2012年08月

『確 定された歴史的な証拠と連続的な領有をもって、ベトナムは東ベトナム海、国際的には南シナ海とよばれるところにあるチュオンサ諸島(南沙諸島:スプラトリー諸島Spratly Islands)に主権を実施してきた。 しかし、天然資源と海運交通を支配しようとする野心のもとに、中国はベトナムを凶暴に、非人間的に攻撃し、ベトナム主権と国際ルールを踏みにじった。この ドキュメンタリーは1988年3月14日にチュオンサ諸島への侵入の間、中国海軍によって撮影された。中国海軍の反論できない犯罪の証明である。

1988年の初めの頃、中国海軍はチュオンサ諸島の5つの岩礁と環礁を占領しようとした。このうちの 3つはベトナムが領有している大きな島に非常に近い所にある。ベトナム海軍は急遽物資と機材を6つの岩礁と環礁に運んだ。ベトナム海軍は成功裏にことを進 め、中国海軍が他の島を占領するのを食い止めた。3月の初め、ベトナム海軍の最高司令官は他の3つの

3月13日の午後ベトナムの輸送船3艘は予定通り岩礁に行き、主権を主張して旗を掲げた。し かしその数時間後、4隻の中国の武装戦艦が近づいてきて、拡声器で声高に警告を発した。中国の軍艦からの挑発と威嚇にも拘らず、ベトナムの輸送船は根気よ く岩礁のそばに錨をおろし続けた。ベトナムの輸送船は軽装備でとても中国の武装戦艦と戦う力は無く戦意は無かったが、中国兵はベトナム人を挑発して重装備 の海兵隊員とモーターボートを海に浮かべた。中国兵はチュオンサ諸島200の島とその周辺の岩礁、環礁は全て中国のものであると教え込まれていた。
緊 張関係は海兵隊員が上陸用舟艇に乗り、ミサイル装備の駆逐艦を集結し続けた翌朝まで続いた。彼らはベトナム兵を挑発し続けた。ハノイ時間の朝6時、彼らは 50人の武装海兵隊員を乗せた3隻のアルミボートを出して、岩礁に向かって突進してきた。彼らはベトナム兵の面前で軍隊を上陸させ、昨晩から岩礁のプラッ トフォームに掲げられたベトナムの旗を引き降ろそうとした。
ベトナム人海兵は水位が体の半分まで浸かった岩礁に立って、防衛の帯を作って 敵の侵入を防ごうとした。中国兵は狂ったようにベトナム兵が旗を降ろして岩礁から退くよう脅かした。ベトナム兵は岩礁にしがみついて、国旗をいかなる犠牲 を払っても翻らせ続けると決心した。ベトナム兵に岩礁から撤退させることができなくて、中国の海兵隊員は戦艦に戻らざるをえなかった。そしてつい に・・・。

2008 年夏、ベトナム海軍の代表派遣団は、20年前の中国の侵略からベトナムの神聖な海と土地を守った英雄たちに心からの敬意を捧げるために式典を行った。犠 牲になった水兵と士官を思い出すために、タバコ、チューインガム、水兵の過去の日用品と花輪を海に流した。式典は1988年の中国の侵略以来、毎年実施さ れてきた。犠牲になった人たちを思い出す中で、彼らが祖国防衛のために手をつないで壁を作ったあの時の戦友のイメージが甦ってくる。
今 日、中国の脅迫と挑発の中で生きていかなければならないが、ベトナムはチュオンサ諸島に主権を再確認して、断固として地域の平和な状況を維持し続けること を主張する。歴史の過程において、中国からの度重なる侵略からベトナム海兵たちは、中国の攻撃と占領を画策する陰謀に対して高度な警戒を喚起させてい る。
毎日繰り返される緊張にもかかわらず、ベトナムの海兵と民間の人々は楽しい生活を送り、彼らの生活も改善されてきている。海兵と住 民のそれぞれの世代がベトナムの祖国の海と島の主権を守っている。本土から400km離れた広い海と空の中で、祖国の領海を守る砲台のように断固として団 結している。』過去ブログ:領土問題に明確な戦略を フィリピンが日本、米国にSOS。南沙(なんさ)諸島問題

2012年8月29日:丹羽宇一郎・駐中国日本大使の公用車が襲撃され、車についていた日本国旗が奪われたことを伝える29日の人民日報は、中日友好協会会長の唐家璇(トウカセン)氏の言葉として「釣魚島とその島嶼は古来より中国の領土であり、歴史的、法的に反論の余地は無い。日本側のいかなる勝手な行動も違法、無効であり、徒労に終わる。、、世界の外交史を見ても、領土問題は衝突では解決はしない。冷静に、理性的な態度で対話をするのが問題解決の根本的な手段だ。、、」と書いている。参照記事
上の映像と経過を知った上でこれを読むと苦笑するしかない。
わずか24年前、領土問題の解決に、中国がベトナムに一体何をしたか思い出してもらいたい。威嚇することもなく、武器も持たない人間の大量虐殺がはたして理性的だったか?冷静だったか?周辺国は、中国はまた同じことをするのではないかと危惧している。「歴史的、法的に反論の余地は無い。」と言うが、そうだろうか?歴史などは記録と伝承の集積で、その読み方、事実の集め方でどのようにもなる。自国に有利な記録を有利に書き直せば、そこには作られた事実が発現する。南京大虐殺などいい例だろう。
法的が普遍なのか?過去にどんな法的取り決めをしても、その国家主体が消滅すれば無効だろう。宋や清朝などすでに消滅した古来の国家でしかない。法的根拠を過去の歴史のなかに探しても、それが消滅した国家主体との取り決めであれば今は意味をなさない。日本は敗戦を経験し、同時に日本帝国は消滅し主権を失った。すべてが仕切り直しになったが、領土権に関しては戦勝国側が取り仕切り、その結果の領土権は今も国際的有効性を継続し、これは現在の尖閣を日本国領土と画定している。これを古来の歴史で否定することなど出来ない事だ。その、戦勝国による法的内容の検証なら意味もあろうが、それより過去の法的取り決めや、歴史の掘り起こしをすること自体が無意味であり、せいぜい現在までの経過や歴史の検証材料でしかなく、今現在の状況を否定する何の材料にもならないだろう。聡明な唐家璇(トウカセン)氏なら理解できると思うが?

日本にとって敗戦は不幸だったが、その結果、すべての国がそれまでの植民地主義を精算し、すべての事、それまでの取り決めが国際的なテーブル上で見直され、新しい世界の秩序の中で竹島や尖閣の領有権は削除される事も無く、国際的な協議で再決定された領土範囲の中で日本は今も息をしている。世界が植民地主義を反省し、すべて仕切りなおされた今、それをさかのぼって何の意味があろう。歴史は残っているが、現実ではない。現実は、その歴史に区切りをつけながら進んできた。過去の歴史を今に照らしてもの言うなら、それは時代錯誤というしかない。どんな国際協約も、発行され実施されるまでには再審議の時間が設けられる。いうべきことがあれば、チャンスはその時しかない。ある国がそれを逸したのであれば、その当時の国家のミスでしかない。それでも言いたいことがあれば、司法に問うのが筋道である。受理されればの話だが。
1951年サンフランシス条約で領土が最終確定するが、その前から米軍は、1950年の朝鮮戦争での必要から竹島付近を海上爆撃演習場として使用し、サンフランシスコ条約後の1952年には、竹島の演習場としての継続使用を日本政府に公式に求め、政府はこれを日米行政協定に基づき承認もしている。 竹島の歴史:日本語版(PDF)
北方4島もしかりで、敗戦時、戦勝国が千島列島は返還しろというから放棄したが、北海道寄りの4島に関しては、日本に政治的な正当性もある上に、本来、4島は戦前から千島列島には含まれていないというのが日本の地理学的主張であり、故に過去そこには寺もあり墓地もあった。過去ブログ:ロシア製原子力潜水艦ネルパ>チャクラ2012年1月末インドへリース どこが 日中平和だ!中国海軍増強
2012年08月31日 歴史、史実、記録

これに対するコメントが「 Bush's accessories don't make the grade: Today's basic Communist party gear, one netizen said, includes a Patek Philippe watch and a Hermes bag.この装備じゃ全然ダメ。今の基本セットはパテックフィリップの時計にエルメスのバッグ、アルマーニのスーツなんだ」「Take the CCP to USA, leave freedom here please.(中国共産党をアメリカに持って行きなさい。自由はここ(中国)に残して下さい)」や「If you can join the CCP, you can embezzle, take bribe, solicit prostitutes or even rape child without or with very little punishment. You make the right choice.(もし中国共産党に入ることができれば、あなたはほとんど罰されることなく、あるいは、ささやかな罰則だけで横領や収賄、買春ができ、子供をレイプすることすらできる。正しい 選択をしています)」、最近の事件から「 sponsor him in exchange for a Green Card, while one wit joked that he would only qualify if he absconded to the US with 200 million dollars, 2億ドル持って米国に逃げるから、市民権採るときの保証人になって」などと、英文で書かれた共産党への鋭い批判も寄せられている。参照記事 英文参照記事 英文参照記事

彼は「反政府組織との戦闘では明らかな成果を得たが、まだ最終的な勝利までには時間がかかると思う」と答えた。「状況は良くなったが、政府はまだ勝利していない」とシリアTVのインタビューで答え、又、トルコが提案している紛争地からのシリア難民のための緩衝地帯を国境沿いシリア国内に設けることは支持しないと発言した。(注:地上に軍事的空白である緩衝地帯を設けることは、その上空が飛行禁止区域になることを意味し、違反すれば撃墜される)
これは最近、シリア難民を大量に受け入れているトルコが最近提案した内容へ対するもので、それは非現実的な提案だとして退けた。西側との今後の関係については「シリアは西側にへつらわないためにその代償を払っていると言い、今後も西側には従わず、イランとの関係継続を明確に主張した。このインタビューでアサドは、リビア紛争の際、シリアはアラブ連合会議において、唯一外部からの軍事介入に反対した国だと強調している。
西側の現状分析はアサド続投に悲観的な観測を流しているが、このインタビューでアサドは強気の発言をしている。この彼の強気の背景には、最近ロシア外相が、反政府側への財政、技術、軍への支援は一層戦況を悪化させるものだと発言したことがあると思われる。この外相の発言は、キプロスの英軍基地が自由シリア軍Free Syrian Armyを支援していることに対する発言だった。このことにロシアとしては、紛争の一方を支援することは、いずれシリアの両陣営、中東地域全体に悪影響を招くという発言をしている。TVに毎日出てはどうかという提案には「自分は常に皆さんとともにダマスカスのパレスにいる」と答え、政権から離脱した者へは、政権にとっての自浄作用であると皮肉っている。「ミスはあったにしても、国民と政府は強いきずな結ばれている」と政権維持に自信を見せ、「国の先行きは一人一人の手にかかっている」と国民の更なる努力を促している。
参照記事 参照記事 参照記事 過去ブログ:Darayaで400人以上殺害される?シリア
この戦争では、リビアの時よりも増して大量な映像がインターネットに配信されている。いつからか、YOUTUBEでも遺体や残酷な映像も削除されることなく配信され、その中にはシリア政府軍側が意図的に流しているものや、明らかにねつ造されたと思われる映像もある。Syria - FSA death squads massacre civilians in Daraya では虐殺のあったDarayaから、傷ついた子供や市民の遺体を映して、すべては反政府側の残虐行為だと主張している。しかし、全部は信じられない。遺体の多くは路上に倒れていて、政府軍の空爆や砲撃の犠牲者を想像させるからだ。
どうして流出したか分からない映像もあり Assad's soldiers brutalizing protesters では、政府軍に捕まった中年の市民が乱暴に尋問されている様子が映っている。「どこ出身だ?」「反政府デモに参加したか?」と矢継ぎ早に兵隊が質問し、その間も殴るけるを繰り返している。
こちらの映像では、レバノンから自由シリア軍に届けられる武器や弾薬がロバで運ばれている様子が映っている。 repost of Terrorist Weapon's Smuggling Using Donkeys From Lebanon To Syria


珍しい映像、8月26日投稿: 鮮明なYOUTUBE
撮影していたJulie Elliotさんは「コアラは、ちょっと水を飲んでからこっちを見て、カヌーに向かって泳いできた。どうしていいか分からなかったが、溺れるかもしれないのでカヌーに引きあげた」と語り、その後コアラは好物のユーカリの木のある場所で自然に戻されました。参照記事、映像

男性は、落ち葉や草に似せた「軍用ギリースーツmilitary-style 'Ghillie suit,'狙撃兵が使用」と呼ばれる偽装服camouflage outfit 、Camo を着用し、車道を歩き出していたという。州警察によると、男性の姿は多分 非常に見えにくい状態"He probably would not have been very easy to see at all,"で、彼が酔っていた事も原因とみられる。男性は15歳の少女が運転する車にはねられ、続く車が急ハンドルを切った後、3台目の車にひかれた。3台目の運転者は17歳だった。友人らの話によると、男性は「ビ


28日ダマスカスでは自動車爆弾で12人が死亡、40人以上が負傷、27日、政府軍の戦闘機が首都・ダマスカス東部のザマルカ地区周辺を空爆し、少なくとも60人が死亡した。ダマスカスでジェット機を空爆に使用したのは初めてとみられる。




川岸の獲物を、ワニが尾で水中にたたき落とすアフリカの映像は見たことがあるが、アジアの川でも頻繁に起きているようだ。写真の橋は事件のあった橋のようです。

もう、こういう酔ったような文章を中国に書かせれば天下一品で、北朝鮮も脱帽だろう。しかし、実際に酔って書いているから中身は支離滅裂、内容は、自分に都合のいい事しか言わない犯罪者の供述にも等しい。それでその日清戦争とはどういう物だったか?(経過を丁寧に書いたサイト)
当時の清(清朝:今の中国政権とは無関係で民族も違う)は当時の朝鮮を属国としており、当時1880年代の朝鮮は、日本の助力のもとで近代国家への道を突き進もうと日本から軍事顧問を招き、朝鮮の軍隊の日本式の軍隊(新式軍隊)化を図っていた。同時に朝鮮進出を狙う清国軍も駐屯していた。当時、李氏朝鮮に頼まれて派遣されていた日本人将兵らがクーデターに巻き込まれ、きわめて残虐な方法で殺害される事件も起きている。1885年、天津会談での伊藤博文と清とのやり取りの末、両軍は朝鮮から撤兵した。一時は平和が戻った朝鮮だったが、旧態以前の政治を続ける李氏朝鮮の贅沢、封建的体質は変わらず、大きな農民一揆がおきる。朝鮮半島内に有事ありと、一時的に清と日本(400名)は派兵し事態は収拾する。しかし清軍は朝鮮から兵を撤収しないばかりか、あたりかまわず援軍増強を依頼する李氏朝鮮に答えて4千の兵を上陸させ、それに異論をはさむ日本に海上で攻撃を仕掛け、結果的に敗退する。その後今度は、朝鮮の閔妃政権が日本に「牙山に上陸した清国軍を撃退してほしい」という要請を出し、やらなければ、半島にいる日本人に危害を加えるという脅しまで受ける。当時経済的に足腰の弱い日本は、直接介入を避けていたが、やむなく1894年、第9歩兵旅団によって牙城に立てこもる清軍の攻撃に向かい、この戦いで、日本側の死傷者は82名、これに対し、清国兵は500名以上の死傷者を出し、武器を放棄して平壌に逃走し、平壌に1万2千の清軍が集結する。
日本は、あくまで開戦を避けようと、外交交渉を継続するが、清はこれに応じない。やむなく日本は、けじめとして1894年明治27年8月1日に朝鮮の意思を尊重し、清国に宣戦布告文を発し日清戦争が勃発する。平壌での大戦では、清軍は日本軍に包囲され、結果は清軍戦死2,000人、捕虜600人、日本軍は戦死180人、黄海海戦でも清国は大敗する。翌年4月17日、清軍を撃破した日本は、1895年下関で日清講和条約を調印し、日本は清から領土(遼東半島・台湾・澎湖列島:注:尖閣諸島はこれ以前から日本領)と多額の賠償金などを得ることになった。しかし23日(29日)、やはり清への植民地支配を画策していた列強は日本の勝利に衝撃を受け、日本の強大化を恐れたロシア・フランス・ドイツが日本に対して清への遼東半島返還を要求し、当時まだ列強に比べ足腰の弱い日本は三国の要求を受け入れたが、このことはその後の日本の軍拡を急速に進める結果となった。(三国干渉)日本の勝利で1897年、李氏朝鮮は大韓帝国として独立を果たし、日本との関係が強まっていく。過去ブログ:1885年の脱亜論 「日本の不幸は中国と朝鮮である。、、」福沢諭吉
日本から見れば、朝鮮半島単独支配をもくろみ、何度も日本との協約を破り、小国日本を攻め立てた清軍が、初めての大戦に慎重な日本軍に大敗したという戦争で、いまさら「日本の侵略に対する恨み」をいわれても筋違いというものだ。当時は植民地主義が当たり前で、弱い国は侵略されるか他国に保護してもらうしか無い時代だった。資料記事:帝国主義と人種・民族差別
大陸進出に野心的な日本という見方をすれば、、、日本は朝鮮半島から清朝 の勢力を排除しようと、軍事力を背景に李氏朝鮮に親日政府を組織させた。清朝の李氏朝鮮への影響力排除を,朝鮮半島の中立・独立を大義名分に推し 進めようとしたのである。清は,李王朝の宗主国として日本の介入を許さず,日本の裏工作もあり日中の対立が激化し、日本帝国は日清戦争で清国に勝利する。、、という流れ。
この後日本は日露戦争(1904年~1905年)に入るが、これらはすべて、朝鮮半島を日本の防衛ラインとし、朝鮮半島を中国、南進するロシアから守るという戦いで、ここで日本の多くの将兵が血を流した。
戦争が嫌なのは日本も同じで、一人前の国になれと、まだ独り立ちできない韓国の補強のためと大陸への影響力を求め、後の韓国併合という朝鮮の近代化へとつながっていく。途中、韓国併合は日本の負担が大きいと反対し、直轄植民地化では無く、保護、統治で十分だと「韓国の富強の実を認むるに至る迄」とした伊藤博文は暗殺され、日本は軍拡の道をつき進み、同時の積極的に朝鮮半島の制度改革、教育、産業育成など近代化を推進した。このことは、当時の欧米列強の植民地化や一方的侵略とは大きな違いがある。こちら、日本から歴史を見れば、独立の支援をし、朝鮮半島の自立に多くの日本将兵が命を亡くしたことはあっても、韓国とは一度も戦争をしたこともなく、そんな韓国から反日だと言われても、此れもまた筋違いの話でしかない。過去ブログ:韓国教授が語る韓国の歴史歪曲 日本の言い分が正しいのかも、、と中国

警察によると、農夫の息子は、有害なオナガザル macaquesを追い払うために、樹木によじ登った。父親のグプタ・バハドゥールGupta Bahadur氏(55)は、息子は家にいるものと思い、木の枝の陰にいた息子を動物と間違えて撃ってしまった。(写真のサルの種別不明 「だからサルは撃ってはいけないと、、」)

警察は銃を押収し、捜査の完了まで父親を拘禁する。ネパールには3種類のサル、ベンガルザルthe rhesus、アッサムオナガザルthe Assamese macaque ,、普通のオナガザルthe common langur,がいるが、いずれもネパールでは神聖な動物で、普通は脅して追い払うだけのようだ。参照記事
過去ブログ:8ヶ月で頓挫した中共の思惑 ネパール 冬虫夏草殺人事件 ネパール

この事件を含め26~27日にかけて、アフガン全土で27人(10人はアフガン兵)が首を切られ、ほかに米兵2名が仲間を装ったタリバンに殺害された。 相変わらず、アフガン軍に侵入した偽装兵士により米兵が殺害されている。今年のタリバンの犯行の大きな特徴でもある。「青に緑が攻撃」? アフガン 参照記事 アルジャジーラ

2012年08月28日 事故 災害 環境災害

事故のバスは2階建タイプの寝台バス。25日午後5時頃、内モンゴル自治区のフフホト市を出発し、約800キロ離れた陝西 省西安市に向かっていた。現場に残されたバスのブレーキ痕は10メートルほどに達し、バスの車体前方はタンクローリーに2メートルほど押しつぶされている ことから、事故当時、バスは相当速いスピードを出していたとみられる。バスの3


未明の事故では乗客は寝ていた状態だったろう。これで満席では逃げる間もなく、あまりにも悲惨な事故だ。乗客のご冥福を祈る。

ここでは先週5日間にわたり、今までで最も激しい政府軍の攻撃があったとされる地域で、人権監視団、反政府側が、明らかに処刑された跡のある遺体をふくむ数百の市民の遺体を確認した。記録映像では、その総数は450体と言われ、アルジャジーラは少なくても320体と報じている。手口は、喉を切るなど過去のアサド軍民兵シャビーハの犯行に似ている。

依然として、 Aleppo, Deir ez-Zor, Idlib, Deraa, Hama 、Homs provinces.の各地でヘリや戦車による戦闘が確認されている。
2012年8月26日:シリアのアサド大統領は26日、首都ダマスカスでイラン外交団と会談し、反体制派との戦闘激化で内戦状態に陥った現状について、外国勢力による「陰謀」と指摘し、いかなる代償を払っても阻止すると強調した。参照記事


何をいまさらという感じだが、自分のブログでも2011年9月8日:中国人なら中国語は読めるだろう で紹介している、1953年1月8日付けの中国共産党中央委員会の機関紙人民日報の記事のことで、知らないのは中国の国民だけだ。(詳細は過去のブログで):右はその拡大部分


日本ではすでに多くの方がご存じの事とは思うが、こんなことも中国や台湾では公開されていないのかと、こっちのほうが驚く。同時にここまで明確な事実をわざと曖昧にしてきた日本のほうも責められるべきかもしれない。中国人には デモの相手を間違ってもらいたくないものだ。過去ブログ:領土問題に明確な戦略を
竹島に関しては既に多くが書かれ検証済みで、世界史の中での領土設定を基準にする日本と、法的根拠ではなく、韓国の国内史から故事来歴を寄せ集め、反日のシンボルにしてしまった韓国とが噛み合っていない状況。ニューズウィーク日本語版は現状を「暴走する韓国」というタイトル記事で、竹島は韓国人にとって「日本の植民地支配から 解放された後に自らの手で奪回した領土」「植民地支配への抵抗と民族自決を象徴する 『聖地』」だと書いている。参照記事 過去、ナショナリズム高揚の為に事実を都合良く解釈してきた韓国と、それを黙認どころか後押しした日本の左派の責任も大きいと思うのだが。過去ブログ:従軍は無かった、小野田記録と米軍調査にそれを見る。 「一番公正な歴史教科書は日本」米スタンフォード大学 韓国教授が語る韓国の歴史歪曲 参考資料;「北方四島を日本に返すべし」と唱えるロシア人学者

17年間の建設期間中、ダム上流周辺地域の計130万人が立ち退きを命じられての大工事の果て、全面稼動となったのは先月の2012年7月のこと(1994年に着工、2009年に発電所等を含む全プロジェクトが完成、発電量は原発15基分)だが、地すべりや崖崩れの危険性から、2012年年末までに2回目の2万人規模の集団移住の通達が出されている。(1回目は1998年)中国の国土資源部の高官の今年4月の発言として、この先3~5年間、同ダム周辺では地質問題により、さらに10万人規模の集団移住を行うと言われているので、住民は移った先からまた移転を強いられる可能性がある。
今回の2万人移住の対象者は黄土坡地区の住民で、皆同ダム建設による二回目の立ち退きとなるが、保障が出るせいか、あまり反発していない様子だという。ある女性は、今回の命令で政府が用意した7階建てのアパートに既に移転済みで、移転には、5千元(約6万円)の奨励金と1千元(約1.2万円)の移転費用が支給された。ある商店の女性店主も今年年末までの立ち退きを通達された。彼女もまた同ダム建設のため、2000年に現地に移ってきた。立ち退きのたびに生活を作り直すことになり「移住するたびに、私たちは貧しくなっていく」と彼女は涙をこらえながら話した。

北京の水不足は深刻で、そのため、大運河を開削して長江の水を北京まで送る「南水北調計画」が進行しているが、すでに長江の水が汚染され、とても飲料としては使えないという指摘があり、進行中の巨大な運河で北京まで汚染された長江の水を引くことは、汚染が拡散し、生態系にも大きな破壊をもたらすため、「三峡ダムよりも深刻な環境破壊が起きる」と海外の専門家から指摘されている。参照記事 YOUTUBE:ダムこそ洪水の元凶 三峡ダムは失敗作―長江で12年ぶりの大洪水 南水北調計画:すべての計画が破綻!中国水問題
すべて開発前に学者が指摘した通りのことが起きている。「失敗ダム」の烙印を押された三峡ダムは、計り知れない環境破壊を抱えながら、その巨大さから大規模な修復もできず、今後も場当たり的な対応で乗り切るしかない。このことは、下流の汚染、環境破壊がさらに深刻になることを意味している。この水質汚染の影響で*長江と黄海の魚介類が100種類以上絶滅した。中国の漁民は自国の海域で魚が獲れなくなったので、日本と韓国・台湾の海域にまで出没して乱獲するようになり、台湾ではボラの捕獲が減り、名物のカラスミ生産が減っている。さらに2010年には、ダムに1万か所以上の危険な亀裂の存在が指摘され、実際中国で決壊したダムは大小2万以上といわれている。*長江は途中から下流で揚子江になる 参照記事 その後:2016年7月長江流域で記録的大洪水の原因と三峡ダム 中国

フランスのシャルル・ド・ゴールCharles de Gaulle 国際空港に到着後、同機は2時間程停留したが、その後眠ったままの夫人もろとも空路パキスタンに引き返してしまった。結果的 に、この女性は1日で12000キロを旅し、PIAの手配した別便でパリにもどる結果になったのだが、、。パリへの再帰路の渡航費を、航空会社が肩代わりするかは未定で、PIA側はこの件について、「降車駅を乗り過ごさぬよう眠りこけずに努力することは、通常乗客自身の責任」だそうだが、同時にフランス側で地上業務をする下請け会社French subcontractorの責任に言及し、もし彼らのミスだということになれば、そこに請求されるだろうと言っている。
どんな場合も到着国で機内点検、清掃などがあるはずだが、それより先に、客にサービスするPIA機内乗務員cabin crewが無責任すぎで、航空会社には乗客と荷物を目的地に無事に届ける義務があると思うのだが、おかしな言い訳をするものだ。この場合、訴えれば乗客は損害金を請求できる状況ではないだろうか? 参照記事