2011年08月
韓国の李明博大統領は2011年8月15日、ソウル市内で開かれた日本の植民地支配 からの解放66年を祝う「光復節」記念式典で演説、竹島(韓国名・独島)問題に直接言及 しなかったものの、韓国は過去の歴史を決して忘れず「日本は未来の世代に正しい歴史 を教える責任がある」と表明した。、、李大統領は「(正しい歴史教育があってはじめて)韓日の若者が明るい未来に向かって共に 歩んでいける」と語った。参照記事
日本の事をよく知る李大統領の発言とは思えない内容だが、この国では、こういうスタンスを取り続ける事が政治家に要求されるのでしょう。それが事実と違っていたとしても、、。
次に少し長いが、如何に日本の教科書が一番公正かという米国の論文の記事コピーを載せておこう。「公正」で「抑制」された日本の歴史教科書に対しては、国内から「もう少し国家観をだしては」という意見があるくらいに「誇張の無い控えめ」な記述であると分析された。一方、下に書かれた分析では、韓国の歴史教育は「自己中心的にしか歴史を見ていない。」と分析されている。この分析をもってして、韓国には公正に他国の歴史を語る資格はあるのだろうか。韓国の歴史解釈には、その歴史を作った当事者の日本から見て唐突なものが多いが、それは全て、歴史を親北朝鮮、反日、反米の色めがねで見るからで、それが「自己中心的」と分析され、最近起きた、東海表記の根拠が世界に通じなかったのがいい例だろう。 原文元 参照記事元 2011年8月17日記事より抜粋 過去ブログ:韓国主張の「東海」はダメ!IHO
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序文:昨年(2010年)12月に読売新聞が報じた「日本の歴史教科書は最も抑制的」(右)というスタンフォード大学Stanford Universityの調査報告について、スタンフォード大学の学者が雑誌サピオに論文「日米中韓台の比較研究で分かった一番公正な歴史教科書は日本」を寄稿している。
戦争賛美せず 愛国心あおらず 日本は最も抑制 :先の大戦に対する各国の歴史認識問題が、アジアの国際関係に影を落とし続けている。米スタンフォード大学アジア太平洋研究センターは、日中韓と米国、台湾 の高校歴史教科書比較研究プロジェクトを実施し、日本の教科書は戦争を賛美せず、最も抑制的だと指摘した。研究チームの主要メンバーである日本史学者ピー ター・ドウスPeter Duus氏に研究成果を、元米紙東京特派員ダニエル・スナイダー氏Daniel C. Sneider (スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長)に研究の趣旨を報告してもらった。論点スペシャルとして紹介する。
日本の教科書 :今回比較した中では日本の教科書が最も愛国的記述がなく、戦争の賛美などは全くしていない 。日本の中国進出についてのくだりは全く事実をそのまま伝えており、当時の軍と政府のリーダーたちの責任だとしている 。非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない。
韓国の教科書 :韓国の教科書は特にナショナル・アイデンティティーの意識の形成に強く焦点を当てている。自分たち韓国人に起こったことを詳細かつ念入りに記述している。韓国の教科書は、中国で起きた戦争に関する記述が希薄だ 。韓国は日本の中国に対する行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある 。私が驚愕した一つの例は、主要な韓国の教科書には広島長崎の原爆投下の記述がないことだ。それほどまでに彼らは自己中心的にしか歴史を見ていない。
米国の教科書:米国の教科書は日中戦争について多く語っていない。米国の教科書は、第二次世界大戦について、アジアよりもヨーロッパでの戦争の方により焦点を当てる傾向がある。ニュルンベルク裁判についてはたくさんの記述があるが、東京裁判については大変少ない。
中国の教科書 :歴史学の観点から見て、最も問題が多いのは中国の教科書だ。
中国の教科書は全くのプロパガンダになっている。共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている。太平洋戦争に関してほとんど記述がなく、広島・長崎の原爆投下もほとんど言及していない。 中国の教科書は2004年に改定されているが、改定後は中国人の愛国心を謳い、日本との戦いを強調している。内戦の話は後退し、抗日戦線での勇ましい描写が増えた。南京事件などをより詳細に記述するなど、日本軍による残虐行為もより強調されている。つまり中国人のナショナリズムを煽っている。
台湾の教科書:国民党支配下で書かれた古い教科書には、中国王朝の歴史だけを学んでいた。
しかし新しい教科書からは、台湾という国家の視点よって書かれ、台湾それ自身の歴史を教えることになった。台湾と中国両方の教科書が、異なった理由でだが国共内戦を強調しなくなっている。台湾の新しい教科書では日中戦争の強調は抑えられ、南京事件なども大幅に削っている。台湾の日本による植民地時代の論点は、当時の日本の政治状況と関連づけて述べられており、日本の悪行を書いてはいるが、かなり正確な分析をしている。
ピーター・ドウス Peter Duus 氏 :1933年生まれ スタンフォード大名誉教授。専門は日本近代史。ハーバード大で歴史学博士。英国帝国史研究で進展した「非公式帝国」論などを導入、戦前日本の帝国史・植民地統治研究に貢献した。早稲田大などで数えたこともある。日本人ドウス 昌代 さんは 彼の妻であり作家でもある。
ダニエル・スナイダー Daniel C. Sneider氏:1951年生まれ。コロンビア大卒。スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長、元クリスチャン・サイエンス・モニター東京特派員:日米中韓台の比較研究で分かった 一番公正な歴史教科書は日本等 スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長としてアジアにおけるアメリカ外交及ぴ国家安全保障政策を研究中。参考記事:小沢一郎という男 「オバマ政権は冷戦時代の思考から脱却しろ」と
追記: 2014年1月9日、香港・中評社によるとスナイダー氏は日韓関係について、「日本高官との交流の中から見るに、日本には“韓国疲労症”が生まれている。日本はすでに謝罪は足りたと考えており、これ以上、韓国に譲歩する気はない。むしろ中国との関係改善に力を注ぐべきだと考えている」と指摘している。参照記事
日本の事をよく知る李大統領の発言とは思えない内容だが、この国では、こういうスタンスを取り続ける事が政治家に要求されるのでしょう。それが事実と違っていたとしても、、。
次に少し長いが、如何に日本の教科書が一番公正かという米国の論文の記事コピーを載せておこう。「公正」で「抑制」された日本の歴史教科書に対しては、国内から「もう少し国家観をだしては」という意見があるくらいに「誇張の無い控えめ」な記述であると分析された。一方、下に書かれた分析では、韓国の歴史教育は「自己中心的にしか歴史を見ていない。」と分析されている。この分析をもってして、韓国には公正に他国の歴史を語る資格はあるのだろうか。韓国の歴史解釈には、その歴史を作った当事者の日本から見て唐突なものが多いが、それは全て、歴史を親北朝鮮、反日、反米の色めがねで見るからで、それが「自己中心的」と分析され、最近起きた、東海表記の根拠が世界に通じなかったのがいい例だろう。 原文元 参照記事元 2011年8月17日記事より抜粋 過去ブログ:韓国主張の「東海」はダメ!IHO
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序文:昨年(2010年)12月に読売新聞が報じた「日本の歴史教科書は最も抑制的」(右)というスタンフォード大学Stanford Universityの調査報告について、スタンフォード大学の学者が雑誌サピオに論文「日米中韓台の比較研究で分かった一番公正な歴史教科書は日本」を寄稿している。戦争賛美せず 愛国心あおらず 日本は最も抑制 :先の大戦に対する各国の歴史認識問題が、アジアの国際関係に影を落とし続けている。米スタンフォード大学アジア太平洋研究センターは、日中韓と米国、台湾 の高校歴史教科書比較研究プロジェクトを実施し、日本の教科書は戦争を賛美せず、最も抑制的だと指摘した。研究チームの主要メンバーである日本史学者ピー ター・ドウスPeter Duus氏に研究成果を、元米紙東京特派員ダニエル・スナイダー氏Daniel C. Sneider (スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長)に研究の趣旨を報告してもらった。論点スペシャルとして紹介する。
日本の教科書 :今回比較した中では日本の教科書が最も愛国的記述がなく、戦争の賛美などは全くしていない 。日本の中国進出についてのくだりは全く事実をそのまま伝えており、当時の軍と政府のリーダーたちの責任だとしている 。非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない。
韓国の教科書 :韓国の教科書は特にナショナル・アイデンティティーの意識の形成に強く焦点を当てている。自分たち韓国人に起こったことを詳細かつ念入りに記述している。韓国の教科書は、中国で起きた戦争に関する記述が希薄だ 。韓国は日本の中国に対する行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある 。私が驚愕した一つの例は、主要な韓国の教科書には広島長崎の原爆投下の記述がないことだ。それほどまでに彼らは自己中心的にしか歴史を見ていない。
米国の教科書:米国の教科書は日中戦争について多く語っていない。米国の教科書は、第二次世界大戦について、アジアよりもヨーロッパでの戦争の方により焦点を当てる傾向がある。ニュルンベルク裁判についてはたくさんの記述があるが、東京裁判については大変少ない。
中国の教科書 :歴史学の観点から見て、最も問題が多いのは中国の教科書だ。
中国の教科書は全くのプロパガンダになっている。共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている。太平洋戦争に関してほとんど記述がなく、広島・長崎の原爆投下もほとんど言及していない。 中国の教科書は2004年に改定されているが、改定後は中国人の愛国心を謳い、日本との戦いを強調している。内戦の話は後退し、抗日戦線での勇ましい描写が増えた。南京事件などをより詳細に記述するなど、日本軍による残虐行為もより強調されている。つまり中国人のナショナリズムを煽っている。
台湾の教科書:国民党支配下で書かれた古い教科書には、中国王朝の歴史だけを学んでいた。
しかし新しい教科書からは、台湾という国家の視点よって書かれ、台湾それ自身の歴史を教えることになった。台湾と中国両方の教科書が、異なった理由でだが国共内戦を強調しなくなっている。台湾の新しい教科書では日中戦争の強調は抑えられ、南京事件なども大幅に削っている。台湾の日本による植民地時代の論点は、当時の日本の政治状況と関連づけて述べられており、日本の悪行を書いてはいるが、かなり正確な分析をしている。
ピーター・ドウス Peter Duus 氏 :1933年生まれ スタンフォード大名誉教授。専門は日本近代史。ハーバード大で歴史学博士。英国帝国史研究で進展した「非公式帝国」論などを導入、戦前日本の帝国史・植民地統治研究に貢献した。早稲田大などで数えたこともある。日本人ドウス 昌代 さんは 彼の妻であり作家でもある。
ダニエル・スナイダー Daniel C. Sneider氏:1951年生まれ。コロンビア大卒。スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長、元クリスチャン・サイエンス・モニター東京特派員:日米中韓台の比較研究で分かった 一番公正な歴史教科書は日本等 スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長としてアジアにおけるアメリカ外交及ぴ国家安全保障政策を研究中。参考記事:小沢一郎という男 「オバマ政権は冷戦時代の思考から脱却しろ」と 追記: 2014年1月9日、香港・中評社によるとスナイダー氏は日韓関係について、「日本高官との交流の中から見るに、日本には“韓国疲労症”が生まれている。日本はすでに謝罪は足りたと考えており、これ以上、韓国に譲歩する気はない。むしろ中国との関係改善に力を注ぐべきだと考えている」と指摘している。参照記事
YOUTUBEでヒットした映像 とかで、よく見りゃこのオランウータンは東京
の多摩動物園にお住みでした。それじゃ暑いはずです。しかし、まるで中にオヤジが入っているようなこの動作、、。説明は要らないでしょう。「ここはふるさとより暑いわ!」と言ったとか。昔、銭湯に行くと、こういうオヤジがいましたね。湯船にタオル突っ込んでくるのが、、。上のリンクで映像をご覧ください。紹介は、英国の MailOnline
2011年8月19日の、ひさしぶりのフィンランドからの国際ニュース。ヘルシンキの近郊、ラウッタサーリLauttasaari
島のカリKariに向かっていた、乗客54人を乗せたフィンランドの観光フェリー(船名:KING、翻訳記事ではフェリーだが、フィンランドの新聞ではVesibussiとあるので、日本で水上バスと呼ばれる小ぶりな連絡船でしょう)で、船長がトイレに閉じ込められ座礁した。 座礁により一部の乗客が軽傷を負ったほか、フェリー内の食器などが破損した。 船長不在の中、乗船スタッフがフェリーの減速に成功。 ただ、フェリーは停止することなく、ヘルシンキ近郊の海上にある岩にぶつかり、座礁した。 沿岸警備隊によると、船長は鍵の壊れたトイレから出ることができず、助けを求めていたという。現地新聞記事 修正加筆


事故は夕方の19時半ですが、白夜の時期なのでまだ明るかったでしょう。この辺は風光明媚で、夏はヨットなどが目に付きます。ちょっと気の毒な恥ずかしいニュースですが、よく知った場所からなので懐かしいいですね。燃料漏れもけが人も何も無く、まずはよかった。事件の少ない国ですから、こんなことが国際ニュースになってしまいます。フィンランド人にはちょっと気の毒のような、、。乗客は安全のため別な船に乗り換えました。写真右 参照記事
2011年08月23日 国内問題 政治
北方領土・国後島の関係筋によると、同島北部の海上で2011年8月21日、エンジンの無いゴムボートに乗っていた日本人男性 クリヤマ・ケイスケさん(漢字不明、1974年生まれ37歳)が無許可渡航の疑いでロシア国境警備隊に 拘束され、22日に島の中心地、古釜布(ロシア名ユジノクリーリスク)に移送された。クリヤマさんは、ロシアの入国査証(ビザ)を持たず、狩猟用ナイフとピストル(後にモデルガンと判明)を所持していたという。 当局は司法手続きを進めるかどうか検討している。伴野豊外務副大臣は記者会見で「ロシア側による北方領土での邦人逮捕や拘束は北方領土問題に関するわが国の法的立場と相いれず、遺憾だ」と述べた。参照記事
この逆のケースが2010年1月に在って、過去ブログ: ちょっとビール買ってくるわ、、って 、ウニ漁をしていたロシア人がゴムボートで根室まで酒を買いに来て警察に捕まった事件があった。領土問題は別にして、それだけロシアが近いという事件です。それにしても、目的は?
2011年8月23日:モデルガンやサバイバルナイフ、全地球測位システム(GPS)を 所持していたことが23日、捜査当局への取材でわかった。 捜査当局によると、拘束された男性はサバイバルゲームが趣味との 情報があり、特別な政治的思想はないという。ゲーム中にボートが流されて、同島に近づいてしまった可能性が あるという。現地報道などによると、拘束されたのは兵庫県在住の栗山圭輔さん(37)と みられている。 参照記事
2011年8月13日、反政府軍は、チュニジアからトリポリのカダフィ側への重要な輸送ルート上にある、トリポリ西部のAz-Zawiyah南部を制圧、市内の反政府側市民の協力もあり全市的に制圧も時間の問題となった。トリポリ南部Gharyanを制圧したが、カダフィ側との一進一退を繰り返している。東部はすでにZlitanを押さえ、トリポリはほぼ包囲された。NATO軍による空爆の支援もあり、カダフィ軍は戦力が低下していると報道されている。
右の反政府勢力の侵攻図はニュースの状況から判断し個人的に作成したものです。

2011年8月15日:トリポリ包囲が進む中、カダフィ大佐はトリポリ住民に祖国開放のために、武器を取って戦う事を呼びかけたと報道されている。写真はAz-Zawiyahに進攻した反政府軍で、カダフィ側のスナイパーによる犠牲を出し、空爆による同士討ちなどもありながらも全市制圧に向け進んでいる。
2011年8月16日:反政府側は、戦争6ヶ月になる8月14日、カダフィ側がはじめて弾道ミサイル scud missile=弾道兵器 Ballistic Weapons=大量殺戮兵器 Weapons of Mass Destructions を使用したことを確認した。ミサイルはシルトSirte(Surt、Syrte)の東80キロから打ち上げられ、東部の港町 Brega近郊の砂漠に着弾したが被害は無かった。このことは、カダフィ側勢力がミスラタより東の地域にまだ残存している事を物語る。作戦上重要な Az-Zawiyahは全市的に反政府軍が制圧した。過去ブログ:死を覚悟したカダフィ大佐⑪ リビア 国際軍空爆続行 英軍はカダフィ殺害を容認④ 2011年2月~アフリカ、中近東、反体制運動➁ 2011年2月~アフリカ、中近東、反体制運動と シーア派スンニ派➀
2011年8月18日: Az-Zawiyah制圧中の反政府側は早くも勝利宣言をし、8月末までにはトリポリのカダフィ政権を打倒する勢いだ。一方のカダフィ大佐は、強気で市民に徹底抗戦を呼びかけながら、自身のベネズエラへの安全な渡航を求める要求をしている。反米国家ベネズエラのチャベス大統領はすでに3月、カダフィ大佐に和平提案を提示し、大佐も受け入れを表明している。これに対し、反政府側の 国家臨時評議会National Transitional Council (NTC)は、カダフィ側とは如何なる妥協も交渉もしないと表明し、大佐の無条件国外退去を要求している。Az-Zawiyahでは、ホテルの上階等からスナイパーが反政府側を狙い撃ちしている状態が続いている。右はZawiyah市内で捕まった、カダフィ側狙撃者。反政府側の憎悪の対象になっている。2011年8月18日
2011年8月18日:反政府軍は、ミスラタ西方約100キロの場所で、民間人を含む150人が虐殺のうえ集団埋葬されているのを発見した。同時に発見されたビデオからは、カダフィ軍がミスラタの住民を誘拐し、のどを切っているのが確認された。
2011年8月21日:反政府軍はトリポリから西へ48キロのAz zawiyah、東へ112キロのZlitanを制圧
し、トリポリ西側から、前夜のNATO軍空爆の支援の下、一部の小グループがトリポリ市北西部から市圏内に侵攻し、銃撃音と爆発音が市内に響いている。カダフィ側は、市はカダフィ政権下にあると強気でいるが、トリポリ開放は秒読みに入った。日時と場所は不明だが、英国情報部M16は、現地の反政府情報部と連携し、カダフィ側が所有している ソビエト製対空携行ミサイルStrela missiles(右)を
盗み出す事に成功した。これはNATO軍の航空機に対して脅威になっていた。英軍は現在その性能を調査中で1980年代の物だが、性能が改造されている可能性がある。参照記事20日土曜日夜から市内各所で銃撃音が聞こえ、市内のイスラム聖職者は先にラマダン(断食)を終えて、反カダフィで決起するように市民に呼びかけている。左は、空爆で破壊されたトリポリ市内の建物。参照記事
情報が錯綜している。カダフィ側は市内は平穏だというが、アルジャジーラの情報では、20日土曜日夜からトリポリ市内に侵攻した反政府軍とカダフィ側との散発的な銃撃戦は21日、日曜日朝もトリポリ市内、郊外で発生している。一部のトリポリ市民は銃を手に、カダフィ軍に抵抗する行動に出ていて、口々に「神は偉大なり」とイスラムの教えを叫んでいる。市内のビルや建物にはカダフィ側の兵士が配置されているという状態で、反政府革命軍、反カダフィ市民、カダフィ政権側がトリポリ市内で複雑な市街戦を
展開する可能性がある。そうなれば人的被害は相当なものになるだろう。カダフィ軍は、市内から榴弾砲、対空砲での攻撃も行っている。2011年8月22日:右は日本時間21日夕方のアルジャジーラの反政府軍侵攻図 自前での侵攻図と同じで、今までの経過から、早い時期、少なくても今月上旬には3方向からの進撃を計画していたと想像できる。今回トリポリ東部のミスラタの反政府軍は海上から、200キロ離れたトリポリに侵攻した。途中にいるカダフィ軍を避けたのだろう。 地図参照記事 最新ニュース映像
2011年8月22日:21日日曜の夜、反政府軍はサヴィア方面からトリポリ北西部に到達し、
22日未明から市民は首都圏到達に歓声を上げ、花火を打ち上げて祝っている。西側から押し寄せた数千人の反政府軍に対し、意外なほどあっけなくカダフィ軍は降伏、撤退したようだ。ニュース映像人口170万
人の首都トリポリ全面制圧はまだだが、6ヶ月に及んだ紛争は表面上の終結に向かっている。カダフィの次男 セイフイスラム氏Seif al-Islam(左)はトリポリ西部で拘束されたと反政府側は公表したが、カダフィ大佐については言及していない。長男のムハンマド氏Mohammed Gaddafi(左下)と家族はアルジェリアに逃亡。反政府側は、捕獲した息子を、戦争犯罪裁判のため、オランダのハーグHagueに送ると主張している。住民虐殺を指揮した容疑がある。彼らや家族は無傷で、反政府側は彼の生命の安全を保障するコメントを出している。今後首都
中心部への制圧がスムーズに行くかは予断
を許さず、市内には熱狂的カダフィ支持派も多数存在し、カダフィ側が市民を盾に交戦する可能性もある。また、寄せ集めの反政府軍の中で派閥抗争が起きる可能性もあり、より複雑化し、犠牲者が増大するのは避けられないだろう。無事終結しても、各地で起きている大量虐殺の責任が誰にあるのかという大きな問題を含んでいる。右の地図は、日本時間22日昼過ぎの、判明している反政府軍制圧地区と交戦中地域で、一部小グループが中心まで侵攻したと言う情報もある。反政府側は、カダフィ側の実際のコントロール地域は、全市の15~20%ほどだとコメントし、それ以外は制圧したと一部が報道した。
2011年8月22日:リビア国民暫定評議会Libyan Transitional National Council ,の代表者(議長)の1人マハムード・ ジブリルMahmoud Jibril氏(右)は、リビア反政府勢力管理下のテレビに出演し、反政府勢力の支持者らは、カダフィ大佐を支持する国民および外国人に対して復讐してはならないと呼びかけた。参照記事彼は2007年から2011年旬まで、カダフィ政権の下で国家経済開発委員会議長で、次期政権を担う可能性が高いと思っている。まだ報道されないが、すでに市内では両陣営による大量虐殺が起きているという指摘もあり、日曜日のカダフィ氏の居住区がある バーブ・アジジヤBab al-Azizyah地区への反政府軍侵攻支援のNATO軍の空爆や双方の激戦で1300人が死亡、5000人が負傷したとも言われている。

2011年8月23日・拘束されたと言われていたカダフィの次男 セイフイスラム氏Seif al-Islamが22日バーブ・アジジヤBab al-Azizyah地区に姿を現し(右)、健在をアピールし「父親は?」との西側ジャーナリストの問いに「もちろん元気だ」と答えた。
長男のムハムメドMohammed Gaddafi氏は、捕虜となり自宅監禁中だったが、親カダフィ派兵士の助けを借りてアルジェリアに逃亡したといわれ、氏を解放した兵士達の動機については伝えられていない。 また、22日夕方遅く、複数のマスコミは、モスクワへの留学経験を持つカダフィ大佐の7男ハミス氏が死亡した可能性があると報道した。 参照記事
カダフィ氏には、7人の息子がいるが、長男を除 き、残りはすべて第二夫人との間の子供。 なお6男サイフ・アル=アラブ氏は、4月30日から5月1日にかけての深夜行われたNATO軍のカダフィ大佐官 邸空爆で死亡している。 又、カダフィ大佐には、第二夫人との間に娘がいる。この他にも、養女ハナ・カダフィHana Gaddafiがいたが、1986年4月の米軍によるトリポリ空襲で亡くなっている。過去ブログ:ハナ・カダフィHana Gaddafiのナゾ リビア⑯

2011年8月23日:右はカダフィの住居へ侵入した反政府軍の兵士がカダフィの帽子をかぶっている写真。 市内では、カダフィ側の抵抗はまだ止んでなく、情報からは市内西から中心部へ後退したように見える。反政府側は「彼らは包囲された」と表現している。
一方、北大西洋条約機
構(NATO)軍は23日未明、カダフィ氏の居住区がある バーブ・アジジヤBab al-Azizyah地区に再度空爆を行った。 アルジャジーラによると、反体制派は同地区への攻撃準備を進めている。 ロイター通信が8月23日NATO当局者の話として伝えたところでは、カダフィ派は22日、なおも 支配下に置く中部シルトSirte(Surt、Syrte)付近から北西部ミスラタMisrataに向け、スカッドとみられる短距離ミサイル 3発を発射した。参照記事2011年8月23日
カダフィ居住地制圧のYOUTUBE映像

2012年10月:サフィヤ夫人らは2011年8月
のカダフィ政権崩壊に伴いリビアの隣国アルジェリアに逃亡し、オマーン当局者によると、一行は2012年10月にオマーンに入国していた。その後2013年3月25日、アラビア半島のオマーンの政府当局者は、リビアの最高指導者だった故カダ フィ大佐のサフィヤ夫人、長男ムハンマドMohammed Gaddafi氏右下左、五男ハンニバルHannibal Kadhafi氏:写真右下右、長女アイシャ氏の亡命を受け入れたことを明らかにした。政治活動をしない 条件で政治亡命political asylumが認められた。
写真家のVitaly Ktachさんは、偶然目にしたその光景に一瞬困惑したが、あまりのかわいらしさに写真を撮らずにいられなかった。それは、ウクライナ(左、緑)の オデッサ動物園Odessa Zoo, Ukraineでの出来事で、まだ子供の鹿とネコが仲良く戯(たわむ)れているというもの。一緒に歩き回り、休んでいても互いに摺り寄う仲の良さです。この記事のタイトルには、当然のようなオヤジギャクが、、「あれはなんだろうね、マイ デアーWhat's that, my deer?」。 デアー:鹿(deer)とデアー:親愛なる(dear)をかけています。参照記事 それにしても、ネコと鹿さえ仲良くなれるのに、最近の世界情勢には、、
ついでだが、ウクライナと中国の航空母艦「ワリヤーグ」の関係も添えておこう;怖いクズ鉄 中国空母ワリヤーグ 実は、これを調べていて出くわしたのが下の写真だった。


東日本大震災で被災した岩手県の岩手大学(盛岡市)と釜石市立釜石中学校の剣道部員計24人が2011年8月17日、モスクワで、ロシアの剣道愛好家約50人と合同稽古(けいこ)を通じて交流を深めた。大震災で思うように稽古ができない若者を支援しようと、ロシア剣道連盟が招待した。一行はモスクワに続いて東シベリアのクラスノヤルスクを訪問し、地元剣士らと8月21日まで交流する。参照記事
クラスノヤルスク(Красноярск クラスナヤールスク; Krasnoyarsk )が選ばれたのは、ここで2008年ロシアの剣道選手権が実施され、大きな成功を収めたからだ。クラスノヤルスクにあるシベリア連邦大学はシベリア地方で最も新しい大学に数えられ、イノベーション活動のみならず、スポーツでも国内の大学の中でぬきんでた成績を収めている。しかも本大学ではシベリアにおいて唯一東洋言語が学ばれており、日本文化センターも設立されている。日本の代表団の随行も日本文化センターが喜んで引き受けてくれた。同センターは1997年、橋本龍太郎元首相が当時のエリツィン大統領を「ノーネクタイ」
外交で訪れた後、設立された。同センターで日本語を学ぶ学生たちは自分たちの町の観光名所を見せ、生きた日本語と触れる機会を持ったことを喜ん
でいる。参照記事
シベリア中部のクラスノヤルスクはまた、別な歴史を持っている。八戸市吹上の小澤武男さん(87:左)は、太平洋戦争後、旧ソ連軍の捕虜としてシベリアに抑留された。厳寒の地で、飢えと戦いながら重労働を強いられた3年間。クラスノヤルスク、ウラル山脈中部のスベルドロフスクなど数カ所の収容所を転々とし、木の伐採や農作業、鉄道建設などに従事。
「丸太を運ぶ作業が一番きつかった」と言う。
屋外は氷点下30度。革製の防寒着を支給されたが、仲間の手は凍傷になった。食事は麦のおかゆだけで、道ばたの草を口に運んだこともある。地面に掘られた
穴に粗末な屋根をかけただけの寝床に、2人で1枚の上着をはおって眠った。朝になると息絶えていた仲間も多い。遺体は凍らせた後で、そりに載せて運び、土
葬したという。
「今の時代とは違いすぎて、理解してもらえないかもしれない」。小澤さんはそう言った上で、静かな口調で続けた。「戦争ほど愚かで残酷なものはない。平和の大切さをかみしめ、平和を守ってほしい」と語る。多くの英霊が同じ言葉をつぶやきながら亡くなったと思う。今の世に、安易に、一見勇ましく戦争を叫ぶものは、実際はその実態を知らず、知ろうともしない、単なる目立ちたがり屋のニセの愛国者であろう。戦争の悲惨さと被害を思えば、一国の責任者は一死を省みず回避の努力を果すべきだ。そこには、無知な無法者に対する国の警備である防衛も含まれる。理想は武器の無い世界だが、残念だが世界はまだ、そこまで成熟していない。 参照記事より抜粋 シベリア抑留YOUTUBE映像 ウズベキスタンと日本兵 あるシベリア抑留
アフガニスタンの首都 Afghan capitalカブール Kabul で、2011年8月19日、イギリスの文化交流機関「ブリティッシュ・カウンシルBRITISH COUNCIL」の施設が。反政府武装勢力タリバンの自爆テロを含む攻撃を受け、ニュージーランドの兵士、地元警官8名、警備員を含む少なくとも10人が死亡し22人がけがをした。建物の前で、爆発物
を積んだ車が爆発し、武装グループが建物に侵入し、爆発は5回確認され、8時間以上にわたって施設に立てこもり銃撃戦となった。
反政府武装勢力タリバンは、関与を認めたうえで、19日が1919年にアフガニスタンがイギリスから独立した記念日に当たるとから、あえ
てイギリスの施設を標的にしたと言及している。この惨劇の中、二人の英国女性教師と南ア出身の女性は、最初の爆発後地下の避難ルームに5時間閉じこもり、難を逃れた。また、最初の攻撃を撃退し、被害を抑えたネパール兵(勇敢で有名なグルカ兵)の功績をたたえている。参照記事 YOUTUBE映像

カブールは、アフガニスタンの中でも警備が厳しく、比較的治安が安定しているとされているが、ことし6月に も高級ホテルがタリバンに襲撃され、外国人宿泊客ら12人が死亡するなど、テロが散発的に起きている。アフガンではすでに一ヶ月前から、2014年を目処に、NATO軍から国内警護をアフガン軍に移行する準備が始まっているが、首都の、それもど真ん中で大規模なテロが起きるようでは前途多難に見える。
過去関連ブログ」 アフガン、パキスタン報復テロ続発 イスラム教徒よ、武装ほう起せよ!と、、。
クリントンHillary Clinton米国務長官は2011年8月19日、アフガニスタンの首都カブールと、同日、パキスタン北西部のパキスタンの部族地域ジャムルードにあるモスクmosque in the town of Jamrud (イスラム礼拝所)で起きた礼拝者を狙った自爆テロ事件(少なくとも56人が死亡、123人が負傷)に関してそれぞれ非難声明を出し、テロ掃討に取り組む両国を引き続き支持していく姿勢を強調した。右はパキスタンのモスクの自爆テロに使用された金属の玉で、殺傷力を高めるために爆弾に混入されている。
2011年8月28日:アルジャジーラは、8月22日にパキスタン領内北部、部族地域のワジリスタン Waziristan regionで、アルカイーダのNO,2と言われ、国際指名手配されていたアティーヤ・アブド・アル・ラマーン(アティヤ・アブドゥルラフマン)Atiyah Abd al-Rahman司令官が殺害されたと米国情報部からの内密情報として報道した。彼はオサマ・ビンラディンの盟友でもありリビア人で、当時は作戦の指揮官でイランでのアルカーダの特使だった。詳細は公表されていないが、殺害は米軍無人攻撃機によるものと推定されている。参考:国際指名手配テロリスト一覧2011年9月9日:パキスタンタリバンは、9月2日にパキスタンとアフガンの国境付近の部族支配地域で誘拐した30名ほど青少年と、パキスタンのペシャワールの刑務所に居る囚人の交換要求を提示し、同時に Bajaur地区で破壊した住居の補償、タリバンへの攻撃をする部族への支援を止めるようにパキスタン側に要求した。要求はタリバン司令官Mullah Dadullah名で出されたが、彼は2007年5月12日、カンダハルで死亡したとされている。
適度にワインを飲むのはビールよりも健康によいとかは以前にも聞いたことがあるが、その効果が長年の調査研究で裏付けられたという記事がある。1日に1~2杯のワインは、アルツハイマー、痴呆症や知覚障害を23%も軽減する効果があり、適度のワインの常飲が、動脈や心臓血管によい効果をもたらし、さらに脳にもよい影響を発揮する事がLoyola University Chicago Stritch School of Medicineの研究結果で得られた。これは140の研究機関が、1977年までさかのぼって36万5千人を対象に調べた結果だそうです。参照記事 比較的短い記事なので詳細は不明で、広い意味では日本酒もワインですが、その辺には触れていません。
お盆にぴったりというか、ヘンテコな事件が米国から、、。2011年8月16日、米国カリフォルニア州の警察が、麻薬捜査中に発見したのは24個の盗まれたらしい墓石。
カリフォルニア州ロマリンダLomalindaにある合成麻薬の一味のアジトの裏庭で見つかった花崗岩の墓石は、価値にして350万円ほどのものだが、何のために盗んだのかは判明していない。
なんでもありのギャングの事、転売して稼ごうとしたのか、それとも仲間の墓石費用を節約したのか?


次もお墓の話で、米放送局KTLA-TVによると、得体の知れない墓が現れたのは、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊の街にある公園。周辺住民の話では、草地の中に墓石が 建てられていることに気が付いたのは2011年7月18日頃で、それ以前に墓はなかった。この付近に15年住んでいるというKaren Manginiさんは、18日未明1時に歩いて見つけ、あまりの不気味さに「Oh my God」と口にし、別な住民は映画の小物だと思った。

その不気味さもさることながら、住民たちが気味悪いと感 じているのが、石に刻まれた情報だ。米国の相場で「5,000ドルから1万ドル(約38万円から約77万円)」とされる立派な大理石の墓には、「愛すべき夫であり父親であり医師 ジェフリー・ラング 'Loving Husband Father and Physician Jeffrey Lang.'1976-2012」と刻まれている。しかしKTLA-TVの 調べでは、周
辺の住民はおろか、州に登録されている医師のリストにもこの名前は見つからない。そして名前の下に刻まれた年月を見る と、1976年生まれとされるこの男性の没年が“2012年”と未来を示している。墓そのものに加え、建てられた場所、男性の正体、未来の没年と、なにや ら謎だらけの墓。「誰かが悪ふざけ practical jokeしたんだ」と話す住民もいるが、公園が自治体の管理下ということもあり、7月末の時点では遠巻きに見守る程度で、撤去を促す動きにまではなっていないという。参照記事 英文参照記事
過去のPKKに関するブログは 2007年12月:クルド労働者党(PKK)、闘争の23年間 2008年1月:イラク北部クルド人自治区と国際紛争(1)修正 2月:新しい戦争、名前はまだ無い。(2) トルコーPKK戦争(4) トルコとPKK(5) 2008年3月:トルコ vs PKK (6) 2009年5月:PKK(クルド人過激派)の仕業か?家族抗争?45人殺害! 2010年5月:トルコがイラク北部を爆撃
2011年8月11日:トルコ情報筋が得た情報によれば、クルド労働者党PKKは大規模なテロを計画していて、トルコ治安機関が警戒態勢に入っている。テロ計画には2011年8月30日の戦勝記念日
のパレード襲撃をはじめ、軍、文民施設の攻撃、要人をはじめとする軍人、公務員の暗殺、誘拐、自爆攻撃等、また現政権の民主化に対する攻撃テロも含まれている。またシリア系のFehman Huseyin(左)がそのテロの指導者として指名されており、PKKはクルド人 Kurdishの多い地域ではすでに要員の武装を始めているとのこと。またPKKの狙っている主要な地域はHakkari, Van, Muş, Bingol, Diyarbakır and İstanbul。2011年8月11日の情報

2011年8月17日:PKKは南東部ハッカリ県 Hakkari provinceでトルコ軍の車列を襲撃。兵士8人と民兵1人が死亡し、15人が負傷した。トルコのエルドアン首相は「われわれの忍耐はついに尽きた。テロと距離を置かない者たちはその代償を支払うことになる」と、PKKへの報復を表明。右軍人の葬儀
2011年8月18日:トルコ軍は18日、イラク北部やトルコ領ハッカリ県Cukurcaに拠点を置くクルド系武装勢力 Kurdish rebelsに対しジェット機や迫撃砲などによる激しい報復攻撃を行った。トルコからの独立を目指すクルド人労働者党(PKK)によるテロへの対抗措置とみられる。同日夜、トルコ南東部の空軍基地から少なくとも軍用機12機が出撃。軍は詳しい攻撃目標について明かしていないが、迫
撃砲による攻撃は168カ所に上り、さらに軍用機による爆撃も計60カ所で行ったと明かした。治安筋によると、標的の中にはPKK司令官の居住施設も含ま
れていたという。
トルコ地上軍が2008年以来の、イラク側へ越境攻撃の可能性もある。またクルド人武装組織、クルド自由生活党(PEJAK)側は、越境したイラン西部でイラン側革命防衛隊とも2011年7月25日軍事衝突を起こしている。現在、イラク国内少数派シーア派が主導権を握るイラク政権に対しては、スンニ派クルド人は。その差別的扱いに対し、イラク北部の分離独立(現在はイラク領クルド人自治区)を長年主張し、テロ行為にまで発展している。クルド人は、自らの国家をもたない民族としては世界最大規模で、約30年になるこの独立紛争では、今までに4万人が亡くなっている。 参照記事 YOUTUBE映像
左の黄色い部分は2008年当時のクルド人分布。大きくは4カ国にまたが
る。赤い部分にクルド過激派の拠点、キャンプ地があった。17日のテロはこの赤い部分で起き、目前までトルコ軍が迫ってきたためのPKKの反撃で、トルコには十分予想できる衝突だったはずだ。全面戦争になる可能性があるク
右はイスラム教スンニ派(sunni)、シーア派(shia)の分布図、クリックで拡大する。一般的には、壊滅状態のアルカイーダも反米、反ユダヤのスンニ派に分類されている。
2011年10月19日:18日Pkkの攻撃でトルコ側に26人の死者、22名以上の負傷者が出た事で、トルコ軍はクルド人PKKに対して地上と空からの攻撃を行った。場所はハッカリ県のCukurca とYuksekovaの複数の地域で、トルコ軍はイラク領に侵入しPKKを追撃している。トルコ側は「復讐」と表現するほどPKKに対し敵対心をあらわにしている。イラク側からのコメントは無いが、反イラク政府のPKKへの越境攻撃は黙認のようだ。26人の死者は、軍人、警官、民間人で子供も含まれている。ここ数年では最悪の被害で、PKKは100人規模で軍や警察施設を爆弾などで同時攻撃をした。
2011年8月11日:トルコ情報筋が得た情報によれば、クルド労働者党PKKは大規模なテロを計画していて、トルコ治安機関が警戒態勢に入っている。テロ計画には2011年8月30日の戦勝記念日
のパレード襲撃をはじめ、軍、文民施設の攻撃、要人をはじめとする軍人、公務員の暗殺、誘拐、自爆攻撃等、また現政権の民主化に対する攻撃テロも含まれている。またシリア系のFehman Huseyin(左)がそのテロの指導者として指名されており、PKKはクルド人 Kurdishの多い地域ではすでに要員の武装を始めているとのこと。またPKKの狙っている主要な地域はHakkari, Van, Muş, Bingol, Diyarbakır and İstanbul。2011年8月11日の情報
2011年8月17日:PKKは南東部ハッカリ県 Hakkari provinceでトルコ軍の車列を襲撃。兵士8人と民兵1人が死亡し、15人が負傷した。トルコのエルドアン首相は「われわれの忍耐はついに尽きた。テロと距離を置かない者たちはその代償を支払うことになる」と、PKKへの報復を表明。右軍人の葬儀
2011年8月18日:トルコ軍は18日、イラク北部やトルコ領ハッカリ県Cukurcaに拠点を置くクルド系武装勢力 Kurdish rebelsに対しジェット機や迫撃砲などによる激しい報復攻撃を行った。トルコからの独立を目指すクルド人労働者党(PKK)によるテロへの対抗措置とみられる。同日夜、トルコ南東部の空軍基地から少なくとも軍用機12機が出撃。軍は詳しい攻撃目標について明かしていないが、迫
撃砲による攻撃は168カ所に上り、さらに軍用機による爆撃も計60カ所で行ったと明かした。治安筋によると、標的の中にはPKK司令官の居住施設も含ま
れていたという。
トルコ地上軍が2008年以来の、イラク側へ越境攻撃の可能性もある。またクルド人武装組織、クルド自由生活党(PEJAK)側は、越境したイラン西部でイラン側革命防衛隊とも2011年7月25日軍事衝突を起こしている。現在、イラク国内少数派シーア派が主導権を握るイラク政権に対しては、スンニ派クルド人は。その差別的扱いに対し、イラク北部の分離独立(現在はイラク領クルド人自治区)を長年主張し、テロ行為にまで発展している。クルド人は、自らの国家をもたない民族としては世界最大規模で、約30年になるこの独立紛争では、今までに4万人が亡くなっている。 参照記事 YOUTUBE映像左の黄色い部分は2008年当時のクルド人分布。大きくは4カ国にまたが
る。赤い部分にクルド過激派の拠点、キャンプ地があった。17日のテロはこの赤い部分で起き、目前までトルコ軍が迫ってきたためのPKKの反撃で、トルコには十分予想できる衝突だったはずだ。全面戦争になる可能性があるク右はイスラム教スンニ派(sunni)、シーア派(shia)の分布図、クリックで拡大する。一般的には、壊滅状態のアルカイーダも反米、反ユダヤのスンニ派に分類されている。
2011年10月19日:18日Pkkの攻撃でトルコ側に26人の死者、22名以上の負傷者が出た事で、トルコ軍はクルド人PKKに対して地上と空からの攻撃を行った。場所はハッカリ県のCukurca とYuksekovaの複数の地域で、トルコ軍はイラク領に侵入しPKKを追撃している。トルコ側は「復讐」と表現するほどPKKに対し敵対心をあらわにしている。イラク側からのコメントは無いが、反イラク政府のPKKへの越境攻撃は黙認のようだ。26人の死者は、軍人、警官、民間人で子供も含まれている。ここ数年では最悪の被害で、PKKは100人規模で軍や警察施設を爆弾などで同時攻撃をした。
インド南部ケララKerala州の州都トリバンドラムにあるヒンズー教寺院「スリー・パドマナーバスワーミ寺院 Sree Padmanabhaswamy temple 」の地下室から2011年7月4日までに大量の金貨や宝石などが見つかり、寺院側は200億ドル(約1兆6千億円)以上と主張している。 タイムズ・オブ・インディアなどによると、150年近く閉ざされたままだった寺院地下の4部屋を調査したところ、金貨約1トン、金装飾品約1トン、ミャンマーやスリランカ産出の大量のダイヤモンド、エメラルドやルビーなどで飾られた神の像などが見つかった。参照記事野次馬心理で、どんな宝物があったのか見たいものだが、さっぱり公開しない。下に少し見えてきた財宝の写真を載せる。2011年8月1日再調査があり、その価値が200億ドル $20 billion約1兆6千億円と確認され、同時に入り口には盗難防止のため急遽金属探知機が設置された。 下左の金のビシュヌ神Lord Vishnuは高さ30cm、重さ30キロ。壷などは大体1個5キロの重さ。純金製
寺側はじきに財宝を一般公開する予定。最近の金価格の高騰で、価値は倍増しているでしょう。


四川省カンゼ・チベット族自治州で2011年8月15日12時半過ぎ、チベット人ラマ僧が中国政府の制圧に抗議するためガソリンをかぶって焼身自殺した。その直後から、大量の警察がその僧侶が所属する寺院を包囲した。それを受け、現地のチベット人住民が寺院側の声援に駆けつけ、警察と対峙しているもよう。
15日正午、カンゼ州タウ県にあるニンツォ・ゴンバ(霊雀寺、またはNyitso Monastery ニンツォ修道院)の僧侶ツェワン・ノルブTsewang Norbu さん(29歳:右)は県政府の前で大量のビラを撒いた後、ガソリンを被り焼身自殺を図って死亡した。目撃者の証言によると、ノルブさんはそのとき、「チベット人は自由がほしい “We Tibetan people want freedom,” 」「ダライ・ラマ万歳"Long Live the Dalai Lama"」「ダライ・ラマをチベットに帰還させて “Let the Dalai Lama return to Tibet,”」などと叫んでいた。 骸(むくろ)をさらす、君の願いが世界に届かん事を。合掌 参照記事英文 参照英文記事、、寺には約百人の 僧侶が生活しており、その出入りが禁止されており、水と電気、食品の供給が止められた。また、事件直後から現地への外国人の立ち入りも禁止された
という。、、 現地の電話とインターネットが通じなくなっている。、、 四川省では近年、チベット人の抗議事件が多発している。今年3月にも、四川省アバ県の若い僧侶が焼身自殺を図った。駆けつけた警察が彼に暴行を振るった
ため、数百人のチベット人と僧侶が集団抗議に出た。後に中国政府は現地で戒厳令を実施、300人以上の僧侶を強制連行した。その所在はいまだに不明であ
る。 国連人権調査チームは6月、中国政府に対して、これらの僧侶の行方と近況の開示を求めたが、中国政府は対応しなかった。以上、
参照記事より抜粋 加筆 過去ブログ」:中国、チベット人への弾圧続く(チベット17)
中国国内には詳細は報道されないと思うが、歴史を知らない中国人の言い分は決まっていて「中国領なんだからチベットは反発するな」と言うものだ。しかし、その過程チベット(4)開放?これが。を知れば、そんな単純な話ではないのだ。チベット(1)オリンピック粉砕の前兆か? チベット(3)は渡さない! チベット(5) チベット(8)ネパールと中国 チベット(12)坊主憎(にく)けりゃ袈裟(けさ)まで憎い また失言ですか。田中元外務大臣(チベット 15) 偶然か?中国の国内デモ(チベット16)
個人的に密かに思っていることだが、中国が密かに進める漢族優先の民族浄化。どうしてもヒトラーのナチスの思想とダブルし、近代史でそんな事をあからさまに行った政権は他に無い。両方とも、大衆が沸き立つような思想を常に民衆に向け生産し、さも民衆の大意を反映したかのように、遠回りして政治に取り込んでいく。政治の舞台装置はより視覚的で派手で規模が大きく、それは無言で民衆を圧倒し敬服させる。そして密かに、漢民族中心の民族主義に走っている。目指しているのは何か?単一民族による、単一な価値観を持った帝国か?少なくても自らの修正主義で壊した共産主義国家の再生ではないだろう。それはソビエトが見事に失敗してくれた。そういえば、ヒトラーも超高速列車網でヨーロッパすべてを押さえ込む夢を描いていた。そして、排他的’(チベットと中華思想)で利己的な部分でもよく似ている。 参考:中国が嫌われる7つの理由
シベリアのカムチャッカ-Kamchatsky半島で2011年8月13日の日中、森林でヒグマbrown bearが人を襲い、男女2人が死亡する事件が起きた。地元民の話では、川原で住民が休んでいたところに突然森からヒグマが現れ、人に襲い掛かった。、、現地ではここ1年ヒグマが人を襲った例はなかった。(この熊をツキノワグマと訳している記事もありますが、英文ではbrown bearとなっていて、真っ黒なツキノワグマとは違う記述であり、生息分布や参考写真からもヒグマが適当なので、ここではヒグマと訳します)上が最初のこのニュースのボイスオブロシアからの抜粋だが、この事件、実は想像を絶する前代未聞の悲惨なできごとだった。参照記事より抜粋、抄訳。熊の写真は参考写真
犠牲者の二人(左)は、一緒に釣りに出かけた オルガ・モスカヨワ Olga Moskalyovaさん 19歳と継父(けいふ、ままちちStepfather)の イゴール・チガネンコフIgor Tsyganenkovさんで、襲ったのは母ヒグマと3頭の小熊だった。先にイゴールさんが襲われ、首の骨を折られ、頭を割られて死亡し熊に食われていた。それを草むら越しに見たオルガさんは60mほど逃げたが熊に捕まり、襲われたオルガさんは、自分が熊に食べられている最中の、絶望的な状況の中で母親に携帯電話を掛け助けを求めたのだ。電話を受けた母親が冗談だと思ったその内容は、、。
「ママ、熊が私を食べている。ひどく痛い!、、ショックで死にそうだ!」というものだった。同時に聞こえてくる獣の息遣いなどから、やっと現実を理解した母親は、オルガさんの近くにいるはずの夫のイゴールさんが、すでに死んでいるとは想像も出来ず電話をする
が応答は無い。あわてて警察に電話をした時、マルガさんから2度面目の電話が入った。弱弱しい声で「ママ、熊が後ろにいる。戻って3頭の小熊を連れて来て、、彼らが私を食べている、、」
その電話も途切れ、最後になった電話は、最初の電話から1時間後で、熊はすでに立ち去っていた。目前の死を悟ったのだろう「ママ、もう噛まれていない。痛みも感じない、、今までのことごめんなさい。すごく愛している、、。」これが彼女の最後の電話だった。
それから半時間後、警官と父親の兄弟ら数人が現場に付いたが、目にしたのは、まだイゴールさんを食べている熊の姿と、無残な姿で死んでいるオルガさん(左)だった。その後駆けつけたハンター6人によって、母熊と3頭の小熊は射殺された。オルガさんは最近音楽学校を卒業し、数日前に運転免許を取ったばかりだった。二人は2011年8月17日埋葬された。ご冥福をお祈りします。偶然、熊の話題が続いたが、(北極クマ凶行の原因は歯痛! )、この事件でクマが凶暴だとは思わない。この事件は不幸な事故だったが、一番人間と接触したくないのは野生のほうで、じわじわと人間は野性を追い詰めつつある。追いつめれば牙をむくことも、敵対してくることもあるだろうし、それは人間も同じだ。残された自然の中で、野生を単に自然に放置するのでは無く、生態系や個々の個体管理も含めてしっかりと管理し、野性と共生しなければならない時代に入ったのかもしれない。人間はすでに、実に多くの野生を抹殺してきた。食料にしたり、遊びの狩猟だったり、彼らの聖域に勝手に踏み込んで、勝手に危険だとして殺しまくってきた結果だ。野生に対する、出来うる最大の配慮を、そして殺す前に何かできることはないか考えてもらいたい。その配慮こそが、人間同士が平和に暮らしていく社会の倫理や、無くしてはならない人間の優しさにつながると信じている。
以前のブログ 英国の修学旅行北極クマに襲われる で、北極熊polar bearに英国の生徒が襲われ 、Horatio Chapple君17歳(左下)が若くして犠牲になったニュースを書いたが、その後の射殺された北極熊の検死から、その異常な行動の原因とも思える検死結果が見えてきた。獣医師のYtrehus Bjornar氏によれば、熊は牙の部分が腐り、神経が
露出していた状態で、相当な激痛を抱えていたと想像でき、これでは満足な獲物の捕獲も難しく、結果的に相当空腹だったに違いないだろうと結論付けている。それが熊を、手近なエサを求めて人間に近づくという異常な行動に駆り立て、さらに性質を凶暴にさせたようだ。熊の歯はそれほど状態が悪く、襲われた4人の生存者のうち、頭をかじられたPatrick
Flinders, 16歳の頭骨にはその破片が刺さっていた。この調査結果に、亡くなった生徒の父親は「(この検死結果で)あの惨劇を多少理解でき、熊を責めるつもりは無い」とコメントしている。重傷を負った29歳のリーダーは、今日3回目の手術を受ける。参照記事 ほか。