2007年12月

「フランダースの犬」あらすじとその考察

images[2]images[5]

犬の)パトラッシュは、気の荒い飼い主にこっぴどく使われ死にかけて、道端に捨てられ ます。ジェハン・ダースじいさんは、老犬を自分の小屋に引きずって回復させます。それまで、荒い言葉と手ひどい取り扱いで人間不信になっていたパトラッ シュは、慰めるようになでさするダースじいさんと無邪気なネルロ(またはネロ)に、心を開きます。ダースじいさんは、牛乳缶をアントワープの町に運んで生 活を立てていました。体のよくなったパトラッシュはおじいさんの代わりにネルロと働き始めました。
パトラッシュは不思議でした。ネルロが大教会堂に入って長い間でてこないのです。そこにはルーベンスの”十字架を立てる”と”十字架からおろす”の作品(ルーベンスが描いた ”キリストの十字架昇架、十字架降下)がありお金を払わないと見ることができないのです。
緑 の丘の上の風車の家に住む アロア(そこの娘)の家は、村1番の金持ちでした。貧しいネルロは、じょうずにアロアを写生しますが父親はネルロを遠ざけま す。貧しいから、、、、あらぬ噂(風車を放火した)をアロアの父に立てられネルロは仕事もできなくもう、食べる物もありません。ネルロは、画家の道に進め る公募のコンクールに作品を出していました。でも、優勝者は波止場主の息子でした。雪の中パトラッシュが茶色の皮袋を拾いました。それは途方もない大金が 入っているアロアの父の財布でした。
さっそく風車の家に届けます。アロアの父は深く反省します。ネルロは、アントワープに向かいます。
街 々は氷で真っ白。吹雪の中をさまよい歩いていると大教会堂は何故か扉が開いていてネルロはルーベンスの絵を見ることができたのです、パトラッシュは、ネル ロが石畳の上に倒れているのを見つけました。『私があなたを見捨てるような薄情な者だと、かりにも思ったのですか?犬のこのわたしが?』 次の日の朝、ネ ルロとパトラッシュの穏やかな顔でなくなっている姿に、、、、誰を恨むことなく、犬のパトラッシュと天に召されました。

6d9edb73[1]

ベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。
映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36)。
制 作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。ほかの国ではあまり評価されないこの1870年代の物語が なぜ日本でのみ明治から長く共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での 計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。(ラストシーン動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5902214)(邪魔な書き込みは下のボタンで消せます。)

日本人が持つ、憐(あわ)れ(哀れではなく)さ、はかなさ、覚悟して死を受けいる者への 憐(あわれ)みなど、ほかの国の言葉では言いづらい部分なのだろう。仏教や禅では生きることと死ぬことが同義になる。一所懸命生きること、それは一所懸命 に死ぬこと。武士はそれを死を覚悟して生きることが立派な生き方で、いかに死ぬかを生きることと言い換えた。美しいうちに散る桜に潔(いさぎ)良さを見つ け、美しく散ることを、散ることは美しいとも言い換えた。日本人の独特の美学になった。覚悟して死ぬものへは自殺であろうと悪くは言わない風潮ができた。 すべてを運命として受け入れる、宗教ではない、日本の倫理なのだろう。これを書いていて、なぜか特攻で死に行く神風の飛行兵が最後の飛行に飛び立ち、自分 の家の上で翼を振る情景を思い出した。それを見た親も、これが最後と黙って手を合わせたという。「立派に死んでください」とでも思わなければ耐えられない 現実を、日本人は滅びの美学で耐えてきた。

作者についての詳細はここのブログ記事で


nappi11 at 00:00│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
Ci1108191548172007年12月17日:クルド人独立国家を目指す武装組織「クルド労働者党(PKK)」。この組織は23年間にわたってトルコ政府に対する武装闘争を展開してきた。
PKKは1978年、アナトリア
Anatolia)半島南東部でのクルド人独立国家樹立を掲げて結成された。同地域はトルコ国内のクルド人の大半が居住。PKKという略称はクルド語の組織名称の頭文字に由来する。1984年8月には武装闘争を開始。これまでの闘争で3万7000人以上が死亡したとされる。

クルド人は、自らの国家をもたない民族としては世界最大規模とされ、居住地域はトルコ南東部、イラク北部、イラン北西部、シリア北部など4か国にまたが る。トルコには、クルド人の全人口2500万-3500万人のうち1300万-1900万人が居住しており、最大のクルド人コミュニティーを形成してい る。

PKKの軍事部門は、湾岸戦
map4争後の1991年以来、アメリカの介入でトルコと国境を接するイラク北部に設置されたクルド人自治区を拠点にしているとみられる。一方、政治部門の活動資金は主に欧米諸国からの資金援助によるものとみられている。
PKKはトルコからの完全独立を目指していたが、ここ数年は同国内での自治権の確保と武装組織のメンバーの恩赦に要求が変わってきている。一方のトルコ政府も、少数民族問題を含む人権問題への対応を求める欧州連合(
EU)に対し、加盟問題をにらんで配慮し、PKKに対する攻勢をここ数年は自制してきた。
ロンドン(
London)の国際戦略研究所(International Institute for Strategic StudiesIISS)によると、PKKは現在、3000人-5000人規模の兵力を有しているという。これは1984-1999年までの闘争初期の半分以下の兵力だが、専門家はトルコ軍による最近の攻勢を受け、新たにPKKに加わる者が今後増加するとみる。
pkk_murat-karayilan61PKKの創始者、アブドラ・オジャラン(
Abdullah Ocalan)党首は1999年に逮捕され終身刑で投獄されているにもかかわらず、組織に対する大きな影響力を維持している。現在のPKKの武装組織を率いているのは、イラク北部を拠点にするMurat Karayilan氏::写真 だとされている。AFPよりコピー
関連ブログ:
イラク北部クルド人自治区と国際紛争(1)修正
nappi11 at 00:00│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック