2012年01月
理論的には、この距離は十分遠いもので安全と考えられるが、学者達の中には、だんだんとエロスの軌道が、地球軌道を横切るように変化する可能性があると危惧する向きもある。もし地球がエロス級の小惑星と衝突した場合、6千5百年前の大衝突よりも重大な結果になると推測されている。当時、大きさ10キロの小惑星がカリブ海に落下、恐竜絶滅の引き金となった。NASAの小惑星探査機NEARの探査報告
同組織は、スーダン政府軍と交戦後に「中国人労働者の安全のために29人を確保した」との内容の声明を出し、「労働者らは無事」だとしている。中国人労働者のほか、スーダン政府軍の兵士9人も拘束したと話している。中国側の情報によれば、この建設現場には中国人スタッフが全部で35人いるという。事件が発生したのは南スーダンと隣接する地域で、紛争地帯のダルフール地方にも近い。石油埋蔵量が多いことで知られる。 国有企業である中国水電建設はここ数年、スーダンで道路やダムなどのインフラ整備をさかんに進めている。
2012年1月30日:BBCのニュースは、スーダン政府軍によれば14人が自力脱出し、17人の中国人を施設から開放したと報じている。反政府組織は、中国人らが交戦に巻き込まれた為、安全のため人質にしたと語っているが、実際は、攻撃除けの盾に使ったか、人質目的ではないだろうか?2008年11月には、中国人5人が処刑されている。中国の資源開発と軍隊派遣 歯止めの利かなくなった中国
自衛隊が活動するジュバJubaはもっと南に位置する。写真の軍スポークスマンは、反政府組織は民間人を狙っていると語っている。 参照記事 過去ブログ:次の「アラブの春」はスーダン? 南スーダン部族対立、原因は牛の略奪とその背景 自衛隊派遣予定の南スーダンで軍事衝突
- 1986年08月31日。ノヴォロシスクから約15キロの海域で客船「アドミラル・ナヒモフ号」が貨物船「ピョートル・ヴァセフ号」と衝突し、沈没した。乗員乗客1243人のうち423人が死亡した。
- 1986年05月25日。バングラデシュのメグナ川でフェリー「シャミア号」が嵐のため沈没した。約600人が死亡した。
- 1987年12月20日。フィリピン沖では客船「ドニャ・パス号」がタンカー「ビクトル号」と衝突し、沈没した。タンカーには8000バレル以上の石油 が積まれていた。タンカーでは衝突によって火災が発生し、火は客船に燃え移った。4375人が死亡、生存者は26人のみだった。
- 1994年09月27日から28日にかけての深夜。バルト海では大型フェリー「エストニア」が沈没した。原因は解明されていない。乗員乗客989人のうち95人が死亡、757人が行方不明となった。
- 1996年05月21日。東アフリカのビクトリア湖では安全基準の違反により客船「ブコバ号」が沈没した。正確な乗客名簿がなかったため、死亡者数は600人から1000人とされている。
- 2002年09月26日。セネガルのフェリー「ジョラ号」が沈没し、1863人が死亡した。
- 2006年02月03日。サウジアラビアの港ジッダからエジプトのサファガへ向かっていたエジプトのフェリー「アル・サラーム ・ボッカチオ98号」が紅海で沈没した。フェリーには乗客1272人、乗員100人が乗っていたが、救助されたのは388人のみだった。
- 2006年12月30日。ジャワ海でフェリー「セノパティ・ ヌサンタラ号」が嵐により沈没した。フェリーは、カリマンタン(ボルネオ)島からジャワ島に向かっていた。乗客628人のうち救助されたのは245人。400人以上が行方不明となった。
- 2008年06月21日。フィリピン沖で台風により大型フェリー「プリンセス・オブ・ザ・スターズ」が沈没した。フェリーには860人以上が乗っていた。救助されたのは57人。
- 2009年03月29日。地中海ではリビアから欧州への移民を乗せていた木製の船が転覆、沈没した。237人が死亡した。
- 2011年07月10日。ロシア中部タタールスタン共和国のヴォルガ川で遊覧船「ブルガリア号」が沈没した。事故原因は、定員オーバー。乗員乗客79人が救出され、122人の死亡が確認されたが、正確な乗客数は明らかになっていない。
- 2011年09月10日。タンザニア沖でウングジャ島とペンバ島を行き来するフェリー「スパイス・アイランダース」が沈没した。240人以上が死亡した。事故原因は定員オーバー。事故当時、定員数645人のところ800人以上が乗っていた模様。
- 2012年1月13日(金曜日)~14日。船舶事故相次ぐ>イタリアの船長はバレーダンサーの気を引こうと、、。 。「タイタニック」号の生存者の孫、祖母と同じ運命を体験 イタリア
2012年1月24日、TTPがAFPに送りつけたという軍人15人の処刑ビデオが公開された(ビデオには自動ライフルでの処刑シーンがありますので注意)。場所は、タリバン、アルカイダが潜伏するといわれる、パキスタン領北西部、部族自治区地域の近くで、Tankという場所の監視所から拉致された地方軍人15人が、仲間のタリバン兵士12人がカイバル地区Khyber Agencyで殺害された報復として2011年12月23日処刑された。処刑後に「パキスタン政府が、自分らに対する殺戮を止めなければ同じことがまた起きる」とメッセージを流している。
この件で、今だにパキスタン・タリバンが活動し、互いにほかの仲間と連携していることや、部族自治区のかなり近くにまで、パキスタン軍が依然監視所を設けているのが確認できる。各監視所には通常、小隊規模の軍人が野営している。この辺でパキスタン軍は2009年末頃大掛かりな掃討作戦を展開したが、過去ブログ:パキスタン国境最近の状況 南ワジリスタンでタリバン劣勢* パキスタンタリバンの実効支配はまだ続いているようだ。 参照記事 ほか 最近のブログ:パキスタン・タリバン司令官死亡 パキスタン
2012年1月29日:米国政府は、アフガンタリバンとの交渉をカタールでスタートさせた。29日、ニューヨークタイムズ紙が伝えた。主な議題となるのは、アフガニスタンでの信頼構築と戦闘の終結に向けた措置。また捕虜交換についても議論される見通し。米国政府は、今回の報道を否定してはいないとしう。過去ヌログ:タリバンが和平のための海外連絡事務所開設
現在、北朝鮮は世界最貧国の基本的な生活物資すら不足しているだけではなく、社会全体に不正腐敗が蔓延している。脱北者たちによると、周囲で各種の窃盗や強盗行為は随時発生する。行政最小単位である人民班(通常は40~50世帯)で2週間に1度は事件・事故が発生するという証言もある。
北朝鮮は、当局による公開処刑や政治犯収容所をはじめとする様々な拘禁施設での虐待行為や栄養欠乏、捜査機関での拷問、脱北者に対する銃撃射殺など、政治的な殺人行為も絶えず行われている。このような状況や証言から見た際、北朝鮮の殺人率は事実上、南米レベルに達する可能性がある。
金正日の死後、北朝鮮の清津では、公安機関の幹部らが連鎖的に殺害される事件が発生した。また、ある遺体の横には「人民の名で審判する」というメッセージが発見された。金正日時代に人民の血と汗を絞り上げた者に対する審判と警告の意味が含まれている。参照記事
欧米のマスコミからは、イラン情勢の危機感と同時に、更なる制裁が必要だというニュースが流れ、ロシアからは話し合いの余地があり、イランを追い詰めれば難民問題も発生し、これは避けるべきだというコメントが流れてくる。
イラン国内には現在、250万人以上(不法難民含む、イラン内務省の統計では正式登録されたアフガン難民は102万人)のアフガン難民が暮らし、国連によるとイランはパキスタンに次ぐ世界2位の難民受け入れ国だという。シーア社会主義という独特な国家体制の中、イランは難民保護政策を採ってきたが、近年続く経済制裁でイラン財政が悪化。2010年12月には難民への巨額補助金が削減され、物価は急上昇。イラン国民に出される給付金も、難民は対象外となり、難民の生活が困窮し、イラン社会の底辺で暮らすアフガン難民の多くが、治安の悪いのを覚悟でアフガンに戻りつつあるという。位置的にも政治的にも、イランの混乱は中東、アジア全体に大問題を引き起こす可能性が高い。アジアに接するロシアはそれを懸命に避けようとしているように見え、経済再建中のプーチンロシアは今の時期,
どんな紛争にも加担したくは無いだろう。対する米国は、イスラエルの暴発を防ぎ、中東戦争以上の戦争が起きるのを防ごうと躍起になっているように見える。ぎりぎりまでの制裁と、国際経済の減速、悪化。状況は我慢比べの状態になってきた。参照記事
2012年1月27日、EUの貿易委員会の代表らは、欧州の主要銀行が、イランへの穀物供給代金の支払いに関連する銀行業務を凍結させることを発表し、イランを国際金融の中でも孤立させようとしている。
この原油禁輸制裁の中でも、インド、中国は原油を買い続けているが、27日、インドの報道機関が伝えたところによると、インドがイランに対し米ドルの代わりに“金”で支払うことで合意し、また、今後中国もそうした支払い方法をとる可能性があるとしている。国際通貨が使えないなら金で代金を受け取り、これにより「イランは、原油輸出禁止と中央銀行の凍結というEUによる制裁措置を回避することができる」とイランの報道機関が伝えている。しかしこれには、金を豊富に保有する仲介国が必要だとあるが、普通に考えれば金や資金を大量に保有する中東諸国が乗り出すのではないだろうか?参照記事
こんな断片記事をつないでいると、ぼんやりと、米国もドルも介在しない、新しい国際経済が見えてくる。窓の外はこんこんと雪が降り続いている。猫たちは幸せの寝息を立てている。しばらく、雪を見ながら金塊と中東の世界地図を眺めていよう。今日は、イランの中部でも雪のようだ。アフガンのタリバンも今頃は冬篭りだ。まだ兵士は山の中の洞窟で寝ているのだろうか?過去ブログ:イラン制裁、困らないイランは「ならば売ってやらない!」喜ぶ中国、 2010年3月:タリバン殲滅進むパキスタン北部 部族地域の解放
EUはイランの原油輸出相手国の中で、中国に次いで第2位で、イランは日本へ第4位(訂正:全体量の約10%、最大輸出国はサウジアラビア)の原油輸出国だった。欧米諸国は、イランの原油収入を絶つことで、イランの核開発に歯止めをかけたい考えから今回の制裁強化を行ったが、これに対するイランの先の国会議長の発言は決して強がりではないようだ。
中国の外務次官は、今月1月初めに、「中国政府は、制裁や圧力に反対する」と表明し、中国は先月12月、すでに240万トンの原油をイランから輸入したことが分かっている。 さらにEUによるイラン産原油禁輸制裁の最中に、中国が少なくとも2隻の超大型タンカーを手配し、イラン産原油輸入継続への意欲を示している。2011年の中国全体のの原油総輸入量が6.1%しか増えていない中で、昨年1年間、イランからの輸入量は2776万トンに上り、前の年より30%増となっている。中国はまた、イランに積極的に投資し、ヘリテージ財団(ワシントン)の統計によれば、2010年の中国によるイランでの投資額は179億ドルに上 る。その内訳は、エネルギー投資が135億ドル、電力分野35億ドル、輸送業8億4千万ドル、金属業1億1千万ドルとなっている。また首都テヘランの地下 鉄やダム、漁場、コンクリート工場などのインフラ建設にも中国は関与してきた。 参照記事 参照記事
結局、いくら制裁しても、中国が余った原油輸出枠を貪欲に買い取っているだけで、大変なのは原油価格の高騰(12月には6ドル上昇)で、生産コストが上昇し、景気にブレーキのかかったEU、中国を除くアジア圏、とりわけ日本だけということでは無いだろうか?
イランの原油からの外貨収入を抑えて、核兵器開発をやめさせると言う米国の言い分にも説得力が無く、実際、イランは産油国だが、同時にアジアでも有数の工業国で、世界鉄鋼協会(WSA)が2012年1月24日、イランは世界最大の鉄鋼生産国の一つであると発表しているほどだ。2011年のイランの鉄鋼生産量は1304万トンであるとし、この数字は2010年の生産量(1199万5千トン)と比べて9%の成長を示しているとした。これらはインドや中東に輸出されている。更なる原油禁輸制裁処置が検討されているが、結局、中国に早めの春風が吹くだけではないだろうか?イランを困らせるどころか、実はイランは、自分から原油輸出を規制する動きにさえ出ている。
2012年1月26日:イラン議会では、EUによる制裁措置を待たずして、早期に石油輸出を停止することを規定した法案の審議が大詰めを迎えている。イランのこの法案が採択された場合、「イラン政府はEUによる石油禁輸措置を待たずして、ヨーロッパに対する石油貿易を停止する義務を負うことになる。」とされている。法案の審議は22日から始まっている。参照記事
先進国の糧(かて)である原油が入らないで困るのは先進国自らで、その代案を提示せずにイラン制裁の同意を迫った米国が、今度は頭を下げて売ってくれということになるのだろうか?そもそも、イランへの原油依存度が低いのは米国、ロシアくらいで、EU、日本にとっては死活問題である。米国の軍事的な優位を維持するために、経済的な負担をEU、日本に押し付けた米国の政策。まさかオバマは、これで米国経済の復興という、一石二鳥を狙ったのではないだろうな、、。こんなこと、日本のマスコミは思っても書かないだろうが、現実に、欧州の景気が減速の中で、米国経済は1月24日のIMFの経済予想(右図)や最近の株価からも上昇傾向といわれている。
参照記事 過去ブログ:イランへの危機は、脅迫と話し合いで回避された? 日本の原油輸入先、UAEの石油パイプライン6月にも完成か?
米飲料大手のコカ・コーラは2012年からの5年間でインド市場に20億ドル (約1560億円)を投資すると発表した。同社は全世界合計で300億ドル(約2兆3400億円)を投じ、全世界の売上高を今後10年で2倍にする計画を 掲げており、インドを重要な市場として位置づけている。コカ・コーラは過去18年間で約20億ドルをインド市場に投じており、今後5年間の投資額は従来の 約4倍となる。参照記事
スズキ<7269.T>のインド子会社マルチ・スズキは2012年1月23日、12 年3月期第3四半期(11年10月-12月)の純利益が前年同期比63.6%減の20億5600万ルピー(約32億円)になったと発表した。減益決算は2 四半期連続。売上高は同17.4%減の766億3600万ルピー(約1180億円)だった。 会社側は減収減益決算の要因として、原油価格の上昇を背景とした燃料高や高金利の影響で自動車販売が伸び悩んだことを挙げている。また、8月末にデリー近郊に位置するマーネーサル工場で発生したストライキの影響で車両4万台の生産ができなかったことが響いた。参照記事 過去ブログ:インドでバカ売れのアルト!
発見は南アフリカのジュラ紀前期の地層で、Massospondylus(マッソスポンディルス)の営巣地の跡が発見され、卵やふ化する前の草食恐竜「マッソスポンディルス(Massospondylus)」の胚の化石のほか、小さな前脚の足跡も残されている。 Discovery News に拡大画像があります。その他、南アフリカの恐竜
今回の発見から、マッソスポンディルスはふ化した子どもが倍の大きさに成長するまで巣の中で育てていたことや、マッソスポンディルスが子ども時代には4本の足で歩き、成長すると2本の後ろ足で立つようになったとみられることが分かった。発掘を主導したカナダ・トロント大学ミシサガ校(University of Toronto at Mississauga)のロバート・ライス(Robert Reisz)教授によると巣や卵は、ほぼ垂直な道路の断面わずか25メートルにわたる岩盤から見つかったという。発見された巣の状況から、考古学チームは、マッソスポンディルスの母親は、何度も集団で巣に戻り慎重に卵を管理していたとみている。下は、付加する前の恐竜と恐竜の子供の足の型 参照記事
恐竜を含む地球上の生物絶滅は何度かおき、最後の5度目は6500万年前と言われている。しかし、人類の乱開発や文明の発展に絡む地球温暖化で、このままの状態が続けば、2100年には、地球上の半分以上の生物が消滅するという試算もある。参照記事
過去ブログ:隕石と恐竜絶滅 2000万年前の類人猿の化石 ウガンダ 人類の320万年前の完全な二足歩行確認される。 恐竜化石の宝庫 中国 古代史研究と現代科学
2011年2月22日のニュージーランドの南島中央部クライストチャーチ近郊で発生したM6.3の地震の前の2月20日に、ニュージーランド南島の南西沖にあるスチュアート島でゴンドウクジラ107頭が座礁してニュースになった。
2011年11月16日、ゴンドウクジラ61頭が同国南島北端のフェアウェル岬(Farewell Spit)の浜辺に乗り上げ、死亡したと発表した。参照記事
2012年1月7日,ニュージーランドのネルソンで、70頭ものゴンドウクジラの座礁。救援の努力にもかかわらず、そのうちの7頭が死亡した。参照記事 参照記事 過去ブログ:クジラの大量死と軍用海中音波? ニュージーランド
いろんなニュースを見ても、このことを新政権国民評議会とカダフィ派残党の政治的衝突と見ているようだが、彼らがカダフィ政権復帰を狙ったわけではなく、理由のひとつに、前の紛争中の死亡者や傷病への保障などを求めており、それに対するNTCの対応が遅いという不満があったようだ。リビアの紛争当時から最近までをブログに書きながら見えたのは、アフリカ、アラブ社会全体に言えることだが、多くの国では、血縁、地縁、名誉が重視されるということで、カダフィも血縁関係を重視し、親族で独裁中央集権国家を作り、富を独占し、それが国民の反発を招いた。同時に地縁、血縁を重視することで各地の部族支配を認め、カダフィ政権時には多くの部族自治区が存在していた。つまり、独裁者のカダフィであっても、部族長が権限を持つ部族地域の自治を無視は出来なかった。
カダフィMuammar Gaddafiを見れば、彼はリビアでも少数部族のカドハドファ Qadhadhfa 出身で、アラブ・ベルベル系民族(遊牧民ベドウィンbedouin とも言われ、このためテント生活を好んだ:写真は昔のベドウィン族のスケッチ)でシルトSirte(彼の出身地)や、最近はサブハSabhaに多く居住している。彼らはカダフィが王族を追放したクーデターが成功する際に活躍し、当然だが、カダフィはその後も同族出身者を優遇した。(このことで2011年紛争時は、多くのカドハドファ系アフリカ人が処刑された)
同じリビア北部のワルファラWarfalla部族は、リビアの人口の15%を占める最大部族で、カドハドファと同じアラブ・ベルベル系民族で、ペルシャ人とサハラの遊牧民族ベルベル人との混血といわれる。イタリア植民地時代には、支配者のイタリアに反抗し、多くの戦闘を繰り返したことで知られ、好戦的で、名誉を重んじる民族といわれる。彼らの居住地域は、リビアの北部バニワリドBani Walid,シルト Sirte,ベンガジ Benghazi 南部サブハ Sabha, に集中し、カダフィはカダフィ軍の中で彼らを多く採用し、過去のカダフィ軍リーダーにはこの地域出身者が多く、カダフィの尊敬するオマル・アル・ムクタルはこの部族出身者(下の2011年2月のブログ参照)。参照記事 参照記事
上の地図は、リビア戦争末期、カダフィ軍が立てこもり、頑強に抵抗した場所で、これを見れば、カダフィと関係の深かった部族の多い地域と重なっているのが分かる.。この時期、ベンガジのカダフィ派は紛争当初に敗退している。
23日のカダフィ残党のバニワリドの反乱を部族で見れば、カダフィ政権時代に恩恵を受けた地域であり、カダフィ信奉者が多く存在するのが理解でき、カダフィ失脚後の新政権の冷遇に反発し、彼ら独自の部族支配地を設け様としているのかもしれない。このことから、同じ反乱は、シルトSirteやサブハSabhaでも起きる可能性があり、これを危険視するNTC新政権は、かなり過激に制圧する可能性が高いが、そうなれば大部族ワルファラWarfalla対NTC新政権の対立が起きかねない。 過去ブログ:リビア東部、半独立を要求 リビア(45) 交渉期限切れ 最終攻撃に突入か リビア(26) ベルベル人の独立運動は:西アフリカの反政府抵抗組織 MNLA 2011年2月紛争勃発時とカダフィの思い:2011年2月~アフリカ、中近東、反体制運動と シーア派スンニ派➀
2012年3月29日: リビア南部ですでに3日間にわたって続いている部族間衝突で、70名が犠牲となり、150名が負傷した。 衝突の中心地となったのは、リビア第四の都市セブハSabha(人口10万人ほど。リビア第4の都市でFezzan地域の中心)で、地元武装勢力がトゥブ族との抗争を行っている。これより先、リビア内務省の発表によれば、抗争を停止させるために、数百人の内務省職員が政府軍の援護に派遣されたが、停戦後も衝突が続いている。
2012年3月31日:対立は収まらず、少なくても147人が死亡、395人が負傷とあり、アラブ系部族とTobou ethnic groupと言われる、 主にカダフィ時代にチャドやニジェールChad and Nigerから移住しスーダンや南リビアに住む部族とが抗争している。セブハにはカドハドファ Qadhadhfa族も住み、戦争中はカダフィ側が立てこもり徹底抗戦した地域。Tobou側は30日、国連やEUに対し、リビア南部、 Qatrun 、 Morzukで行われているアラブ系による民族浄化"ethnic cleansing"に対しての調査を要求した。参照記事
2012年1月22日夕方、同国の33年間の独裁者サーレハ大統領は、サナー Sanaa飛行場からオマーンへ飛び立ち、さらにエチオピアを経由し、表向きは2011年6月の爆弾で負傷した傷の治療ということで米国に渡る。すでに米国はビザを発行し、彼の家族、息子も合流し米国に向かうと見られる。
2012年1月22日、イエメンの首都サヌアで、数万人の人々がデモを行い、同国の独裁者サーレハ大統領の訴追免除に抗議し、数え切れない犯罪を理由にサーレハ大統領を裁けというデモ隊は、大統領出国を聞き、「殺人者を処刑せよ。 execute the butcher」と、大統領を処刑するよう叫んでいる(写真)。最近では、大統領によるデモ隊への発砲命令で多くの死傷者が出たとされている。参考記事:イエメン:反政府勢力との紛争で数百人が違法逮捕
すべては、2011年11月23日、サウジアラビアの首都リヤドで著名されたペルシャ湾岸協力会議の計画に基づき行われており、その際に大統領が出しただろう、自身や家族の身の安全、訴追免除とそれを維持するための、ハーディーHadi副大統領への大統領権限の委譲は今のところ守られている。国営サバ通信によると、ハディ副大統領が提出した法案では「大統領のほか、サーレハ政権下で働いた政府や軍、治安機関の関係者に対し、訴追対象とならない恩赦を与える」との文言が盛り込まれたとあるが、しかし、これには大きな問題があり、国際法及び国連は極めて明確に、戦争犯罪、人道に対する罪及びジェノサイドの実行者を恩赦することを禁じており、イエメン議会が下した一方的な恩赦案は、この国際的義務に違反する可能性が強いと指摘する見方もある。このことをもって、国民の多くが到底納得できないと主張している。もうひとつ、マスコミがあまり書かない大きな疑問、なぜ米国はこうまでもサーレハをかばうのかという問題については、2011年3月31日の「保存記事:米国はイエメンで危険なゲームをしている 特殊部隊の秘密戦争」を参考に。結論から言えば、彼は自国民の犠牲を省みず、米国にかなり恩を売り、ブッシュ時代の米軍、CIAの秘密の多くを知っているということでは無いだろうか。過去ブログ:2011年9月AQAP指導者アンワル・アル・アウラキ 死亡 イエメン
しかしすでに、1月22日イエメン空軍基地の守備隊員らが、サヌア国際空港の離着陸を妨害し、200名のパイロット、エンジニアがサーレハ前大統領の兄弟で、空軍司令官であるモハムメド・サレハ Mohammed Saleh al-Ahmar少将の更迭を求め、これに対しイエメン国軍が鎮圧にも出動していないということは、軍内部での元大統領の権威はすでに失墜し、大統領派軍人の更迭や粛清が進行するのではと想像でき、場合によっては内紛化する可能性もある。イエメンの大統領選挙は、2012年2月21日に行われることになっている。この混乱を好機と見るイエメン国内のアルカイダとの問題が大きい。参照記事 過去ブログ:2011年10月アルカイダ、イエメンの首都に迫る 、2010年1月:新たな国際反米テロ組織 AQAP
1年前フィリピン軍は、新人民軍の戦闘員数に関し当時最新の情報を公開したが、それによれば2010年末までに戦闘員数は7.8%減4043人にまで減っていた。 しかし、彼らが2011年に行った攻撃回数は447回と、かえって11%増加しており、彼らの装備も改善され戦闘員数の増加、地理的な活 動領域の広がりが確認できるという。フィリピンでは、すでに43年に渡り、政府軍とマルクス主義の新人民軍との間で戦闘が続き、4万人を超す人々の命が失われている。*ここでいう毛沢東主義者は、インドの毛派と同じくマルクス共産主義反政府組織Marxist insurgencyを意味し、中国との関係は無い。彼らは地方の村などから警備を目的で金銭をゆすり、拒否した村を襲撃し、活動は主にミンダナオ島Mindanao。参照記事 参照記事 過去ブログ:知事選がらみ?で57人殺害 フィリピン ミンダナオ島
注目されるインドの民族問題,毛派反政府組織
インド中部チャッティスガル州ダンテワダ地区Chhattisgarh's Dantewada district.で2010年4月6日、極左武装組織インド共産党毛沢東主義派 India-Maoist (CPI-Maoist) のインド中部最大の武装グループナクサルNaxalが警官隊を襲撃し、少なくとも警官76人が死亡した。警察当局によると、警官隊約80人が同日朝、ジャングルのパトロールから戻ってきたところを毛派武装グループ約千人が待ち伏せして銃撃したり、警察車両を狙って即席爆破装置(IED)を爆発させたりした。インドで毛派が活動して43年、最悪の事態が起きた。
以前のブログでインドの左翼組織については詳しく書いたが、地図で見る限りは左翼活動の盛んな地域の中心部で起きた惨劇だった。毛沢東主義といっても中国共産党とは関係なく、民族的にインド中央政府や州政府から抑圧 されている地域で活動する独自の共産主義的反政府政治結社と理解していいだろう。そこでは州政府に武力で立ち向かい、独自の法律と税制の中で民兵組織も保有している。農業主体のこの地域で、公平な富の分配なども行われているといわれ、地域では多くの支持を集めている。そこへ送り込まれた州政府の警官が全滅に近い襲撃を受けたというニュースで、これほどの惨劇は記憶にない。おそらくインド政府は州軍、国軍を投入して鎮圧に乗り出すだろう。政府はすでに鎮圧を表明しているが、今のところ空軍使用はないようだ。右は反政府組織の写真。近年勢力は少しずつ東西に拡大している。地図の色の付いている部分は国境問題、民族問題のある地域。赤い丸が反政府組織の活動中心部。左下:横たわる警官の遺体。過去ブログ:インド毛派(州地図含む)
2010年5月17日;同じ地域で警官、民間人が載ったバスが地雷攻撃に遭い、死者50名前後、負傷者多数の被害を出している。現地報道記事では 犯行グループを Maoist と Naxalの表記が混在しているが、共産主義者(Maoist)のうち、上の事件と同じくこの辺に拠点を置く反政府組織ナクサル(Naxal)の犯行と読み取ればいいだろう。Monday when Maoists blew up a private bus using a powerful Improvised Explosive Device (IED). The blast occurred at 4.30 p.m. at Chingavaram on the Dantewada-Sukhma road in Chhattisgarh.
インド東部、中央部の地域(赤の回廊)を中心に、州政府軍と毛派の抗争で昨年は1000人以上の被害者が出た。インド中央政府と地方州政府間対立が対応を難しくしている。地方分権が進んだインドでは、治安維持は州政府が担うが、毛派の活動が活発な5州は革新野党主導の政権で、毛派への強硬策に批判的な地元支持者を抱えている。今年初頭から中央政府は各州首相に合同作戦の協議を呼びかけているが、うち2州は参加を拒んでいる。毛派は今年2月から行動を活発化させている。
2010年6月29日:インド中部チャッティスガルChhattisgarh州ナラヤンプル地区 Narayanpur district で29日、100名ほどの極左武装組織インド共産党毛沢東主義派(記事によってMaoist、又はNaxalsと記述 )が森林地帯で警官隊を待ち伏せて銃撃し、2~3時間の銃撃戦で少なくとも警官27人が死亡した。遺体の確認はされていないがナクサル側にも15人ほどの死亡者が出たとも情報もある。
2011年11月24日、西ベンガル West Bengalで毛派のリーダーKishanji: (本名:Mallojula Koteshwar Rao 58歳 写真右)が地元警察との交戦で死亡したといわれ、報復テロが活発化している。参照記事
2012年1月21日:インドのジャールカンド州 Jharkhand の道路で、地雷が爆発し約13人の警察官が死亡した。毛沢東主義派の武装グループによる犯行とみられる。警察官らは、ガルワー県にある基地に自動車で向かう途中で、テロに遭ったと伝えている。爆発が起きた後、武装グループの伏兵が、警察官ら に射撃を浴びせた。生存者は2名のみで重態で、現在病院に収容されている。警察隊は、テロが起きた周囲の場所で武装グループの掃討を行っている。毛沢東主義者たちは、軍部隊および住民居住区に、昨年で約1500件の銃撃を伴う襲撃を行い、500人以上が犠牲となった。毛沢東主義派は、インドではナクサル党員とも呼ばれており、「資本家の重圧による貧困からの農村の解放」を目的に掲げている。武装グループは、密林に隠れ、農村を略奪し、公務員や公安機関の職員、鉄道などを襲撃している。インドの辺境地区は、事実上、毛沢東主義派の武装グループの支配下にある。現地参照記事 インドの国内問題 毛派 インド州地図 インド極左翼組織、毛派 ,Naxalite ,Naxal,Maoist(マオイストCPIーM) 2009年9月インド 2009年~ 国境問題まとめ