2010年12月
2010年12月31日 個人
この新しいベビーカー、ローラーバギーThe Roller Buggyというオーストリアの商品です。なんと時速16kmが出るそうで、下り坂では、ママさんは乗っているだけで良いというのですが、なんとも少し危ない乗り物のような気がします。ベビーカーより、買い物にはいいかもしれません。確かにエコではあります。お値段は500英ポンド(6万5000円ほど)で、安全のため油圧ディスクブレーキ搭載で、開発者 Valentinさんは子供を持ったママさんの運動用にどうぞと言っています。楽しさと運動性を持つローラーバギー、開発者が言うように、確かに周りの注目を集めるでしょう。英国での本格的な販売展開は来年から、、。資料
動画資料
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シーア派教国イランの法廷は2010年12月30日、5年前に大学でのいじめを恨んで同級生に復習を計画し、待ち伏せて別人のDavoudさんに酸をかけて片目を失明させたとして、被告Hamidに イスラム教のシャリーア法Sharia lawに沿って、片目の摘出と被害者へ補償金を払うように命じた。イランでは「目には目を an eye-for-an-eye」という戒律が厳格に守られ、殺人には例外なく死刑が言い渡され、最近10ヶ月間だけで200人が絞首刑になっている。多くの場合は公開処刑となっている。
女性の姦通罪にはシャリーア法により、いまだに石打ち刑による死刑が行われていて、欧米の人権団体からは非難や抗議が相次ぎ、最近では夫殺害の罪で石打刑が確定していたSakineh Mohammadi Ashtiani(写真左、釈放時の写真といわれるが詳細不明), 43歳への石打刑執行が中止となり、絞首刑に変更された。その後2010年12月9日には釈放されたとのニュースも流れたが詳細は不明。
相手を失明させた事件は過去にもあって、2004年、恋人Ameneh Bahramiさんが結婚を拒否した事で酸をかけ、両目を失明させた Majid Movahediに対しイラン法廷は2008年11月両目の摘出を言い渡した。(左が刑を受ける被告と被害者の事件前の写真。右は事件後)*アフガンのタリバンやアルカイーダは一般にスンニ派と解釈されている。参照記事
2011年5月14日:イラン司法当局は14日、女性の顔に硫酸をか けて失明させたとして、目に硫酸をかける刑が確定していた男性(30)への刑執行を延期した。「目には目を」として知られるイスラム法(シャリア)の同害 報復刑で、延期は国際人権団体などからの非難を考慮した可能性がある。新たな執行日は未定。・・・一度刑が執行されたとブログに書いたのですが、犯人の控訴や人権団体の訴えで5月14日の刑は延期になったようです。女性は刑の執行をやめる代わりに200万ユーロ(2億3000万円)の手術費、生活費の補償を求めている。 参照記事
女性の姦通罪にはシャリーア法により、いまだに石打ち刑による死刑が行われていて、欧米の人権団体からは非難や抗議が相次ぎ、最近では夫殺害の罪で石打刑が確定していたSakineh Mohammadi Ashtiani(写真左、釈放時の写真といわれるが詳細不明), 43歳への石打刑執行が中止となり、絞首刑に変更された。その後2010年12月9日には釈放されたとのニュースも流れたが詳細は不明。
相手を失明させた事件は過去にもあって、2004年、恋人Ameneh Bahramiさんが結婚を拒否した事で酸をかけ、両目を失明させた Majid Movahediに対しイラン法廷は2008年11月両目の摘出を言い渡した。(左が刑を受ける被告と被害者の事件前の写真。右は事件後)*アフガンのタリバンやアルカイーダは一般にスンニ派と解釈されている。参照記事
2011年5月14日:イラン司法当局は14日、女性の顔に硫酸をか けて失明させたとして、目に硫酸をかける刑が確定していた男性(30)への刑執行を延期した。「目には目を」として知られるイスラム法(シャリア)の同害 報復刑で、延期は国際人権団体などからの非難を考慮した可能性がある。新たな執行日は未定。・・・一度刑が執行されたとブログに書いたのですが、犯人の控訴や人権団体の訴えで5月14日の刑は延期になったようです。女性は刑の執行をやめる代わりに200万ユーロ(2億3000万円)の手術費、生活費の補償を求めている。 参照記事
犯罪国家メキシコ北部チワワ(Chihuahua)州グアダルーペ(Guadalupe)で2010年12月23日午前6時、この町の最後の一人の女性警察官のエリカ・ガンダーラ(Erika Gandara)さん(28)が武装グループに拉致されたと州捜査当局が27日公表。目撃情報によると、銃で武装した男ら10人あまりがガンダーラさんの自宅に放火し、ガンダーラさんを拉致した。屋外に駐車していた車両2台も燃やされたという。(写真:本人と愛用の半自動小銃COLT AR-15 SPORTER 1)
米国テキサスとの国境に近いグアダルーペは人口9000人の街でフアレス市より国境沿いに約60km南下した小さな町。このあたりはメキシコ国内でも麻薬抗争が激しい地域で、犯罪都市フアレス市Ciudad Juarezに近く、約2年前(2009年1月20日、場所は the plaza in the village of Guadalupe Distrito Bravos)にはこの町の広場にアイスボックスに入った3個の切断された首が放置され、そのひとつは警察の指揮官だった。
独身のガンダーラさんがグアダルーペ警察で勤務を始めたのは2009年6月で、当時は同僚警察官が8人いたが、その週に警官一人が射殺され、その後7人が辞職し、彼女が最後の警官だった。麻薬抗争で次々と同僚を失ったガンダーラさんは、最近は自動式拳銃を手に、ただ1人で市内をパトロールしていた。過去に「私は必要とされるからここに居るI am here out of necessity.」と雑誌のインタビューに答えている。拉致の数ヵ月後、彼女は砂漠で遺体で見つかった。
同じ Juárez Valley地域のGuerreroでは、20歳の女学生が警察署長になって話題になった。
2010年11月末には、同じチワワ州のMeoqui(人口21000人)の弁護士で女性警察署長Hermila García Baezaさん(左下)が、仕事でハイウェイを運転中に銃撃され死亡(右下が事件現場)している。警察署長に着任してわずか1ヶ月後のことだった。
フアレス市Ciudad Juarez(人口140万人)の6箇所の行政区域で、合計2170人の警官が勤務し、そのうち540人が女性警官。今年だけでも3111件の殺人が起きた最悪の犯罪都市フアレス市では、あまりの危険に男性警官が減少し、女性警官は増える傾向にある。殺人は2009年の2754人(別な集計では2643人)をすでにしのぎ、10万人あたり191人が死亡している。
フアレス市と国境を接する米国エルパソ州立病院 El Paso's county-run hospital には、ここ3年間で200名の犯罪で負傷者が運び込まれ、その医療費用だけで 約4億円$4.7 millionを負担している。フアレス市を舞台にした、主にシナロア、フアレス・カルテル、東部のガルフ、セタスの血生くさい抗争により、メキシコ全土では今年12000人が亡くなり、10人の報道レポーターが殺害され数人が行方不明。レポーターは2006年からすでに35人が殺害されている。2008年12月には麻薬カルテルが暗殺リストを公表し、70名が暗殺され、フアレス市周辺では、2010年度だけで女性警官を含む、連邦(35人)、州(67人)合わせて102名の警官、軍人が殺害され、2010年度に麻薬組織に殺害された市町村長(Mayors)は13名になる。フアレス市からは住民の多くが逃避しているが、実数は不明。
写真右下はその一人で2010年2月17に殺害されたRamon Mendivil Sotelo,( Mayor of Guadalupe y Calvo, Chihuahua ボディーガードと共に20発以上の弾丸を打ち込まれ死亡。ヒットマンが使用した銃はAR-15ライフル)。2010年6月19日には、拉致された女性警官と同じ地区のチワワ州Guadalupeの首長 Mayor Jesus Manuel Lara Rodriguez(写真左)が妻と子供の前で射殺されている。 彼をよく知るフアレス市の市長は「彼は決して助けを求めず、彼が家庭をこの地域に持っている事も知らなかった」と語っている。(メキシコ側が危険なため、多くの場合米国側に家族を残し、単身赴任が多い)
資料 メキシコ麻薬カルテル勢力分布図 2010 後期~Drug Cartel in MEXICO 資料記事 資料記事102人警官死亡
2010年12月29日:フアレス市の道路上で、枕の上に載った切断された男性の首が発見された。身元は不明。体は別な場所の廃屋になったビルから発見された。被害者は20歳代後半と見られている。
2010年12月30日:メキシコ北部Nuevo Leon州 Monterrey市では警察署2箇所が銃撃され、4人の警官と医者1名が死亡した。同じころ、メキシコ北部でカーウォッシュが銃撃され客一人を含む4人が殺害されている。
2010年12月31日:Monterrey市で上半身裸でジーンズだけの女性がハイウェイの橋から首をつられた処刑スタイルで12月31日早朝発見された。女性は誘拐罪、強盗でトプチコ刑務所Topo Chico prisonに2009年から服役中だったが、4人の刑務所警備員によって「病院に送致する」と刑務所から出て病院に搬送の車が襲撃された。警備員は無抵抗で全員無事、女性だけが拉致された 。現在看守と刑務所医が拉致との関係を調べられている。女性はElizabeth Muniz Tamez, 31歳(上)、通称 ''The Red Head("La Pelirroja赤毛)で、髪はブロンドに染まっていた。犯罪多発なメキシコでも、女性へのこのような処刑スタイルは初めてで前例がないという。女性と関係のある敵対メンバーへの報復の可能性がある。背中には男性名のYairがなぐり書きされていた。
2011年1月1日: メキシコ南部ゲレロ州Guerreroの町Piedra Imanでは、新年のお祝いをしているパーティーに麻薬組織が発砲し、80、60、32、17歳の一般人4人が死亡した。
米国テキサスとの国境に近いグアダルーペは人口9000人の街でフアレス市より国境沿いに約60km南下した小さな町。このあたりはメキシコ国内でも麻薬抗争が激しい地域で、犯罪都市フアレス市Ciudad Juarezに近く、約2年前(2009年1月20日、場所は the plaza in the village of Guadalupe Distrito Bravos)にはこの町の広場にアイスボックスに入った3個の切断された首が放置され、そのひとつは警察の指揮官だった。
独身のガンダーラさんがグアダルーペ警察で勤務を始めたのは2009年6月で、当時は同僚警察官が8人いたが、その週に警官一人が射殺され、その後7人が辞職し、彼女が最後の警官だった。麻薬抗争で次々と同僚を失ったガンダーラさんは、最近は自動式拳銃を手に、ただ1人で市内をパトロールしていた。過去に「私は必要とされるからここに居るI am here out of necessity.」と雑誌のインタビューに答えている。拉致の数ヵ月後、彼女は砂漠で遺体で見つかった。
同じ Juárez Valley地域のGuerreroでは、20歳の女学生が警察署長になって話題になった。
2010年11月末には、同じチワワ州のMeoqui(人口21000人)の弁護士で女性警察署長Hermila García Baezaさん(左下)が、仕事でハイウェイを運転中に銃撃され死亡(右下が事件現場)している。警察署長に着任してわずか1ヶ月後のことだった。
フアレス市Ciudad Juarez(人口140万人)の6箇所の行政区域で、合計2170人の警官が勤務し、そのうち540人が女性警官。今年だけでも3111件の殺人が起きた最悪の犯罪都市フアレス市では、あまりの危険に男性警官が減少し、女性警官は増える傾向にある。殺人は2009年の2754人(別な集計では2643人)をすでにしのぎ、10万人あたり191人が死亡している。
フアレス市と国境を接する米国エルパソ州立病院 El Paso's county-run hospital には、ここ3年間で200名の犯罪で負傷者が運び込まれ、その医療費用だけで 約4億円$4.7 millionを負担している。フアレス市を舞台にした、主にシナロア、フアレス・カルテル、東部のガルフ、セタスの血生くさい抗争により、メキシコ全土では今年12000人が亡くなり、10人の報道レポーターが殺害され数人が行方不明。レポーターは2006年からすでに35人が殺害されている。2008年12月には麻薬カルテルが暗殺リストを公表し、70名が暗殺され、フアレス市周辺では、2010年度だけで女性警官を含む、連邦(35人)、州(67人)合わせて102名の警官、軍人が殺害され、2010年度に麻薬組織に殺害された市町村長(Mayors)は13名になる。フアレス市からは住民の多くが逃避しているが、実数は不明。
写真右下はその一人で2010年2月17に殺害されたRamon Mendivil Sotelo,( Mayor of Guadalupe y Calvo, Chihuahua ボディーガードと共に20発以上の弾丸を打ち込まれ死亡。ヒットマンが使用した銃はAR-15ライフル)。2010年6月19日には、拉致された女性警官と同じ地区のチワワ州Guadalupeの首長 Mayor Jesus Manuel Lara Rodriguez(写真左)が妻と子供の前で射殺されている。 彼をよく知るフアレス市の市長は「彼は決して助けを求めず、彼が家庭をこの地域に持っている事も知らなかった」と語っている。(メキシコ側が危険なため、多くの場合米国側に家族を残し、単身赴任が多い)
資料 メキシコ麻薬カルテル勢力分布図 2010 後期~Drug Cartel in MEXICO 資料記事 資料記事102人警官死亡
2010年12月29日:フアレス市の道路上で、枕の上に載った切断された男性の首が発見された。身元は不明。体は別な場所の廃屋になったビルから発見された。被害者は20歳代後半と見られている。
2010年12月30日:メキシコ北部Nuevo Leon州 Monterrey市では警察署2箇所が銃撃され、4人の警官と医者1名が死亡した。同じころ、メキシコ北部でカーウォッシュが銃撃され客一人を含む4人が殺害されている。
2010年12月31日:Monterrey市で上半身裸でジーンズだけの女性がハイウェイの橋から首をつられた処刑スタイルで12月31日早朝発見された。女性は誘拐罪、強盗でトプチコ刑務所Topo Chico prisonに2009年から服役中だったが、4人の刑務所警備員によって「病院に送致する」と刑務所から出て病院に搬送の車が襲撃された。警備員は無抵抗で全員無事、女性だけが拉致された 。現在看守と刑務所医が拉致との関係を調べられている。女性はElizabeth Muniz Tamez, 31歳(上)、通称 ''The Red Head("La Pelirroja赤毛)で、髪はブロンドに染まっていた。犯罪多発なメキシコでも、女性へのこのような処刑スタイルは初めてで前例がないという。女性と関係のある敵対メンバーへの報復の可能性がある。背中には男性名のYairがなぐり書きされていた。
2011年1月1日: メキシコ南部ゲレロ州Guerreroの町Piedra Imanでは、新年のお祝いをしているパーティーに麻薬組織が発砲し、80、60、32、17歳の一般人4人が死亡した。
事件は2010年12月16日に起き、すでにニュースになっていたが、何か不思議な展開だ。南米エルサルバドル人Salvadoran、ホンデュラス人Honduran, グアテマラ人Guatemalan等からなる米国への不法移民の一団がオアハカ州Ixtepec付近を通過中に7人の銃を持った一団に襲われ、50名ほどが誘拐されたという目撃証言からのニュースだった。当初メキシコのオアハカ州警察は、そのような事件の証拠がないと事件を否定したが、その後エルサドバドル人Tomas Ferman Pineda, 41歳の惨殺遺体(左)が発見され、現在は捜査中。
2010年12月27日、エルサドバドルEl Salvador外務省は、同じ地域で12月26日9名が乗客170名の北部のVeracruz 州に向かう汽車からメキシコ南部のオアハカ州Oaxaca stateの前回と同じ地域で拉致され、その後逃げて身柄を保護された自国民の証言から拉致事件の可能性を主張している。脱走者によれば、逃げ出せたのは5名だが、一人は途中で殺され、国籍不明な3名は行方不明で拉致監禁されている可能性があるという。エルサドバドルEl Salvador外務省は目撃証言から、最初に拉致されたのは男性30名、女性15名、子供5名と主張し、メキシコ警察は現在事件の目撃者5名を保護のため現在拘留している。
2010年12月28日:拉致の被害者として、9名がさらに同じ地域で拉致誘拐されたとエルサドバドル政府が正式に公表した。
似たような事件は2010年8月に起きていた。概要は、過去のブログ メキシコ マタモロスの虐殺72遺体発見 を参照。この時の事件はセタスの犯行といわれているが、事件はまだ未解決だ。メキシコの麻薬カルテルは身代金目的の誘拐をビジネスにしたり、過去の例では、カルテルの農場で強制労働させるために不法移民を拉致したことがある。
2010年12月27日、エルサドバドルEl Salvador外務省は、同じ地域で12月26日9名が乗客170名の北部のVeracruz 州に向かう汽車からメキシコ南部のオアハカ州Oaxaca stateの前回と同じ地域で拉致され、その後逃げて身柄を保護された自国民の証言から拉致事件の可能性を主張している。脱走者によれば、逃げ出せたのは5名だが、一人は途中で殺され、国籍不明な3名は行方不明で拉致監禁されている可能性があるという。エルサドバドルEl Salvador外務省は目撃証言から、最初に拉致されたのは男性30名、女性15名、子供5名と主張し、メキシコ警察は現在事件の目撃者5名を保護のため現在拘留している。
2010年12月28日:拉致の被害者として、9名がさらに同じ地域で拉致誘拐されたとエルサドバドル政府が正式に公表した。
似たような事件は2010年8月に起きていた。概要は、過去のブログ メキシコ マタモロスの虐殺72遺体発見 を参照。この時の事件はセタスの犯行といわれているが、事件はまだ未解決だ。メキシコの麻薬カルテルは身代金目的の誘拐をビジネスにしたり、過去の例では、カルテルの農場で強制労働させるために不法移民を拉致したことがある。
過去のブログに書いた「戦時中に日本兵に拷問までされて、、」全部ウソだった! は、単に戦争の英雄になりたかった老人のうそだったというだけでなく、彼はオーストラリアAUSTRALIA政府から恩給を不当に受け取っていた。詐欺罪に問われた元オーストラリア戦争捕虜の会会長the national president of the Ex Prisoners of War Association アーサー・クレーンArthur Rex Crane, 被告(84)に 対し、このほど禁固4年の有罪判決が言い渡され2010年12月21日直ちに収監された。2010年12月26日の記事より抜粋加筆(禁固4年だが、受刑態度がよければ6ヶ月で出所できる)
同被告は「社会に自分の 居場所が欲しかった」と弁解したが、「元戦友」だけでなく、夫人や子供にも嘘をついており、社会的地位だけでなく家族も失うはめになった。 そして元捕虜の会のメンバーとして、20年以上、各地で「捕虜体験」を講演。同被告は判決後、「元捕虜の方々とオーストラリア国民におわびする」との声明を出したが、友人や夫人は、いまだにショックから立ち直れないという。クレーン被告は、不当に受け取った 恩給約40万豪ドル(3300万円)は、老齢年金から返済する。生きていても、174歳まで 嘘の代償を払い続けることになる。さらに似たような、軍人恩給の不正受給がないかどうか調査が現在も続行され、おそらくかなりな不正受給が存在すると推測されている。参照記事 過去ブログ:過去には日本軍人の海軍葬をした国だったオーストラリア
同被告は「社会に自分の 居場所が欲しかった」と弁解したが、「元戦友」だけでなく、夫人や子供にも嘘をついており、社会的地位だけでなく家族も失うはめになった。 そして元捕虜の会のメンバーとして、20年以上、各地で「捕虜体験」を講演。同被告は判決後、「元捕虜の方々とオーストラリア国民におわびする」との声明を出したが、友人や夫人は、いまだにショックから立ち直れないという。クレーン被告は、不当に受け取った 恩給約40万豪ドル(3300万円)は、老齢年金から返済する。生きていても、174歳まで 嘘の代償を払い続けることになる。さらに似たような、軍人恩給の不正受給がないかどうか調査が現在も続行され、おそらくかなりな不正受給が存在すると推測されている。参照記事 過去ブログ:過去には日本軍人の海軍葬をした国だったオーストラリア
広東省仏山市在住の潘panさんは今年11月に、息子がつけているオムツに錆びついた刃5枚があるのを発見した。クレームを受けたオムツの製造業者全日美社Everbeauty Industryは2010年12月20日、指摘された刃がオムツの製造時に混入したことを認めて謝罪した。
11月3日午前、潘さんの妻は、生まれてまだ38日目の息子がオムツを触りながら泣きやまない異常な行動を不審に思い、オムツを調べ た。すると、切り裂いたオムツの中から錆びた刃が4枚、その後さらに1枚、計5枚も出てきた。オムツから突起した刃が赤ちゃんの下半身に当たっていたため、その部分が赤く脹れ あがったという。全日美社Everbeauty Industryは、オムツの製造過程で、原料を添加する際に機械に使用していた刃が混入したものと、調査結果を潘さんに伝え、21日、刃に当たって一時、傷を負った息子の健康を懸念する潘さんに対して、8000元(約10万円)の見舞金を渡した。元記事より抜粋
ローカル紙によれば、オムツを買った値段は30元(約400円)で、当初この夫婦の要求した補償金額は3万元(約40万円)だった。この上海のメーカーはこれを拒否し、規定では買った値段の4倍、120元(1560円)が妥当だと主張した。その後、メーカーは2000元(26000円)を提示し、両者は22日現在交渉中と23日の記事にある。上の記事が25日付なので、補償額はその後アップしたのだろう。刃は、オムツの粘着テープをカットするものだったとの説明もあり、メーカーはその後、ハサミでカットする方法に切り替えたという。Dad finds blades in his son's diaper英文参照記事
粉ミルクに有害なメラミンが混入して生産者が死刑になる大問題になったのに、いまだに生産物への管理が行き届いていない。過去ブログ:中国 メラミン入り粉ミルク事件 まだ終わってなかった! 中国のメラミン混入事件は天下りは無期懲役 儲ける為なら、子猫も子犬も赤子も犠牲か!!!!
11月3日午前、潘さんの妻は、生まれてまだ38日目の息子がオムツを触りながら泣きやまない異常な行動を不審に思い、オムツを調べ た。すると、切り裂いたオムツの中から錆びた刃が4枚、その後さらに1枚、計5枚も出てきた。オムツから突起した刃が赤ちゃんの下半身に当たっていたため、その部分が赤く脹れ あがったという。全日美社Everbeauty Industryは、オムツの製造過程で、原料を添加する際に機械に使用していた刃が混入したものと、調査結果を潘さんに伝え、21日、刃に当たって一時、傷を負った息子の健康を懸念する潘さんに対して、8000元(約10万円)の見舞金を渡した。元記事より抜粋
ローカル紙によれば、オムツを買った値段は30元(約400円)で、当初この夫婦の要求した補償金額は3万元(約40万円)だった。この上海のメーカーはこれを拒否し、規定では買った値段の4倍、120元(1560円)が妥当だと主張した。その後、メーカーは2000元(26000円)を提示し、両者は22日現在交渉中と23日の記事にある。上の記事が25日付なので、補償額はその後アップしたのだろう。刃は、オムツの粘着テープをカットするものだったとの説明もあり、メーカーはその後、ハサミでカットする方法に切り替えたという。Dad finds blades in his son's diaper英文参照記事
粉ミルクに有害なメラミンが混入して生産者が死刑になる大問題になったのに、いまだに生産物への管理が行き届いていない。過去ブログ:中国 メラミン入り粉ミルク事件 まだ終わってなかった! 中国のメラミン混入事件は天下りは無期懲役 儲ける為なら、子猫も子犬も赤子も犠牲か!!!!
選挙後も無政府状態だったイラクも、内閣が始動し始め、復興再建へ動き始めているが、まだまだアルカイーダのテロはやみそうもない。首都のバグダッド Baghdad北部にある以前はスンニ派の支配地だったBaqoubaで、実の父親Najim Al-Anbakyが、国際反政府組織アルカイーダal-Qaidaに勧誘され、自爆テロを計画している19歳の娘Shahlaa al-Anbakyを自ら殺害する事件が2010年12月24日判明した。父親は、警察から娘が自爆テロの容疑者だと知り、家族の尊厳を守るために殺害し、警察が出向いたときにはすでに埋葬していた。アルカイーダは、女性なら監視所でのチェックが甘く、全身を覆う民族衣装abaya(右)が爆弾を隠しやすいことから女性をリクルートしている。左は参考写真で、まだ若い女性らしきテロリストが、自爆装置を身につけている様子。過去ブログ:クリスマスに欧米がアルカイーダに攻撃される?イラク発
この事件は衝撃的で、各国がニューで取り上げているが、イタリア紙ではタイトルに「KAMIKAZE」と記述している。どうも欧米では、戦争末期に日本が敵にのみ行った神風攻撃も、テロで一般人を殺傷する自爆も同じに見ているようだ。なんとも釈然としない。ちなみに中国では、自爆テロを「人肉炸彈」と表記するが、こっちはなんとも分かり易すぎててぞっとするのだが、、。過去ブログ:米軍はイラクから撤退できるのか? イラク、バクダッド2010年4月:スンニ派、シーア派政治状況2010年4月のイラク勢力状況 シーア派、スンニ派 今度はイランが、、。また複雑に、、
この事件は衝撃的で、各国がニューで取り上げているが、イタリア紙ではタイトルに「KAMIKAZE」と記述している。どうも欧米では、戦争末期に日本が敵にのみ行った神風攻撃も、テロで一般人を殺傷する自爆も同じに見ているようだ。なんとも釈然としない。ちなみに中国では、自爆テロを「人肉炸彈」と表記するが、こっちはなんとも分かり易すぎててぞっとするのだが、、。過去ブログ:米軍はイラクから撤退できるのか? イラク、バクダッド2010年4月:スンニ派、シーア派政治状況2010年4月のイラク勢力状況 シーア派、スンニ派 今度はイランが、、。また複雑に、、
2010年12月26日 中東中近東アフガンパキスタン
2010年12月25日アフガン北部クナール県バデル監視所Badel in Kunar provinceのクリスマスの朝は尾根からタリバンに撃ち込まれた銃声で始まった。以前にも何度か激戦のあった場所で、山の中の谷間のような場所にある大きな土のうだけで囲んだ監視所は山すそからは狙いやすい。谷間の川沿いなどにある監視所はそこを通る補給路の確保に重要な場所だが、守っているのは数十名の軍人だけ。
今回応戦したのは米軍第2小隊ブラボー分隊2-327 2nd Platoon Bravo Company 2-327。国旗の下には「メリークリスマス」とある。(写真はどれもクリックで大きく拡大します)元記事
過去ブログ:泥沼のアフガニスタン タリバン、北部で攻撃に出る クナール クナールに近い別な監視所:アフガンで最大級の激戦 Afganistan Nuristan
今回応戦したのは米軍第2小隊ブラボー分隊2-327 2nd Platoon Bravo Company 2-327。国旗の下には「メリークリスマス」とある。(写真はどれもクリックで大きく拡大します)元記事
過去ブログ:泥沼のアフガニスタン タリバン、北部で攻撃に出る クナール クナールに近い別な監視所:アフガンで最大級の激戦 Afganistan Nuristan
2010年12月26日。北方領土周辺海域を含むロシアの排他的経済水域(EEZ)内でスケトウダラ漁を行う漁業会社4社が、2009年までの3年間で、ロシア国境警備局係 官などへ計約5億円を提供し、この経理処理を仮装・隠蔽していたとして、国税当局から所得隠しを指摘されていたことがわかった。 4社は国税当局に対し、「日露漁業交渉の枠を超えた漁獲量を黙認してもらうため」漁船に乗り込んでいるロシア国境警備局の係官に船内で現金を手渡していたなどと説明。外国公務員への賄賂提供は、支払場所が日本国外でも、不正競争防止法違反にあたる可能性がある。一方、国境警備局を管轄するロシア連邦保安局広報センター担当官は「我々は問題の重要性を理解している。検察と連絡を取り、調査を行わなければならない」としている。
札幌、仙台両国税局から所得隠しを指摘されたのは、「稚内海洋」(北海道稚内市)と「金井漁業」(釧路市)、「開洋漁業」(青森県八戸 市)、「佐藤漁業」(宮城県塩釜市)。重加算税を含む追徴税額は計約1億5000万円。佐藤漁業は赤字のため、重加算税を課せられなかった。読売記事より抜粋 スケトウダラ:すり身でかまぼこや卵は明太子の原料になる。
2010年12月27日:4社が資金の一部をキプロスなど海外の金融機関に作られた 法人名義口座に送金し、ロシア政府関係者に 渡るように操作していたことがわかった。
札幌、仙台両国税局から所得隠しを指摘されたのは、「稚内海洋」(北海道稚内市)と「金井漁業」(釧路市)、「開洋漁業」(青森県八戸 市)、「佐藤漁業」(宮城県塩釜市)。重加算税を含む追徴税額は計約1億5000万円。佐藤漁業は赤字のため、重加算税を課せられなかった。読売記事より抜粋 スケトウダラ:すり身でかまぼこや卵は明太子の原料になる。
2010年12月27日:4社が資金の一部をキプロスなど海外の金融機関に作られた 法人名義口座に送金し、ロシア政府関係者に 渡るように操作していたことがわかった。
2010年12月23日、ルーマニアRomaniaの首都ブカレストBucharestで政府の財政赤字削減の目玉策として、7月に公務員給与が一律25%削減された国会で、 首相のEmil Boc氏が答弁中に国営放送の40歳の技術者が開会中の議会のバルコニーから約7メートル下の議場に飛び降りる騒ぎがあった。給与削減への抗議とみられ、男性は顔などにけがをしたが、重傷ではないという。動画ニュース 参照記事
日本の報道記事では上のようだったが、彼 Adrian Sobaruが着ていたTシャツには「お前たちは将来をつぶした"You have killed our future"」と描かれ、飛び降りる歳に「自由を!Freedom!」「ボック首相!あなたは子供たちの将来を奪ったBoc, you’ve stolen the children’s future」と叫んでいたと言われている。同僚の証言では、彼は自閉症の息子の医療補助や他の政府からの補助が大きくカットされた事で悲観したのではないかと地元紙で報道されてい る。生活苦というより、息子の将来に悲観しての抗議の飛び降りのようだ。この男性、骨折はしたが命に別状はなかった。財政が緊迫したルーマニアでは、IMF(国際通貨基金)からの融資条件である財政赤字削減のため2010年7月より緊縮財政措置を実施し、公務員の25%給与削減だけではなく、年金を15%カット、消費税も19%から24%と5%のアップとなり、これを強行したエミル・ボック(Emil BOC)首相の支持率は大きく低下し、信任投票の最中だった。2007年ブルガリアと共にEU加盟、人口2146万人、2009年の日本の1人当たり名目国内総生産(GDP)は3万9530ドル(約370万円)で、ルーマニアは7,542米ドル(約70万円ほど:2009年IMF数値) 詳細
アイスランド、ギリシャも経済が破綻し国は破産状態になった。日本も状況は同じだが、公務員給与に対しては掛け声だけでほとんど何もしていないに等しく、海外からは思い切った制度改革ができない日本はさじを投げられバカ扱いされている。左は飛び降りる直前の彼 Adrian Sobaru 過去ブログ:公務員給与に関する腹の立つ表ですが、、。 ここにも馬鹿がいた。公務員給与比較 アジアだけ見てもダメ、世界の中で落ちていく日本。 幅広い犠牲が必要だ、。とオバマ大統領
日本の報道記事では上のようだったが、彼 Adrian Sobaruが着ていたTシャツには「お前たちは将来をつぶした"You have killed our future"」と描かれ、飛び降りる歳に「自由を!Freedom!」「ボック首相!あなたは子供たちの将来を奪ったBoc, you’ve stolen the children’s future」と叫んでいたと言われている。同僚の証言では、彼は自閉症の息子の医療補助や他の政府からの補助が大きくカットされた事で悲観したのではないかと地元紙で報道されてい る。生活苦というより、息子の将来に悲観しての抗議の飛び降りのようだ。この男性、骨折はしたが命に別状はなかった。財政が緊迫したルーマニアでは、IMF(国際通貨基金)からの融資条件である財政赤字削減のため2010年7月より緊縮財政措置を実施し、公務員の25%給与削減だけではなく、年金を15%カット、消費税も19%から24%と5%のアップとなり、これを強行したエミル・ボック(Emil BOC)首相の支持率は大きく低下し、信任投票の最中だった。2007年ブルガリアと共にEU加盟、人口2146万人、2009年の日本の1人当たり名目国内総生産(GDP)は3万9530ドル(約370万円)で、ルーマニアは7,542米ドル(約70万円ほど:2009年IMF数値) 詳細
アイスランド、ギリシャも経済が破綻し国は破産状態になった。日本も状況は同じだが、公務員給与に対しては掛け声だけでほとんど何もしていないに等しく、海外からは思い切った制度改革ができない日本はさじを投げられバカ扱いされている。左は飛び降りる直前の彼 Adrian Sobaru 過去ブログ:公務員給与に関する腹の立つ表ですが、、。 ここにも馬鹿がいた。公務員給与比較 アジアだけ見てもダメ、世界の中で落ちていく日本。 幅広い犠牲が必要だ、。とオバマ大統領
もう長い事アフガン、パキスタンのタリバン、アルカイーダを追っているが、今年は何か違う。例年なら今頃は国境沿いの反政府組織のテロや攻撃は沈静するが、今頃規模の大きな攻撃があった。
場所はパキスタン北西部地域で、以前からパキスタンタリバンの拠点があるといわれている。アルジャジーラの記事にはBaizai area of the Mohmand tribal agencyとあるが、 正確にはBaizai Tehsil in the Sorandara area of Mohmand、サランドラ地区モフマンド部族管区のバイザイ地区となるだろうか。Baizai地区には米軍が空からの攻撃を集中して行い、11月には民間人の少女2名が犠牲になっている。
ここで2010年12月24日、ここの複数のチェックポイント(監視所)が同時に約150名の反政府組織タリバンの攻撃を受け、パキスタン政府側11名死亡、12名負傷、タリバン側24名死亡という、最近ではかなり規模の大きな攻撃があった。去年もこの地域での攻撃は多かったが、ほとんどが爆弾テロで、多くの住民が犠牲になっている。位置的にはペシャワール北部、アフガン国境に近い場所で、最近ではNato軍の輸送トラックが頻繁に攻撃を受けている地域に近い。パキスタン側のチェックポイントを制圧するという事は、おそらくアフガン側への補給路の完全制圧、Nato側への補給の完全分断を狙っているのではないか?春までに混成部隊のNato軍を締め上げる作戦か、。これを成功させて、一気に手薄になったアフガンの首都カブールを攻めるのだろうか?そんな気がするのだが、。アフガン側にもアフガン政府軍が居るが、彼らは少しでもタリバン優勢と見ればタリバンに寝返るような集団だ。アフガンも危険な時期に入った。
12月7日から8日にかけて、パキスタン北西部南ワジリスタンにいたタリバンの重要な司令官の一人Asmatullah Bhetani(写真内赤丸)がSararoghaでのパキスタン軍との銃撃戦で死亡しているが、追い詰められたタリバンが、春を待たずに一斉攻撃に出たとも見える。関連過去ブログ:アフガン 自爆テロ続く そしてこれからは、、。 タリバンのねらい目 補給路、基地攻撃
2010年12月25日:Mohmandに隣接する北側の バジャウル部族管区Bajaur regionの町Kharで全身にブルガをまとった女性による自爆テロが起き、42人が死亡、負傷者は80人以上。女性は最初に手投げ弾2個を群集に投げつけ、身に着けた爆弾で自爆した。 ここには国連の世界食糧支援事務所WFP:the World Food Program officeがあり、人々は配給食糧を求めて集まっていた。2007年からの自爆テロによる犠牲者は約4000人といわれている。
2010年12月31日:治安が悪化したアフガン北部をNATO軍アフガン軍が攻撃し、ハイレベルなタリバン司令官Maulvi Bahadarを殺害した可能性を公表した。場所はクンドウズ州Kunduz province。同じころ近くのタハール州 province of Taharでもタリバンの地方司令官クラスのSheikh Ahmadullahを殺害した模様。いずれも自爆テロや手製地雷を指揮していた地方タリバンのリーダークラス。同じころ、パキスタン北西部北ワジリスタンには無人機(左MQ9)によるミサイル攻撃が集中して行われ、少なくても移動中のタリバン8名が死亡したと報告されている。
2011年1月1日:イラン警備隊は、イラン北西部 Sardasht, in West Azerbaijan provinceで、アルカイーダ7名を逮捕したと公表。イラク北部に拠点を持つ反政府組織クルド人グループ(PKK)でイラク、トルコ政府とイラク北部で独立を求めて反目している過激派クルド系アルカイーダメンバーではないのか?詳細は不明だが、今までイランは同じ反米という事でイラン国内のアルカイーダの潜伏を黙認していた形跡がある。イラン北東部アフガン近くにはオサマ・ビン・ラディンが潜伏しているとのうわさがある。
2011年1月12日:パキスタン北西部、北ワジリスタンより内陸部のBannu地区のMiryan の警察署が夕方自動車による自爆テロ攻撃を受け20名(警官12名含む)が死亡、負傷者多数。タリバンが犯行声明を出し、最近の米軍による無人機ミサイル攻撃への抗議と主張。
場所はパキスタン北西部地域で、以前からパキスタンタリバンの拠点があるといわれている。アルジャジーラの記事にはBaizai area of the Mohmand tribal agencyとあるが、 正確にはBaizai Tehsil in the Sorandara area of Mohmand、サランドラ地区モフマンド部族管区のバイザイ地区となるだろうか。Baizai地区には米軍が空からの攻撃を集中して行い、11月には民間人の少女2名が犠牲になっている。
ここで2010年12月24日、ここの複数のチェックポイント(監視所)が同時に約150名の反政府組織タリバンの攻撃を受け、パキスタン政府側11名死亡、12名負傷、タリバン側24名死亡という、最近ではかなり規模の大きな攻撃があった。去年もこの地域での攻撃は多かったが、ほとんどが爆弾テロで、多くの住民が犠牲になっている。位置的にはペシャワール北部、アフガン国境に近い場所で、最近ではNato軍の輸送トラックが頻繁に攻撃を受けている地域に近い。パキスタン側のチェックポイントを制圧するという事は、おそらくアフガン側への補給路の完全制圧、Nato側への補給の完全分断を狙っているのではないか?春までに混成部隊のNato軍を締め上げる作戦か、。これを成功させて、一気に手薄になったアフガンの首都カブールを攻めるのだろうか?そんな気がするのだが、。アフガン側にもアフガン政府軍が居るが、彼らは少しでもタリバン優勢と見ればタリバンに寝返るような集団だ。アフガンも危険な時期に入った。
12月7日から8日にかけて、パキスタン北西部南ワジリスタンにいたタリバンの重要な司令官の一人Asmatullah Bhetani(写真内赤丸)がSararoghaでのパキスタン軍との銃撃戦で死亡しているが、追い詰められたタリバンが、春を待たずに一斉攻撃に出たとも見える。関連過去ブログ:アフガン 自爆テロ続く そしてこれからは、、。 タリバンのねらい目 補給路、基地攻撃
2010年12月25日:Mohmandに隣接する北側の バジャウル部族管区Bajaur regionの町Kharで全身にブルガをまとった女性による自爆テロが起き、42人が死亡、負傷者は80人以上。女性は最初に手投げ弾2個を群集に投げつけ、身に着けた爆弾で自爆した。 ここには国連の世界食糧支援事務所WFP:the World Food Program officeがあり、人々は配給食糧を求めて集まっていた。2007年からの自爆テロによる犠牲者は約4000人といわれている。
2010年12月31日:治安が悪化したアフガン北部をNATO軍アフガン軍が攻撃し、ハイレベルなタリバン司令官Maulvi Bahadarを殺害した可能性を公表した。場所はクンドウズ州Kunduz province。同じころ近くのタハール州 province of Taharでもタリバンの地方司令官クラスのSheikh Ahmadullahを殺害した模様。いずれも自爆テロや手製地雷を指揮していた地方タリバンのリーダークラス。同じころ、パキスタン北西部北ワジリスタンには無人機(左MQ9)によるミサイル攻撃が集中して行われ、少なくても移動中のタリバン8名が死亡したと報告されている。
2011年1月1日:イラン警備隊は、イラン北西部 Sardasht, in West Azerbaijan provinceで、アルカイーダ7名を逮捕したと公表。イラク北部に拠点を持つ反政府組織クルド人グループ(PKK)でイラク、トルコ政府とイラク北部で独立を求めて反目している過激派クルド系アルカイーダメンバーではないのか?詳細は不明だが、今までイランは同じ反米という事でイラン国内のアルカイーダの潜伏を黙認していた形跡がある。イラン北東部アフガン近くにはオサマ・ビン・ラディンが潜伏しているとのうわさがある。
2011年1月12日:パキスタン北西部、北ワジリスタンより内陸部のBannu地区のMiryan の警察署が夕方自動車による自爆テロ攻撃を受け20名(警官12名含む)が死亡、負傷者多数。タリバンが犯行声明を出し、最近の米軍による無人機ミサイル攻撃への抗議と主張。
事件は今年の8月だった。英国エセックス州に住む、足が不自由な農夫Edward Tibbs氏, 62歳が朝4時ころガチョウが騒ぐので、キツネだろうと愛用の電動スクーターに乗り暗闇に散弾銃3発を発射。特別何も反応もないので寝床についた。
実はこの時、暗闇には27歳と30歳の二人のコソドロが居て、彼らの狙いは敷地内の農夫が貸している納屋で密かに栽培されている大麻だった。散弾は一人の背中と足に命中し、もう一人の仲間の運転でそのまま病院へ直行。病院は不振な怪我だとして警察に連絡し、3人は事情聴取され、同じ日の朝の8時に16人の武装警官が発砲した農夫を急襲、農夫は逮捕された。
裁判の結果は、農夫に内緒で、借りた納屋(写真左)で大麻を栽培していた63歳と39歳の女性は無罪で、50株の大麻は没収。二人のコソドロと運転手も無罪。農夫のEdward Tibbs氏は「銃器を所持するにふさわしくない」との理由でライフルと散弾銃のライセンスを没収された。
しきりに農夫は「おいらはキツネだと思って撃っただけだ、、。」とご不満のようだが、この農夫、8歳のときから毎日のように小動物や鳥を撃つのが日課だったという。個人的に思うには、どうもあまり近所に評判の良くない方なのではないだろうか?参照記事2010年12月20 他。
2010年12月20日:フランス南部ドローム(Drome)県で20日、農業者の団体のトップを務める男性Laurent Rimbaud(32)が隣町の男性(43)を足と頭部を撃ってライフルで撃って射殺し逮捕された。彼は、射殺された男性をトリュフ泥棒truffle theftだと主張し、当日彼は農地で待ち伏せし、現れた泥棒を2度撃った。射殺されたのは隣のグリニャン(Grignan)に住む2児の父親で窃盗の前科があった。
グリニャンの町長は、付近では最近トリュフ泥棒が増えており、栽培農家を守らねばならないと述べる一方で、「撃ち殺すのは容認できる行為ではない」と語った。「黒いダイヤ」といわれる高級食材のトリュフは、クリスマスの時期は価格が上がり、1個あたり1000ユーロ($1,300約11万円)の値がつくこともある。町民は、撃った農夫を擁護するデモをし「いづれこのような事が起きると思っていた」と語っている。泥棒はこの収穫時期に、明るい満月を待って深夜に森の中などで窃盗するが、特に今年は天候不順でフランス国内の収穫が例年の半分ほどの25トンほどで、ブラックトリュフblack trufflesの相場が高騰し、同時に泥棒被害が多発している。農夫の気持ちはわかるが、殺してしまうというのは、、。 参照記事 参照記事 他
実はこの時、暗闇には27歳と30歳の二人のコソドロが居て、彼らの狙いは敷地内の農夫が貸している納屋で密かに栽培されている大麻だった。散弾は一人の背中と足に命中し、もう一人の仲間の運転でそのまま病院へ直行。病院は不振な怪我だとして警察に連絡し、3人は事情聴取され、同じ日の朝の8時に16人の武装警官が発砲した農夫を急襲、農夫は逮捕された。
裁判の結果は、農夫に内緒で、借りた納屋(写真左)で大麻を栽培していた63歳と39歳の女性は無罪で、50株の大麻は没収。二人のコソドロと運転手も無罪。農夫のEdward Tibbs氏は「銃器を所持するにふさわしくない」との理由でライフルと散弾銃のライセンスを没収された。
しきりに農夫は「おいらはキツネだと思って撃っただけだ、、。」とご不満のようだが、この農夫、8歳のときから毎日のように小動物や鳥を撃つのが日課だったという。個人的に思うには、どうもあまり近所に評判の良くない方なのではないだろうか?参照記事2010年12月20 他。
2010年12月20日:フランス南部ドローム(Drome)県で20日、農業者の団体のトップを務める男性Laurent Rimbaud(32)が隣町の男性(43)を足と頭部を撃ってライフルで撃って射殺し逮捕された。彼は、射殺された男性をトリュフ泥棒truffle theftだと主張し、当日彼は農地で待ち伏せし、現れた泥棒を2度撃った。射殺されたのは隣のグリニャン(Grignan)に住む2児の父親で窃盗の前科があった。
グリニャンの町長は、付近では最近トリュフ泥棒が増えており、栽培農家を守らねばならないと述べる一方で、「撃ち殺すのは容認できる行為ではない」と語った。「黒いダイヤ」といわれる高級食材のトリュフは、クリスマスの時期は価格が上がり、1個あたり1000ユーロ($1,300約11万円)の値がつくこともある。町民は、撃った農夫を擁護するデモをし「いづれこのような事が起きると思っていた」と語っている。泥棒はこの収穫時期に、明るい満月を待って深夜に森の中などで窃盗するが、特に今年は天候不順でフランス国内の収穫が例年の半分ほどの25トンほどで、ブラックトリュフblack trufflesの相場が高騰し、同時に泥棒被害が多発している。農夫の気持ちはわかるが、殺してしまうというのは、、。 参照記事 参照記事 他
南太平洋で、1930年代の女性用化粧用品や小さな骨が見つかり、当時約2万2千マイル(3万5千キロ)の世界1周飛行に飛び立ち行方不明になった米国の有名女性飛行士women aviatorアメリア・イアハート(Amelia Earhart1897–1937 写真左右)さんの遺骨ではないかと調査中 だ。
イアハートさんの最期は、航空史ミステリーの1つで、1937年6月、赤道上世界一周飛行‘round-the-world flightの途上、現パプアニューギニアのラエLaeから Howland Islandを目差して飛びたち、アメリア・イアハート博物館(Amelia Earhart Museum)によると、現在までイアハートさんの乗った双発のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号は途中で海に不時着し、同乗したナビゲーターのフレッド・ヌーナンFred Noonanさん(男性:写真左)も死亡したとされている。当時すでに米国と関係が悪化していた日本海軍も、捜索に参加した記録が残っている。2010年12月21日の参照記事
第一次世界大戦では負傷兵の看護の仕事をし、その時1920年に初めて乗った飛行機が彼女の運命を変えた。彼女は1923年にライセンスを得て、1928年世界で最初の女性大西洋飛行、1932年には最初の大西洋女性単独飛行、1935年には世界初のホノルル、カリフォルニア女性単独飛行を記録している。1930年から35年の間だけでも7つの新記録を作り出し、世界一周を最後の記録への挑戦としていた。
しかし最近、米国の航空遺物修復活動団体TIGHARが、2人がキリバスの無人島、ニクマロロ島(Nikumaroro Island:旧名 Gardner Island)に着き、漂流者としてしばらく現地で生き延びたと推定できる証拠を発見したという。過去10年で10回の捜索隊をニクマロロ島に派遣し、今年になって3個の小さな骨(上右、指の骨と思われている)を収集した。すでに、1930年代の女性のメイク用コンパクトや割れた鏡、ポケットナイフ、米国製のボトル、ジッパー、焚き火跡なども発見されており、骨片は現在オクラホマ大学Oklahoma UniversityでDNAの鑑定中で判明には約1ヶ月かかる。遺体は島に多いヤシガニなどに食べられたと見ている。右下は、地球を東に回る世界一周の飛行経路 Amelia Earhart Flight Planで、全金属製の飛行機の使用も世界初で、旅客機の座席を取り払い燃料タンクを増設し、軽量化が施されていた。無線通信機も搭載していたが、うまく機能していなかったとも言われる。左下は絶海の孤島ニクマロロ島。ウィキペディア 彼女の幼少期からの写真
2011年3月1日:調査団体TIGHARによれば、2011年3月時点では、発見された骨片が人間のものかどうかの鑑定が出ていないという中間報告がされている。サンプルが不完全な事によるが、人間のものである可能性は高く、DNA鑑定技術の進歩を待つしかないと研究者の報告がある。参照記事 :TIGHARによれば、エアハートの飛行から75年になる2012年7月、ニクマロロ島付近の海底捜査を計画している。右は、1908年、イアハート10歳のころ。
2012年4月2日:米国のヒラリー・クリントン Hillary Clinton国務長官が、調査団体に政府からの50万ドルの資金提供を約束した。調査は行方不明から75年の今年7月2日再開される予定。調査地はGardner Island, 現在名 Nikumaroro Island。2011年、別な調査で、Nikumaroro Islandから約3千キロ(1756マイル)離れたBuka Islandで飛行機の残骸が発見されたとの報告もあるが、現在は無人島のニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)に漂着し、数週間で餓死したと推測されている。参照記事
この無人島から見つかった有力な手掛かりの一つは、5つに割れていたガラス瓶(写真右の左)で、これは当時売られていた「しみ、そばかすを取る軟膏:Dr. Berry's Freckle Ointment,」が入っていた容れ物(右)と同じで、すでにイアハートが当時しみやそばかすを嫌っていたことが確認されている。参照記事
2012年7月3日:調査隊が3日、キリバス領ニクマロロ(Nikumaroro)島での調査に向けて出発する。調査を行う「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」は、イアハートが墜落後も生存していた可能性を、最先端機器を用いて探る予定。2009年に南大西洋に墜落したリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)発パリ(Paris)行きのエールフランス(Air France)機からフライトレコーダーを回収したのと同様の遠隔操作装置や、海底を調べるためのマルチビーム測深機が用いられるという。 ニクマロロ島周辺では機体の残骸の目撃証言があったとされ、調査隊は、墜落後にを生き延びたイアハートがこの島で、一定期間生存していた仮説を立てて調査を行っている。YOUTUBE映像
2012年8月22日:「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」による調査で撮影された高精細映像を分析したところ、キリバスのニクマロロ島(Nikumaroro Island)の西の海底に「人工物」が散乱しているのが発見された。過去23年間で10回目の調査となった7月の調査では、イアハートが緊急着陸してしばらく生存していたとみられている無人島の周辺の海底の撮影が行われた。
TIGHARの責任者、リチャード・ジレスピ(Richard Gillespie)氏は、AFPの取材に「海中写真には、着陸装置の部品と一致する物体が写っている」と語り、タイヤの可能性がある物体を調査チームが発見したと述べた。「これは進展が期待できる」とジレスピ氏は述べた。「さらに詳細な分析をする必要がある。ミステリーが解明されたとわれわれは思っていない。これは調査の次のステップだ」参照記事より抜粋
2012年9月13日:過去にジャーナリストがjournalist Fred Goernergが著書「 "The Search For Amelia Earhart,"」で、エアハートと同僚は、スパイ容疑でサイパンに連行され、その後拷問を受け、処刑か病気でサイパンで亡くなり埋葬されたと書いていた。
このことの根拠はないが、当時の日本帝国海軍が海上捜索に協力したという事実は残っている。
最近 Mike Campbellが書いた「The Truth at Last,」でまたこの説を掲げ、エアハートの所持品、飛行機はサイパンにあり、このことを米国政府は知っていたが、彼女に日本軍のスパイをさせた事実を隠すために公表されていないという推論を書いているようだ。ほとんど珍説と言うしかないと思うのだが、、。参照記事
2013年4月25日;オーストラリア人の56歳の冒険家Michael Young氏は、独時の調査で、当時 Gardner Islandと言われた現在のニクマロロ島から、1937年7月、木の箱に入った、イアハートかフレッド・ヌーナンAmelia Earhart or her navigator Fred Noonanの遺骨がフィジーFijiの病院に鑑定のため届けられた可能性を確認したと発言し、本人は確認のため7月にフィジーに行く予定だという。病院か博物館にある可能性があるという。参照記事
2013年5月30日;「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」のソナーによる再調査では、無人島のニクマロロ島(i.e. Nikumaroro island)の海底183mにロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)の物ともわれる、長さ6,7mの物体を確認した。Lockheed Electraにほぼ間違いないとし、この状況から、機は海面で大破したのではなく、不時着して徐々に沈み、その間に緊急信号も発進しただろうと推測される。組織は、今回のデータ解析も含む、今後の回収作業の資金の調達に奔走するそうです。参照記事 参照記事
2013年6月12日;上記の発見に関して、すでに2010年に沈没している残骸を確認してたと主張する米国の調査会社が、当時の調査費用を請求する訴訟を起こす動きがある。参照記事 映像記録
2013年8月12日:同姓名のコロラド州デンバーDenverのTVレポーターAmelia Rose Earhartさん 30歳 が2014年夏、イアハート氏と同じコースで約100時間以上をかけてPilatus PC-12NGで世界一周をする計画を発表した。一時イアハート氏との血縁があるともされたが、その後の調査で亡くなったイアハート氏とは全く血族関係はないと判明し、本人もそれを認めている。成功すれば、単発機で単独世界一周をした最も若い女性となる。飛行中に14か所に着陸し副操縦士が同行の予定 参照記事 参照記事 2014年1月の記事では、飛行予定は2014年4月から6月、世界一周を、14日から17日間かけ延べ約100時間の飛行で終える予定
2014年7月11日;2014年6月26日、カルフォルニアのオークランドOaklandを副操縦士Shane Jordon と共にPilatus PC-12NGで出発し、17か所に離着陸し、延べ飛行108時間かけて同年7月11日 Oaklandに戻り、Amelia Rose Earhartさんが、単発機で世界一周をしたもっとも若い女性となった。現在31歳。
2015年6月2日;伝説の女性飛行士遭難の謎、異説が浮上 アメリア・イアハートはマーシャル諸島 ミリ環礁Marshall Islands,Mili Atollに降り立った?
ワシントン州の高校で理科を教える53歳のディック・スピンクDick Spink氏はまったく違う説を唱える。エレクトラは進路を大きくそれ、マーシャル諸島のミリという小さな環礁に着陸したというのだ。しかし、マーシャル諸島説を唱え始めたのはスピンク氏ではない。1960年代、CBSの特派員フレッド・ゲルナー氏が「The Search for Amelia Earhart(アメリア・イアハートを探して)」という著書を出版し、氏の著書によると、イアハートとナビゲーターのフレッド・ヌーナンは、マーシャル諸島に着陸した後、日本軍の捕虜となり、船でサイパンに移送されて収容中に死亡したという。1937年の記録映像と記事
スピンク氏の研究は、当時ロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号に燃料装置を提供したパーカー社から資金援助を受け、ミリ環礁から証拠品になると思われるものを採取し、当時機体にアルミ材を提供したアルコア社とパーカー社は現在、マーシャル諸島から持ち帰った破片を分析し、アルミニウムと塗料がエレクトラのものと一致するかどうかを確認している。写真はミリ環礁とイアハートさんと彼女の乗った双発のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号、不時着したとされる場所の位置と予定航路 英文記事
2015年6月18日:現在無人島のニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)では、1989年の調査「Niku I」以来8回目になる「Niku VIII」現地調査が島と海中で行われている。調査は「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」によるもので、グループは「The Earhart Project」と呼ばれる。6月8日にフィジー Figiを大型ヨットで出発した一行は14名で24日間かけて調査を行う。潜水用具や小さな遠隔操作できる海中探査機( a small, remotely operated vehicle :ROV) も用意している。地図は、エアハートの目的地だったHowland Island、ニクマロロ島Nikumaroro Island(左下)、及びフィジー Figiの位置。 参照記事 参照記事 参照記事
2016年11月2日:歴史的航空機の発見を目指す国際グループ、The International Group for Historic Aircraft Recovery(TIGHAR)は、ハウランド島からほど近いニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)で新たに見つかった骨の一部を法医学から調査した結果、イアハートさんが島に漂着し、数日、またはそれ以上島で生存して亡くなった可能性が高いと発表した。同乗していたナビゲーターは不時着の際に死亡し、遺体は流されたと推論している。島には焚き火跡があり、イアハートさんが魚や鳥を食べて生存していた可能性があるとされる。参照記事
その後の経過:2017年7月 アメリア・イアハートさん捜索に新たな証拠?
イアハートさんの最期は、航空史ミステリーの1つで、1937年6月、赤道上世界一周飛行‘round-the-world flightの途上、現パプアニューギニアのラエLaeから Howland Islandを目差して飛びたち、アメリア・イアハート博物館(Amelia Earhart Museum)によると、現在までイアハートさんの乗った双発のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号は途中で海に不時着し、同乗したナビゲーターのフレッド・ヌーナンFred Noonanさん(男性:写真左)も死亡したとされている。当時すでに米国と関係が悪化していた日本海軍も、捜索に参加した記録が残っている。2010年12月21日の参照記事
第一次世界大戦では負傷兵の看護の仕事をし、その時1920年に初めて乗った飛行機が彼女の運命を変えた。彼女は1923年にライセンスを得て、1928年世界で最初の女性大西洋飛行、1932年には最初の大西洋女性単独飛行、1935年には世界初のホノルル、カリフォルニア女性単独飛行を記録している。1930年から35年の間だけでも7つの新記録を作り出し、世界一周を最後の記録への挑戦としていた。
しかし最近、米国の航空遺物修復活動団体TIGHARが、2人がキリバスの無人島、ニクマロロ島(Nikumaroro Island:旧名 Gardner Island)に着き、漂流者としてしばらく現地で生き延びたと推定できる証拠を発見したという。過去10年で10回の捜索隊をニクマロロ島に派遣し、今年になって3個の小さな骨(上右、指の骨と思われている)を収集した。すでに、1930年代の女性のメイク用コンパクトや割れた鏡、ポケットナイフ、米国製のボトル、ジッパー、焚き火跡なども発見されており、骨片は現在オクラホマ大学Oklahoma UniversityでDNAの鑑定中で判明には約1ヶ月かかる。遺体は島に多いヤシガニなどに食べられたと見ている。右下は、地球を東に回る世界一周の飛行経路 Amelia Earhart Flight Planで、全金属製の飛行機の使用も世界初で、旅客機の座席を取り払い燃料タンクを増設し、軽量化が施されていた。無線通信機も搭載していたが、うまく機能していなかったとも言われる。左下は絶海の孤島ニクマロロ島。ウィキペディア 彼女の幼少期からの写真
2011年3月1日:調査団体TIGHARによれば、2011年3月時点では、発見された骨片が人間のものかどうかの鑑定が出ていないという中間報告がされている。サンプルが不完全な事によるが、人間のものである可能性は高く、DNA鑑定技術の進歩を待つしかないと研究者の報告がある。参照記事 :TIGHARによれば、エアハートの飛行から75年になる2012年7月、ニクマロロ島付近の海底捜査を計画している。右は、1908年、イアハート10歳のころ。
2012年4月2日:米国のヒラリー・クリントン Hillary Clinton国務長官が、調査団体に政府からの50万ドルの資金提供を約束した。調査は行方不明から75年の今年7月2日再開される予定。調査地はGardner Island, 現在名 Nikumaroro Island。2011年、別な調査で、Nikumaroro Islandから約3千キロ(1756マイル)離れたBuka Islandで飛行機の残骸が発見されたとの報告もあるが、現在は無人島のニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)に漂着し、数週間で餓死したと推測されている。参照記事
この無人島から見つかった有力な手掛かりの一つは、5つに割れていたガラス瓶(写真右の左)で、これは当時売られていた「しみ、そばかすを取る軟膏:Dr. Berry's Freckle Ointment,」が入っていた容れ物(右)と同じで、すでにイアハートが当時しみやそばかすを嫌っていたことが確認されている。参照記事
2012年7月3日:調査隊が3日、キリバス領ニクマロロ(Nikumaroro)島での調査に向けて出発する。調査を行う「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」は、イアハートが墜落後も生存していた可能性を、最先端機器を用いて探る予定。2009年に南大西洋に墜落したリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)発パリ(Paris)行きのエールフランス(Air France)機からフライトレコーダーを回収したのと同様の遠隔操作装置や、海底を調べるためのマルチビーム測深機が用いられるという。 ニクマロロ島周辺では機体の残骸の目撃証言があったとされ、調査隊は、墜落後にを生き延びたイアハートがこの島で、一定期間生存していた仮説を立てて調査を行っている。YOUTUBE映像
2012年8月22日:「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」による調査で撮影された高精細映像を分析したところ、キリバスのニクマロロ島(Nikumaroro Island)の西の海底に「人工物」が散乱しているのが発見された。過去23年間で10回目の調査となった7月の調査では、イアハートが緊急着陸してしばらく生存していたとみられている無人島の周辺の海底の撮影が行われた。
TIGHARの責任者、リチャード・ジレスピ(Richard Gillespie)氏は、AFPの取材に「海中写真には、着陸装置の部品と一致する物体が写っている」と語り、タイヤの可能性がある物体を調査チームが発見したと述べた。「これは進展が期待できる」とジレスピ氏は述べた。「さらに詳細な分析をする必要がある。ミステリーが解明されたとわれわれは思っていない。これは調査の次のステップだ」参照記事より抜粋
2012年9月13日:過去にジャーナリストがjournalist Fred Goernergが著書「 "The Search For Amelia Earhart,"」で、エアハートと同僚は、スパイ容疑でサイパンに連行され、その後拷問を受け、処刑か病気でサイパンで亡くなり埋葬されたと書いていた。
このことの根拠はないが、当時の日本帝国海軍が海上捜索に協力したという事実は残っている。
最近 Mike Campbellが書いた「The Truth at Last,」でまたこの説を掲げ、エアハートの所持品、飛行機はサイパンにあり、このことを米国政府は知っていたが、彼女に日本軍のスパイをさせた事実を隠すために公表されていないという推論を書いているようだ。ほとんど珍説と言うしかないと思うのだが、、。参照記事
2013年4月25日;オーストラリア人の56歳の冒険家Michael Young氏は、独時の調査で、当時 Gardner Islandと言われた現在のニクマロロ島から、1937年7月、木の箱に入った、イアハートかフレッド・ヌーナンAmelia Earhart or her navigator Fred Noonanの遺骨がフィジーFijiの病院に鑑定のため届けられた可能性を確認したと発言し、本人は確認のため7月にフィジーに行く予定だという。病院か博物館にある可能性があるという。参照記事
2013年5月30日;「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」のソナーによる再調査では、無人島のニクマロロ島(i.e. Nikumaroro island)の海底183mにロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)の物ともわれる、長さ6,7mの物体を確認した。Lockheed Electraにほぼ間違いないとし、この状況から、機は海面で大破したのではなく、不時着して徐々に沈み、その間に緊急信号も発進しただろうと推測される。組織は、今回のデータ解析も含む、今後の回収作業の資金の調達に奔走するそうです。参照記事 参照記事
2013年6月12日;上記の発見に関して、すでに2010年に沈没している残骸を確認してたと主張する米国の調査会社が、当時の調査費用を請求する訴訟を起こす動きがある。参照記事 映像記録
2013年8月12日:同姓名のコロラド州デンバーDenverのTVレポーターAmelia Rose Earhartさん 30歳 が2014年夏、イアハート氏と同じコースで約100時間以上をかけてPilatus PC-12NGで世界一周をする計画を発表した。一時イアハート氏との血縁があるともされたが、その後の調査で亡くなったイアハート氏とは全く血族関係はないと判明し、本人もそれを認めている。成功すれば、単発機で単独世界一周をした最も若い女性となる。飛行中に14か所に着陸し副操縦士が同行の予定 参照記事 参照記事 2014年1月の記事では、飛行予定は2014年4月から6月、世界一周を、14日から17日間かけ延べ約100時間の飛行で終える予定
2014年7月11日;2014年6月26日、カルフォルニアのオークランドOaklandを副操縦士Shane Jordon と共にPilatus PC-12NGで出発し、17か所に離着陸し、延べ飛行108時間かけて同年7月11日 Oaklandに戻り、Amelia Rose Earhartさんが、単発機で世界一周をしたもっとも若い女性となった。現在31歳。
2015年6月2日;伝説の女性飛行士遭難の謎、異説が浮上 アメリア・イアハートはマーシャル諸島 ミリ環礁Marshall Islands,Mili Atollに降り立った?
ワシントン州の高校で理科を教える53歳のディック・スピンクDick Spink氏はまったく違う説を唱える。エレクトラは進路を大きくそれ、マーシャル諸島のミリという小さな環礁に着陸したというのだ。しかし、マーシャル諸島説を唱え始めたのはスピンク氏ではない。1960年代、CBSの特派員フレッド・ゲルナー氏が「The Search for Amelia Earhart(アメリア・イアハートを探して)」という著書を出版し、氏の著書によると、イアハートとナビゲーターのフレッド・ヌーナンは、マーシャル諸島に着陸した後、日本軍の捕虜となり、船でサイパンに移送されて収容中に死亡したという。1937年の記録映像と記事
スピンク氏の研究は、当時ロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号に燃料装置を提供したパーカー社から資金援助を受け、ミリ環礁から証拠品になると思われるものを採取し、当時機体にアルミ材を提供したアルコア社とパーカー社は現在、マーシャル諸島から持ち帰った破片を分析し、アルミニウムと塗料がエレクトラのものと一致するかどうかを確認している。写真はミリ環礁とイアハートさんと彼女の乗った双発のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号、不時着したとされる場所の位置と予定航路 英文記事
2015年6月18日:現在無人島のニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)では、1989年の調査「Niku I」以来8回目になる「Niku VIII」現地調査が島と海中で行われている。調査は「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」によるもので、グループは「The Earhart Project」と呼ばれる。6月8日にフィジー Figiを大型ヨットで出発した一行は14名で24日間かけて調査を行う。潜水用具や小さな遠隔操作できる海中探査機( a small, remotely operated vehicle :ROV) も用意している。地図は、エアハートの目的地だったHowland Island、ニクマロロ島Nikumaroro Island(左下)、及びフィジー Figiの位置。 参照記事 参照記事 参照記事
2016年11月2日:歴史的航空機の発見を目指す国際グループ、The International Group for Historic Aircraft Recovery(TIGHAR)は、ハウランド島からほど近いニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)で新たに見つかった骨の一部を法医学から調査した結果、イアハートさんが島に漂着し、数日、またはそれ以上島で生存して亡くなった可能性が高いと発表した。同乗していたナビゲーターは不時着の際に死亡し、遺体は流されたと推論している。島には焚き火跡があり、イアハートさんが魚や鳥を食べて生存していた可能性があるとされる。参照記事
その後の経過:2017年7月 アメリア・イアハートさん捜索に新たな証拠?
中国で2010年12月16日、ブロンズの壷に入った2400年前のスープが発見されたと公表された。中国の戦国時代the Warring States Period の紀元前475年と英文記事にあるが、紀元前475年なら春秋戦国時代中期と書いてもいいだろう。場所は兵馬俑(へいばよう:1974年農夫が発見し、紀元前210年頃秦の始皇帝による)で有名な陝西省(せんせいしょうShaanxi Province.)西安(Xi'an 旧名:長安)近くの飛行場拡張工事現場で、墳墓跡と見られる場所から見つかった壷は、高さ20cm、直径25cmほどで、緑青(ろくしょう)で緑がかった壷の中に液体と骨らしき物が残っていた。調査では動物の骨と明らかにスープだと判明し、中国でも初めての発見となる。
墓はこの地方の地主か当時の低い階級の兵士のものと推定されている。同じ場所からは、無臭の液体が入った壷も見つかっていて、これはワインと推定されている。西安は中国でも最も古い都市で、3000年以上の歴史の中で1100年ほど首都が在った歴史的遺産と言われる場所。すごい発見なんですが、多少疑心暗鬼でもあります。それほど信じられない発見です。 参照記事
ニュースの動画はここで
2011年4月1日、中国・陝西省西安市郊外で昨年末に発見された2400年以上前の青銅製の鼎(かなえ)に入っていた液体は「犬肉スープ」であることが分かった。 陝西省考古研究院隋唐考古部の劉呆運(リウ・ダイユン)部長によると、この骨を専門家が鑑定したところ、1歳未満のオスの子犬の骨であることが分かった。このことから、鼎で煮込んだ犬肉スープがそのまま残されていたものとみられている。 このほか、同時に見つかった別の青銅器から酒に似た液体も見つかったことから、専門家は、墓の主は当時の貴族で生前は酒と肉を好み、遺族がこれらを埋葬の際にともに葬ったとみている。
墓はこの地方の地主か当時の低い階級の兵士のものと推定されている。同じ場所からは、無臭の液体が入った壷も見つかっていて、これはワインと推定されている。西安は中国でも最も古い都市で、3000年以上の歴史の中で1100年ほど首都が在った歴史的遺産と言われる場所。すごい発見なんですが、多少疑心暗鬼でもあります。それほど信じられない発見です。 参照記事
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2011年4月1日、中国・陝西省西安市郊外で昨年末に発見された2400年以上前の青銅製の鼎(かなえ)に入っていた液体は「犬肉スープ」であることが分かった。 陝西省考古研究院隋唐考古部の劉呆運(リウ・ダイユン)部長によると、この骨を専門家が鑑定したところ、1歳未満のオスの子犬の骨であることが分かった。このことから、鼎で煮込んだ犬肉スープがそのまま残されていたものとみられている。 このほか、同時に見つかった別の青銅器から酒に似た液体も見つかったことから、専門家は、墓の主は当時の貴族で生前は酒と肉を好み、遺族がこれらを埋葬の際にともに葬ったとみている。