(犬の)パトラッシュは、気の荒い飼い主にこっぴどく使われ死にかけて、道端に捨てられ
ます。ジェハン・ダースじいさんは、老犬を自分の小屋に引きずって回復させます。それまで、荒い言葉と手ひどい取り扱いで人間不信になっていたパトラッ
シュは、慰めるようになでさするダースじいさんと無邪気なネルロ(またはネロ)に、心を開きます。ダースじいさんは、牛乳缶をアントワープの町に運んで生
活を立てていました。体のよくなったパトラッシュはおじいさんの代わりにネルロと働き始めました。
パトラッシュは不思議でした。ネルロが大教会堂に入って長い間でてこないのです。そこにはルーベンスの”十字架を立てる”と”十字架からおろす”の作品(ルーベンスが描いた ”キリストの十字架昇架、十字架降下)がありお金を払わないと見ることができないのです。
緑
の丘の上の風車の家に住む アロア(そこの娘)の家は、村1番の金持ちでした。貧しいネルロは、じょうずにアロアを写生しますが父親はネルロを遠ざけま
す。貧しいから、、、、あらぬ噂(風車を放火した)をアロアの父に立てられネルロは仕事もできなくもう、食べる物もありません。ネルロは、画家の道に進め
る公募のコンクールに作品を出していました。でも、優勝者は波止場主の息子でした。雪の中パトラッシュが茶色の皮袋を拾いました。それは途方もない大金が
入っているアロアの父の財布でした。
さっそく風車の家に届けます。アロアの父は深く反省します。ネルロは、アントワープに向かいます。
街
々は氷で真っ白。吹雪の中をさまよい歩いていると大教会堂は何故か扉が開いていてネルロはルーベンスの絵を見ることができたのです、パトラッシュは、ネル
ロが石畳の上に倒れているのを見つけました。『私があなたを見捨てるような薄情な者だと、かりにも思ったのですか?犬のこのわたしが?』 次の日の朝、ネ
ルロとパトラッシュの穏やかな顔でなくなっている姿に、、、、誰を恨むことなく、犬のパトラッシュと天に召されました。
ベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。
映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36)。
制
作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。ほかの国ではあまり評価されないこの1870年代の物語が
なぜ日本でのみ明治から長く共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での
計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。(ラストシーン動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5902214)(邪魔な書き込みは下のボタンで消せます。)
日本人が持つ、憐(あわ)れ(哀れではなく)さ、はかなさ、覚悟して死を受けいる者への 憐(あわれ)みなど、ほかの国の言葉では言いづらい部分なのだろう。仏教や禅では生きることと死ぬことが同義になる。一所懸命生きること、それは一所懸命 に死ぬこと。武士はそれを死を覚悟して生きることが立派な生き方で、いかに死ぬかを生きることと言い換えた。美しいうちに散る桜に潔(いさぎ)良さを見つ け、美しく散ることを、散ることは美しいとも言い換えた。日本人の独特の美学になった。覚悟して死ぬものへは自殺であろうと悪くは言わない風潮ができた。 すべてを運命として受け入れる、宗教ではない、日本の倫理なのだろう。これを書いていて、なぜか特攻で死に行く神風の飛行兵が最後の飛行に飛び立ち、自分 の家の上で翼を振る情景を思い出した。それを見た親も、これが最後と黙って手を合わせたという。「立派に死んでください」とでも思わなければ耐えられない 現実を、日本人は滅びの美学で耐えてきた。