからだ」と周囲に発言しているのが確認された。容疑者二人は学校で同級生で、15~16歳のころイスラム教に興味を持ち始めた。ナイジェリアには、イスラム過激武装組織Boko Haramがいるが、組織的背景は確認されていない。 参照記事 参照記事 過去ブログ:2011年12月ナイジェリアのイスラム原理主義過激派ボコ・ハラム
事件の起きた事件現場では夜になって、マスクをかぶった極右翼集団FAR-right English Defence League;写真 が付近のパブなどに集まり気勢を上げた。今後、イスラム教、アフリカ系住民に対する、露骨な嫌がらせの起きることが懸念される。
2013年5月24日:殺害された被害者は英国籍Lee Rigby25歳;写真左 で、Lee Rigbyはthe 2nd Battalion, Royal Regiment of Fusiliersに所属し、バッキンガム宮殿に勤務するドラマーだった経歴がある。容疑者は、英国の諜報機関M15(国内防諜情報を主に扱う)には知られていた人物だったようだとの記事もある。ビデオに写っていたナイジェリア系英国人Michael Adebolajoは28歳位と思われ、宗教団体のAl Muhajirounにも出席し影響を受けていたと報道された。彼は撮影された際に「 我々は、米国との戦いと同じように(英国とも)戦わなくてはならない。目には目を、歯には歯をだ。"We must fight them as they fight us. An eye for an eye, a tooth for a tooth,"」と発言していたと報道されている。
この団体に関する過去の発行物(討論会のポスターらしい)が右の写真で、これだけみるとイスラム教の厳格なシャーリア法を前面に出す、イスラム原理主義団体のようだ。団体のリーダーAnjem Choudaryは、容疑者のMichael Adebolajoを洗礼名Mujahidとして記憶しており、2003年ころ改宗し、静かな青年で、団体の活動家ではなく、講義に参加する程度だったと語っている。またどちらかは、ソマリアのアルカイダ系系組織Al-Shabaabにも興味を持っていたと報じられた。 参照記事
目撃者のカメラに向かって「全知全能のアラーに誓って戦いは止めない、、お前ら(英国人)だけが平和ではいられない"We swear by almighty Allah we will never stop fighting you...Your people will never be safe.」とか、「女性達ががこれを目撃したことにはお詫びするが、俺の国ではこんなことがいつも起きている。」と語ったとあるので、紛争国出身の狂信的なイスラム教徒のようだとされている。犯行後、容疑者二人は逃げようともせず、約20分後に駆け付けた警官に撃たれ病院に搬送され、一人は死亡した?という。 殺害された兵士は、「戦傷した復員兵に寄付を」とプリントされたTシャツを着ていたと言われ、襲撃の際に容疑者らが「アッラー・アクバルAllahu Akbar」と叫んだとも言われている。 参照記事 参照記事 参照記事
バスから事件を目撃したカブスカウト(ボーイスカウト)の女性リーダーであるイングリット・ロヤウ・ケネットIngrid Loyau-Kennettさん、48歳(写真で黒いベストを着ている)は、被害者の脈を診たあと、ナイフを持った男と立ったまま会話をした。彼女は冷静に犯人の一人に「今、あなた一人で大勢と戦えば、あなたは負けてしまうわ。あなたは何がしたいの?:Right now it is only you versus many people, you are going to lose, what would you like to do?」と語りかけた。彼の返事は「ここにとどまり、戦いたい」と答え、テレビ局には、「全能のアッラーに誓う。あなたの戦いを決して止めない」と叫んだ。彼はその問いに対して、ここにとどまり、戦いたいと語った。参照記事
英国はイスラム系テロの多い、アフリカ、アフガンに治安部隊や情報機関を派遣している。 写真は別な場所のデモでのプラカードだが、タイトルには「英国兵を地獄へ」と書いている。その横には「アフガン。。」の文字も見える。英国イスラム協会 Muslim Council of Britainは、犯行は蛮行以外の何物でも無いと非難し、関係を否定している。過去ブログ:2013年5月ストックホルム郊外で移民住民が放火や投石スウェーデン 2011年12月英国の憂鬱 2009年4月多民族国家になった移民国家英国の憂鬱
英国軍は志願制を基盤としており、16歳から入隊が認められているが、軍事作戦への参加は18歳以上とされている。しかし、国防次官の情報によると、2007-2010年に17歳の兵士7人が軍事作戦に参加したと議会で追及されたと22日報道された。4人はイラク、3人はアフガニスタンで実施された作戦に参加していた。国防次官は、英国防省は速やかに改善対策を講じると指摘した。参照記事
2013年5月23日;容疑者の取調べから、容疑者は西アフリカのナイジェリアNigeriaと関係していると報じられた。たんに国籍なのかなどは不明 過去には海岸線が「奴隷海岸」と呼ばれ英国の植民地だった。今も英国連邦加盟国である。公用語が英語でもあり、英国への移民が多い。容疑者の一人は死亡したと報じられたが、二人とも別な病院に隔離されているようだ。 参照記事 過去ブログ;2013年4月ナイジェリアの宗教対立再燃拡大か アフリカ
ビデオに写っていた容疑者一人の名前は、英国紙サンがナイジェリア系英国人アデボラジョMichael Adebolajo(イスラム名:Mujahid);写真上 と、もう一人はMichael Oluwatobi Adebowale, 22歳と確認したようだ。犯行の理由として「この男を殺した理由は、多くのイスラム教徒が英国兵士に殺されているからだ」と周囲に発言しているのが確認された。容疑者二人は学校で同級生で、15~16歳のころイスラム教に興味を持ち始めた。ナイジェリアには、イスラム過激武装組織Boko Haramがいるが、組織的背景は確認されていない。 参照記事 参照記事 過去ブログ:2011年12月ナイジェリアのイスラム原理主義過激派ボコ・ハラム
事件の起きた事件現場では夜になって、マスクをかぶった極右翼集団FAR-right English Defence League;写真 が付近のパブなどに集まり気勢を上げた。今後、イスラム教、アフリカ系住民に対する、露骨な嫌がらせの起きることが懸念される。
2013年5月24日:殺害された被害者は英国籍Lee Rigby25歳;写真左 で、Lee Rigbyはthe 2nd Battalion, Royal Regiment of Fusiliersに所属し、バッキンガム宮殿に勤務するドラマーだった経歴がある。容疑者は、英国の諜報機関M15(国内防諜情報を主に扱う)には知られていた人物だったようだとの記事もある。ビデオに写っていたナイジェリア系英国人Michael Adebolajoは28歳位と思われ、宗教団体のAl Muhajirounにも出席し影響を受けていたと報道された。彼は撮影された際に「 我々は、米国との戦いと同じように(英国とも)戦わなくてはならない。目には目を、歯には歯をだ。"We must fight them as they fight us. An eye for an eye, a tooth for a tooth,"」と発言していたと報道されている。
この団体に関する過去の発行物(討論会のポスターらしい)が右の写真で、これだけみるとイスラム教の厳格なシャーリア法を前面に出す、イスラム原理主義団体のようだ。団体のリーダーAnjem Choudaryは、容疑者のMichael Adebolajoを洗礼名Mujahidとして記憶しており、2003年ころ改宗し、静かな青年で、団体の活動家ではなく、講義に参加する程度だったと語っている。またどちらかは、ソマリアのアルカイダ系系組織Al-Shabaabにも興味を持っていたと報じられた。 参照記事
7大陸最高峰でのスキー滑降などで知られる冒険家の三浦雄一郎yuichiro Miuraさん(80)が日本時間の2013年5月23日早朝、世界最高峰エベレスト(8848メートルMount Everest)の登頂に向け、標高8500メートル付近の最終キャンプを出発し、山頂へのアタックを開始した。成功すれば世界最高齢のエベレスト登頂となる。
三浦さんは2009年に、スキー中に骨盤を骨折し、昨年2012年10月にエベレスト挑戦を表明した後、ネパール Federal Democratic Republic of Nepal संघीय लोकतान्त्रिक गणतन्त्र नेपालでトレーニング中に持病の不整脈が再発したが、11月と今年1月に手術を受けて症状が改善。4月16日にベースキャンプ(5300メートル)に入り、慎重に高度順化を進めていた。
また、5月29日登頂をめざし、ネパール人でグルカ族出身Nepalese former Gurkhaの81歳も頂上を目指しているから、記録が数日しか持たない可能性もある。三浦氏は2006年に75歳で登頂に成功しているが、76歳で上ったネパール人が後日確認され、史上最高齢にはならなかった。2011年には、当時82歳のネパール元外相がエベレスト登頂にチャレンジしたが、登山中に死去した。 今回、2003年に親子でエベレスト登頂に成功した息子の、スキーヤーの三浦 豪太Gota Miura氏, 43歳;写真左 もこの遠征に参加している。左写真は2003年のもの 参照記事 参照記事
2013年5月23日:冒険家・三浦 雄一郎さん(80)が日本時間の23日午後0時15分ごろ、世界最高峰のエベレスト登頂に成功した。80歳での登頂は史上最高齢記録で、三浦さん自身としては5年ぶり、3度目の快挙となる。三浦さんは「世界最高の気持ちです。まさか80歳で、エベレスト山頂に着くとは」と登頂の喜びを語った。映像:
5月16日、70歳と75歳の時に続き、3度目となるエベレスト制覇に向け、登頂に挑戦、およそ500メートルごとに設けた5つのキャンプを経由して、日本時間23日未明から最終キャンプ地を出発、世界最高峰の8,848メートル山頂を目指していた。
2013年5月26日:三浦雄一郎さんは、下山を始めたが、悪天候のためヘリコプターでの移動を断念した。産経新聞が伝えた。 三浦さんは第2キャンプに宿泊し、26日に再び移動を開始する予定。
三浦さんは2009年に、スキー中に骨盤を骨折し、昨年2012年10月にエベレスト挑戦を表明した後、ネパール Federal Democratic Republic of Nepal संघीय लोकतान्त्रिक गणतन्त्र नेपालでトレーニング中に持病の不整脈が再発したが、11月と今年1月に手術を受けて症状が改善。4月16日にベースキャンプ(5300メートル)に入り、慎重に高度順化を進めていた。
また、5月29日登頂をめざし、ネパール人でグルカ族出身Nepalese former Gurkhaの81歳も頂上を目指しているから、記録が数日しか持たない可能性もある。三浦氏は2006年に75歳で登頂に成功しているが、76歳で上ったネパール人が後日確認され、史上最高齢にはならなかった。2011年には、当時82歳のネパール元外相がエベレスト登頂にチャレンジしたが、登山中に死去した。 今回、2003年に親子でエベレスト登頂に成功した息子の、スキーヤーの三浦 豪太Gota Miura氏, 43歳;写真左 もこの遠征に参加している。左写真は2003年のもの 参照記事 参照記事
2013年5月23日:冒険家・三浦 雄一郎さん(80)が日本時間の23日午後0時15分ごろ、世界最高峰のエベレスト登頂に成功した。80歳での登頂は史上最高齢記録で、三浦さん自身としては5年ぶり、3度目の快挙となる。三浦さんは「世界最高の気持ちです。まさか80歳で、エベレスト山頂に着くとは」と登頂の喜びを語った。映像:
5月16日、70歳と75歳の時に続き、3度目となるエベレスト制覇に向け、登頂に挑戦、およそ500メートルごとに設けた5つのキャンプを経由して、日本時間23日未明から最終キャンプ地を出発、世界最高峰の8,848メートル山頂を目指していた。
2013年5月26日:三浦雄一郎さんは、下山を始めたが、悪天候のためヘリコプターでの移動を断念した。産経新聞が伝えた。 三浦さんは第2キャンプに宿泊し、26日に再び移動を開始する予定。
スウェーデンSwedenのストックホルムStockholm郊外Husby で2013年5月19日にから21日にかけ、警官と地域住民200人ほどの衝突があり、投石や車への放火で6人が逮捕された。きっかけは5月13日に、部屋に立てこもり、ナイフを振るった老人に警官が発砲し殺害したことで、移民の多いこの地域の若者が、人種差別だとして騒いだというこのようだ。なぜ武装警官を派遣したかなど、不明な件も多い。22日も投石などが続いているようだ。
この小さな地域の住民一万千人のうち、80%が移民に関係すると言われ、警察は正当防衛を主張し、被害者の国籍には触れていない。スウェーデンは社会保障が充実した国strong welfare stateで、平等主義を掲げる社会egalitarian societyを長年維持しているのは周知の通りで、この地域ではスラム化は起きていないと言われ、現在も移民受け入れを継続している。警戒すべきはこのような行動が組織化されることで、おそらく今後も、このような小さな衝突は起きるだろう。
移民がもしスウェーデンの政策に異論があっても、個人的にスウェーデンにも住んだ経験から、移民がこの国以上の福祉を受けれる国は、地球上の他にはどこにも無いだろうと思う。特に移民の多くが難民であることを思えば、多少の住みにくさや異論はあっても、石を投げなくても抗議はできるだろう。もう、そこの国民なのだから。つきなみだが、「郷に入っては郷に従えwhen in Rome, do as the Romans do」 も大事な考えであろう。経験上、それがなかなか難しい事とは十分知っているが、、。 参照記事 映像記録 過去ブログ;2013年5月カナダへの移民とムスリムの増加 カナダ 2012年12月シリア難民受け入れのスウェーデンの問題 2010年12月ストックホルム市内で自爆テロ スウェーデン、犯人浮上
2013年5月24日:個人的な興味からいろいろ状況を読んでみたが、今週末にはまた騒ぎが起きるのではと懸念されている。確かに車が焼き打ちされているが、規模は暴動などと言うものではなく、想像したように「騒ぎ」の範囲のようだ。福祉も充実していて、親が無職でもそれなりに暮らせるスウェーデン。老後には何の心配もいらない。しかし、郊外の新興住宅地では失業率が30%にもなるという。若い夫婦の移民が多かったために、今はその地域の人口層の中で、若い十代の働き盛りが偏って多い状態だが、彼らに見合った職がないという。そこで、学校も終わり、することも無い毎日暇な連中が、警官が老人を射殺したことをきっかけに騒いでいるという状況のようだ。だからあまり、彼らの親がイスラムだとかは関係ない。おそらく彼らの宗教心も希薄だろう。ある時移民を急増させれば、そこではある時一定の世代が同時に急増する。社会はうまく対応できない。移民政策の難しいところだろう。参照記事
この小さな地域の住民一万千人のうち、80%が移民に関係すると言われ、警察は正当防衛を主張し、被害者の国籍には触れていない。スウェーデンは社会保障が充実した国strong welfare stateで、平等主義を掲げる社会egalitarian societyを長年維持しているのは周知の通りで、この地域ではスラム化は起きていないと言われ、現在も移民受け入れを継続している。警戒すべきはこのような行動が組織化されることで、おそらく今後も、このような小さな衝突は起きるだろう。
移民がもしスウェーデンの政策に異論があっても、個人的にスウェーデンにも住んだ経験から、移民がこの国以上の福祉を受けれる国は、地球上の他にはどこにも無いだろうと思う。特に移民の多くが難民であることを思えば、多少の住みにくさや異論はあっても、石を投げなくても抗議はできるだろう。もう、そこの国民なのだから。つきなみだが、「郷に入っては郷に従えwhen in Rome, do as the Romans do」 も大事な考えであろう。経験上、それがなかなか難しい事とは十分知っているが、、。 参照記事 映像記録 過去ブログ;2013年5月カナダへの移民とムスリムの増加 カナダ 2012年12月シリア難民受け入れのスウェーデンの問題 2010年12月ストックホルム市内で自爆テロ スウェーデン、犯人浮上
2013年5月24日:個人的な興味からいろいろ状況を読んでみたが、今週末にはまた騒ぎが起きるのではと懸念されている。確かに車が焼き打ちされているが、規模は暴動などと言うものではなく、想像したように「騒ぎ」の範囲のようだ。福祉も充実していて、親が無職でもそれなりに暮らせるスウェーデン。老後には何の心配もいらない。しかし、郊外の新興住宅地では失業率が30%にもなるという。若い夫婦の移民が多かったために、今はその地域の人口層の中で、若い十代の働き盛りが偏って多い状態だが、彼らに見合った職がないという。そこで、学校も終わり、することも無い毎日暇な連中が、警官が老人を射殺したことをきっかけに騒いでいるという状況のようだ。だからあまり、彼らの親がイスラムだとかは関係ない。おそらく彼らの宗教心も希薄だろう。ある時移民を急増させれば、そこではある時一定の世代が同時に急増する。社会はうまく対応できない。移民政策の難しいところだろう。参照記事
スクーターの二人乗りが画面の隅に現れます。すぐに白いバンに衝突、続けてまた乗用車にぶつかり、さらに横切るバイクにぶつかりそうになり、、、そしてトラックにぶつかります。
驚くなかれ、すべて自損事故。つまり自分からです。
それで終わりかと思いきや、、。最後は書かないほうがいいでしょう。それほど思いもよらない事故を起こします。それも自損事故です。 LIVELEAK映像
驚くなかれ、すべて自損事故。つまり自分からです。
それで終わりかと思いきや、、。最後は書かないほうがいいでしょう。それほど思いもよらない事故を起こします。それも自損事故です。 LIVELEAK映像
ベトナム;Socialist Republic of Viet Namに関する情報は少なく、最近のことになるとさらに少ない。日本の行政などの調査は表面上の調査で、まして、やる気のない役人の報告などわかりづらくて使えない。
そんな時、「中国製造業 ベトナム移転ブームが沈静化」というタイトルの2013年1月4日付け中国人民網日本語版の記事が目に付いた。報告の基は、現地を70~80回訪れ、企業進出のためのマーケティングを行った、深セン市深越連合投資有限公司の兪氏で、同社のマーケティング担当者だ。中越(中国、ベトナム)は共同で工業団地を手掛けるまで親密だが、そこへの可能性を企業のマーケティング責任者としてレポートしている。(長いので要点を抜粋、一部加筆)
彼の結論を先に書けば。ベトナムには安価な人件費という魅力があるが、その一方で土地確保、高額の土地コスト、労働者の低い生産性、産業インフラ不足といった、さまざまな問題があると指摘している。
2008年の金融危機により、中国の各製造企業(特に労働力密集型のローエンドLow end製造業、廉価な消費材など)は不安定な情勢に直面した。この状況下、多くの企業はコストがより割安な地域への移転を迫られた。中国大陸部と比べ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア等の東南 アジア諸国は人件費が安く、水道・電気料金や原材料などのコストも割安だ。コスト面で強みを持つため、ベトナム等の東南アジア諸国に投資を行うのは、労働 密集型企業が中心だ。進出企業に必要な産業構造もまた、すでにベトナムで形成され、ベトナム南部は靴・紡績業が中心で、北部は電子産業が中心だ。
(中国から転出を希望する企業の中には)労働密集型企業以外の移転も多い。反ダンピング関税のリスク回避が、もう一つの重要な目的だ。中国経済の発展に伴い、一部の貿易会社は欧米の反ダンピング関税に直面することを懸念しているからで、それをベトナムを原産国にすることで回避できる。
ハイフォンHaiphongの最低給与基準は人民元換算(5月22日時点で1元16.8円)で600元(10080円)、外資系企業の社員のうち、一般的な労働者の月給は750-900元(12600-15120円)技術者の月給は1000-1500元(16800-25200円)だ。企業にとって、これは月給が3000-4000元(50400-67200円)に達する深センより魅力的だ。何事も完璧というわけにはいかない。安価な人件費により企業はコストを削減できるが、低い生産効率という現実を受け入れる必要がある。中国人ならば1人でできる作業でも、ベトナム人ならば1.5人が必要になるという、中国人の指摘もある。低効率の原因は、教育・文化面の影響かもしれない。ベトナムはかつてフランスの植民地であったため、フランスから大きな影響を受け、ベトナム人は金儲けに積極的ではなく、ベトナムの学校はすべて総合大学で、特定の技能を集中的に訓練する専門学校(電子産業技術学校等)がなく、ベトナムの人材の専門化が進んでいないと指摘している。
9000万人の人口を持つベトナムは現在、労働力不足の問題に直面しているとまとめているが、これは恐らく、一定のレベルの技能者の不足、就学率の低さや教育レベルの低さが原因ではないかと、レポートの流れから筆者は想像する。またベトナムでは毎年1-2回、増給を求めるストライキが発生する。これは企業にとって頭の痛い問題だとレポートを結んでいる。ここには記述がないが、中国はベトナムと、深刻な領土問題も抱え、最近反中感情が高まっている。過去ブログ;2013年4月南シナ海の紛争地を国内観光に解放 中国 2013年3月中国海軍 西沙諸島でベトナム漁船に発砲 ベトナム 2013年1月彼らは英雄的なことをしたつもりらしい 中国 2012年11月日本の戦略的経済圏中央アジアへ拡大 2012年10月国際協約無視の中国にベトナム反発 ベトナム
小規模の雇用なら問題は深刻ではないだろうが、雇用規模拡大が短期的に想像できる仮定では、彼は「ベトナム移転ブームは時期尚早」という結論に至ったようだ。
他にも問題はあるだろう。住宅や医療や福祉含む社会整備、言葉や環境や気候など、、。日本が取り組むには、単純な企業進出ではなく、技術教育やインフラ整備、環境保全への参加も踏まえた取り組みが必要だろう。
海外への中国企業進出に対するマイナス要因として、中国の(海外進出企業への)投資家に対する政策的優遇の減少という問題もあると書いてあり、具体的詳細は無いが税法上の優遇策では無いだろうかと想像する。税収不足の中国は今、税収の引き上げ、汚職、役人の収入、財産の監視、交際費、無駄な出費の削減などを進め、緊縮財政の方向にある。なかなか進まないとはいえ、本気になれば手ごわい相手でもあり、一部の官僚は、それが賄賂を得るためであれ、日本の官僚より迅速で優秀なのも確かである。しかし多くは国際感覚からずれていて、それに気がついてもいない。特に人権については評価の値もない。
ベトナムの貴重な資源には、南洋海域も含む観光資源もある。間違ってもゴルフ場開発などしてもらいたくないものだ。もうすでに遅いかもしれないが、韓国、中国、日本の無礼な役人であふれるだけだ。
そんな時、「中国製造業 ベトナム移転ブームが沈静化」というタイトルの2013年1月4日付け中国人民網日本語版の記事が目に付いた。報告の基は、現地を70~80回訪れ、企業進出のためのマーケティングを行った、深セン市深越連合投資有限公司の兪氏で、同社のマーケティング担当者だ。中越(中国、ベトナム)は共同で工業団地を手掛けるまで親密だが、そこへの可能性を企業のマーケティング責任者としてレポートしている。(長いので要点を抜粋、一部加筆)
彼の結論を先に書けば。ベトナムには安価な人件費という魅力があるが、その一方で土地確保、高額の土地コスト、労働者の低い生産性、産業インフラ不足といった、さまざまな問題があると指摘している。
2008年の金融危機により、中国の各製造企業(特に労働力密集型のローエンドLow end製造業、廉価な消費材など)は不安定な情勢に直面した。この状況下、多くの企業はコストがより割安な地域への移転を迫られた。中国大陸部と比べ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア等の東南 アジア諸国は人件費が安く、水道・電気料金や原材料などのコストも割安だ。コスト面で強みを持つため、ベトナム等の東南アジア諸国に投資を行うのは、労働 密集型企業が中心だ。進出企業に必要な産業構造もまた、すでにベトナムで形成され、ベトナム南部は靴・紡績業が中心で、北部は電子産業が中心だ。
(中国から転出を希望する企業の中には)労働密集型企業以外の移転も多い。反ダンピング関税のリスク回避が、もう一つの重要な目的だ。中国経済の発展に伴い、一部の貿易会社は欧米の反ダンピング関税に直面することを懸念しているからで、それをベトナムを原産国にすることで回避できる。
ハイフォンHaiphongの最低給与基準は人民元換算(5月22日時点で1元16.8円)で600元(10080円)、外資系企業の社員のうち、一般的な労働者の月給は750-900元(12600-15120円)技術者の月給は1000-1500元(16800-25200円)だ。企業にとって、これは月給が3000-4000元(50400-67200円)に達する深センより魅力的だ。何事も完璧というわけにはいかない。安価な人件費により企業はコストを削減できるが、低い生産効率という現実を受け入れる必要がある。中国人ならば1人でできる作業でも、ベトナム人ならば1.5人が必要になるという、中国人の指摘もある。低効率の原因は、教育・文化面の影響かもしれない。ベトナムはかつてフランスの植民地であったため、フランスから大きな影響を受け、ベトナム人は金儲けに積極的ではなく、ベトナムの学校はすべて総合大学で、特定の技能を集中的に訓練する専門学校(電子産業技術学校等)がなく、ベトナムの人材の専門化が進んでいないと指摘している。
9000万人の人口を持つベトナムは現在、労働力不足の問題に直面しているとまとめているが、これは恐らく、一定のレベルの技能者の不足、就学率の低さや教育レベルの低さが原因ではないかと、レポートの流れから筆者は想像する。またベトナムでは毎年1-2回、増給を求めるストライキが発生する。これは企業にとって頭の痛い問題だとレポートを結んでいる。ここには記述がないが、中国はベトナムと、深刻な領土問題も抱え、最近反中感情が高まっている。過去ブログ;2013年4月南シナ海の紛争地を国内観光に解放 中国 2013年3月中国海軍 西沙諸島でベトナム漁船に発砲 ベトナム 2013年1月彼らは英雄的なことをしたつもりらしい 中国 2012年11月日本の戦略的経済圏中央アジアへ拡大 2012年10月国際協約無視の中国にベトナム反発 ベトナム
小規模の雇用なら問題は深刻ではないだろうが、雇用規模拡大が短期的に想像できる仮定では、彼は「ベトナム移転ブームは時期尚早」という結論に至ったようだ。
他にも問題はあるだろう。住宅や医療や福祉含む社会整備、言葉や環境や気候など、、。日本が取り組むには、単純な企業進出ではなく、技術教育やインフラ整備、環境保全への参加も踏まえた取り組みが必要だろう。
海外への中国企業進出に対するマイナス要因として、中国の(海外進出企業への)投資家に対する政策的優遇の減少という問題もあると書いてあり、具体的詳細は無いが税法上の優遇策では無いだろうかと想像する。税収不足の中国は今、税収の引き上げ、汚職、役人の収入、財産の監視、交際費、無駄な出費の削減などを進め、緊縮財政の方向にある。なかなか進まないとはいえ、本気になれば手ごわい相手でもあり、一部の官僚は、それが賄賂を得るためであれ、日本の官僚より迅速で優秀なのも確かである。しかし多くは国際感覚からずれていて、それに気がついてもいない。特に人権については評価の値もない。
ベトナムの貴重な資源には、南洋海域も含む観光資源もある。間違ってもゴルフ場開発などしてもらいたくないものだ。もうすでに遅いかもしれないが、韓国、中国、日本の無礼な役人であふれるだけだ。
アフガンAfghan地図の、赤く囲った部分が南部で、タリバンTaliban政権下にはここがタリバンの拠点だった。穀倉地帯でもあり、平地が多く、運河が多く、ヘロインの原料であるケシ栽培でも有名なところだ。最近の記事では、ヘルマンド州のケシ栽培面積は7万5千ヘクタールに急増し、2,005年の3倍になっているという。同時に麻薬中毒患者も問題で、2012年の推計では百万人以上が中毒だといわれている。(総人口3千5百万人)参照記事
米英、国連軍が今もタリバン掃討作戦を展開しているが、深追いすれば包囲されるという苦戦をしている地域でもある。冬季間は雪が降るため発見されやすく、タリバンは活動しないが、春になれば攻勢に出てくる。 2009年12月アフガン戦争とサフラン 2009年10月タリバンとヘロイン 反米闘争の資金源
すでに4月から春の作戦spring offensiveを展開すると公言され、国際軍、英国兵士多数が4月からアフガン南部で犠牲になっていたが参照記事、 2013年5月21日、ヘラート州Chishti Sharif district of Herat provinceでアフガン国家警察軍Afghan National Army policemenの車両が路上爆弾で爆破され多数の警官が死亡した。写真は英国兵:British soldiers near Nahr-e Saraj
ヘルマンド州Sangin district of Helmand provinceでも、2013年5月20日午前5時ころ警察のチェックポイントが襲撃され、そのタリバンの規模は500~1000人というから大部隊である。アフガン兵士4人とタリバン26人が死亡と公表され、戦闘は継続中のようだ。タリバンは、アフガン治安部隊の指揮官2名を殺害したと発言している。参照記事 過去ブログ;2012年3月英国兵、過去最多、一度に6名戦死 アフガン 2011年12月アフガンの野良犬ペグ、英国へわたる。 2010年7月アフガン戦争、英軍一時撤収、ヘルマンド州サンギン 2009年7月アフガニスタン総攻撃開始(現地時間2日午前1時) 作戦名 剣の一撃
2014年の国際軍の撤退を待たずに、タリバンは攻撃を再燃させてきている。結局は軍事介入以前に戻ってしまうのか、現アフガン政府の努力次第だが、見通しは暗い。
2013年5月25日:過去の例からみれば、アフガンのタリバン組織は南部と東部に大きく分かれている。行動は互いに連携しているが、地形的な問題だろうか。24日、首都カブール Kabulで自爆テロを含む都市部への攻撃が始まった。CIAの入っているというビルが攻撃対象となっているようだ。6人ほどが攻撃しているとされているが、付近は厳重警戒区域であり、いくら警戒してもタリバンには無駄なようだ。5月16日には Hezb-i Islamiというタリバン組織の軍の車列への自爆攻撃で、米国人6人を含む15人が殺害されている。 参照記事
米英、国連軍が今もタリバン掃討作戦を展開しているが、深追いすれば包囲されるという苦戦をしている地域でもある。冬季間は雪が降るため発見されやすく、タリバンは活動しないが、春になれば攻勢に出てくる。 2009年12月アフガン戦争とサフラン 2009年10月タリバンとヘロイン 反米闘争の資金源
すでに4月から春の作戦spring offensiveを展開すると公言され、国際軍、英国兵士多数が4月からアフガン南部で犠牲になっていたが参照記事、 2013年5月21日、ヘラート州Chishti Sharif district of Herat provinceでアフガン国家警察軍Afghan National Army policemenの車両が路上爆弾で爆破され多数の警官が死亡した。写真は英国兵:British soldiers near Nahr-e Saraj
ヘルマンド州Sangin district of Helmand provinceでも、2013年5月20日午前5時ころ警察のチェックポイントが襲撃され、そのタリバンの規模は500~1000人というから大部隊である。アフガン兵士4人とタリバン26人が死亡と公表され、戦闘は継続中のようだ。タリバンは、アフガン治安部隊の指揮官2名を殺害したと発言している。参照記事 過去ブログ;2012年3月英国兵、過去最多、一度に6名戦死 アフガン 2011年12月アフガンの野良犬ペグ、英国へわたる。 2010年7月アフガン戦争、英軍一時撤収、ヘルマンド州サンギン 2009年7月アフガニスタン総攻撃開始(現地時間2日午前1時) 作戦名 剣の一撃
2014年の国際軍の撤退を待たずに、タリバンは攻撃を再燃させてきている。結局は軍事介入以前に戻ってしまうのか、現アフガン政府の努力次第だが、見通しは暗い。
2013年5月25日:過去の例からみれば、アフガンのタリバン組織は南部と東部に大きく分かれている。行動は互いに連携しているが、地形的な問題だろうか。24日、首都カブール Kabulで自爆テロを含む都市部への攻撃が始まった。CIAの入っているというビルが攻撃対象となっているようだ。6人ほどが攻撃しているとされているが、付近は厳重警戒区域であり、いくら警戒してもタリバンには無駄なようだ。5月16日には Hezb-i Islamiというタリバン組織の軍の車列への自爆攻撃で、米国人6人を含む15人が殺害されている。 参照記事