2011年02月



すでに日本では以前から輸入販売されているが、イメージが沸かないので 動画で紹介
これがエコ商品として話題で、中国企業が合弁事業で開始するというニュース。すでに販売している 松村洋紙店 の資料からみると木材を使わない事でかなり環境にはよいようだ。特性は上の図で分かるが、書いていないのはコストだけ。ここに中国企業が目をつけたようだ。:欠点は?参考記事
2017年9月8日:この「ストーンペーパー」に台湾で出会った山﨑敦義氏は、輸入販売を目指して2011年にベンチャー企業「TBM」を立ち上げ、ストーンペーパーの日本総代理店として日本で輸入販売を開始した。しかし日本では全く売れず、それには3つの大きな問題があった。
1つめの問題が「重さ」で、石灰石を原料にしているため、どうしても重量が有るため、名刺にするにも冊子に使うにも加工がしづらいうえ、日本の市場ではなかなか受け入れられなかった。
2つめの問題「コスト」で、 いくら環境への影響が低くても、やはりコスト高では売れなかった。最後が「品質」で、 台湾で作られたストーンペーパーのシートを、印刷工場に渡して印刷しようにも、品質が悪かったため、石灰石の粉が出てしまう問題があり、結果、インクがうまくのらなかったり、印刷機が止まってしまったりすることがあった。


100億円近い資金を集めた同社は、2015年には宮城県白石市に年産6,000トンのLIMEXを製造する第一工場を設立。現在、ここからLIMEXを日本中、世界中に提供し、近い将来量産工場を設け年間30,000トンの生産量を目指している。
2016年、TBMはシリコンバレーでベンチャー企業育成のための最も有名なアクセレーターの1つ「Plug and Play」で、世の中に最も社会的影響を与える企業として「ソーシャルインパクトアワード」を受賞。Plug and Play は、これまで60億ドル(6600億円超) の資金調達に成功しており、この受賞をきっかけにTBMは世界的にも一気に知名度を上げ、設立した米国法人には、数多くの投資家や協業先が門を叩くようになった。海外でもLIMEXの製造計画と工場が注目され、新たな“日本型ものづくり”が輸出品として復権を果たしつつある。
参照記事 参照記事:LIMEXの特徴、価格など

2021年9月27日:参考:ストーンペーパー市場、2030年末に売上高13億米ドル超過見通し ストーンペーパーの世界市場:業界動向、市場シェア・規模・成長率・機会および予測(2021年~2026年)

2011年2月20日;中国の一党独裁終結などを求める「ジャスミン革命」集会の呼び掛けを19日に詳しく報道した米国の中国反体制派系ニュースサイト・博訊新聞網がハッカー攻撃を受け、閉鎖に追い込まれた。インターネッ

2011年2月20日:バーレーンではイランと同じ多数派のシーア派がスンニ派王政に反発しているようだ。他の国と違い宗教が前面に出ている。
イエメンではデモで一人死亡
サウジアラビアはスンニ派国家だが、少数派シーア派のデモが起きている。いずれも宗教上の不満であり、民主運動とは温度差がある。この辺を区別してみる必要がある。スンニ派シーア派分布図はクリックで拡大します。
関連過去ブログ:何か歴史が戻っているような、、。エジプト、中近東

2011年2月21日;リビアのカダフィ大佐の息子は、首都トリポリにまで迫った市民のデモに対し、「最後の弾を撃ちつくすまで戦う」と市民に挑戦状を出した。一部の戦車は市民の手に落ち、市民はカダフィ体制がすでに崩壊したかのような興奮ぶりだ。彼は、死者は誇張されているとして「トリポリで14人、ベンガジで84人だ」と言っているが、すでに200名以上が犠牲なったと言われている。カダフィが軍人上がり、反欧米なのは知られた事で、そんな国へ武器を売っていた英国の責任は重いだろう。23日の報道では、空軍が市民に空爆をしたそうで、アルジャジーラの報道では死者は500人を超えているといわれ、造

25日、平和な国から見れば、とてもまともじゃない男の言動を追うのもつらいものがあるが、カダフィColonel Qadhafiは造反した国民をドブネズミといい、中国の天安門事件のように、デモ隊を叩きつぶすと言った。それを聞いた側近の秘書が拳銃で暗殺を試みるが失敗。攻撃司令を受けたパイロット2名がジェットから脱出、ジェットは墜落。命令違反した軍人が焼き殺されているが、地方


2011年2月26日:もともとカダフィも、1969年、腐敗した王政をクーデターで打破し改革開放を行ったヒーローだった。オイルマネーで国民には社会主義的な福祉を行い、650万人の国で100万人も公務員がいる。物価も安く安定し、識字率も88%と高く、貧困層もアフリカでは少ないほうだ。世界の2.1%の原油を算出する。
奇妙でラジカルな言動が西側の反発を招くが、この国にはこれで良いのではないかと思っている。未だに部族、王族のナゴリが残るこの国で、すべてのタガが外れればスーダンのような、慢性的騒乱の国になるだろう。今20代のリビアの若者が、本当の民主主義や資本主義、自由競争社会を分かっているとは思えない。それにしても、国民を撃てというのはやりすぎに見えるが、これが彼流のアラブ人の抑え方なのだろう。もしカダフィが消える事があれば、国民にはもっと厳しく残酷な未来があるような気がする。アラブ社会を、西側の尺度で理解するのだけは避けたほうが良い。それほどに、国情も気質も違う。右図は2月23日の読売新聞からのもの。
2011年2月28日:リビアのほとんどの都市が反政府側に掌握され、カダフィは首都トリポ


カダフィに引導を渡すのはアメリカか?最近のリビアは決して反米ではなく、米国とは協調路線に変化しつつあった。米国が動き出した。ヒラリークリントンは各国外相と調整に入った。リビア国内のアフリカンが脱出を始めた。カダフィ側が雇った傭兵に間違われるのを避けるためだ。恐らく傭兵は、戦闘に慣れた地続きのスーダン当たりからだろう。 この後の経過:「こりゃ ラクダ!」これはジョークだが、毒ガスはジョークではないような。リビア



記録に残る最後のあだ討ちは1880年(明治13年)で130年前、この年の12月、福岡藩の支藩秋月藩の 臼井六郎が11歳の時(明治元年《慶応4年・1868》5月24日早暁)に惨殺された父(臼井亘理うすい わたり)母(清子)、妹(つゆ:負傷とも死亡とも)の仇として東京上等裁判官判事補一瀬直久を東京・京橋三十間堀の黒田長徳(ながのり)邸内(現銀座6丁目)で刺殺。六郎は当時まだ幼く、父殺害は千城隊だとしか教えられなかったが、後年学友の一瀬道之助が兄・直久が暗殺の直接犯人だと漏らしたのを聞き、六郎は『仇討』を決意したという。六郎は以後文武に励み成長してから「天誅の名で眠ている父や母、子供まで殺傷したのは武士の行動としては許し難い」と熟考の末「仇討をしてしかるべき」と結論を出した。これが日本での武士道による最後の仇打ちだそうです(下の写真臼井六郎本人。) 一般に電灯が普及するのは明治15年以降、北海道の最初の鉄道、小樽から札幌までが開通したのは明治13年(1880年)でした。
ついでながら、その仇打ちの場面を残しておこう。
<仇討ち決行!>
今や一瀬は、新政府で裁判所判事となっており、静岡に居ると聞いて六郎は静岡へ行くが、既に一瀬は東京へ転勤になっていた。そこで上京した六郎は、一瀬の行方を探りながら北辰一刀流の山岡 鉄舟(左)の元で剣の腕を磨き、「自分も裁判官になればチャンスがある」と願書をだして熊谷裁判所の雇員となり機会を窺っていた。そしてたまたま、旧藩主黒田長沖邸で毎月1 回、旧秋月藩士を集めて碁会が開かれ、時々一瀬もそこに来ていることを聞き込んだ。明治13年(1880年)12月17日、六郎は黒田邸を物陰から見張 り、一瀬が館へ入 るのを見るとすかさず後を追い、階段を上りかけた一瀬に向かって「親の敵、覚悟せい。」と叫んだ。一瀬は最初ぎょっとした顔をしたが、すぐ翻(ひるがえ) し階段を駆け上ろうとした。そこで六郎は後を追い、13年来の仇一瀬に向かって、父の遺愛の短刀を突き立てた。引き抜いてはもう一度刺した。それから頸動脈を切断して 一瀬が絶命したことを知ると、六郎はゆっくりと館をでた。騒ぎを聞きつけ二階の窓から、たまたま六郎を知っていた者が「六郎、何をしたのだ!」と問いつめ たが、
六郎は、「邸内を騒がせ誠に申し訳ない。多年の恨みを御邸で引き起こした事について深くお 詫び申し上げる。」と深々と一礼し、門前の人力車に乗って警察に出頭した。この知らせを郷里の秋月で聞いた六郎の祖父遊翁は、垣根を飛び越えて隣家に駆け 込み、「六郎がやった! 六郎がやった!」と叫び、「今日は我が生涯最高の日じゃ、生きてて良かった。」と泣いたという。明治6年(1873年)2月7日、既に「仇討ち禁止令」が 発布されていた。当然六郎も罪人となり、長期の裁判は10か月係り、刑は終身刑であった。判決文は六郎の気持ちを十分に汲んだもので父親の冤罪もそそがれて六郎には満足なものだった。すなわち、明治政府下で裁判所職員が裁判官を殺害した殺人罪であるが、『仇討』として認められたのである。六郎は“復讐手続書”と題して、仇討ちに至った経緯を文章にしたためており、そこには 「国の法律を破って乱れを起こす事はまことに心苦しいが、自らの手で下さねば心は癒えなかった」との気持ちを書いている。
模範囚だった事もあり、帝国憲法発布の祝典により、罪一等を 減ぜられ、明治24年9月、獄中生活約10年で32歳で釈放され、出獄に際し、武士の誉れと盛会な慰労会があったと言います。右は出獄後の写真
明治38年に48歳でいゑという28歳の女性と結婚、その後六郎は、門司の饅頭屋を経て佐賀県の鳥栖駅前で仕出し参照記事屋(鉄道の待合所とも)を営んだりしていたが、大正6年(1917年)11月(9月とも)病死。墓は ふるさと秋月 の「古心寺」の両親(簡堂というのが臼井亘理の号で、清子はその妻)の墓の側に作られた。享年60歳。


父:臼井亘理うすい わたり:文武に優れ、特に陽明学を修めて江戸に遊学し尊皇攘夷の思想を身につけた。 明治元年(1868年)、臼井亘理が藩命で京にいた時、王政復古・大政奉還の詔が出る。京で幕府崩壊の近いことを感じた亘理は、「藩のためには朝廷側についた方が得策」 と考えるようになり、それに沿って行動していた。 これを変節と見た一派は、藩主へ臼井亘理の行状を悪し様に報告。亘理にはわけが分からないまま藩邸への出入りを禁じられ、やがて藩主の命で秋月(筑前国 夜須郡)への帰郷を 言い渡される。 1868年5月の始めに京を出て秋月へ戻って来た亘理は、帰郷を聞いて駆けつけた親戚・縁者・同士たちとその晩しこたま酒を飲んで眠りこけ、5月24日未明、野鳥(筑前国夜須郡秋月庄野鳥村:福岡県朝倉市(旧甘木市)秋月町野鳥)の 自宅で反対派急先鋒の千城(かんじょう)隊士数名に襲われ、亘理と横で寝ていた妻と幼い妹が殺された(妹つゆ3歳は負傷の資料もあり)。この千城隊は、幕 府体制維持(佐幕または左幕)にこだわり、後の秋月の乱(1876年:明治9年):右の絵 を起こした秋月党の母体で、暗殺の際直接手を下したのが隊士の一瀬直久(旧名:山本克己、または暗殺時は山本道之助だったとも記述がある)だった。参照記事 青春の城下町 参照記事 参照記事 他



一般に明治維新はこの西南の役を以って終期を迎え、政治的・経済的な近代的発展はここから始まったと言われるが、別な見方をすれば、明治13年(1880年)の最後の仇打ちでやっと武家社会から脱却したとも言えるだろう。参照記事 Vengeance:名詞復讐; 仇討ち; 敵討ち


大胆な侵入者は、作業員が残した残飯をあさり、高層ビル内を2週間うろつき滞在したが、このほどようやく保護され、 Riverside Animal Centre in Wallingtonで4日掛けて健康チェックされ、エサをもらって元気を回復して森に返されました。この、まだ生後6ヶ月ほどと思われる子ギツネの名前の由来なんですが、見つかった日がバレンタインデーだったそうです。今頃は森でジュリエットを探しているでしょう。捕獲をしたSouthwark Council pest control の人

左は発見された周辺next to the busy London Bridge station, called the London Shardの風景と、ひときわ高いビルがキツネのロメオが登ったビルの完成予想図。どうやって上ったかがミステリーで、階段からのようだと言われていますが、それより、どこからこんな都会の中心に来たのでしょうか?2012年完成予定のこのShard towerビルは、完成時の高さが1,016ft約310mになるそうです。あまりロンドンに似合っているとは思えないビルで、こっちの方が「場違いな侵入者」に見えるのですが、、。: 参照記事 参照記事 ほか




左下は、当時の原油流出ポイント、海上に漂流した原油の位置(青)、ミシシッピ、アラバマ海岸に原油が漂着した位置(赤)を示しています。(拡大可能:参照記事)。学者の多くが当時、原油の悪影響はしばらく経ってから長期にわたって発生すると警告していました。
参照記事、動画ニュース含む 2011年2月22日 関連過去ブログ:メキシコ原油流出後の環境汚染

スウェーデンでは、現在のシステムの下で、テレビ受信機をもっている人は、だれでも法的にラジオとテレビの受信料金を支払わなければならない。2011年には、SEK2,076(US$320:2万5千円だが年間なのか不明)の料金が請求される。徴収はスウェーデンの公共放送の一部Radiotjanstによって集められ、励行されている。スウェーデン人の10人のうちの9人が払う料金にもかかわらず、それがなぜ利用しなくても代価を払うべきであるかという疑問で論議を呼ぶようになった。
きっかけは、Moderate党の数人の主な会員、当時の文化大臣シシリア・ステゴ・チロエ(Cecilia Stego Chilo:写真右)らが受信料を支払っていなかった(別記事では16年間とある)ことから2006年に問題となり、Alliance政府の選挙に続いて、問題は政治議論に発展した。
Webテレビ(パソコンで見るTV)のサービスと視聴者の習慣変化(注:TVが無くてもパソコン、携帯、カーナビでTVが見れるという環境の変化)の開発は、システムがどう設計されているかという議論をさらに発生させ、スウェーデンの議会(スウェーデン国会)で討論され、その結果、あいまいなものは、排除すべきであるとなった。
例えば、日本のNHKと言う公共テレビが同じような状況ではないだろうか?お金の使途が完全に公に公開できないのであれば、そこにおかしな流れができていると言うことである。間違えても政治献金などと言うものが、そこにあったら許されることではない。すでにシンガポールも2011年1月1日に中止した。これは、世界中の流れになり始めている。 参照記事からの抜粋、加筆。(一部分かりにくい部分を勝手ながら修正してあります)
その後の経過では、スウェーデンでは、TVの受信料だけでなく、現職大臣の昔の税金不払いが問題化し、上記の議員を含め辞職があいつでいる。上の議員の場合、家庭教師時代の社会保障費等の不払いが問題化した。受信料徴収中止後、公共放送がどうやって運営されていくのかは、詳細な情報が無くて分かりません。
隣国フィンランドでは2011年から、それまでのTV所有者からの徴収を止め、メディア料としてテレビ、ラジオ、パソコンの所持、不所持に関わらず、一世帯ごとに年間175ユーロが課せられる。恐らく似たようなシステムになるのではないでしょうか。TVがパソコンや携帯で見れる時代になれば、こいういう税金と同じシステムが必要なのでしょう。フィンランドでは、一件当たりの金額は下がっても、支払い層の拡大により受信料(メディア料)収入の増大が見込めるそうです。 参考記事
受信料金をお調べになったよりばばさんのコメントを以下に紹介。
お節介で、検索してみました。「年間」でした。 ちなみに、その他の国は2005年の資料で
韓国2840円(電気料と同時に徴収)、イタリア16000円、フランス18560円、アイルランド24300円、イギリス25500円、ドイツ31000円、スイス45000円。 日本は割安な年前払いでは、衛星契約25520円、地上波のみ14910円。とありました。 公共放送というある意味絶大な権力を持つのにお金の使途が不明なのは、日本だけではないんですね。 以前、私も支払いストップを考えましたが、「あなたは、自分の子供に、支払う義務があるのに支払ってないことを言えますか?」という殺し文句に出会い、支払い続けています・・・。


先月は北島でゴンドウ鯨24頭が打ち上げれて死亡、2009年12月には北島の2箇所で合計120頭が死亡。動物学者の見解では、水中で


移動する艦艇からや潜水艦から、または軍港などが設置する海底の軍用ソナーからの音波がイルカやクジラ、ジュゴンなどに致命的な悪影響を及ぼす事はすでに知られている。沖縄の海軍、航空機基地問題、日本の近海で活動する日本、中国潜水艦、それを探索する多くの艦艇、すべてに音波が絡んでいる:対潜水艦ソナーに関して参考記事。
上の問題は海軍を持つ国なら触れてほしくない事のはずで、日本政府もこれには触れない。沖縄は世界でも有数なジュゴンの生息地である。海生哺乳動物の大量死が自然死ではないこと、その原因である軍事用音波に対して、どこの国も口を濁している事は知っておく必要があり、このことを持ってしても、他国の戦艦が自国の領海内を勝手に走行することは禁止すべきだ。特に自然保護の意識の無い中国艦船は。 参考記事:軍事ソナーの悪影響:関連過去ブログ:反捕鯨、どっちも意地になってないか?



まだ外の気温は低く、0度近かったそうで、そのせいか、鼻が赤くなっています。モグラも大変だな。なんか同情してしまいます。左は、増水で冠水した地域。参照記事

実は、この獲物、人間がライオンから横取りしたもの。その一部始終は YOUTUBE動画で
人間社会なら横領で犯罪ですね、、というわけでカテゴリーは「犯罪」。必要な分だけとって引き上げる彼ら。これも共存共栄なのでしょ

左下、残された肉の前で何か言いたそうなメスライオン。多分、、「んん、、。一番おいしいとことこ持って行かれた。」


メキシコ政府内の腐敗は深刻で、2008年12月には、その部署の最高責任



これをボンヤリ見ながら、ブログって何だと考えていた。ブログはノンフィクションだな。記録性もあるからドキュメントとも言える。これが本なら、進行形で未完成なノンフィクションの本だろう。どんな内容だろうと、多少でも自分の事やその時々の想いや、意図的に集約された記録やニュースの連続ならノンフィクションだろう。この本の完成は、書き手が書くのをやめた時だ。どういう結末になるか、書き手も分からない未完の本がブログじゃないだろうか?その一つひとつに、書き手も意識していない、書き手の個性の流れが読み取れるから面白い。

こういう家もいいな。いつか作ってみたいね。

2011年3月11日:日本で 2011.3.11
2011年3月18日:彼らは住民を死のふちに放置した!3重苦の福島県南相馬市
2011年3月24日:宮城県南三陸町役場危機管理課 遠藤未希
2011年4月6日:南三陸町防災対策庁舎 水没の様子
2011年4月10日;あまりに情けない点検業務ミス 東通原子力発電所1号機
2011年7月4日:松本龍復興担当大臣 こんな態度でスムーズな復興が??
ほかの東北大震災関連記事は、カテゴリ「事故 災害」で
2012年1月30日:NZ政府は、クライストチャーチChristchurch近郊Bexleyなどで、立ち入り禁止区域の建物を数年かけて取り壊していくことを公表した。対象地域は5千箇所に上り、2011年2月に続き、同年9月の地震後修復が不可能な状態になり、一部では建物が6フィート、1.5mも沈下している。これから所有者との交渉が始まる予定 参照記事

高速道路を横断して設けられた1,5mの壁には、サインも無ければ照明も無い。中国西部西安Xian, Shaanxi provinceに出現した壁には、1ダース以上の車の衝突の痕跡が残っていた。仕事で運転していた Zou Tieqinさん42歳もその一人で、「家族を乗せて運転していると、突然ヘッドライトの中に壁が現れ、ブレーキを掛けたが間に合わなかった、、。」が、なんとかエアバッグで助かった。補償を求められた工事側の言い分






今、TVでパンダのニュース流れているけど、野生のパンダは野生で生きてこそ幸せでしょう。誰も日本に来てくれなんて熱望してませんよ。すべては政治の話。かわいそうにパンダ。ネコは、人と共に生きてこそ家ネコとしての人生を送れます。チャーリー、遠慮しないで甘えてください。参照記事 :チャーリーに新しいマイホームが見つかったという施設からの報告: