2010年08月

2010年08月31日  犯罪 その他の 動植物

article-1306762-0AF080C2000005DC-862_634x286 2010年8月30日の報道によれば、8月22日タイのバンコク飛行場Bangkok Airportか らイランに向かうタイ国籍の女性Piyawan Palasarn, 31歳の手荷物からなんと生きた虎の子供が発見された。手荷物検査のX線スキャナーで発見された生後2~3ヶ月ほどの虎の子はバッグの中に衣類やトラのヌ イグルミと一緒に薬物で眠らされて押し込められていた。検査官も一瞬目を疑ったと言う。右の写真のバッグの中には見つかった時のぐったりした虎の子が見える。article-1306762-0AF04958000005DC-877_634x395

虎の子は体力の消耗と脱水症状を起して歩ける状態ではなったが、その後野生動物の保護センターで治療を受け回復中。 女性はバッグを他人から機内に持ち込むように頼まれただけだと主張しているが、イランの動物の闇市場に持ち込もうとした疑いが強く、有罪なら4年の禁固刑 と罰金4万バーツ約10万円ほどの刑を受ける。イランでは10万バーツ約27万円ほどで取引されるらしい。現在DNA鑑定で繁殖されたものか野生かを含め 子供の出身地を調査中。

2件のコメント

  1. のび子
    投稿日時: 2010年8月31日 2:13 PM | パーマリンク | 返信

    あ!!これニュースで見た!!!かわいそうに。。。。。ぐったりしてたよ

  2. 案山子
    投稿日時: 2010年9月1日 10:35 AM | パーマリンク | 返信

    虎の子  虎の子  お金 ですね   旨く いくと 10万 ですかー今日  黒猫 ヤマト  来ました


nappi11 at 16:21│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

m76077 右は8月18日、中国の報道撮影作品賞「金レンズ」の最高賞に選ばれた『遺体を人質に交渉』と題する写真。小船の船先の右に突き出ているのはすでに死んだ人の手で、紐で縛って引きずっている。

こういう職業のあるのは知っていたが、写真で見るのは初めてだ。「遺体屋」とでも言ったらいいのか、大きな川下には毎日数体の溺れ死んだり、自殺した溺死死体が流れ着く。それを集め、身元を調べて遺族から金を取る職業だ。相手の身分によってはかなりな金額を要求するようで、地方政府の認可の元でしていると言うが、恐らく役人の裏金になっているのだろう。

写真が撮られたのは、2009年10月24日。湖北省の古い都市荆州の長江沿いでの一幕。水遊びをしていた二人の少年が川に落ちたため、岸辺でパーティをしていた大学Ci100829225623 生18人が助けに行った。少年は助かったが、3人の大学生が命を失った。写真に写った遺体は亡くなった大学生のうちの一人。大学生の遺体を川から引き上げた業者は、遺体を早く渡してくれるよう土下座してお願いしている学生らを無視し、遺体を人質にして大学生らが所属する学校側と交渉し、(3人分で)3万6千元(約50万円)の費用を取った。「生きている人は救わない。遺体だけを引き上げる」とこの業者は言う。遺体一つを引き上げる費用は1.2万元。キャッシュで受け取ってから作業をするという。写真の遺体は2番目の遺体で「まだ(一体目の)金をもらっていない」と船から交渉中の業者。日本なら当然警察や消防の公的な作業になる。商売とは言え、金を払わなければ遺体を渡さないと言う商売には中国内でも批判がある。左下は「金を数える業者」。


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2010年08月30日  環境 自然 欧州 EU

キノコの季節 イタリー人もキノコ好き

Mushroom-006 イタリア北部のアルプスやアペニン山脈Alps and Apenninesの山岳地帯では、キノコ狩りmushroom gathererに夢中になるあまり安全手順を無視する人が増え、これまでに18人以上が転落す るなどして命を落としたと現地紙レプブリカが2010年8月29日報じた。キノコ狩りをする人は「不注意な行動をする人が非常に多く、残念な結果につな がっている」という救助隊員のコメントを掲載。 イタリア北部では8月に入って続いている雷雨や暑い天候のため、キノコが大量に発生しており、キノコを探 す人の死亡事故も増加。9日間に計17人が転落するなどして亡くなったほか、ANSA通信によると、29日にもキノコ狩りに出かけたまま行方不明になって いた男性が遺体で発見された。食用でキノコ狩りで人気のあるのは下左からporcini(ポルチーニ:ヤマドリダケ), chanterelles(シャントレル:アンズダケ) and Caesar’s mushrooms(シーザー・マッシュルーム:タマゴダケ).左上はベニスVeniceの露天市場でのキノコ売り場

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日本、資源競争で韓国にあっさり負ける ??

PN2010082601000408.-.-.CI0002 ボリビアの西部にあるウユニ塩湖には、全世界リチウム埋蔵量の約47%の540万トンが埋蔵されているという。資源開発権をめぐり、日本、韓国、フランス、ブラジルなどが競争を繰り広げていた。

李明博大統領とボリビアのフアン・エボ・モラレス・アイマ大統領は2010年8月26日、韓国の大統領府で首脳会談を行い、リチウムの開発および産業化の研究に韓国企業が参加することで合意し、首脳会談の直後、韓国鉱物資源公社とボリビア鉱山公社は「ウユニ塩鉱山の蒸発資源産業化研究開発に関する了解覚書(MOU)」を締結。韓国メディアは「覚書の締結により、リチウム電池の開発に向けた両国間協力が本格化する基盤が整った」と報じた。写真はリチウムの開発・技術協力の締結式に臨む、ボリビアのモラレス大統領(左)と韓国の李明博大統領=2010年8月26日、ソウル

ボリビアのリチウム開発に先行していた日本が去年からの後発の韓国に逆転されたようだ。韓国紙によれば「韓国がウユニリチウム開発事業権を取得した」とも取れる報道だが、一時は確実に日本が有利だったが、ならば負けた理由は何だろうか?他に中国、フランスも資源争奪に参加しており、この報道後各国はボリビアに抗議した。韓国紙の誤報とも言われるが、韓国紙の報道の中に日本敗退の推理ができる。

ボリビアのモラレス大統領がリチウム外交の功労者に選ぶ韓国人がいる。李明博(イ・ミョンバク)大統領の兄、ハンナラ党の李相得(イ・サンドゥク)議員だ。・・・韓国は大統領の兄である国会議員が直接何度もボリビアの高地まで足を運び、その熱意が評価されている。

李議員は「私たちを他の国と同じように考えないでほしい。韓国もボリビアと同じように植民地の経験など難しい時期を経験した。私たちは(ボリビアが)難しい時も一緒にいる」と説得した。・・・韓国の歴史を逆手にとって、日本統治後の飛躍的な韓国の復興をアピールした。

ボリビアは、リチウムの開発技術と同時に、韓国の経済発展モデルの伝授を望んでいる。また、同国は資源搾取を恐れ、帝国主義の前歴がある国は、開発権を与える候補から除外している、と伝えた韓国のメディアも見られた。・・・交渉中に、韓国はボリビアに韓国の国際援助で病院や保健所を建設し、かなり心象を良くし、更に日本には帝国主義の経歴があるから危険だと反日思想で説得したようだ。

他にも資源競争で負けた理由はあるだろう。例えば、日本が抱える世界一の赤字もこういう場合はマイナスになる。他国から見れば危ない国にしか見えない。全ては、日本の改革のスピードのなさ、政治の活力のなさから来る総合力の不足だろう。それにしても本命だった日本がこうもあっさり負けるとは、、。大々的に国内ニュースで報じる韓国とは対照的に、日本ではこれについてのニュースはまだ見ていない。ボリビアについての不安材料もあり、最近イランからの経済援助を受け入れた事から、一層反米色を強くする可能性があり、歴史的にクーデターの多い国だと言う不安もある。日本はリチウムに関し、トヨタ通商などがペルーでの開発に着手している。 この記事は nappi102010年8月29日 7:50 AM に投稿し、科学。テクノロジー。 カテゴリーに分類されています。パーマリンクをブックマーク RSS フィードでこの投稿のコメントをフォロー コメントを投稿する、またはトラックバックを送信する: トラックバック URL.


nappi11 at 19:35│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加


asi1008251106003-p1 ラッ シュ時の乗車率が250%を超えるインドでは、鉄道を舞台とした事件や事故が後を絶たず、平均して毎日10人以上が死亡している。8月23日伝えたところ によると、事件は、州都ラクノーから350キロ離れたラリトプル付近を 走行中の列車内で起きた。死亡した女児と両親が1つの寝台を分け合っていたところ、4人組の男たちが近寄って同席を強く迫(せま)り、口論となった。男た ちは激高してまず両親に暴力を振るい始め、突然、女児を抱え上げると、乗降口のドアを開けて 外にほうり投げた。この間、ほかの乗客は誰一人、この家族と男たちとの争いに介入しなかったという。列車は緊急停止し、両親は急いで線路に下りて投げ出さ れた女児のもとへ駆け戻ったが、即死だった。男たちは現場から逃走しており、警察が行方を追っている。

index インドの列車の自由席では、日常的に座席をめぐる争いが起きている。満席の車内は暑く、衛生状態も悪い。ウッタル・プラデシュ州では、過去にも走行中の列 車から乗客が突き落とされる事件が度々起きている。人口が集中する都市部では、問題はさらに深刻だ。人口1800万の最大都市ムンバイでは連日、ニュー ヨークの地下鉄利用客の6倍にあたる650万人が鉄道を利用する。 「激混み時間」(鉄道当局)と呼ばれる通勤通学のラッシュ時は、定員200人の車両に500人が 詰め込まれる。警察の発表では、鉄道に関連する事件や事故で昨年は3997人が死亡、4307人が負傷した。今年は1~4月ですでに1146人が死亡し、 1395人が負傷している。毎日平均11人が死亡する計算で、「いつ命を落としてもおかしくない」状況にある。ちなみに、ニューヨーク地下鉄の年間平均死 者数は8人という。


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kabon-thumb-200x113-5739 大阪大学+北海道大学「ナノテク素材を使って、金属の強度を5割向上」阪大の近藤教授と北大の古月教授のグループは、ナノテク素材であるカーボンナノチューブ(CNT:筒状炭素分子:ナノは10億分の1)を 使って既存の金属の強度を大幅に高める技術を開発した。 新技術はナノチューブを金属中に均一に分散させることによって強度を高める。ナノチューブを特殊 な界面活性剤に溶かして金属粉と混ぜ、水素で満たした容器で加熱。 こうしてできた粉末を押し固めると、ナノチューブが金属同士を強く結びつけ強度を高め る。 ナノチューブを重量比で0.1%ほど混ぜるだけで、引っ張りや曲げに対する強度が5~6割向上した。 材料費の上昇は1㎏当たり10円程度。マグネ シウムやチタンのほか、様々な金属に応用が可能で、放熱効果や導電性の向上が期待できるという。強度が上がると構造部分を薄くできるので、自動車や航空 機、家電製品を大幅に軽くできる。

北海道大学の古月文志(ふうげつぶんし)教授が開発し、特許を取った両性イオン界面活性剤を使用する新分散技術・分散剤(カーボンナノチューブ(CNT)の分散水溶液)がはものすごい可能性を秘めている。不安定な粉末を均質な溶液に出来た事で金属に混ぜ安価に大幅に金属強度を上げる事が可能で、これは飛行機や宇宙ロケットの重量を大きく軽減させ資源の節約になる。日本が最先端を行くナノ技術は数多く、いずれも世界レベルで貢献できるものが多い。 すでに去年ドイツの「カーボンナノチューブの基盤技術に関する国際会議」で研究発表されたが、日本が特許を持つこの技術の応用はあらゆる分野での無限大の可能性を持っている。

2件のコメント

  1. のび子
    投稿日時: 2010年8月29日 2:36 PM | パーマリンク | 返信

    ナノカーボンとは違うのか??http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/hotline/20010720/etc_nanocarbon.html

  2. よりばば
    投稿日時: 2010年8月30日 6:45 AM | パーマリンク | 返信

    最先端の科学者なのに、なんと詩的なお名前なんでしょう


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2010年08月26日  メキシコ 中南米 犯罪

メキシコ マタモロスの虐殺72遺体発見

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  メキシコでは今年7月、北部のモントレーMonterrey近郊で51人の麻薬抗争による殺害遺体が発見され、その前の5月には中部ゲレロ州Guerrerro stateの廃坑から55遺体が発見されている。

2010年8月25日、米国国境から160km 離れた国境沿いのタマウリパス州マタモロスTamaulipas state、border city of Matamoros近郊のサンフェルナンドSan Fernandoの農場の廃屋の部屋に放置された72遺体が同一場所から発見され、麻薬組織による大量殺人遺棄の最悪の記録となった。過去には数年かけて 300人ほどが薬品で溶かされたMexicoDrugWar_Dani_220x147事件もあるが、殺害後の遺棄として は今まで例のない大事件となった。遺体は男性58人、女性14人で、ほとんどが縛られ260xStory 拷問を受けた痕がある。地理的には麻薬過激組織セタスとガルフカルテルの抗争地域で、誘拐などが頻発し、普段はメキシコ人でも近寄らない地域だ。唯一の生存者(Luis Fredy Lala Pomavilla写真右下)で首を撃たれて軍の監視所に23日逃げて来た南米エクアドル出身の農場労働者の証言で出動したメキシコ海兵隊が銃201035AMP504撃戦のすえ(海兵隊員1名、麻薬組織側3名死亡)大量の遺体を発見した。新しいものも多いが、逃走した一味の身元や犠牲者の身元はまだ不明。遺体は同じ場所に座ったままや折り重なった状態で発見された。

日本国内では麻薬抗争と書いたのがほとんどだが、その後の有力な推測では、多くは米国への移動季節 農場労働者で、労働者は南米や中南米からの可能性もあり、密入国に際し、手引きする麻薬組織に密入国手数料の支払いを拒否したか反抗して一度に殺された可 能性が指摘されている。現場は国境沿MEXICO-CRIME-MASSACRE-MIGRANTS いのかなりな僻地で、おそらくこの説が正しく、今までの虐殺事件とは異質な事件で、異常に女性の多いのもこれを裏付けている

2010年8月26日:逃げ延びたエクアドル人の証言では、彼らは犯罪組織に誘 拐され、彼らに労働を強制され拒否したため殺されたと言っている。エクアドル人によれば、犠牲者はエルサルバドル、ホンジュラス、ブラジルEl Salvador, Honduras and Brazil.出身者を含み、密入国で米国テキサス側に行く事を希望していた。セタスの犯行と言うのが有力になっている。麻薬取締りの強化で、麻薬組織は 身代金目的の誘拐、密入国をビジネスとして拡大していると見られている。

2010年8月29日: メキシコ北部のイダルゴ市Hidalgoの市長Marco Antonio Lealが麻薬組織セタスと思われる集団から運転中に銃撃を受け本人死亡、同乗の4歳の娘も負傷した。現場は72人の遺体が発見されたTamaulipas州郊外。8月18日には隣のNuevo Leon stateでもSantiago市市長が暗殺されている。8月28日にはTampico市の警察が爆弾攻撃を受け数名負傷。その数時間前には国境沿いのReynosaの検視官施設が2発の爆弾を受け、一連の攻撃で15名が負傷。ここには先に発見された72名の遺体の一部が収容されていた。

2010年8月30日:メキシコ政府は国家警察federal police の職員の内、約10%に当る3200人を麻薬使用検査や警察内の腐敗汚職対策で解雇すると公表。450人が刑事告発され、1485人が数週間の内に失職する予定。

201083125252561734_20 2010年8月31日:ベルトラン・レイバカルテルから分裂し、メキシコ中央部でベルトラン・レイバカルテルとの抗争や残虐な犯罪を繰り返していた麻薬犯罪組織「ラ・バービーLa Barbie」のテキサス生まれの白人ボスthe Barbieこと Edgar Valdez Villareal が銃撃戦の末モレロス州に近いメキシコ・シティー近くで逮捕された。首切りや敵対するメンバーを殺害し橋から吊り下げるなどの残酷さで有名で、米国から2 百万ドルの懸賞金がついていた。逮捕には12時間の銃撃戦の末逃げようとした麻薬メンバー6人と政府側兵士1名が死亡した。2010年メキシコ麻薬勢力図

2010年9月2日:1日から始まったEdgar Valdez37歳通称バービーへの本格的な取調べは、今後彼が7つの麻薬密輸で告発されている米国に引き渡されるかどうかも判断される。調べの中で彼は、資金源(麻薬)はコロンビアColombiaであり、メキシコやパナマ経由で米国にヘロインCi100902191658など麻薬を密輸出し、米国からトレーラーに隠した大量のドルを受け取っていたと供述している。彼は今年1月25日にパラグアイの有名サッカー選 手Salvador Cabanasを些細な事からメキシコシティーのバーのト イレでで銃撃した犯人を匿っていた事も供述した。選手IMAGEN-7152467-2は顔を撃たれ奇跡的に生き延びたが、現在も頭部に銃弾が残っている。犯人と選手は友人であったが、口論からケンカになり、犯行後バービーは友人でもあった犯人を叱りつけ、その後3月ほど犯人を匿った。現在犯人Jose Jorge Balderas(通称El JJ) はコロンビアに逃亡していると暴露している。写真は銃弾の残る選手の頭部、左は犯人、通称El・JJ


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ヒトラーはユダヤ系!

  ユダヤ人迫害を行ったドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーAdolf Hitlerは、DNA検査の結果、祖先にユダヤ人とアフリカ人系の血筋Jewish2010082504320920 and African heritageを持つ可能性があるという。2010年8月24日の報道によると、ヒトラーの親族39人の唾液サンプルから採られたDNAを検査したところ、そのDNAはヒトラーが「非人間」とみなしたユダヤ民族に生物学的に関連するものだった.。ジャーナリストのジーン・ポール・マルダーズ氏と歴史学者のマルク・フェルメレン氏Jean-Paul Mulders, Belgian journalist and Marc Vermeeren, historianが今年、ヒトラーの甥の息子に当たるアレクサンダー・スチュアート・ヒューストン氏(61)や、ヒトラーの従兄弟であるオーストリア人農民、ノルベルトH.らの唾液サンプルを採取し、DNA検査を行った。そのDNAにはY染色体ハプログループのE1b1b系統the Haplogroup E1b1b (Y-DNA) chromosomeが含まれることが明らかにされた。


Y_Hap_EM-123この染色体は、オーストリアやドイツなど西ヨーロッパには珍しいもので、ユダヤ人や北アフリカによく見られるものだという。ベルギーのニュース雑誌「Knack」でフェルメレン氏は「(この染色体は)通常、モロッコのベルベル人やアルジェリア、リビア、チュニジアBerbers of Morocco, in Algeria, Libya and Tunisiaなどに暮らす人種に見られるもので、(イスラエル人の中でもヨーロッパから来た)「アシュケナジー」(Ashkenazi Jews)と呼ばれる系統の人々や(南欧や地中海、トルコなどから来た)「セファルディック」(Sephardic Jews)系ユダヤ人にも見られるものだ」と述べている。 元記事 参照記事

082482065b85d日本では有名な漫画家手塚治虫」が漫画「アドルフに告ぐ:1983~1985年週間文春に掲載」のなかで当時のこの仮設を元にストーリーを展開していた。その後一時この説は否定されたりしたが、最新の化学で再度この説が有力として浮上してきた。


nappi11 at 23:03│Comments(1)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加
2010年08月25日  ネコ 

盲目の猫5000キロの旅

alg_blind_cat 米 サンフランシスコの動物虐待防止協会San Francisco Society for the Prevention of Cruelty to Animals (SPCA)から昨年5月に行方不明になった盲目の黒ネコ ジャック・ダニエルズJack Daniels」が今月4日、3000マイル4千800キロ以上離れたニューヨークでニューヨーク動物管理局のスタッフNew York City animal control officersにニューヨーク市110番街110th street in New York Cityの路上付近で発見され保護された。

2010年8月23日の記事によれば、どのように米大陸を横断したのかは謎のまま。ジャックはウイルス感染による角膜の異常scarred corneasでほぼ盲目となり、サンフランシスコの協会で兄弟ネコ「ジム・ビームJim Beam(後日里親が 見つかった)」と寄り添って生きていた。2匹とも篤志家にもらわれる予定9ee2ef556c94b294e2e4373d3c259d40_0 だったが、ジャックは何者かに連れ去られ、行方不明となった。ニューヨークで見つかった際、埋め込まれたマイクロチップからジャックと判明。体調は良く、 サンフランシスコに移送した関係者はすてきなネコだから、別れを告げなければならないのが悲しかった」と話している。もし里親が見つからなければ、恐らく サンフランシスコですでに里親にもらわれ別な猫を探している兄弟猫の「ジム・ビーム」と暮らすことになるでしょう。米国でもいい話として紹介されている盲 目の猫の話題。ところで、ジャック・ダニエルもジムビームも有名なウイスキーの名前なんだが、誰が名づけたのか?埋め込まれていたマイク ロチップで身元が判明してからの米国の活動がすごい。すぐに飛行機会社Jet Blueが無料チケットを申し出、110番街の盲目の野良猫はサンフランシスコへ飛び立った、、往復実に1万キロの旅です。動物保護に立ち遅れている日本 からみればなんともうらやましい現実です。


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2010/08/24

南米チリの鉱山事故図解

article-1305350-0AE561D1000005DC-110_634x934 南米チリchileからの報道によると、同国北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山San Jose mine in Copiapoで2010年8月5日に起きた落盤事故で、ピニェラ大統領は22日、閉じ込められた33人全員が、事故から17日がたった今も地下避難所で生存していると述べた。大きならせん状に延びた坑道7kmの奥、地下約700メートルの地中に掘り進んだドリルを引き上げたところ「33人は避難所で元気でいる」との手書きのメッセージが付いていたという。この試掘はすでに7回失敗し、8回目に成功した。避難所に水の備蓄や通気孔があったため、17日間にわたって生存が可能だったとみられている。避難所が深い場所にあるため、救出にはさらに4カ月程度かかる見通しだが、その間チューブを避難所に差し入れて水や食料、酸素を供給する。地元テレビは、避難所に届いた遠隔操作のカメラに写った男性の映像を放映した。生存者は1日2スプーンの缶詰のマグロ、ひとすすりのミルク、48時間つどの半分のビスケットで耐えているが、すでに各人の体重は7~8キロ減少していると推定されている。

2010年9月17日

閉じ込められている作業員33人を救うための穴の一つが9月17日、避難所に通じる坑道に達した。到達した穴は直径約30センチで、今後、作業員が通れる約26インチ66cm幅にまで拡張する。予定より早く重要な第一段階が終了したことで、現場article-1313012-0B3D35AB000005DC-882_634x429では早期救出の期待が一層高まっているが、予測では救出にはまだ6週間はかかる。坑道の拡張には、地下に落下する数トンのガレキを地下で取り除く作業が必要になり、閉じ込められた33人にも過酷な作業が待っている。現在、現場では「A計画」と「B計画」の二つの救出用穴が同時に掘り進めらarticle-1313012-0B1D00C8000005DC-511_634x677れている。先に到達したのは既存の直径約10センチの物資供給用穴を拡大する「B計画」の穴。米シュラム社製のT130という空圧式の 巨大掘削機で今月五日に掘削を開始し、二週間弱で目標地点に到達した。これまで、すべてが順調に行けば「11月初旬にも救出可能」との見方を示していたゴルボルネ鉱業相は17日、AP通信に「予定よりも順調に進んでいるamr1010020826001p4_2写真は700mの地下で到達を喜ぶ工夫たち。 右下は米国製掘削機T130.

2010年10月2日:ゴルボルネ鉱業相は1日、閉じ込められた作業員33人の救出は10月後半になるとの見通しを示した。チリ政府はこれまで、救出は11月初めとしていた。拡張・掘削工事が行われている3本の救出用トンネルのうち、最も作業が進んでいる2本目のトンネルの拡張工事は全長約630メートルのう ち、372メートルまで達した。鉱業相は「作業は想定より早く進んでいる」と指摘した。トンネルの貫通後、内壁が崩れないよう補強する管の設置には 7~10日かかるという。作業員を乗せて引き上げるカプセルを、トンネルの中で上げ下げするテストが1日までに始まり、実際に人を乗せたカプセルがクレーンで引き上げられた。左下写真は地下に降りる試験用カプセル  関連ブログ:その後の経過

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激戦続くアフガン南部

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  激しい攻防戦が続くアフガン南部ヘルマンド州サンギン渓谷Sangin valley, Helmand Province.では、最近英国軍から10名ほどのタリバンのスナイパーによる犠牲者が出ていた。

写真の英国海兵隊所属のSapperarticle-0-0ACD0C28000005DC-833_233x423 Darren Foster 20歳は今週犠牲になった一人で、監視所にいたところを、僅か9インチ(23センチ)ほど開いていた防弾ガラスの隙間から銃弾を受けて死亡した。狙ったタ リバン狙撃手から監視所までの距離は約600mで、狙撃手はタリバンから雇われたエジプト、チェチェン、パキスタン人などのプロの狙撃手といわれている。

英国紙の2010年8月22日の記事では、追跡中の英国軍の空からの攻撃で、少 なくても3組の外人スナイパー(狙撃手)グループが殲滅されたと報道されている。イラストの左がタリバンの狙撃手で、隠れてチャンスを狙っていたのだろ う。これが典型的な例だが、犠牲になる英国兵のほとんどは地雷やスナイパーによるもので、誰も敵の姿さえ見ることなく戦死していく。関連ブログ:英軍一時サンギンから撤退


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ロシアで何か大きな対テロ組織殲滅作戦が進行中?

コーカサス地図2da3e798-c8b5-449b-a4b8-6104a6227d91_mw800_mh600_s5b85dこの前日2010年8月21日にも北コーカサスNorth Caucasus(単に北カフカス、北カフカースСеверный Кавказ、英語ではトランスコーカシア(Transcaucasia)またはトランスコーカサス(Transcaucasus)とも表記する)で分離独立反ロシア組織のリー ダーRustam Munkiyevが北コーカサスで降伏の説得を無視し殺害されている事から、公表はされていないがロシア側は大規模な掃討作戦を展開中なのだろう。

 8月22日には今年3月、40人の死者が出たモスクワの地下鉄自爆テロ(黒い未亡人 BlackWidowの黒幕と言われるMagomed-Ali Vbahar20100821141131437agabov がダゲスタン共和国 Dagestan、Dağıstanで4人の兵士と共に殺害されガレ580-chechnya_14480aキの下から見つかったた(写真右)。いずれもロシア警察の作戦と書いてあるが、写真で見れば軍隊、その中でも特殊部隊のチームにしか見えない。ここにも、あくまでもロシア国内の治安問題に止どめたいロシアの思惑が見えてくる。左の写真の女性が地下鉄自爆テロの実行犯二人のうちの一人Maryam Sharipova,で、写っている幹部った夫はその前年ロシア側に殺害されている。

ロシアから分離独立を求めるテロは隣接するチェチェンChechenに160286694する組織が有名だが、ここ2年ほどでその影響は近隣の共和国に拡大し、中東のラム系過激派タリバン、アルカイーダとも関係がある。


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2010年08月21日  ネコ 個人

フーも元気です 2010年8月

P8210005 最 近ミーの事を書くことが多いが、フーも元気です。書いている今もオジの足を枕にして気持ちよく寝ています。決してまだ寒くはないので、これは子猫の頃から のフーの甘えで、ミーちゃんがかみさんや、たまにオジとくっついて寝るのとは対照的に、フーがくっついて寝るのは一度の例外もなくオジの寝床だけです。

フーが話すと言っても見たことのない人には信じられないでしょうが、何かをしてほしいとき、例えば窓を開けてほし い、布団に入れてほしい、くっついていたいなどの時には必ず目の前に来て小さな声で話しかけてきます。そぶりで何がしてほしいかは分かりますから、布団に 入りたいときには布団のすそをちょっと上げてやります。足枕で寝たいときはフーの好きな形に足の位置を調整してやります。今の時期は正直こっちは暑いので すが、フーの為に我慢、我慢。野良では生きていけない北海道で、偶然とは言え、よく我が家に来てくれたと今でもフーには感謝しています。

今日はたまたまミーがくっついて寝ているところへフーが入ってきました。幾度となく睨まれて猫パンチまでされたミー はすぐに逃げる用意です。そこでこちらから「フーちゃん、ミーをいじめたらだめだよ」と声を掛けると、こっちの目を見ながら不満そうな面持ちで別な部屋へ 出て行きます。小さなころから、一度「ダメ!」と言った事は二度としません。あまりの聞き分けのよさに、「フー はこっちの言いたい事が分かるのか?そんなわけはないから多分テレパシーでも使ってこっちの考えを読んでいるのでは?」とさえ思います。実際は人間の表情 や眼の動きで判断しているのでしょうが、余りにも不思議な事が多すぎるフーなのです。子猫で痩せて病気を持って迷い込んできたのも、夫婦で「猫を飼いたい けどハムスターがいるしな、無理か、、。もし飼うなら野良がいいね、、。」と話した1ヵ月ほど後でした。一度も外に出ることもなく、他人には姿も見せない ひどい人見知りで、絶対他人には触らせもしない。しかし病院では「我慢するんだよ」の一言で素直に痛い治療を受けていました。ただし見舞いを1日サボった 次の日はものすごい剣幕で怒ったものです。


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2010年08月20日  犯罪 

合成麻薬ケタミン

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宮古島署は2010年8月19日、宮古島市伊良部のリゾートホテルのビーチで先月、漂着したと思われる麻薬約14キログラム(末端価格約1億3000万円)がカプセルに入った状態で発見されたと発表した。麻薬の一部を鑑定結果、合成麻薬「ケタミン(Ketamine)」と判明したため、同署は麻薬取締法違反で捜査を始めた。同署の調べでは、7月20日午前9時ごろ、宮古 島市伊良部の男性によって発見された。同日中に宮古島市伊良部支所を通して伊良部交番に届けられたという。見つかった麻薬は白粉状で、直径約17センチ・長さ約117センチの円Ci100821075107筒形のカプセルに、ビニール袋十数個に小分けされて入っていたという。

 乱用した場合は臨死体験などの幻覚作用があり、悪夢を見るという副作用もある。LSDと同様、サイケデリック系の薬物として知られるため、一時期は「K」「スペシャルK」などという隠語で呼ばれトランス系の音楽を流すクラブで多く流通したこともある。だが、こちらの場合は本来の用途が麻酔薬であるため LSDとは反対に精神状態は沈静化するのでテンションを上げたい乱用者の間では不人気であった。、、。と説明がある。使用するとぐったりした状態になるようです。どこから来たのか?イメージとしては中国か?

最近の使用事件では、神戸市須磨区の須磨海岸で、音楽ライブに訪れた男女5人が麻薬取締法違反(所持など)容疑で逮捕された。須磨署などは8月16日、新たに大阪市中央区の大学生の男(19)を同法違反(使用)容疑で逮捕した。容疑は、2010年8月11日~13日の間に、麻薬のケタミンを使用したとされる。警察の尿検査でケタミンの成分が検出されたという。時期を同じくして米国の化学雑誌でも従来のLSDやMagic並みの幻覚作用の危険性が指摘されている。どうやら世界的な流れが同時期に起こっているようだ。2010年8月10日の台湾の記事に寄れば、台湾は中国との合同麻薬捜査で200名以上の麻薬密輸容疑者および使用者、180キロのケタミンの押収を公表している。やはり中国~台湾~日本(沖縄沖)のルートの可能性がありそうだ。


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米軍はイラクから撤退できるのか?

イラクでは相変わらず、爆弾テロが続いている。8月末の米軍の戦闘任務終了と、戦闘部隊の撤退について、オバマ大統領は8月始めに「予定通り実施」と宣言した。米軍は、イラクの治安は相対的に安定し、死傷者はひくいレベルにあるという認識に基づいているが、現実はそれとは程遠く、イラク政府は前回の総選挙以降5ヶ月たってもいまだに政権が樹立できず、不安定な状態が続いている。複雑な民族とイスラム教宗派の思惑が全てを困難にし、現政権が復讐と派閥意識から旧フセイン時代のベテラン政府職員を排除した事が更に政務の遂行を難しくしている。

2010817162756385580_8 米軍は7月の民間人の死者を「222人」としているが、イラクの民間人の死者を集計している米欧の市民組織「イラクボディーカウント(IBC)」の今年7 月の結果では過去最悪の1ヶ月469人(右図)で、これでも集計は最小値と言われ、イラク政府は535人と公表し米軍の数値が異常に低いのが歴然としてい る。8月はすでに15日時点で326人が犠牲になり以下の被害を加算すれば18日で大よそすでに400人が犠牲になっている。

2010年8月15日:イラクの首都バグダッドなどで15日、爆発や銃撃が相次ぎ、合わせて少なくとも9人が死亡、20人が負傷した。

201081835414436580_5 Ci100818231648 2010年8月17日:イラクの首都バグダッドにある兵隊を募集する旧イラク国防省跡リクルートセンターで自爆テロが発生し61人が死亡、125人以上が負傷した。 この日はイラク第11大隊の兵員募集最終日で、建物の外に若い男性が多数集まっていた。そこに軍人に変装した自爆犯が現れ、希望者の名前をチェックをする と自分の周りに100人以上を集め、その直後に着込んでいた自爆ベストを爆破させ、一瞬にして例のないほどの多数が死亡した。アルカイーダの攻撃集団イラ ク・イスラム国(ISI)The Islamic State of Iraq (ISI), al-Qaeda’s front in Iraqがウェブサイトに犯行声明を出し、彼らの攻撃目標は「イラク内のシーア派Shias、及び金の為にスンニ派Sunniを攻撃する道具と化した背教徒達だ」としている。左の現場写真では流れた流血が地面の色を変えている。

首都バクダッドでアルカイーダの犯行によるタンクローリーの爆発で8人が死亡、44人が負傷した。バグダッドの北東 ラビヤー村でvillage of Rabiyah, northeast of Baghdad、アルカイーダを名乗るマスクをした武装集団が村を襲い、3軒からシーア派Shiite農夫3人を外に連れ出し銃殺した。米軍、イラク政府 に協力するものへの見せしめだという警告書が残されていた。村の関係者に寄れば、3人は農夫で政府にも米軍にも関係していないと明言している。

2010年8月18日:バグダッド北部Tikritでは午前7時半、裁判所前で 道路の地雷で警備兵2人死亡、民間人3人が負傷した。ここは処刑されたサダム・フセインの出身地。バヅダッド西部では出勤途中の住宅復興省の職員が射殺さ れた。東部では石油省の職員、2名のボディーガード、通行人が道路爆弾で負傷。

2010年8月18日:18日夜(日本時間19日午前)、イラク駐留米軍の最後の戦闘部隊が南部クウェート国境を越え、撤退を完了 したと伝えた。フセイン政権を崩壊させた米軍の「イラクの自由」作戦は、2003年3月20日のイラク攻撃開始以来、計4400人以上の米兵死者を出し、 約7年5カ月で終了した。8月末としていたが、10日以上早まった。オバマ大統領は18日、「イラク戦争の中で画期的な出来事だ。米軍はイラクからの撤退 を続ける」との声明を出した。最大時の2007年に168000人に膨れ上がったイラク駐留米軍は、同大統領が就任した昨年1月には約144000人。今後は5万人規模でイラク治安部隊(約665000人)の支援・訓練に当たり、来年2011年末に完全撤退の予定。

2010年8月24日:8月24日時点でイラク残留米軍は49700人で、この人数は来年夏まで維持される予定。米軍が削減となった直後からアルカーダと見られる爆弾テロがイラク全土で続発し、ある集計では7月の犠牲者は1ヶ月で535人とも言われている。ここ最近は首都バグダッドの中心部の爆弾テロが目立っている。


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飲まず食わずで10日間、

Ci100817133123Ci100817133050 米フロリダFlorida州Ocala National Forestで、プラスチック容器に頭を突っ込んで抜けなくなった子グマを野生生物保護当局が捕獲し、追跡を始めて10日ぶりに容器を取り外すことに成功した。この子グマは生後約6カ月。容器(ジャー)を頭にかぶった姿から「ジャーヘッドJarhead:スラングでは石頭、融通の利かない奴の意味がある」と呼ばれて、母グマと2頭の兄弟グマTwo black bear cubsらとともに国有林の中にある集落でいつもごみをあさっていたが、7月下旬、プラスチック容器から頭が抜けなくなった姿で見つかった。 写真上は容器が取れない小熊と捕まった母親と小熊の兄弟。母親は麻酔が効いています。2010年8月16日のニュースから。

Ci100817174414 この状態では死んでしまう可能性があるため、当局が親子グマの追跡作戦を開始。心配した住民の熱心な応援を受け、罠を仕掛けるなどして捕獲しようとしたが、警戒した母グマはなかなか罠にかからなかった。もう子グマは死んだものとあきらめかけたところで親子を発見し、母グマを麻酔銃で眠らせることに成功。子グマを捕獲して、ようやく頭からプラスチック容器を外してやることができた。母グマ、子グマとも1晩かけて回復させ、翌日、森の中の集落から離れた場所に放された、写真下:オリから一目散に森に、、。


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フェイスFaith 元気に活躍していました。

faith_the_dog_20 両前足のない 奇跡の犬フェイス と言う記事を書いたのは去年の10月でした。久しぶりにフェイスの近況が伝わってきました。フェイスも今年8歳になり、フェイスを助け出した息子さんは現在兵士としてイラクにいるそうです。多くのメールや手紙が今も絶えることがなく、多くの人に元気を与えているようです。米国オクラホマ州の飼い主のJude Stringfellow夫人は分の息子article-1303762-0AD22E92000005DC-971_468x304article-1303762-0AD21CE5000005DC-150_233x509Reuben Stringfellow がイラクにいることからフェイスを連れて英国の戦傷者の施設を慰問する予定だそうで、実現すれば、そこでも大きな感動を退役戦傷軍人に与え、忘れかけた笑みが戻るでしょう。アフガン戦争の特徴でもありますが、戦傷者の多くは地雷などによる負傷者で、助かっても社会復帰が難しいのが現実です。フェイスは米軍傷痍軍人の慰問の実績からすでに米軍から名誉軍曹an honorary sergeantの称号をもらっています。公園のフェイス という2009年12月の動画です。左上は家族の写真で、息子さんも娘さんも随分大きくなりましたね。


nappi11 at 17:43│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加
2010年08月17日  ネコ 個人

ミーちゃんとトウキビ

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  もうトウキビが食べごろとは早いものです。自分の大好物でもあるのですが、我が家のミーちゃんも大好物。日ごろ キャベツや、レタスに眼がなく、匂いをかいだだけでウギャウギャ騒ぐのは相当に好きなようです。中でもトウキビは大好物で去年は食べていると食いついて放 しませんでした。左右は2010年8月16日のミーちゃん。1歳2ヶ月。意外と猫の表情を撮るのは難しいが、これはすんなりポーズを決めてくれた。素顔のミーが良く出てて、パソコンを打っているとこんな顔でじーっと何時もこっちを見つめています。美男子ですね!P8160002

今年ももぎ立てが来たので、ゆでてから反応を写真に取りました。左から、最初はかじっていましたが、「塩気があるか らダメだよ」と取ろうとするとかじりついて、最後はオジと引っ張り合いです。引っ張ってる顔がミーには珍しく真剣な顔つきで、こっちも放さないので珍しく 少し怒っています。仕方なく少しわけてやって こっちも急いで食べました。このほかに食パンも大好きで、最近は油断すると横からかぶりつきます。 兄貴のフーは対照的に全く人間の食べるものには関心がありません。 性格はちょっと気が弱いですが、いい猫になりました。一言で言えば甘えん坊で、人間大好き、ただし飼い主だけですが。オジにくっついてはフーに「そこはダ メ!」と睨まれ、フーが押入れで寝ると、熟睡を確かめてからすぐにくっついてくる知能犯です。ミーは豆腐も好物ですので、今日の夕食は人間と同じ冷やっこ です。ただし醤油無しで、好物のほうれん草のおひたし付き。全く変な猫ちゃんなのだ。

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2010年08月15日  歴史、史実、記録 

元興寺禅室に世界最古の建材か、、。

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法隆寺が世界最古の木造建造物なのは変わらないが、奈良市中院(ちゅういん)町元興寺(がんごうじ)(極楽坊)の禅室(国宝)に、飛鳥時代初期の西暦586年ごろに伐採されたヒノキの建材が使われていることが、年輪年代学の調査でわかり、法隆寺(7世紀末~8世紀)を約100年さかのぼり、世界最古の「現役」の木造建築部材になるそうです。元興寺は国内初の仏教寺院・飛鳥寺(法興寺、奈良県明日香村)を前身とし、平城遷都(710年)に伴って平城京内に移された。奈良時代の718年に建立が始まり、建物は新築とされてきたが、少なくとも禅室飛鳥寺からの移築だった可能性が高まった。飛鳥寺の正確な建立年は不明で、590年に用材を伐採したことが日本書紀に記されている。禅室は東西26.8メートル、南北12.8メートル、高さ8.4メートルの細長い木造平屋建て。僧侶らの住居「僧坊」として使われ、後世には修行の場を兼ねた。 屋根裏の部材の年輪などを撮影し年輪年代法に基づき画像をコンピューター解析結果、複数の柱の上部に水平方向に渡した「頭貫(かしらぬき)」で、最も外側の年輪が586年を示した。写真下:元興寺の禅室(左)右側は本堂。下右は禅室西側側面(上の写真はそれぞれ参考写真で禅室ではありません)

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アインシュタイン秘話

クリップボード01 相対性理論で知られるアインシュタイン博士(Albert Einstein 、1879年3月14日 - 1955年4月18日)が、1922年に一度だけ来日した際に出会った4歳の日本人少女について、「養女にしたい」と両親に申し入れていたことが分かった。両親の丁寧にお断りし実現はしなかった。写真は、東京都葛飾区の会社員渡辺峰道(みねみち)さん(60)が所有。少女は渡辺さんの母恭子(やすこ)さんで、1990年に72歳で亡くなった。恭子さんの父知雄さんは元外務官僚で、当時はインド領事。欧州航路の「北野丸」(日本郵船)で英領セイロン(現スリランカ)から一家で帰国の途に就いた際、先にフランスから乗船して講演旅行で日本に向かっていた博士夫妻と知り合い、二十日ほど船上で過ごした。博士は恭子さんらとゲームなどを楽しんだという。知雄さんがデッキで撮ったとみられる写真には、博士のひざの上で恭子さんがほほ笑み、再婚した博士の妻エルザさん、恭子さんの母ていさんも一緒に写っている。戦後、静岡県で家庭を持った恭子さんがたんすにしまっていたが、死後は次男の峰道さんが保管していた。船上で4歳の恭子さんをひざに乗せるアインシュタイン博士(手前)、エルザ夫人(後方右)、恭子さんの母ていさん(同左)=渡辺峰道さん提供 *1922年10月8日フランスのマルセイユからこの船に乗船し、日本に向かう途中の11月10日に北野丸への電報でノーベル物理学賞を知らされる。日本に43日間滞在したため授賞式には出席できなかった。日本訪問はノーベル賞の祝賀となり、日本中が湧き上がった。2010年8月13日東京新聞より抜粋、加筆。


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